去年2/18のこのブログ記事、「遭難救助も思案して山行計画を立てるか」をいま読み返して、他人事ではなかったと、改めて去年4月の遭難のことを思う。同行する方がいたことが、何よりの命綱であった。単独行と道なき道を行く面白さが、この時期、私の中に膨らんできていた。それが危ういと予感していたのが、去年のこの記事。にもかかわらず、なるようにしかならなかった。それが「至福の滑落」と、事後に呼ばせるような結果になった。存在的にいえば、動物になった至福と感じていたわけである。この最後の感触は、未だに否定しようもない。
いつであったか私の友人が、山へ向かう私の心持ちを「死ににいってるの?」と訊ねたことがあった。安全安心な日常に飽き足らず、死ぬかも知れないというスリリングな境地を求めているのではないかと憶測したものであった。そのときは「まさか」といってやり過ごしたが、そうであることを感じながら止めようもなくそこへ向かっていっている「わたし」を、この記事から感じている。
スリリングな瀬戸際を歩くのなら、暮らしそのものを踏み外すような道もあったに違いないのに、そうはしなかった。つまり、基本的に安全圏を確保しながらスリリングを求めるという、なんともご都合主義的な道を選んでいたのであろう。これも、ひょっとすると、今風の市民社会の気風が反映しているのかも知れない。山岳救助隊に救出されるというのも、いかにも今風のシステム依存であった。もちろん文句を言っているのではない。有難いと思い、要するに私自身が、そういう卑小な存在であったという再確認である。
それをこそ、他人事ではないと肝に銘じなければならない。
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