2022年3月26日土曜日

定点観測の自問自答

 ブログを書き続けるのは「定点観測」のようなものだと思っている。書いたらたいていは忘れているのだが、ブログのサイトから「1年前の記事」というのが送られてくる。読み返すと、へえ、こんなことを書いてたんだと過去の自分が現在の自分に問いかけてくるように思える。定点観測の自問自答である。

 2年前の3月下旬というと、コロナウィルスが広がり始めた頃。政府の対応はずいぶん大雑把で乱暴だなと思っていた。それを1年後に読んでみると、「公助」というそれはそれでさておいて、「自助」を基本に「共助」をどう構築するかへと視線を移している。その「共助」への視線が「公助」と交わる地点に、台湾のオードリー・タンIT大臣の「オープン・ガバメント」を媒介におくと、「大雑把で乱暴な」日本の「公助」の本質がみえているように感じる。この次元だと、なんとか「公助」を変えていきたいと思ったりする。

 それを人類史的に位置づけてみると、「家畜化するヒト」という現代科学の(無意識の?)傾きが視界に入った。ヒトが社会システムを「整え」て、それに適応するように自らの立ち居振る舞いを変えることが「家畜化するヒト」につながるとしたら、いいか悪いかは別とすれば、それが大自然におけるヒト属の「じねん」ということになる。

 なるようになる。なるようにしかならない。自棄になるのではなく、ケセラセラと行くしかないのかも知れないと、市井の老爺はおもうのである。

 「感染経路不明の発症者が半数を超えた」(2020/3/25)

 「ワシら知らんもんねえの底力」(2021/3/25)

 「家畜化するヒト」(2020-3-23)

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