北里紗月『連鎖感染』(講談社、2020年)を手に取った。表題が、目下のコロナウィルスを連想させる。しかも出版年月が2020年12月21日となると、まさしく新型コロナウィルスを体験して一年近くなる。どう書いているのだろうと読み始めた。
正体不明の感染症が始まった病院の様相は、まさしく新型コロナウィルスの広がりが医療現場にもたらした騒乱に酷似していた。飛び込みで活躍することになるウィルス培養を手がける大学院生が、下町の姉御の風な伝法な口調で顰蹙を買いつつも、着実に正体の解析に近づいていく。他方で、患者の容態が何とか安定を得たと思った状態から、なぜか急変、苦しみ始めて死に至る。その場に臨場している病院の医師や看護師の、使命感と脅えと何が起こっているのかわからないが間違いなく緊急事態だという切迫感に苛まれる。
その中にいて、ウィルスを解析する大学院生の手際が良い。手順や収集資料、扱う機器の描写も緻密。よく調べているなあと思い、読んでいて「ん?」と思ったので、奥書の著者略歴をみる。大学の「理学研究科の生物学専攻の理学修士。日本卵子学会認定胚培養士」とある。なるほど然るべくってワケだ。
だが、ウィルスの発祥起源に迫ると、旧ソ連の細菌兵器研究機関から持ち出されたバイオテロ。関係者がアメリカで発症し、その関連を突き止めて最初の病院に戻ってくるのだが、そうやって物語りに人為の「仕掛け」が解き明かされてくると、途端に緊迫感が冷めて、話しがつまらなくなってしまった。
むしろ、新型コロナウィルスのように、誰がどうしたものか正体不明のまま、天からの啓示の如くヒトに襲いかかり、世界を我が物の如くに振る舞っている人類への啓示として、不安を負い被せたまま進行していく「現在」の方が、遙かに示唆的であり、ただ単なる「連鎖感染」という病理的事象にとどまらない、人類の実存そのものの危うさと描き出せたのではないかと、オミクロンの感染拡大の発表を聞きながら思っている。
起承転結をつけようとすると、どうしても人の振る舞いや意志が加わる。うっかりしたミスでウィルスが広がることもある。意図的な悪意がそうさせることもあろう。だが、一度発動された「人の振る舞いや意志」が、その意図を超えて人類を滅ぼしてしまう(かもしれない)展開こそが、人の自省を促し、自然への畏敬に結びつくと思える。結論づけなければならないという物語りこそ、卑小な思惑なのかも知れないと思った。
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