オミクロン株の感染拡大が止まらないから、蔓延防止措置をとるかどうかで、自治体も政府もあたふたとしている。いや実は、私たちもあたふたしている。22日にseminarを予定しているからだ。
デルタ株が広がっていたときも、何故広がっているかを根拠を含めて明快に示す発言はなかった。為政者が「飲食店の酒類提供」を槍玉に挙げるように「悪者」にしたが、それとても、2年も前からのことなのだから、適当な(地域を限った)「社会実験」を行って、比較するだけでもいいからデータを集めればいいものを、誰も手をつけなかった。
コロナウィルスの感染が、昨年十月初め頃から着実に減少していったときにはじめて専門家が、「なぜかわからない」と明言して、私たちは霧が晴れるというのではないが、やっぱりそうかと腑に落とす妙な納得をしたことがあった。何というか、経験的な直感を崩すような科学的な知見というか、論理的な実証を、誰も見ていないのだと確信するような、ヘンな情報取得であった。
それがオミクロンになって、一層加速されている。まず私たちは、自治体や政府の発表する施策が、マス・メディアの後を追っていると、はっきり感じている。かつて政府や自治体の官僚はシンクタンクであり、かつ、情報の先行的取得者だと思ってきた。だから逆に、彼らが何かを隠しているんじゃないかと疑心暗鬼にもなったのだが、ここ何年かの行政の流れを見ていると、もうそういうエリートの象徴のような特権を、彼らは持っていないと感じる。それどころか、統計処理不正もそうだが、情報の先行取得者という誇りもこだわりもないことがわかってきた。
そうやって自助しかないと考えるようになって、オミクロンの「恐さ」の真贋を見極めようとすると、公表されるデータから読み取らなければならない。そう考えていて気づくことが、ひとつある。新型コロナウィルスが登場したとき、その死亡者数はインフルエンザの年間死亡者数とさほど変わらないのに、何を恐れることがあるのかと息巻くコメンテータが結構いたことである。もしインフルエンザの感染者数を、日々集計して、都道府県ごとに発表して死亡者数を公表していれば、私たちはインフルエンザをどう受け止めるだろうか。おそらく、コロナウィルス同様に、増えた減ったと発表ごとにハラハラしてTVを観、マスクはもちろん、ワクチン接種をしたかどうかで、店舗への出入りも規制しようという話しが持ち上がっていたのではなかろうか。
つまり私たちは、コロナウィルスの感染状況を知ることによって、適切に「恐れる」ことをしてきた。そうして、その「恐れ具合」がどれほど感染防止に効き目があるかないかを、経験的に判断するという「知見」を高めていこうとしている。それには、いろいろな「動き」が蓄積されなければならない。報道もそうだが、実際に公共交通機関を使って移動し、マスクをして人との距離も取り、だがときどきは会食して、無事であったことを確認し、酒が入ったことで(こりゃあ、ちょっとしゃべりすぎたな)と反省しながら、しかしそれでも感染はしなかったと確認している。
さあ、今週末のseminar開催を、予定通り実施とするかどうか、参加回答者のご意見を伺いながら、でも「やるよ」ということは事務局が発しなければならない。正念場だ。
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