2022年1月24日月曜日

「世界」を見る方法

  呉叡人『台湾、あるいは孤立無援の島の思想――民主主義とナショナリズムのディレンマを超えて』(駒込武訳、みすず書房、2021年)の「反記憶政治論」は、「台湾問題」に関する日本の関わりが現在も息づいていることを記している。

 連れ合いの仕事の関係で台湾で何年か過ごしたことのある私の知人が、「台湾の親日的空気は、どうしてなのだろう」と言葉を交わしたことがあった。蒋介石国民党支配の暴虐が酷かったからじゃないかとやりとりをしたが、それ以上踏み込んで考えることもなかった。呉叡人は《「親日」は極めて高度な自覚的な行為であった》という王育徳教授の長文を紹介している。簡略にいうと、こうだ。

 蒋介石が「日本人は悪い奴だ。日本人の教育は良くなかった。植民地支配でいいことは一つもなかった」というのに対して、「台湾の人たちはね、日本人に親切にすることによって、中国人にあてこすりをしているんですよ」

 この「あてこすり」を無用にしたのが、1996年李登輝による直接選挙による台湾総統選出であった。ここが台湾民主主義の出発点とされて、以来25年、台湾の民主主義は世界の最先端と評される程に成熟している。「成熟」とは台湾人の自律的統治が確立するという程の意味である。それまでは李登輝が総統として統治にあたる1988年までの国民党は、「中国全土を統治している」と虚構の上に成り立っていた。そこから、台湾は台湾人が統治していると(虚構を排して)リアルを見つめる大転換を経ることによってはじめて、自立への道を歩き始めたのであった。それまでの、日本による植民地統治、国民党の専制支配と中華民国という虚構、後者の暴虐への「あてつけ」としての「親日」、そしてたぶん台湾語と日本語と北京語の言葉の錯綜した時代を過ごしたことが身に刻んだ精神の錯綜が、台湾を見つめ語る者の立ち位置を複雑にしている。

 呉叡人は、台湾研究にもっとも先行しているのは日本だと見なした上で、台湾の独立を語る台湾人は日本の右翼の言説と重なる立場と見なされ、植民地肯定論とつながることを意味する。他方、植民地を否定的にみていた日本の左翼は、台湾を中国の一部とする大陸の共産党政権への共感もあってか、台湾の独立に否定的であった。台湾の自律を考える文脈は、政治化されて、左右の対立とか植民地の是非論へと転轍されて、錯綜混迷するばかりであった。

 これは、どちらも台湾人の自律を損なう考え方につながっていた。そこをくぐり抜けることが、台湾の民主主義と自律の基幹部にあたる一体性、台湾人ナショナリズムを醸成していくことには必須であった。その方法の一つが先述した「あてこすり」という「主体性を備えた抵抗の戦略」だといい、「歴史学主義」と名付けて、こう言う。

《歴史学主義は評価や批判を回避したりはしない。だが、評価と批判の前に、理解と認識に力を尽くすべきだと主張する。堅実な歴史認識の上に立った評価こそが責任ある評価と言えるのだ。これこそ歴史学主義が主張する批判の責任倫理である。》

 行間を読むと、こうも言える。

 日本の植民地支配がもたらした社会の中で育った人たちは、その後に占領的に専制支配を強行した後の植民者を批判するのに、前の植民者を持ち上げることによって戦略的「あてつけ」をすることができるが、それが戦略的に作用するには、身に刻んでしまっている文化性をきっちりと対象化していなければならない。そうすることによって、繰り出す戦略の物差しは、まず民族的なものとなり、かつ、「全人類的なもの、つまり普遍主義に基づいた進歩的、人道的な価値を備えたものでなければならない」。それは「自己に対する批判であって、歴史における被害者に対する批判ではない」と。

《その日が到来すれば、あるいは台湾人と日本人はともに、自己愛と広闊さに満ちた被植民者意識も、傲慢で偽善的な植民者意識も捨て去り、矢内原忠雄の悲願である「虐げらるるものの解放、沈めるものの向上、而して自主独立なるものの平和的結合」の真の意義を改めて理解し始めることになろう》

 と、呉叡人は進む先を拓いて見せている。人と人とが関わり合うときに避けられない「対立」を克服してともに歩く姿を、哲学的に述べていると思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