タイトルが気になって、藤原辰史『食べるとはどういうことか』(農文協、2019年)を手に取った。面白い。12歳から18歳までの8人の子どもたちと著者との公開セッションに若干加筆したもの。私も、4月の入院のとき、つくづく我が食の過剰を反省したところであった。
食べ過ぎということや贅沢に食べるという文化としての食については、動物との違いとか生き物の命を奪っているという事実に言及するやりとりから入っていったのだが、その途中に差し挟まれた著者の指摘が、面白かった。
食というものが生態系にどのような意味を持つかに言い及んで、餌となった食べ物が消化器官を通過して分解され、排泄され、土や海に流れてさらに分解されていく生態系の一過程とみる。すると、人間もまた、捕食者というよりも分解者であり、数多(あまた)いる微生物や細菌と同様の働きをしている。それはそれで「人間とは何か」を考えさせる論題の戸口を示していたことである。
「食べるとはどういうことか」と問う主体が抜け落ちる。神のような視点か。食物連鎖や生態系に視点を置いて考察する観点は、自然を自律的存在として前提するところから必ず発生する問いである。ではそれを、我が実存とどう結びつけているか。
その点で藤原辰史は、1000兆個にも及ぶと(数えたわけではないと著者は)推測される人体にとりついて共存している菌類に言及して、たとえば化粧品や石鹸を用いて、顔を洗うことによって皮膚表面についている菌類を排除、・殺菌してしまい、そのために皮膚が荒れていってしまうことを指摘する。そうか、そういうふううに、外部に屹立する自然と我が身の実存とを橋渡しする地点があったか。そう考えてみると、人の暮らしに入り込んでいる「衛生観念」がどこを起点にして築かれているかを、問い直さなければならなくなる。面白い。哲学的なモンダイ提起だ。
この著者、1976年生まれ。今年45歳になるか。若い人がこのように新しい哲学的な視点を築いていると思うと、頼もしい。というか、私たちの子ども世代も、なかなかやるわいとほくそ笑みたくなってくる。
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