ロシアの侵攻を受けたウクライナの街の様子が画面に生々しい。日本語を話せるウクライナ人もいて、訥々とした語り口が痛ましく響く。安否を問う在日の娘のPC画面に向かって「なぜなの? なぜなのかわからない」と問いかけ応える母の声が悲痛である。
TVのコメンテータは、チェルノブイリが占拠されたことに触れたり、NATOが加盟国を増やしてきたことがロシアを追い詰めていると解説したり、プーチンの思惑を推しはかったりするが、人々との乖離が大きい。
ウクライナの人たちからすると、どうしてわたしたちがロシアと戦争しなくちゃならないの? と、わが日常を探ってみても腑に落ちない。国内東部での争いがキエフの日常に響くようなこととして届いていないのか。親ロシア派と親自由社会派(?)という対比が、いかにも政治的というか、ジャーナリスティックに腑分けされたカテゴリーなのか。クリミアがロシアに編入されたことも、政権上層部の権力闘争の結果であって、〈わしら知らんもんね〉と受け止めているのか。
ウクライナのTV討論番組の中で、親ロシア派の国会議員に進行役が殴りかかる様子が映る。既に国内の分断が極限にまで来ていると思われる。だのに、市井の民の〈わしら知らんもんね〉というのは、どうしてなのか。ソビエト時代も含めて、市井の民が手の出しようもない政治世界のことには、知らぬが仏を決め込む習性が身にしみているのか。だとすると、「なぜなの? なぜなのかわからない」という声も、少しは解きほぐせる。政治の権力闘争は、周辺諸国との対立も含めて、雲の上の争い。昔風にいうと、神々の争いが突如、地上に降りてきて、その災厄に巻き込まれた人々の困惑なのかもしれない。とすると、たぶん日本の私らと似て(程度の差は大きくあるが)、政治に対する見切りが底流にあるのかもしれない。
あるいは、また、家族をポーランド国境に送り届けた父が「キエフへ戻る」と話したり、弾薬や自動小銃が売り切れたと取材記者がレポートするのを聞くと、日本との積み重なった社会の径庭の違いが浮き彫りになって、わが身に問いかけてくるようだ。つまり、雲上人の争いであったコトが、わがコトと受けとられる端境の辺りに近づいてきていたのかも知れない。つまり国政が市民の暮らしの地平に近づいてきて、それを自由を護るという言葉で集約していく気風が醸成されてきているのかも知れない。
かも知れない、かも知れないと積み重ねるのは、私がウクライナのことを何も知らないからだ。それは同時に、ウクライナと日本の経てきた歩みと日常の「混沌」が身に伝えてくる響きが異なるからでもある。ニュースを観ていると、その「異なり」が伝わってくる。それは戦火に直面しているウクライナの民とそうではない日本の私が、はじめて出会って「当事者」となる入口に立っている姿である。蟹の甲羅からちょっと顔を覗かせたような。日本にいる私にとって、では、ロシアのウクライナ侵攻の「当事者性」とはなんだろう。
TV画面や新聞紙面に踊るウクライナの様子が、一つひとつわが身の日々の暮らしと対照した問いかけに思える。そうか、これが国際政治とか、国際社会の入口か。とすると、この問いかけに、一つひとつ丁寧に応えることが「当事者性」への入口に立つことであり、「当事者研究」ではないかと、日本の市井の民である老爺は考えている。その「研究」の応答舞台は、もはや国際政治も国際社会もみな、国内政治や日本社会と区分けできない人類史的文化の研究であり、そこに系統的な論脈とか文脈が備われば、学術研究になるのかも知れないと、入口とは別の出口へ向かっているように感じながら、考えるともなく思っている。
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