2022年1月28日金曜日

手探りの感触がやっと見えたか

 昨日(1/27)、東京都が「自宅療養者の健康観察を縮小する」と発表した。この感染の広がっている時に「どうして?」と、普通なら思う。だが、オミクロン株の重症化しないという知見と「自宅療養者の健康観察」を保健所が手がけることができなくなっているという事情に対応するために、自ら健康観察を行って体調が悪くなれば相談窓口に知らせて「緊急対応」へ切り替えるというもの。要は手が回らない。それに、デルタ株の場合自宅療養者から死者が出たのとは違うと「状況」を見ていると思われる。

 目くじら立てるよりも、やっと未知のウィルスに対する「統治的視点」を抜け出して、状況対応する手がかりを探り始めたと見て、私は歓迎している。統治的視点というのは、法制度的に整備された枠組みに縛られて身動きができない統治組織の殻を、やっと抜け出そうと踏み切ったと思った。政府はいまだそうだが、コロナウィルスが法定伝染病という指定を受ければ、それに応じた取り扱いをするという法の枠組みを変えることができないできた。もう2年にもなるというのに、法整備の機会を躊躇い、融通無碍に対応することを躊躇してきた。

 何故そうしたのか。行政執行権者としての「権威」を護ろうとしたり、その手順をデジタルにすすめる行政の体制がないのに、その手順にこだわり、感染者の全国状況把握さえ把握できない事態に陥った。中央政府が立てる机上のプランニングとその執行をする地方政府の行政手順のギャップに気づかなかった。執行権者と実務担当者とその間を行き交うワクチンや接種時期に関する齟齬を調整できなかった。

 つまり、ウィルスの感染拡大に対する状況把握、それに対応する検査、陽性者の隔離や健康観察がどうおこなわれているかなどについての「現状」が把握できていないことなど、行政の手当がちぐはぐしていた。それは、なぜか。

 中央と地方が何をどう分け持っているのかという分業が(もっぱら中央政府に、それに依存する地方政府にも)自覚されていない。保健所業務が地方の首長によって決定される事柄であるにもかかわらず、中央政府がその決定に必要な「情報」を提供していないし、必要なモノや財源を提供しない。そんなに中央政府が自らの手柄にして取り仕切りたいのであれば、細々と指示をしてくださいという(地方から中央への)憤懣も、知事会の慇懃無礼な申し入れを見ていると感じる。積年の堆積した悪弊が露わになってきた。

 いうまでもなくその間に、オリンピックがあり、国際的な物資の滞りもあり、go-toキャンペーンという政治的動機も組み込まれて一層混迷を深めた。それは、これまで踏襲してきた統治のやり方や状況認知の方法やそれを社会的に共有する仕組みなどが、状況に対応するには劣化していることを示している。それらについて総括的な批判的見方が必要と、自らを振り返ることであった。

 新型コロナウィルス自体を、どう見立てるかも大きな「課題」であった。インフルエンザと同程度のモノだと見なすかどうか、あるいは法定伝染病として指定するにしても、程度に応じて融通無碍に仕組みを動かせるような組立にするという知恵が必要であった。つまり未知のウィルスと喧伝されていたにも拘わらず、旧来の仕組みで対応することしかできなかった。今回のコロナウィルス禍はそういう社会的カルチャーへの大自然からの頂門の一針であった。

 総じてウィルスへの対応について言うと、未知のウィルスに対応しているのだから、わがヒトの社会体制がどう向き合ったらいいかは、一つひとつ対応しながら、その知見を積み重ねて道を探るという(市井の庶民からすると)周知の経験主義的なやり方を採るしかない。それには、衛生医療体制に関して身につけている殻を破って、あらためて仕組みや運びを考えるくらいの覚悟を、為政者には持ってもらいたかった。「民度が高い」などと誇らしげに他の国をけなすなどは、見当違いも甚だしい。

 それがやっと、丸二年経って、これまでの法制度では取り仕切れないとわかった。それが、今回の「自宅療養者の健康観察」を本人に任せるという決定であった。つまり、「公助」ではどうにもならない。先ずはご自分で、自助でやってくださいという「公助頼りなき宣言」。それを発表すると知事の声も、力が無い。政府は未だに、「我が計画通りにコトは進んでいる」と言わんばかりの姿勢の高さを崩していないが、すでに「前倒し」というワクチン接種にしても、検査キットの配布にしても、モノが足りなくて口先だけのリップサービスになっている。うんざりするほどそうした事例を見せつけられてきた。

 だが心配めさるな。市井の民である私たちは、やっぱりそうだったかと冷静に受け止めている。2年を通じて、中央政府がこれほどに頼りないモノだったかと心底、肝に銘じた。自助、あるいは地域的な共助努力しか頼りにならないと、肝に銘じた。そういう意味で、行政の方も、最初から出直すように、一つひとつを経験主義的に積み上げて「状況対応」していこうとするようになったことを、喜びたいと思う。早く中央政府も、追いついてほしいものだ。そうでないと、もう社会保障と健康衛生の業務に、中央政府は要らない。全国知事会が中央政府に取って代われってことだって、言われ出すかもしれないよ(笑)。

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