ロシアのウクライナ侵攻は、市街戦の様相を呈するようになるのだろうか。爆撃を受けて崩壊した建物と街の様子が、シリアの内戦を思わせる。火災を消そうとしている消防士たちや被災者を救助する人々の姿が、国と国との戦争というよりも、戦争というものは市井の民の暮らしをまるごと巻き込むという戦争の実相を見せつける。ふと思うのは、大東亜戦争とか15年戦争とか太平洋戦争といろいろな名で呼ばれる「先の戦争」。それらの戦争が市井の民の暮らしをまるごと巻き込んだと(意識して)みているのは、ほぼ日本国内の戦災の場合。直に戦場となった中国やアジア太平洋諸国・地域の民の暮らしのことを思いやったことは、あまりないと気づく。
あらためて考えてみると、今回の戦争に関してロシアが受けている、資金凍結や石油の禁輸、その他の経済封鎖などは、「先の戦争」で日本が窮地に追い詰められていった過程をみるようだ。窮鼠却って猫を噛むようにして真珠湾攻撃になだれ込んだことが思い起こされる。それをアメリカの暴虐という風に私たちは考えてきたが、今回のウクライナ侵攻の流れを見ていると、ちょっと違った光景が目に浮かぶ。
ウクライナの人々が「なぜ? どうしてロシアと戦争になるのよ」と戸惑ったように、1930年頃の中国の人々は思ったのではなかろうか。世界の気風として帝国主義の時代・ブロック化の趨勢という風潮はあったにしても、日本が中国侵略をすすめる動機は、とうてい庶民の暮らしの裡側から醸し出されてきたものではなかった。もしそれを、海の遙か向こうのアメリカがみて、〈ちょっとよせよ、そこまでは〉と口を挟んだとしても、おかしくはない。実際、日露戦争と第一次世界大戦勝利後の日本の大陸進出に対して、アメリカが(自国の利権を確保しようと)満州経営に対しても一枚噛ませろと乗り出してきた事実もあった。にも拘わらず、日本は東アジアのことは大東亜で囲い込むと突っ走ったのであった。これは、いまのロシアの振る舞いと同じようにはみえないか。
盧溝橋にしても柳条湖にしても、いまのロシアがいう「ウクライナの親露派虐殺」とか「NATOの脅威を事前に排除する」といってることとか同様に、外から見てみると、まるで漫画のような下手な口実作り(というと、漫画に失礼だが)にしかみえない。国内の情報統制とか、治安維持の手法も、プーチンの行っているそれと大差ない。
既視感(デジャヴ)に溢れた展開に胸が苦しくなる。海外を旅していたロシア人が、金融封鎖のためにクレジット決済ができず、ルーブルの下落もあって通貨交換もしてもらえないで、文字通り立ち往生している。ドイツなどヨーロッパでも、ロシア系住民がさまざまな非難攻撃を受け、差別に苦しんでいる。そういう報道をみると、ましてアメリカにいた日系の人たちがどのような非難を浴び、どのように差別されていったかを思わせて、心が痛い。
「先の戦争」に関して、〈日本は悪くない。追い込まれて戦争になった〉と日本擁護論をぶっていた人たちは、いまのウクライナ戦争とロシアの振る舞いを見て、当時の日本の立場を思い起こしているだろうか。ロシアを非難するときに、自己批判的に自問自答しながら言葉を繰り出しているだろうか。
あるいは、こうも話は広がる。「憲法九条を堅持すると主張していた人たちは、ウクライナの現状に接して、どう主張するだろうか」と揶揄うような論陣を張る人たちがいる。それを耳にしたとき私は、そうだよ、憲法前文の精神を体現した「外交」をしてきてこそ、その問いに真摯に応える応答ができると思った。そんなことには目もくれないできていて、情勢が戦争になってから、昔の証文を取り出すように持ちかけるのは、お門違いってもの。人のふりみれわがふり直せってことだよ。
国連にしても「敵国条項」を外しもしないで、「国際貢献」を求められていると応じてきた日本ではあったが、「第二次世界大戦の人類史的反省としての日本国憲法」という位置づけを崩さず、それを体現した外交を続けてさえ来ていれば、それに見合った海外からの信頼も得たであろうし、現時点での、自国利害だけをベースにしたことではない国際協調の発言も重みを持って発することができたに違いない。
いまさらそういうことを繰り返して主張する気はない。だが戦中生まれ戦後育ちの私たちの身には、「新憲法」のイメージが希望と共に刻まれて、アイデンティティの一角を為している。「九条を堅持する」というよりも、「九条を含む憲法前文の精神」を矜持として保つことが、ウクライナ侵攻を非難し、ウクライナを支える世界を強く押し出して、ロシアを含む強権的な国民統治を廃絶していく道筋を開くだろうと、思ったりしているのである。
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