2月になった。明後日が節分。暦では4日から三寒四温の春へ向かう。歩いている身も浮き立つ。木立を飛び交うシジュウカラもはしゃいでいるよう。池へと下る斜面の草地にジョウビタキの雌がいる。見るともなくて見ていると左の方にも同じように草地から首を上げたジョウビタキがいる。これも雌だ。ジョウビタキはまだ、ペアリングのシーズンを迎えていないのかな。
調節池のカモは、ずうっと遠方の浅瀬に固まっている。双眼鏡では見分けが付かない。中洲の茅場に大きな白い姿が五つ見える。コハクチョウらしい。五十メートルほど先の土手に4人の男が屯して、三脚に大きな望遠レンズを据えて池の方を眺めている。何を見ているんだろう。通りかかりに彼らの視線を追ってみれば何かいるかも知れないと思って近寄った。4人とも何かおしゃべりに興じていて、見ているものがあるようではない。そこを離れていつもカメラマンがいるのに今日は誰もいない土手の広くなったところで池を覗くと、コハクチョウがずいぶん近く見える。5羽のうち4羽は首を羽に埋めて寝入っている。1羽だけが首をもたげて周りを警戒しているようだ。
あ、そうだ、こういうのを「奴雁」といったけ。福沢諭吉が『学問のすゝめ』で用いたとどこかで耳にしたことがある。群れの中で頭をもたげて警戒を怠らず、いち早く天敵を見つけて仲間に警声を発するのを奴雁といったものらしい。学問を積んでいく知識人は、奴雁たれといったのか。そうか、ミネルバのフクロウと同じだね。
あっ、思い出した。1966年だったか、同じ学校の昼間の先輩同業者に「ミネルバのフクロウって誰が言ったんだっけ」と問われて、「ヘーゲルじゃないかと思っているが、わかりません」と応えたことがあった。あれは、夜の職場にやってきた(生意気だと昼間の教師達に評判の悪かった)新来の私を試したのだろう。そう言えば私も当時は、我がことを知識人と思っていた。福沢も、明治政府の為政者や当時の庶民に対して知識人が領導しなくてはならないという視線を持っていたのかも知れない。私はあまり啓蒙的ではなかったが、でも、教師をやっていたということでは、自ずと啓蒙的な視線は欠かせなかったろう。啓蒙家の下士官ってところだったかと、振り返って、いま思う。
コハクチョウの奴雁は、しかし、群れの中の己のお役目を引き受ける胸中に何が思い浮かんでいるのだろうか。彼らが何も考えていないというのは、ひょっとすると、ヒトの傲慢な規定なのかも知れない。知識人の下士官のようであった私も、今は市井の老人としてモノを考える立ち位置を見つけた。それは、つねになにがしかの天敵に脅かされている市井の民の警戒心を自らのモノとして持つという自律の精神。それが共助というネットワークによって支えられているという洞察とその準備への怠りなさといおうか。
ま、言葉ではそう口にするが実は、のほほんと運を天に任せてなるようになる、なるようにしかならないと思って日々を過ごしているというワケ。それでも、暖かい日々に向かうという節季は、心も浮き立つ。2月になった。
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