今年は(なぜか、なんとなく)素直に「おめでとうございます」と言えそうです。別に何かめでたいことがあったわけではありません。息子一家が来ているからなのかなあ。
昨日は、例年のように蕎麦を打ちました。去年までは高知県梼原町の蕎麦だったのですが、蕎麦を作っていた姉が病の床に伏し作れなくなりました。寄る年波には勝てないってことですね。代わりに、山へ出かけたり鳥観に出かけたときの道の駅などで手に入れた蕎麦粉を使うようになりました。信州、甲州、隠岐の島、秩父、茨城の蕎麦粉といろいろ。
ところが何処の蕎麦粉かによって仕上がりが全然違うのに、いつも戸惑っていました。8割から9割が蕎麦粉というのだけを貫いて、水の加減とか捏ね具合とか湯がき加減を変えてみるのですが、しまった打ち上がりにならないのが悩みでした。ときにはボロボロになってまとまらないこともありました。
孫ももう大きくなり身長も伸び盛り。大人よりも多く食べるだろうと、いつもの3・5倍多く打つ。一辺には難しいので、ふた塊に分け、一つの蕎麦を捏ね上げた塊を傍らに置いてもうひと塊を打つ。両方が出来上がってから、ふた塊をそれぞれに延べて切り、湯がいていきました。それが、思わぬほどうまくいったのです。
最初のひと塊を捏ね上げて打ち終えそうになったとき、台所の蛍光灯の一本が消え他と、かみさんの声がしました。買い置いた予備の蛍光管を取り替えるのに、私の手は粉まみれで使えません。背の大きくなった孫を呼んで蛍光管を取り替えてもらいました。その要領を、「ほらっ、そこに椅子を出して、そう、もうちょっと向こう。両端の、そうそう、そこを押してカバーを取り外して・・・」と口添えしながら無事に取り替えたのですが、その間、塊となった蕎麦を放っておいたのが良かったのでしょうか。蕎麦が風邪を引くというのが、未だどういうことなのかよく分かりませんが、塊にして寝かしておくことだと思っていたのですけれども、そうではないようです。
もうひと塊は、水加減がちょっといい加減だったためか、終わり頃に(あっ、しまった)と思うほど、水が多くなってしまったようでした。柔らかくなり何だか頼りない手応えに狼狽えながら、でも捏ね続けて何とかそれらしくまとめ上げました。これもまたどういうわけか、上手くいってしまいました。
食べる方は、一段落したところで、一番の食べ手の孫がもういいわと席を立ったので、ちょっと多すぎたかなと心配しました。ところが、私たちが食べている間に、ひと休みした孫がまた蕎麦に手をつけ、結局、完食。やあ上手くいったと、私はご満悦でした。
ただ一つ、う~んそうかと思ったのは、カミサンが両方の蕎麦のできあがりを食して、こちらの方がいいといったのは、後から捏ね上げた塊の方だったのです。そちらは少し柔らかくなったかなと私は思っていました。ところがカミサンは最初の塊の方が少し固いと言って、私を驚かせたのです。つまり私がいつも、腰がしっかり締まるように打とうと思っていたのは(カミサンにとっては)固すぎるということに、はじめて気づいたのです。
いや、それだけのことです。あとは、いつものように私は夜9時には床につき、孫たちは紅白歌合戦をみて遅くまで起きていたのでしょう。私にとっては、朝5時頃に目が覚め、ただ正月だから、昨日とは着ているものをあらためて、いまこうしてタイプを打っています。
去年は、コロナウィルスの感染状況と政府の頑ななgo-toキャンペーンなどに、何をしてんだろうと不審感を抱いていたせいでしょうか、「めでたさも中くらい」どころか、めでたいと言えない気分でした。それが今年は、もうすっかり政府に愛想を尽かしてしまっったのか、それとも「自助」が「with-コロナ」の領域に達したのか、「去年-今年貫く棒のような」気分になっています。
さて、そろそろ孫たちも起き出してきたようです。
今年もよろしくお願いします。
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