健忘症というのは、忘れることが(歳をとることにおいて)自然ということであろうか。それくらい、物事をきちんと忘れる。はじめて仕事に就いた若い頃、同じ職場の人たちが去年の行事では何をしたかと、ああだこうだと遣り取りしているのをみて、とても不思議な気がしたことを思い出す。一年前のことなのにどうして忘れるんだよと思っていた。だが、私もその年になって、手帳を見るようになった。そうして今、何を書いていたかも、覚えているのはせいぜい3ヶ月、一年前、二年前となると、ほぼ完璧に忘れている。だから、今月に入って考えているのと同じテーマを、去年も一昨年も考えていたのだと、このブログの「1年前に書かれた記事」の送信サービスを目にして、改めて思っている。
この先は2年前の記事(*1)と1年前の記事(*2)を再掲出しているから、それは面倒と思う方は、*3の部分から読み始めてもらえばいい。
*1
2年前、2020-02-10に「統治の歴史観と暮らしの歴史観」と題して、以下のようなことを記している。検索して貰うのは面倒でしょうから、全文、掲出する。
断捨離の入口でうろうろしていたら、古い新聞の切り抜きに小浜逸郎がJICC出版から出ていた「ザ・中学教師」シリーズの変遷に触れて、私たちの活動を評している記事があった。当時の埼玉教育塾(のちのプロ教師の会)が「反動的」ともいえる言説を展開しているのは、世に蔓延るリベラルな人たちの「教育論」が「教育の核心」になることを欠いていることに苛立っているからだ、とみている。小浜自身も、埼玉教育塾の言いたいことには賛同するが、しかし彼らが現行システムを前提にしているスタンスが「反動的」だと言い、小浜自身はもっと改革をすすめる視点を組み入れると結論的に主張している。今から30年ほども前、1991年頃のことだ。
これを読んで思い出したのは、現象学哲学者として当時知られていた竹田青嗣が、埼玉教育塾の諏訪哲二に「教育改革にそれほど提起したいことを持っているなら、どうして文部官僚にならなかったのか」と問うたことであった。やはりJICC宝島社の何周年かの記念行事に同席したときであったから、30年程前の話だ。そのとき私は、ああ、この人は統治的に社会をみているのだと思ったことを憶えている。
だがいま振り返ってみると、国家社会を考えている知識人とかエリートというのは、統治的に社会をとらえるしかないのかもしれないと、思う。それに対比していうと私などは、社会を変えるということも「下々の方からどう変えるか」と考えていることが浮き彫りになる。
つまり国家権力をつかって法国家の統治システムを変えるという発想を持っていないのだ。当然それは、竹田青嗣が考えるような「上からの改革」をする立場にないのだから当然である。だが、「上からの改革」「下からの改革」という違いの持つ意味は、立ち位置の違いだけなのであろうか。
つまり社会改革をしようとするとき、「上からの改革」というのは法制度の変更であり、それによって人々がどう動くかを予測して立案される。そこには、人々の動きを想定したり、あるいは操作したりする意思が働く。ところが人々は、阿諛追従することもあれば、さぼり反抗することもある。「上からの改革」は、文化的な齟齬や落差や違いを想定することができないから、動きにばらつきが出てしまう。それを避けようとすると、たとえば国旗国歌法のように、起立斉唱を要求して、口パクも処分するなどという、おかしな子細処方を現場に提示し、職務命令で実施するような破目になる。これは「改革」といえるだろうか。
「下からの改革」というのは、その「改革者」のいる現場だけで通用する「改革提案」である。いうまでもなく、その現場で起きている事態に対して、その現場に居合わせる者たちが、その現場に作用する「振る舞いの論理」にしたがって、行われたり、抵抗を受けたり、うまく運んだり、頓挫したりする。つまり全国区の普遍性は持たない。だが逆に、法で決まっているからやるんじゃない、この私たちの現場に必要なことだから行うのだという、切迫感を居合わせる人たちが共有する。それを実現するためには、居合わせる人々の了解が必要であり、合意とまではいかなくとも、せめて邪魔しないという遠慮を得る必要がある。
そのベースになっているのが、日々の働き方であり、教師としての信頼を寄せられるに足る人柄や文化性や実行力量であり、それ以上に自分たちで決定して実行しているという独立不羈の自尊心である。つまり、「改革者」たる現場教師は、その全存在において、力を発揮していなければならないのだ。実効性をともなわない単なる「提案」は、簡単にすり抜けられて、棚晒しになってしまう。
このような「現場における日々の実践」を行っていたから、私はときどき、お前のやっていることはアナルコ・サンジカリズムだと、政治活動の達者から批判されたこともある。あるいは、アナキズムと一緒だと非難を受けたこともある。だが、おまえのやり方は、この現場にしか通用しないサンジカリズムだと批判した人は、全国区に通用する普遍的な「改革」を夢見ていたのであろう。でも、一つひとつの「改革」は、そのひとつひとつが大切なものであって、それがほかで通用するかどうかが評価の尺度になるのはオカシイと居直ってきた。
また、アナキズムだという非難には、レッテルはなんと貼られても構わない。もしそれが混沌を導くものであったら、混沌こそが、いまここに必要なことだったに違いないと、腰を据えた。
