2022年3月17日木曜日

洗脳の淵源

 このところTVにロシアのプロパガンダを信じ込んだロシア人のインタビュー画像がよく出てくる。一様に「ウクライナが親露派の人たちを殺戮している」とか「街を爆撃しているのはウクライナ軍だ」と大真面目に話している。あるいは、海外に住む子どもが父親と電話で話して、「お父さん、それはちがうよ。ロシアがウクライナを攻撃してるんだよ」と話すと父親が「お前はどうしてそんな嘘をつくんだ」と怒り狂うような言葉を発している。聞いていると、ただ単に政府の情報操作に操られているというだけでない、それを受け容れる当人の内発的なナニカを感じる。それは、なんであろうか。

 ひょっとしたら〈ロシアがウクライナを攻撃するわけがないじゃないか。だってウクライナはソビエト時代には同じ国だったんだよ〉と躰が反応している。ウクライナの親欧米派がNATOと組んで親露派に対する虐殺を行っている。ロシアはそれを救出に出向いているに過ぎないと、本気で当局情報を信じている趣がある。こうなると、真偽の判断が、ご本人の身に刻んだ感覚に基づいているから、外部からそれを「洗脳だよ」と指摘しても、そちらがフェイクということになる。

 昨日の記事ではないが、私はそれを目にし耳にする毎に、77年前までの日本の親父やお袋のことを思い出す。彼らは市井の民だったから、日本の軍事展開の正当性などについて口にすることはなかったが、家の窓から日の丸の旗を振る3、4歳の長兄が新聞に載った写真をアルバムに見たことがあるから、それなりに当時の趨勢に素直に反応していたのであろう。

 戦前戦中の日本は、言論統制も情報操作も、今のネット時代とは比較にならないくらい、情報格差が大きかった。海外からの情報が入手できるのは、エリートや知識人たち。一般の、それこそ市井の民は、ラジオや新聞、本を通じて流れる情報しか接していない。加えて当局の不都合な真実に触れさせない言論統制と治安維持の強権とがあったから、ご近所の同調圧力という監視の目も含めて、容易に政府見解が一途に広まったとも考えられる。

 ロシアの言論統制や情報操作をかいくぐるようにして、今はネットの情報が世界規模で経巡るから、国内世論も二分されたように映るけれども、その淵源が、ソビエト時代以来、70年余の暮らしの堆積がベースにあるとなると、単に「洗脳」と呼ぶわけにはいかない。逆に欧米派の人たちがアメリカ文化に洗脳されている、毒されていると思っているかも知れない。つまり、それぞれの身に刻んできた文化の堆積が淵源となって、正義性が噴き出しているわけであるから、それを外から修正することは難しい。自分のことも、同じ重みを持ってそうだと言える。

 とすると、どうやって、この文化堆積のしがらみを抜け出して、世の中に流布する「情報」の真偽を見極め判断する方法を手に入れるか。それがいま、一人一人にとって喫緊の問題となる。異なる狷介を信じる相手を「論駁」しても、それは自分を正当化することにならない。バカだなあ、あんなことを信じちゃってと馬鹿にしても、自分の言い分が正しくなるわけでもない。

 どうしたらいいか。

 結局、世界に起こっている事態が問いかけていることに応答する自分の感性や感覚、それが元になって繰り出される見解の根拠は何かを、一つひとつ確かめて意識化するほかない。いずれ直感的な判断が前面に出るであろうが、それをいったん飲み込んで、何を根拠に私はこう考えているのだろうと、吟味することしか、手はない。それが、時代の求める反応速度に相応していないとしても、それはそれで仕方がないこと。そういう経緯を踏まえて表出される見解が、時間を掛けて周囲の関係者に信頼を得ていくものだとわが身の置き所を心得るしかない。メンドクサイもんだね、ニンゲンて。

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