2021/3/13の記事《「怒り」は、何処から湧くのか?》を読み直して考えたこと。
西村賢太の小説を読んで昨日書いていたのと同じことを、一年前にも考えていたことがわかった。「普段、躰と思いとがいつも一緒に歩いているわけではない」というのに気づいたとき、自分は卑小だと感じることがあるし、人のそれを見ると醜悪だと思うし、裡側から、なぜか分からぬがふつふつと湧き起こる怒りを、誰彼にぶつけてしまう身勝手さも、躰と思いの歩調が合っていないがために噴き出してしまうわけだ。
そうか、私たちはみな、カインの末裔なんだ。いい子である弟・アベルに対する憎しみがなぜ湧くのか、兄のカインは自分自身ではわからない。それが社会的な仕組みや、気風や、人が積み重ねてきた累々たる文化のもたらしたものであることに、普通の暮らしをしている者にはみえてこない。だからこそ、文學という領域が成り立つのでもあるが、この躰と思いの齟齬、乖離をどう身の裡で調整していったものか。そう見つめるのが、「当事者研究」の視線だと思った。
「普通の暮らしをしている者にはみえてこない」視線と「当事者研究の視線」との開きが、わが身の裡に堆積している「累々たる文化」の何が、どう作用して、なぜ、いま、ここで噴き出しているのかと身の裡を振り返ってみたときに、やっとほぐれてくる戸口に立てる。西村賢太の小説は、それでも繰り返してしまう人の卑小さ、醜悪さ、身勝手さを描き留めているわけである。そういう意味で、まさしく「わが内奥の鏡」。それを真梨幸子の言うように「人生の裸踊り」と呼ぶのは、人が社会的に生きるというのは、ちゃんと衣服を着て、言葉も振る舞いも、社会的存在に相応しい形をまとうことを意味している。それを「文化」と呼んできた。
とすると、子どもの頃からなぜか分からぬままに身につけてきた「文化」の衣装を脱ぎ捨ててこそ、わが身の実存がみえると考えているのが、「文學」なのか。「累々たる文化」というのは、十二単のように重ね重ねて身につけてきたもの。それを一枚ずつ脱ぎ捨てて、「裸踊り」をしてこそ「わたし」がみえると思っていたのに、脱ぎ捨ててみたら、動物としてのヒトのもっとも卑小で醜悪で身勝手な様しか残らなかったというのが、西村賢太の作品に描き出されていることと読むことができる。
西村賢太は、彼の執心した藤沢清造の生き様が、実はそれであったとみている。明治22年生まれの藤沢清造は、「昭和7年芝公園内六角堂にて凍死、42歳3ヶ月」と西村は記している。藤沢清造の著した『根津権現堂裏』という作品に魅入られた西村の仮託する主人公の振る舞いが『どうで死ぬ身の一踊り』に書き落とされて、ヒトの卑小で醜悪で身勝手な様しか残らなかったとしたら、それこそが、「人生ってものよ」と西村は、処女作で遺言したといえるかもしれない。「2月4日、赤羽から自宅に帰るタクシーの中で意識を失い、翌の早朝、東十条の病院で亡くなった」のを、真梨幸子は西村の原体験ともいうような記憶喪失の出来事と重ねて、「記憶に引きずられるように魂は過去へと吸い込まれ、ついには(西村が作品中につくりだした)北町寛多と一体化してしまったのではないだろうか」と記して涙している。
となれば、今少し、彼の他の作品にも目を通さなくてはならないと思った。
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