1/4の奥日光。おや、ガスってると思ったのは、私の勘違い。粉雪があまりに多くガスが張ったように視界を閉ざしていたのだ。それが分かったのは、風が強くなってから。建物や木々にあたって風が舞い、粉雪が濃く薄くカーテンのように揺れ動く。強い風の時には積もった雪も巻き上げて一面が真っ白。スノーホワイトの状態になる。
それを観ながら、朝食。バイキング。いつも食べ過ぎる。孫たちはさっさとお腹をいっぱいにしてスキー場へ出かけたい様子。息子が、レンタルしたりリフト券を買ったりの世話をしてくれるので、私たちはゆっくり食事を終え、9時頃までのんびり過ごす。今日また、赤沼から小田代ヶ原経由で湯滝へ出て湯元まで歩こうと思っていたが、カミサンは吹雪く雪を観て(今日は休養日)と決め込んだ。
じゃあ、孫たちが滑っているのを一度は観ておこうと完全装備をして外へ出て、スキー場へ向かう。ところが、リフトが動いていない。リフト券売り場のレストランに行くと、大勢が列をなしている。孫たちはテーブルに座ってスマホをいじっている。聞くと、リフトの整備が遅れてまだリフト券を販売していないのだという。動き始めたのは9時45分。これで一日券は一日券じゃあと誰か文句を言うわけでもない。リフトに乗って上へ行った孫が降りてくるのを観てから引き上げようと待っていた。新雪の初滑り3人目くらいに二人の孫が並んで滑ってくる。ここ2年やってなかったと心配していた孫も、滑り降りてくる分には、様になっている。
またリフトで上がるのを見送って、部屋に戻った。ここのスキー場は、レストランなどが整備されていない。リフト券売り場のレストランも、唐揚げと焼きおにぎりだけ。カップ麺にお湯のサービスはあるが、所謂賑わっているスキー場は、丼物からラーメンやカレーなどは常備食のようだったと、昔を思い出す。要するに滑ることに特化していると言おうか。宿泊宿が多いから、その客が滑るスキー場ってわけで、整備されていないのかも知れない。ま、初級者やお子様向けのゲレンデがほとんどだから、これで十分と考えているのかもしれない。
彼らにはお昼を自分たちで調達するように言い置いて、私は部屋に戻って本を読んだ。お昼に何か食べようかとフロントへ行ってみたが、お弁当や麺類は前日に注文しておく仕組み。結局売店に置いてあった菓子パンを買い求め、サービルのコーヒーを頂戴して済ませた。カミサンは、こんなところへ来て1日のんびりするなんて初めて、ともってきた小説を読みふけっている。外は相変わらずの強風と粉雪。
午後、湯元の町中を歩いた。スノーブーツを履いたが、深い雪にバランスを崩しそう。ストックを持って湯の湖畔を辿っていると、ピッケルをもった夫婦とおぼしき二人連れが「お尋ねしますが」と声をかける。小峠から刈込湖への入口が分からないという。じゃあ、案内しますよといって、泉源へ向かう。夏道は通れるかと聞く。この積雪では夏道はなだれていて危ないかも知れない。蓼の湖へ下ってから、谷を詰めるルートが安全だというと、蓼の湖を知らない。もう2時を過ぎている。
泉源の登山口から十人ほどの若い人たちがやってくる。スノーシューを履いて刈込湖まで行こうとしたが、膝まで埋まる雪のラッセルに手こずって小峠から引き返してきたそうだ。こちらのご夫婦を観て、「ピッケルは役に立ちませんよ」という。私は時刻を話して、蓼の海まで行くのも考えものだと思うと話して、別れた。
1時間ほど歩いて宿へ戻る。3時過ぎ。風呂へ入る。孫と同室の息子が孫が帰ってきたので、風呂に行ってからやってきた。孫たちはこの風にも負けず、リフトが終わる頃まで滑りに滑ってきた。部屋に戻るとすぐにスマホのゲームに夢中になっていたというから、若い人たちの好みとタフさは、私たちには分からない。
大人はワインを開けて、私たち夫婦のどちらかが没後の話しをする。
一日中粉雪が舞い、強い風が吹いていた。
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