昨日(3/26)、新橋で「36会seminar」をやってきた。一週間前に参加者は連絡をしてくる。予約している会場にはそれに基づいて人数を知らせる。
常連の一人が「年度末の始末があるので」と欠席連絡があった。数えで80になるというのに、まだ頼りにされて仕事をしているのだ。また別の常連一人も「事情があり」と欠席の報せ。この方は、ご亭主の世話に追われてここ十年くらい落ち着かないが、seminarにはよく足を運んできた。ひょっとしたらご亭主から目が離せないのかも知れない。
参加連絡をしていた一人が、前日になって「所用ができ欠席することになった。会場には一人分減らしてくれと連絡をした」とメールが来た。なんだろう。まだまだ元気な「世話好きおばちゃん」だから、また身近にコトが起こったのかも知れない。
そして当日、つまり昨日の朝、メールが舞い込んだ。「体調が悪く、今日は欠席します。ごめんなさい」とある。今でも海外を飛び回って建築を楽しんでみている方なのに、思わぬ故障に襲われる。
つまり、seminar開催の参加の様子を遣り取りするだけで、面々の身辺の消息が伝わってくる。もちろん私は、子細に踏み込んで尋ねたりはしない。踏み込むと、世間話になる。事情を知ると、それがその方のイメージとして身の裡に刷り込まれる。一つひとつ覚えているわけにはいかないから、応対するときにすっかり忘れていて失礼してしまう。そう感じるから、よほど親しく感じていたい人以外には、ほどほどの距離を取る。そういうのが、「わたし」の関係感覚として定着していた。
それをカミサンは、ヘンだと思っているらしい。知り合いの誰それが入院していたらしいと話しをすると、「どこが悪かったの?」と聞く。「いや、知らない」と応じると「どうして聞かなかったの?」と矛先が私に向いてくる。つまりカミサンにとっては、そうしたことは聞かれなければ話さないことだけれども、できれば話しておきたいことでもあるのよと、向き合っている相手の心持ちを察して、聞くべきだと思っている。たぶんそれが彼女流のおもてなしなのだろう。
だが「わたし」は、相手の言葉や立ち居振る舞いが伝えていることはできるだけ受けとるが、相手が発信しないことには、こちらから踏み込まない。それが人を尊重することだと思ってきた。もちろん向き合う相手が私に対してもそう振る舞うことを期待し、それ以上を求めることはなかった。
だから私は、世間話が苦手。ところが、世間話ほど、話す人の人柄を正直に体現していることはないと思うようになった。世間話は、日常の感性やイメージや思いなどの断片である。そこには不用心に、その人の無意識が表出している。なぜそう感じるのか、どうしてそういう言葉にするのか、それはいつからなのかと聞き手がつなぎ合わせていくことによって断片が物語りに変わってくる。
そうか、新聞や週刊誌の取材記者というのは、こうやって相手から話を引き出し、脈絡を付け、単なる世間話を社会的な出来事として報道するに値する記事にしているのか。つまり聞く力というのは、まず、できるだけ断片を取り出して素材とすること。ついで、それらの断片がもつ素材の脈絡を探り当て、物語という、より大きな次元の文脈につなぎ合わせる。その次元の転換を図るところに社会性が生まれ、世界を語る視線が埋め込まれていく。その素材である断片の受け渡しをしている間の取材記者は、世の中の好奇心を最大限に動員して、根掘り葉掘り聞き出さなければならない。何しろ相手の無意識に触れて、そこから脈絡を探るのだから。だが、それを記事にするときには、世の中のどういう次元にその素材を置くかによって文脈が変わってくる。病で入院したという時、躰の調子と治療法ということであれば、医療体制の問題となる。病と暮らし方となると、経済状態や働き方が俎上にのぼる。老人の生活実情と医療という次元となると、もっと絞り込んだテーマが浮かぶ。その次元を定めることも、じつは取材しながら探っているに違いない。つまり、取材者の心持ちとしては、断片・素材と文脈・物語との間を行ったり来たりしながら相手から話を聞きだしてゆく手練手管が繰り出されているのであろう。
だが、市井の人の間で、そういう非対称的な関係を保ち続けるというのは、どういうことであろうか。取材対象のように扱われるのは、何だか、とっても失礼な応対の仕方のように感じる。市井の人が取り交わす世間話というのは、何だろう?
挨拶であれ、愚痴であれ、出遭った出来事に対するその都度の感想であれ、共感や同意を求めたり、違った意見を聞くことも期待の内にある。それは同時に、向き合っている相手の体調や近況や心持ちの現況を確かめ合っていることでもある。それは、超越的に見れば、相互の関係を確かめ合っている振る舞い。その遣り取り自体を対象化して見ることをしないのが、世間話である。
当然ながら、取材者と取材対象という関係ではない。そうか、遣り取り自体を「対象」としてみるのを相互的に行うのであれば、それは「当事者研究」なのだ。取材するされるという関係にが非対称的なのは、取材を受ける方は当事者であり、取材する方は超越的傍観者である。取材記者の方はたぶん、「傍観者」という言葉に文句を言うであろう。そうじゃないから取材しているんだと。だが、客観報道とマス・メディアという記者の立場を考えると、「傍観者」という立ち位置がもっても相応しい。これが地域メディアとなると、少しニュアンスが変わる。「同じ街の出来事」を取材しているという「当事者性」がほんのりと浮かぶ。それはまた、記事にも反映される。
さて横道が面白くて、また大きく逸れてしまった。本題に戻そう。
昨日のseminarは、文字通り世間話の総まとめであった。「まとめ」であるから、今年数え80歳の同窓生という当事者たちが、70歳代を振り返る「当事者研究」でもあった。二月に1回行ってきたseminarがコロナウィルス禍で、断続するようになった。その間に2年が過ぎ、その分、歳を重ねた。それにナラティヴを付けたのがseminarであった。『うちらぁの人生 わいらぁの時代』と題する「36会seminar私記」が上梓されたのは2020年5月。コロナ禍でやってお2年ほど経ってseminarの「お題」として言葉を交わすことができた。昭和17年4月~18年3月生まれという、戦中生まれ戦後育ちの田舎の高校の同窓生が経てきた「人生」と「時代」という次元で読み取ってみるとどう見えるか。敗戦と戦後の混沌、経済成長と一億総中流という希有な時代、そしてその後の失われた「**十年」という社会の変貌、そしてコロナウィルス禍とウクライナの戦争という世界を共通体験として「当事者研究」する。
それが世間話的に展開したのが、面白かった。講師を務めた私からすると、やっと世間話の入口にたどり着けたという感じ。seminarという定点観測の老人会を始めて、満九年になる。まあ、まだしばらくは続けられそうだ。
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