そんなことを、古い「記事」を読みながら思い、そうか「上からの改革」というのは統治的歴史観と同じで、人びとが「暮らし」を紡いできたフィールドとは次元の違うものなんだと思い当たった。国家の正史なのだ。
翻って私は、「暮らしの歴史観」とでもいうような、人々が紡いでいた「暮らし」をしようとしていたのだと思った。それが国家統治者の目から見て、ふさわしくないというのなら、勝手に言うがいいさ。統治目線に屈せず、独立不羈の旗を掲げて面白く突っ走ってきたわが前半生も、面白かったなあと、いまや無責任に世の中を眺めている。
*2
そうして去年、2021-02-10「うるさい! お前ら、邪魔をしないでくれ」と題して、2年前の記事に関連して、以下のようなコメントを書いた。これも掲出する。
アナーキーということを、私は肯定的に使っている。現場主義ということも、普遍的とか一般的に「かくあるべし」という考え方に対比させて肯定的に使っている。
つまり、こういえようか。普遍化するとか一般化するというのは、次元が違うことなんだ。今、ここに生きているものにとって、そんな言説や解釈は、どうでもいいこと。こちらに介入しないところでやっておくれと考えているのだ。
庶民の生き方とか、考え方というのは、アナルコサンジカリズム、そのものだと、いま改めて思う。なぜって? それは、原初の発生的な由来を持っており、現場のモンダイであり、現場での解決を望んでおり、それが全体や全国や世界にどのような意味を持つかなどということは、どうでもいいのだ。
だが、「論者」は、そうはいかない。その場、そのときの、そこでしか通用しないことというのを、全国区や世界に適用したがる。だがそのとき、現場の切実なモンダイは、どこかへ押しやられて、平準化され、平均化され、どうでもいいことに力が注がれて、揮発してしまっている。学者や、政治家や、エリートと呼ばれる官僚たちがやっていることって、そういうことじゃないのか。
だったら、庶民にとって、彼らは、いらない。最悪のウィルス禍が襲ってきたとしても、そういうエライさんたちに何かやってもらおうという「期待」を持つことをしないで、うるさい! お前ら、邪魔をしないでくれ、って叫び出したいよね。
*3
上記二つの記事は、つい昨日まで取り上げていた「研究」と「暮らし」の違いをはっきりと指摘している。「研究」というのは、一般化するとか普遍性を求めるとか体系化するということからして、混沌とした世界の諸事象の、猥雑な夾雑物を捨象し、できるだけ単純な法則性を探り当てて整理し、全体を論理的に統括する体系を打ち立てることを目指す。荒木優太いうところの、まさしくテクストがテクストとして評価される次元だ。これは、じつは統治的センスと相似である。
むろん「研究」として取り組んでいる対象やテーマは世界の断片。全体の統括・統治そのものではない。だから「統治的センスと相似形」と言われると不本意と感じる研究者もいるに違いない。
だが、「暮らし」には、世界がまるのまま現れてくる。しかも「暮らし」の主体は「わたし」である。「研究」からすると夾雑物と考えられる諸々のことを、まるでモクズガニのように身につけて身過ぎ世過ぎをこなしている。つまり「暮らし」は、混沌そのものの渦中にあって、それぞれ主体の猥雑さを存分に発揮して渡っていっているのである。この混沌の世界から、きっちり整序された統治された世界がどう感じられるか。それを対象化しようとしているのが、私のブログ記事だと言える。
そういう意味で「研究」は、統治的センスに寄り沿う蓋然性を備えている。ああ、そう考えると、安倍政権時に日本学術会議の委員選任に際して、政権寄りにふさわしくない委員を選任しなかった政府為政者の思惑が、勘違いもいいところ、わが身を削って痩せ細る道を採っていると非難を受けたのも、得心がいく。長い目で見たら間違いなく味方である学術という「研究」分野の専門家を、当座の政権に沿わないからといって切り捨てたのだから、何故そうしたかも説明できないし、その理由を口にするとあまりの狭量さに嗤われてしまう。
それをさらに先までみると、国家百年の大計とか民度を高めるとかいうことも、教育とか学術ばかりではない。遊びもお笑いも、猥雑な賭け事や遊興場もお酒を提供するとかしないとか、日常ふだんの振る舞いも、統治しなければならない事柄として、為政者の視界には入っている。何しろ国家統治から社会の気風がズレてしまうことはよくある話し。資本家社会の市場経済にしたって、お金儲けの流儀という、グローバル化の目下の流行に目を眩まされて右往左往しているじゃないか。その現下の流儀が、統治的センスに合致するとは必ずしも言えないから、「暮らし」の平穏を求めている民の方も、ただ単に統治されることを排斥しているわけじゃない。でも、混沌を生きるというのは、いずれのものとも知れないのに身に備わってしまっている夾雑物とともに、生きていかねばならないのだから、そう簡単に役に立つとか役立たないと切り捨てて貰っては、困る。コロナウィルスだって、そういう夾雑物の一つ。そう考えると、「研究」はもっと猥雑な夾雑物を大事にしなよと、「暮らし」の方からは声を掛けたいくらいだ。
夾雑物と共に混沌を生き抜くという「暮らし」は、そもそもの出立点がアナーキーなもの。それを統治的センスでまとめていこうとする為政者の視線が、公助を頼りにしたい気分と掣肘されたくない心持ちの鬩ぎ合いの渦中に身を置く生活者の振る舞いとぶつかるのは致し方ない。「研究」をする人が在野であることへの「期待」というのには、ある意味、「暮らし」のアナーキーな要素を組み込んでくれるかなという期待がこもっているのかも知れない。