新年の元旦、意外と早く孫たちが起きてきて、お雑煮を頂戴し、正月らしい居住まいになった。このあと坂戸にある浅場ビオトープへ鳥などを観にカミサンが案内することにしていたが、どうしたわけか、脚がぴりぴりと警告を発し始めた。息子一家が来ていることや正月を迎える準備でストレスが溜まったのかなと私は思ったが、本人の自覚は違った。年末ギリギリの26日まで東奔西走の鳥観三昧で、毎日1万5千歩以上も歩きずめだった疲労が現れたのだそうだ。今日無理すると3日からの奥日光で歩けなくなると鳥見を諦めた。
そういうわけで、お屠蘇を後回しにして、見沼通船堀を経て芝川調節池へ白鳥を観に行こうと山歩に出た。孫娘はカミサンの双眼鏡を首にかけ、あっ、ヒヨだ、ムクだ、シジュウカラだと覗いている。雲一つない晴天が広がる。人影は、あまりない。正月らしい風景に町は鎮まっている。井沼方公園を抜け、カイツブリが浮かんでいるのを観る。
JR 駅近くの交差点も渡る人がまばら。見沼代用水西縁から川床を工事中の通船堀に沿って芝川へ向かう。セグロセキレイ2羽が、石を敷き詰めその上を金網で覆った川床を尾羽を震わせながら飛び歩いている。芝川にはオオバンがぷかりぷかりと流れに身を任せるように浮いている。風がある。
武蔵野線をくぐって調節池へ入る。背の高い枯れ草を抜けて調節池を取り囲む土手に出ると風の強さが、いかにも赤城颪という風に吹き付ける。関東平野の冬。芝川沿いに設えられた調節池を吹き抜ける強い風は、平野部の広さとそれを取り囲むように縁取る北西部の山岳地帯を越えてきた日本海側からの贈り物でもある。調節池に9羽の白鳥が来ているのを観ようと思っていたが、葦や萱の原にアオサギやダイサギ・チュウダイサギが群れて立っているほかは、鳥の姿が見えない。鵜も鴨類も芦原の陰に身を隠して風を避けている。
中程へ来て振り返ると見事な景色が見える。孫たちは寒さもあって立ち止まっておられず、土手の上を駆けっこしている。孫娘は土手を降りて池中の草地を歩いている。
「ここ々へ(上がって)来てごらん」
と声をかけ、傍らに来たときに、ほらっ、振り返るよう指さす。
「ええっ、どうして? どうして見えるの?」
と、驚きの声を上げる。後ろから来る兄孫や父親に声をかける。
「みて、みて! フジサン! 富士山だよ! どうして見えるの?」
「近いからだよ。百㌔くらいかな」
「ええっ、でもすご~い」
と感に堪えぬように叫ぶ。スマホを出して写真を撮っている。父親が少し離れたところから子どもたちを撮っている。
「離れてね、ズームするとお前たちと富士山がうまく入るよ」
ああ、これでハクチョウは観なくてもいいやと私は思う。
夏目漱石が「元日の富士に逢いけり馬の上」と詠んだ句をもじって「元日の富士に逢いけり調節池」と年賀に記した通りになった。いや、めでたい。
強い風を避けて調節池を離れ、ここから見沼田んぼの東縁に沿って通船堀の方へ引き返そう。
見沼代用水の東縁沿いも人影は少ない。向こうから破魔矢をもった親子連れが歩いてくる。おや? この辺りに神社はあったかな? 川口市木曽呂の朝日神社か、吉峰神社か。
スマホが震える。電話が来ている。だが、上へなぞってもなかなか通話状態にならない。やっているうちに切れた。また鳴り始めた。今度は兄孫がすっと私のスマホを覗いて、指を出し、横へなぞる。うまく聞こえ始める。芦屋の娘からだ。
二番目孫が出て「おめでとうございます。お年玉ありがとう」という。一緒に歩いている兄孫が「シンチャンはいつ来るの?」といっていたので、電話を代わる。しばらくおしゃべりをしている。また私が出ると、今度は芦屋の孫娘が出てお年玉の礼を言う。これは歳も近いこちらの孫娘と代わる。何かひそひそと話をしている。私は手近のトイレに行ってくる。戻ってきてもまだ、話しが続いていた。
また私に代わる。今度は婿さんが出て向こうの親御さんの近況を伝える。昨日、歳末の仕事を手伝っている孫兄弟と舅と婿さんの居並ぶ姿の写真を送ってきていた。皆さんがおそろいの仕事着で並ぶと、生まれ年代順に背が高くなっているのがよく分かる。背が一番小さいのは、舅さん。私と同じ年代なのだが、でも仕事を孫たちも手伝うようになって、安堵の笑顔が微笑ましい。一番上の兄孫が出て礼を言い、
「ばあちゃんは?」
と聞く。この子は、小さい頃から「さいたまばあちゃん」の婆ちゃん子だ。もう23歳にもなるのに、小さい頃から「ばあちゃんは?」という。
「家にいるから、そちらに電話して。今で歩いてるんだよ」
と応えておいた。後で聞くと、すぐにかかってきたらしく、スマホの画面で皆さん顔を出して言葉を交わした。婆ちゃん子も、ときどき東京へ来ているそうなので、寄りなさいといっておいたと笑顔であった。
こうして、2時間余の初散歩を終えた。年賀が届いていた。返事を出さなければならないのが、私に2通、カミサンに3通あった。お昼になってやっと、お屠蘇を頂戴した。順調な年の初めの滑り出しであった。
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