2022年2月25日金曜日

どこへ行けばいいの!

 ロシアがウクライナに侵攻した。やるな! 入るな! と警告してきたEUもアメリカも経済制裁という以外に手の施しようがない。なぜって? ロシアは核兵器を持っている。その上、それを使うかも知れないと匂わせて、持っているぞと高言している。核抑止力が、大国の侵略が世界大戦になる歯止めになっている。皮肉なことだ。チェルノブイリをまず制圧したというロシアの戦略が、ウクライナの持つ「原発という核の脅威」を抑えることへ向かわせたと考えられるからだ。しかも、戦後国際秩序の基本を無視して侵略に踏み切るロシアのこと、ひょっとすると核兵器を使うかも知れないと思うのは、ごく自然だ。

 もしヨーロッパやアメリカが軍事的に対応すると、第三次世界大戦になる。核を用いず、ウクライナ国内の戦闘支援となると、泥沼に陥るのではないかと心配する向きがある。多分そうはならない。なぜなら、ロシアはウクライナを廃墟にしてもいいとは考えていないし、ウクライナ国民の感情の底流に親ロシア感情があるからだ。ゲリラ戦になるほど、ロシアと決別しヨーロッパと手を結ぶ気風があったようには思えない。親露政権が確立してくれれば、それがベストと(ロシアは)思うに違いない。そんな事態をウクライナの人々が受け容れるかどうかは、わからないが、軍事力を背景にそれを押しつけられると、ま、それでも仕方ないかと我慢する程度にロシアとは親しみを身に刻んできている。

 ここがゴチャゴチャした場合、中国はロシア側について参戦するか? いやたぶん、しない。欧米露が第三次世界大戦となったら、中国はその結末を傍観して、アメリカが力を落とすのを待って台湾を併合する。それくらいの賢さを習近平は持っている。

 北朝鮮はどうするだろう? これもたぶん、参戦はしないが、独自に韓国へ軍事攻勢を掛けることは考え得る。北朝鮮国民の食料難を乗り切るには、韓国と統合するようにして危機突破を図る以外に脱出口が見えない。もちろん力尽くということもないわけではないが、こちらは文政権と共に国家統一を果たすという旗を掲げるのを得策と考えるに違いない。大統領選で負けるかも知れない現政権側にとって、この大義名分は、捨てがたい。当然、アメリカとは縁を切ることになる。だがこれくらいの不義理は、世界大戦下ともなれば、どうということはない。中国が後ろ盾になるかのようにみえていることも、虎の威に見えよう。

 などと私が世界地勢図の動きを推しはかるのは、全くの傍観者だからだ。TVの画面で「どこへ行けって言うの? 私ひとりで、どこへ行けばいいの?」と泣きながら街路を通り過ぎてゆく老婆をみると、世界地勢図なんかは吹っ飛んで、胸が痛む。街路を埋め尽くす車列をみると、逃げだそうとはするものの、逃げ場を失って立ち往生している庶民の姿は、ひとりかどうかではなく行き場のない老婆と同じだと思う。そしてそれは、私の姿と重なる。

 いつであったか、長年親しく言葉を交わしていた友人に「もし外国の攻撃にあったらどうする?」と歳をとってから聞かれたことがあった。私は即座に「逃げる算段をする」と応じたら、以来彼には愛想を尽かされた。彼がある種の愛国者であり、統治的に日本の政治を考えていることは承知していたから、彼からいつかそういう問いかけがあることは予想がついたし、正直私は「逃げる」以外に力が無いと思っていた。でも彼は、もう少し日本の社会や国家を算入した考えを聞かせてもらえると期待していたのだろう。心底がっかりしたようだった。

 友人をがっかりさせたのは悪いと思うが、「逃げる」以外、私に何ができるだろう。命が惜しいとは思わない。子や孫を護るという心持ちがないわけではない。だが一緒に逃げる以外に、何ができよう。ロシアは軍事施設を標的として攻撃し、制空権を掌握したといっている。つまり彼らの侵略は、市民を標的としているわけではない。国民国家的な領土領海という近代的線引きの次元で争っている。それは市井の民にとって、自分が護ろうと思っていることとずいぶんなズレがある。

 加えて近代の戦争は、私たち市井の民が手を出せる次元のものではない。せめて防衛に力を尽くしている武力や外交力の発揮の、邪魔をしないくらい。唯一つ、市井の庶民の間に流布される「情報」を見極め、それに踊ったり踊らされたりしないことを心得ることは重要だ。でもそれは、この事態から「逃げる」ことと矛盾しない。しかもその「情報」は、市井の民の気風を混ぜ返して、護るに値する文化をぶち壊してしまう恐れを多分に含んでいる。

 ウクライナの民がもし悔やむことがあるとすれば、もっと日頃から社会的な気風を、護るに値するコトへ磨きを掛けておくべきであったということではないか。おいおい、待て待て。まだそんな風に見限るなよ。ウクライナが自由な社会に踏みとどまるというのなら、親露派の人たちもそういう気風を守りたいというような、それなりの政権のつくりかたがあるのではないか。それがロシアの気に食わないということもあろうが、そこでこそ、ウクライナの道筋はウクライナ人が決めるという強さを、対外的にも提示してみせることができるのではなかろうか。

 あっ、いや、そういうのを政治過程に乗せて外交場面に生かして行くのは政治家や官僚たちがやってくれればいいこと。市井の民は、市井の気風を守るに値するものに仕立てていく。それは、日々の人と人との遣り取りで、日々、そこ場で繰り返し育てていくことだと思う。そうなってこそ、行く所はどこにもない! ここで死ぬ、と肚が据わる。

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