1/3、東北道を奥日光へ走る。今回私は車の運転をしない。息子が私を乗せて運んでくれた。その車が(たぶん)「自動運転・ステージ2」じゃないかと私は思っている。高速を走るときに95km/hに設定しているそうだ。アクセルは踏まない。ハンドルに手をかけてはいるが、3車線の真ん中車線を走っている分には、ほとんど手がかからない。前の車が速度を落とせば、自ずとこちらも速度が落ちる。たいてい前の車は制限速度かそれ以上で走るから、車間が開く。すると横合いから割り込む車もいるが、それもさかさかと先へ行ってしまう。前を走る車がいなくなることも多かった。なんと、暢気な運転気分ではないか。それで百㌔走って、5㌔しか差がつかない。時間にするとわずか3分だ。いつのまにか、自動運転車はそこまで来ている。
つい先月だったか、「自動運転・ステージ4」の法律案が整ったと報道があった。これから市街地の実地走行が始まるだろう。そうなると、市販されるのは3年か5年くらい先か。う~ん、もうちょっと急いでほしいが、そろそろ八十歳になる身。免許を「返納」なんてしないで、免許なしでも乗れる時代が来るような気分も、まもなく味わえるかも知れないとうれしくなった。
中禅寺湖半からこちらは、道の傍らに積もった雪が残ったり除雪された雪があるけれども、道路の路面は乾いている。赤沼に車を止める。赤沼茶屋の空き地が埋まるほど車が止まっている。赤沼トイレの前の駐車スペースも、ビッシリと車。奥の駐車場が閉鎖しているものだから、ここに止めて、小田代ヶ原や戦場ヶ原に向かっているに違いない。入口から、雪がビッシリと積もっている。12月には雪が降らないとスキー場の心配していたが、下旬の後半になって積もり初め、今、湯元スキー場は50センチの積雪、滑降可。
孫を先頭に戦場ヶ原へ踏み込む。木道の上の雪もトレースができるほどよく踏まれている。だが、凍っていないから、運動靴でも一向に不都合はない。孫のすぐ後をばあちゃんが歩いて、湯川のマガモの話しやオオバンやヒヨドリを見つけて指さし、何かを話している。30分ほど歩いて戦場ヶ原の中程に来る。風も強くなく、空は青い。男体山から大真名子山、小真名子山、太郎山、山王帽子山、三ツ岳と奥日光の名山が山嶺を連ね、戦場ヶ原を箱庭のように区画して見せている。
そこから引き返すようにばあちゃんは話している。だが、このまま、泉門池に出て、そこから来た戦場ヶ原を通って光徳入口へでるのも、40分くらいで行けると私は踏んだ。息子が車を取りに戻り、光徳入口で待ち合わせると即決。やはり運動靴の孫たちはさかさかと先へ急ぐ。ばあちゃんは遅れ気味だが、ま、若い者には適わないと放っておく。
ところが、泉門池から先が湯滝へ向かう道と北戦場へ向かう道が分岐している。そうだ、それを言ってやらないと面倒になると思い、私が追いかける。孫たちは分岐のところで立ち止まって待っていた。ばあちゃんを待って、再び北戦場の方へ向かう。戦場ヶ原の雪と違い、歩いた人が少ない。ときどき深い雪に足を取られそうになる。
今は閉鎖されている湯滝への木道辺りで孫が立ち止まっている。どうした? と目で問うと、指さして、声を出さず口だけを動かす。サルがいるといっている。ほほう、サルを観たか。それは良かった。そこから右へ曲がって行くんだよと声を出さずに指さすとそちらへ向かう。立ち止まっては、二人で何かおしゃべりしながら、傍らの雪をつついている。
歳の近い従兄弟ってこともあるが、コロナ前には受験で途絶えることはあっても毎年2回ほど雪の奥日光や霧ヶ峰で逢っていた。高校1年生と3年生、15歳と18歳。170センチと180センチ。二人とも私より背が高くなった。背も伸び盛り、食べ盛り。お昼を食べてまだ2時間も経たないのに、お腹が空いたと父親と話している。うらやましいくらいの食欲。それがすぐに背の高さに反映するのだから、若いってのはすばらしい。
およそ40分と踏んだ歩行時間は約1時間かかった。でも待ち合わせに不都合はなく、チェックイン少し前の時刻に宿に着いた。
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