去年の3月1日に「どこまで行けるか」と記事を書いた。
《2月が終わって、書き落としていたことがあった。平地を歩いてどこまで行ったか。/1月は、1日平均11km歩き、おおよそ名古屋の手前まで行った。2月は平均10km、280km余。1月と合わせると、620kmほどになる。東浦和から東京を経て西向かうのは、わが身の心の習慣が然らしむるもの。何と、大阪を越え、神戸も越えて、鷹取まで行ったことになる。鷹取ってのは、須磨の海の近くにあるJRの駅。東浦和からの距離も、鉄道の路線距離を採っている。》
歩く勢いが、興に乗っている。だが今年は、未だリハビリ中ということもあって、去年のようには行かない。どれくらい歩いているだろうと、スマホの歩数計を覗いて、1月からの日々の歩数をチェックしてみた。
1月は、183km。去年の336kmの54%、2月は170km、去年の283kmの60%。半減している。1月と2月の合計が今年は353km、去年のおおよそ1月分に近い。興が削がれたのは、4月の山の事故。調子の乗るんじゃないよと、天の啓示を受けたように思った。あと一月ほどで、事故から1年になる。ぼちぼち身体が、興に乗るんじゃないが、ちょっと元気に歩くのはどうよと、うごめき始めている。そう言えば、明日は啓蟄じゃないか。
身のうごめきを受け止めるのに、四国八十八カ所巡りはどうよと、手に取った本が誘いかけている。全行程は1200km、1日30km歩くとすると、40日で経巡ることができる。時速5kmとすると1日6時間。めぐるお寺で誦教をしたりするのを2時間とみて、毎日8時間の行動時間と見当を付けた。だが、大丈夫だろうか。去年の私なら、ぜひもないと思ったに違いない。そう考えて歩いていると、まだ不安が残る。
昨日も3時間弱、約15km程を歩いたが、もうこれくらいでいいって気持ちになっていた。この倍の距離を歩くとなると、2、3日で草臥れてしまう。40日も続くと、行き倒れになると、不安が身を掠める。「蔓延防止措置」が2週間延期になったし、その後どうなるかもわからない。すでに4月20日には日帰りで行く予定が入っているから、急ぎ決める必要はないが、いろいろと準備もあるから4月半ばには決めなければならない。
カミサンは「何も一般に済ませなくても、何回かに分ければいい」。急くな急ぐな年寄りなのよと、お遍路も「ブラ遍路」で行けという。そうだよね。お誂えの経路をさかさかと辿るだけでは「遍路」にならない。祈りが込められない。ただのトレッキングになってしまう。わが生きてきた道を振り返りつつ、感謝を込めて歩くのが「祈り」だとすると、日にちを限らず、のんべんだらりと行ってみようか。それが、私自身のふる年並みに相応しい。ま、まだ行くかどうかも決めないのに、もう遍路気分になっているのが、可笑しい。
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