昨日(3/20)は、所用があって西宮まで行ってきた。このところ寒暖差が大きい。スーツに軽いコートを着用して出かけた。日曜日とあって在来線は混んでいない。最寄り駅のみどりの窓口が廃止されたために、東京駅の新幹線乗り換え口の近くにあるチケット販売所に並ぶ何十人かの列に連なる。ジパングという割引切符を買うのに、自販機は使えない。このジパング、一昨年からのコロナウィルスの外出自粛の所為もあって、使うチャンスがなかった。年間3,4千円の会費を支払っているから、久々の遠出に喜んだわけ。東京駅構内のこの窓口は、私の乗車した最寄り窓口からのスイカを元に戻して、そこから目的地までのチケットを3割引にしてくれた。
新幹線に乗るともうコートはいらなかったが、新大阪は東京より寒かった。ジパング割引の聞くのは「ひかり」、自由席が5号車まであって、どう動くか決めない旅には都合が良い。新大阪まで30分ほど早く着く「のぞみ」は頻繁に出ているが、「ひかり」は1時間に2本。空席があって、急がぬ旅には心地よい。富士山は雲に隠れていた。
順調に甲子園口駅に着き、迎えに来た車で、まず食事に向かう。訪問先にはすでにお客が来ていて混み合っているというから、娘が時間差を考えているようであった。中学生の孫娘は母親と一緒に動いていたが、大学生の孫はバイト先からやってきて、食事に加わる。彼らとは3年ぶり。コロナはこうした出合いの機会も奪っていたわけだ。
このお食事処は、結構混み合っている。私たちはほんの二組くらいしか待たなかったが、その後は列を成し、帰ることには十数人が待合所に溢れていた。テーブルに設えたアクリル板も、形ばかりもの。こちらの人たちは「コロナどこ吹く風」という風情。東京のピリピリした雰囲気を感じさせる気配がない。関西人の肝の太さというか、大らかさというか、自分の軸をしっかり持って暮らしている感触に満ちている。
脳梗塞を起こして倒れたという知らせを受けて駆けつけたのだが、娘の嫁ぎ先の姑さんのベッドの周りには、訪ねてきたお客さんで溢れていた。孫が生まれて、何度か手伝いに来ていたカミサンは顔見知りというわけで、「**さん、***さんが来たよ」と、その方たちがまるで家族のように姑さんに声を掛ける。ベッドに横になり点滴で繋がれた姑さんはうっすらと目を開けている。手を握って「ご無沙汰していました。***ですよ」と声を掛けると、分かるけれども声も顔の表情にも出せないというのか、少しばかり目が動くように感じられる。お客さんたちが引き上げ、姑さんが倒れてから帰ってきてずっと世話をしている次男坊が応対してくれる。
私より一つ若い舅さんと長男が経営するガスステーションもあるから、次男坊の彼が食事から何から寝込んだ母親の面倒を見ている。良かったねえ、こうやって世話をしてくれる身寄りがいて。彼とは15年以上も無沙汰をしていた。昔に較べるとスリムになった。IT関係のプログラミングなどをしていると聞いてはいたが、仕事を辞めて戻ってきたのだろうか。それともリモートワークをしているのだろうか。応対も言葉遣いもアラフォーの貫禄が備わって、そつがない。
2時を過ぎて舅さんも長男である婿さんもお昼を摂りに帰宅する。やはり彼らとも3年ぶりだ。近況を交わす。その間にもベッドの姑さんに声を掛け、様子を見る。カミサンが手を握って言葉を掛けている。今年高校を卒業した孫も、バイト先からやってきて、元気な姿を見せる。大学へ通うのに便利なように駅のマックデバイとを始めたそうだ。大学入試の推薦を受けるためにトレーニングを受けた「面接練習」が倍との面接でも役に立ったと、傍らの母親が笑いながら言葉を添える。
こうして何時間かを過ごし、駅まで送って貰って、新幹線に乗ったのは新大阪発6時48分。日曜日としても空いていると思っていたが、名古屋を出る頃には満席に近かったから、「のぞみ」の止まらない駅を利用する客が入れ替わり立ち替わり乗車しているようだった。21時43分東京駅着。
東京は、さくらの開花宣言が出されていた。
今日はお彼岸。
0 件のコメント:
コメントを投稿