降った雪も雪かきするほどではなかった。でも早朝少し、うちの前の歩道の雪を片側へ寄せておいたから、日陰でも凍り付くこともなかった。日差しが指す。でもカミサンの予定していた公民館のリンパ体操は、昨日のうちに中止の連絡網が回り、それがどこかでつっかえているのか二度も掛かってきた、そちらの方が大変だったようだ。「大雪警報」とか「警報級の雪になる可能性」と報道は大げさだったが、カミサンは「大げさくらいがちょうどいい。後でそれほどではなかったと安堵するんだから」と大仰だ。
午前中の時間が空いたので「買い物」に行くカミサンに付き合う。買ったものをリュックで運ぶというよりも、往復8km弱の軽い運動だ。歩いていて、日の丸が家の軒に掲げてあるので、そうか今日は祝日かと思う。路地の奥からガリガリと凍り付いた雪を書き崩すスコップの音がする。降ったばかりの早朝は簡単に片付いたが、時間が経って凍ると厄介だね。ことに日陰の坂道は危なくて通れない。お店に来ている人は多い。午後の私のストレッチは、もちろん実施。
日本テレビを観ていて「感染者数、検査数の集約が追いつかない」というニュースを耳にする。保健所がまとめて厚生労働省へ報告が16時頃までに行くようにしているが、各地保健所のまとめがうまく進まない。神奈川県は、発表を取りやめたいと行っているという。何でも、数だけでなく、年齢別、症状別、基礎疾患の有無をはじめ、ずいぶんたくさんの書き込む項目が並んでいるペーパーを画面で見せている。その入力が進まないのだそうだ。これは、保健師でなくてもできるから(たぶん)一般職員を臨時に当てて処理してきているのであろう。ちょっと考えてみると、受付ける保健師も大変だ。神奈川県で約1万件近い感染者が出ている。と、そうした症状を聞き取るだけで一件につき10分掛かったとすると、単純計算で1時間で6件、7時間で42件を一人の保健師が処理することになる。これだけで1日240人ほどの人数が必要だ。保健師は、自宅療養者の症状などを聞き取ったり、適切な処方をサジェストしたりする自宅療養者も日々1万人以上いる。としたら、この受付は一般職員があたらねばならない。でも、240人という数を動員できるのだろうか。
さらに受け付けながらペーパーに記載したものに、重傷者数、自宅療養者数、死者数など(新規でない感染者の状況)を加えて、別の職員が電算入力して報告すると考えると、これまた何十人かの職員が必要である。これが足りないのか。厚生労働省は「報告する事項を絞る対策を考えている」というから、現場実務の状況を考えずに「ほしい事項」の報告を要求していたのだろうか。
検査数がカウントできないのはどうしてか。保健所がやっているだけではなく、医療機関も民間の検査機関も行っている。その数の報告が追いつかない。検査数の全量がつかめないで感染者数が増えるから、感染率が上がって、80%台の後半にのぼっている。そこへ加えて(検査をしなくても医師が症状から感染しているとみなしたものもカウントする)「見なし感染者」も可としたものだから、感染者数も摑めないし、検査数もわからなくなる。だから発表を止めようか考えているという神奈川県知事の意見もわからないでもないというのだ。つまり実務面がパニックになっている。
いつだったかこの欄で、アメリカのように1日感染者が百万人となったら実務処理が破綻すると書いたことがある。何とその十分の一で(というか全国では8万人足らずで)破綻しそうなというわけだ。
厚生労働省は、アメリカの各州がどのようなやり方で検査や感染者数をチェックしているか、全国集約しているか知らないわけはないだろう。どうしてそれが日本で、実施できないのか。もし地方行政組織に問題があるとしたら、それが何故かをもっと早くチェックして、財政的な手当もできたのではないか。コロナウィルスが日本に上陸してから早2年が過ぎている。こうしたことに対応できないで、何を「民度が高いから」と鼻高々だったのか、財務大臣のセンスを疑うね。いや、行政の実務処理の算段など地方政府がすること、中央政府は、思いが及ばなくなってんじゃないか。国民が文句を言い立てて騒がないのを「民度が高い」といっていたのだとしたら、こちらも馬鹿にされたものだ。
感染者数の報道は、市井の庶民の緊張感に貢献していると私は実感している。もちろん下がり始めるとすぐに安心して緩んでしまう「危険」もある。近頃の埼玉県では「5000人」を切ったと言っては、少なくて良かったねと喜んでいるのだから、全く庶民の「相対感覚」はいい加減なものだと思う。それでも、近隣都県の状況や全国の感染者数をみては「まだまだ用心しなくちゃ」と心を引き締めている。「感染者数の報道」もそれなりの貢献をしている。まして、「高齢者の重症者、死者数は増えている」となると、ぴりぴりと身構えるのだから、情報化時代というのは、フェイクであれ、大雑把であれ、情報入力と身体の反応とが結構照応している。市井の庶民の情報リテラシーなどと知的な方々はいうかも知れないが、要は「わたし」に関係する情報処理をして、日頃の身のこなしに伝えている。
お上の発表を有り難がっているんじゃない。そういう庶民の情報処理機能を考えて、大雑把なりともおおよその数値を日々知らせてほしい。民間のマス・メディアはそちらに目を向けて取材を頑張ってねと思った。
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