2021年9月17日金曜日

文章を褒められた

 先月、私の(ある活動の)後輩Hさんに誘われて奥日光に出かけ、おしゃべりをした。そのとき、4月の私の山での遭難のお話もし、あとでそれを記した「至福の滑落」を送ってご笑覧いただいた。律儀にも「先日の文章の感想をお送りいたします。」と前置きして、読後感を送ってくれた。

 この後輩という人は、大正教養主義時代の文筆家の空気を存分に吸い身に備えた方。演劇グループを率い、脚本・演出にも力を発揮してきている。ただ、コロナ禍でグループの活動が休止状態にあって、いまはちょっと次元を変えて、若い人を対象とした全国演劇活動の本拠地の手伝いをしているという。

 その彼の読後感を(手前味噌ながら)ここに紹介したい。褒められています。この方のような「物書き」に褒められたのは、なんともうれしい。褒め方もまた、いかにも「物語」の推移を追うような演劇的構成に目をとめている。文章というよりも構成に焦点を当てているように思えて、さらにうれしい。彼の了解を得ているわけではないので、一部書き換えてあることをご承知おきください。

 なお、私の子ども世代ほどの歳の隔たりがあるので、私に対して「先生」という敬称を遣ってくれているのは、なんとも面はゆいが、それもまた、大正教養主義のなせる技と読み取ってくれると思い、訂正しなかった。

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                      『秩父槍ヶ岳 至福の滑落』を読んで


 まずF先生のお話になられた秩父槍ヶ岳という山のことを調べたら、確かに「槍」というよりは「穂をかぶせた槍」のような形をしていた。正確に調べたら、槍の穂先などを納めておく筒状のものは、刀と同様に「鞘(さや)」と呼ぶらしい。鞘をかぶった槍、暗喩的にも、見た目以上に危険に満ちた雰囲気が、その名からも立ち上がってくる気がした。

  埼玉県警の令和3年山岳遭難発生状況というサイトの4月12日の項にF先生の事故報告通りの記載が在った。「秩父槍ヶ岳・70代・男性・滑落・軽傷」。しかしF先生の文章に書かれていたものは、そんなものでは言い表せるものではないのだから、事実と真実には大きな差があるというものなのだろうと思う。話はそれるが、秩父周辺の山々でも事故に遭う人が多く、事故を起こしているようであった。そこには死亡や重傷となる方も多くあり、埼玉県に限らず、「山」というものは甘く見ると大変な目に遭うものであるのだ。

 F先生の手記を拝読して、まず感じたことは、文章に引き込まれたということだ。

日光である程度のお話を伺っていたのに、文章の醸し出す臨場感、高揚感に引き込まれ、とてもどきどきした。事前に話の結末は分かっていた。F先生は、滑落しながらも生還するのだ、と。しかし読んでいた途中で感じたのは、「このまま死んでしまうのではないか」という言い知れぬ不安や切迫感、「結末はどうなってしまうのだろうか」という焦燥感だった。それだけご自身の体験に即した、ご自身の独白に説得力がある文章だと感じた。

  まず舞台である秩父槍ヶ岳の紹介と登山ルートに沿った行程の説明も臨場感があった。刻々と「その時」が近づくような、時刻の経過を示す書き方も面白い。

 そして文章中、白眉の描写は「実はその少し前、もう少し山林の上へあがって・・・」という部分である。滑落へとつながる運命へと誘う山の魔力が、妖しく立ち上ってくるのを感じた。

 そして滑落の場面。ご本人の記憶に基づいた回想と、S氏の叙述の両方を比較できるように書かれていた。まさに真実と事実。かくも異なるものか、と感じ読んだ。

「沢の姿は、誘いこまれるほどの美しさ」「おい降りてくれよ、まるで呼びかけているように太い木が、」山そのものか、もしくはそれ以外の人外の魔なのか、本人も自覚するほどに、何かに誘われている。「天にも昇る気持ち」と後述されているが、それほどの魔がその時にF先生の間近に居た、ということか。と同時に、F先生ご自身は、冷静に、客観的に、滑落の原因を分析し、そして結論へと至っていらっしゃる。

 山に誘われたことも、ご自身が今まで積み上げてきた経験と経験の中でついた思考のクセも、突然舞い降りた滑落の瞬間に至るまでの必然のように捉えて述べている。そしてその必然の突き詰めた先に待つものは、明記はしていないものの、「死」に至るということだろう。

  滑落自体が至福、滑落して生き残ったことは至福か。分からない。しかしその結論として、山とある程度の距離を取る結論に至ったのは、至福かもしれない。なぜなら、その滑落で命を落とす運命もあり得たとすれば、やはり生き残り、至福の瞬間をかくも冷静に振り返ること、文章化すること。私においては、それこそが至福のように思えるからだ。

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  この度、日光でのお時間を頂戴して、夜にビールを飲みながら、お話を伺う機会を得て、とても楽しい時間を過ごすことができました。F先生が山で大きな事故に遭い、九死に一生を得た話は、とても興味深く、万が一、も、あり得た、自然と一体になった感覚を伴う滑落が、至福であったという逆説的な感覚に、事実を超えた真実を感じました。

 私の感想には誤解もあるかもしれませんが、それこそF先生のみが実感したことに、そもそも他者が介在し解説する余地など微塵も在りません。たわいのない戯れ言だと片付けてください。

 日光で湯の湖の周辺をほんのわずかではありますが、一緒に散策できたことは私にとっては貴重な時間でした。F先生は怪我のリハビリだ、と仰っていましたが、私が子連れであっても、やはり歩くスピードは速く感じました。

 6000mにも及ぶネパールの山々に挑んだ人も1500mの山で死と隣り合わせになる山という場所は、やはり非日常の特別な場所なのでしょう。亡き母が、自分の実力で、できる範囲の中ででは在りますが、山歩きを愛したことも、再び思い出すことができました。

 秋雨前線の停滞の影響か、F先生をホテルの玄関にて見送った後、私達はろくに日光を歩くこともできませんでしたが、娘二人はこの旅が楽しかった、と話しておりました。

「F先生にもらった花火」を埼玉に帰ってから、2回に分けて楽しみました。それまで花火を手に持つことができなかった娘らは、その時初めて自分の手で花火を持ち、楽しみました。

 コロナウィルスの流行は政治的な思惑に左右されながら、現場の生徒・教師を翻弄し続けています。せめて皆、無事息災であることを願うばかりです。

 F先生の体調が回復し、また機会がございますれば、覚張先生や大木先生とも合わせてお会いしたいと考えております。たわいのない日常が、早くこの手に戻れば良いのですが。

 またお会いできる日を楽しみにしております。

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