先月5日に死去した西村賢太の『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社、2006年)を読んだ。2/9の朝日新聞に町田康が《わが身を捨てた先の私小説》と大見出しを付け、《卑小、醜悪、身勝手・・・人間の真実とらえた文章の魔術》と袖見出しの寄稿をみて、カミサンが図書館に予約して、読んだ。「おもしろかった?」と聞いても、面白いとは言わない。だが「読んでみるといい」というから手に取った。
いや、読むのが苦しかった。なんだこれは、と思いながら、何日か寝床で手に取って、読み進めていた。読んでいる途中の昨日(3/12)、やはり朝日新聞の読書欄に真梨幸子が《分身に託した人生の裸踊り》と表題して「西村賢太の私小説」を3冊紹介しながら「ひもとく」ことをしている。それを見ると、何だ、他の作品もあるんだとわかる。真梨の評をみると、作家としてはなかなかの腕のようだと感じて、何とか読み終わった。
どこが読むのに苦しかったのか。この作品の主人公が大正期の作家・藤沢清造に執着し、その業績作品を辿り、毎月の命日に東京から能登まで足を運んで墓参し、ついには能登にも部屋を借りて住みつつこの作家の足跡を辿るというのだが、実はどこにも、なぜそれほどに惚れ込んだのかについての言及はない。つまりわが身をに問いかける言葉はなく、ただひたすら傾倒し、執着し、遺品を手に入れて整理し、全集の出版に、借金までして入れ込む。それに対する冷ややかな目に憤り、粗末なあしらいに怒りまくって、身近な人に暴力を振るう。でもそう振る舞いながら、それが身勝手であり、イケナイことだと思うから、すぐに反省して詫びを入れ、詫びている途中で、そのわが身の不甲斐なさとそれに反する相方の振る舞いに憤ってまた暴力を振るう。何ともやりきれない。
なぜ私が苦しいのだ。これに似た苦しい時期があったような気がする。わが身が情けなく、人物に執着というより、どうしてこんなにモノゴトが晴れて見通せないんだと呻吟していたときがあった。わが身がなぜコトに執着するかに思い至る思考回路を持っていなかった。その最初のほぐれは、山口乙矢だったろうか。浅沼稲次郎を殺害した17歳。私も17歳であった。なんとなく思い当たったのは、私には「標的がいない」ということであった。社会改造を志向して赤尾敏に師事した山口乙矢が、「標的」を一人一殺して自死するというのは、どうにも私の「志」に合わない。合わないと見切ったことが、ほぐれる糸口となった。それと同時に、人は自分が「標的」とするコトが、全く目標物ではないことにも執心してしまう。つまり自分が意識することとは別の衝動に突き動かされて、自らのこころが「標的」に向けてとらわれてしまうものなんだと感じたのであった。
大学に入って、今度は左翼の(山口乙矢に似た)志をもった人たちとも出合い、彼らの政治的な振る舞いをうんとたくさんみた。その過程で、わが身を振り返る回路がほの見えてきたように、感じた。大きなきっかけになったのが、宇野経済学の方法論であった。と同時に、自己自身をも対象化せずに「標的」に突き進んでいく社会活動家たちと、彼らの政治路線が持っているある種の熱狂に、自己投入できないわが身を感じ続けていたと、いまならばクールに言える。
山口乙矢を契機にほぐれたのは、何につけ、なぜそれほどにコトに執着するのかとわが身の裡に問うこと。そうしないではいられない、自己対象化の視線であった。やがてそれがクセとなり、長年の間に身にしみてきて、モノゴトに淡泊になった。人との関わりにもこだわりがなくなり、それは逆に、人を想う思いが薄くなっていくようで、怖いものがあった。
町田康も真梨幸子も「私小説」という。自分をさらけ出して書くことが私小説なのか? と私は疑問を持つ。何か架空の人物に仮託するにせよ、あたかも我がことのように描くにせよ、ものを書くということは、作者の自分をさらけ出す。もちろん包み隠すことを上手にする創作もないわけではないし、たいていの小説はそのような創作手順を踏む。だが言葉というものは、そもそも語る人の内面を引きずり出してしまうものだ。いつであったか、70年代の半ば、夜の学校の生徒にある「課題作文」を出したら、「自分のことを知られてしまうのは嫌だが、仕方がない」と冒頭に書いて提出してきた生徒がいた。そうか、それは悪いことをしたと思ったが、そうだよね、書くってコトはそういうことだねと教えられた気がしたことを覚えている。
上手にできた作品には、そこに描き出された人の生き方が読み手の心裡に触れて衝撃をもたらすのは、その衝撃が、嫌悪感であれ、目を背けたくなるような醜悪さであれ、あるいは求めようとして求められなかった感動であっても、読み手の身に刻まれたなにがしかの「覚え」と共振しているからである。順接しているか逆説しているかはわからない。書かれたものが人の胸を打つのは、意識していなくとも読み手の身の裡に「覚え」のあるなにがしかの感官や思念が揺さぶられるからではないか。それが何かは、読者が自ら胸の奥から引きずり出してこなければならない。だから作家の実体験をさらけ出したからといって、それを「私小説」と呼んで、ある種の区画割の中に封じ込めるのは、適切とは思えない。人間の生きるということの根柢にあるものを取り出して描く。それが、卑小であれ、醜悪であれ、実体験のままであれ、作家の創作であれ、読むものにとっては、作品自体が独立した形で現れている鏡である。
そこに、いや実はこの作者は、まさにこの作品に書かれた主人公のように生きて、この作中の心魂傾けた作家に似て、ほとんど行き倒れのように若死にしたんだよと呼びかけるのは、その作者をよく知る町田康や真梨幸子という仲間内の作家であって、読者(である私)はまた、別の感懐を抱く。
そうやって、作家と作品を切り離して考えたとき、それにしても、「裸踊り」と評されるような混沌に身を置いて生きなければ、このような作品が生まれなかったのだと思うと、作家というのも大変だなあと(わが身との遠さを見計らい)、畏敬の念を抱いてしまうのである。
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