12/4のseminarに久しぶりに出席したツナシマさんが、フジワラさんの奨めもあって「80歳の風景」を口にした。そのなかで「科学など理知的に勉強してきたことは何だったんだろうと思うことがある」と、まるでデカルトがコギト・エルゴ・スムの入口に立ったようなことを話していて、オモシロイと思ったが、こちらの耳が悪いのか、場を取り巻く賑わいがかき混ぜるのか、よく聞き取れなかった。そこで、ツナシマさんに「当日のスピーチを文章に起こしてくれないか」と依頼した。
程なく送られて来た彼の「テーブル・スピーチ 80歳の風景」は、しかし、私の関心事には触れてなく、彼の「純粋な技術論文や技術専門雑誌、経営・行政に関連した記事を300~400字程度に要約する仕事」に触れ、論文が「知・情・意」をキーワードにしてとらえると氷解することが多くなった感触を綴っていた。これはこれで、考えるところが多く面白いと思った。
だが、ツナシマさんと私の生きてきた世界が違うせいだろうか、どこから絡んでいったら、彼の問題意識と私の関心事とについて、言葉を交わし合うステージがつくれるか、うまくつかめない。でも彼が表現した文脈の底に流れている理知的世界への疑問符は、ひょっとして私のそれと共通するところがあるのではないか。そんな感触をもっている。
このツナシマさんの文章は当初、2023年1月22日(日)の次回seminarで皆さんにお配りしようと思っていた。だが、それよりまず、36会seminarメンバー全員へのe-mailで共有して、あれこれのご意見を、その共有メールで交わした方がよいと思い、皆さんへ送信した。
それに対して早速、トキさんがコメントメールを一斉送信してきた。コメント内容はともかく、こういうリスポンサビリティが彼の交際術の優れたところだ。それに対してツナシマさんから謝意を表するメールが来て、その中で「席上とメールの文章に不一致を感じた方がいらっしゃるかも知れません」と「追伸」が記されていて、私のseminar当日抱いた感触が的外れではなかったように感じた。また、トキさんへの謝辞の中に、文脈は別として「われ思うゆえに我あり」とあったので、遣り取りをつづけていけるように感じている。
ただ「知・情・意」を、わが身の内部で総合的にとらえることを考えている私にとっては、それぞれを分けて理知的世界の状況を見て取るのでは、もの足らない。私は理知的世界をどうとらえてきたか、情に絡む部分をどうあしらってきたか、意が強く働くとか働かないというのは何を意味するのか、そういうことがひとつひとつ丁寧に取りあげて、どういう時にどのような視線でそれらをぢyモンダイにしたかを見ていかないと、世界のデキゴトについて思っている主体のワタシと世界との関係が取り出せない。そんな風に考えている。
たまたま1年前に書き記した記事「コペルニクス的転回」があったので、それを参照して貰いたいと、皆さんには添付して送った。ちょうど、ツナシマさんたちと共に過ごした高校生活世界から離陸する時代のことに触れている。さて、これが糸口になって、私たちの生きた時代が浮き彫りになるかどうか。
ツナシマさんは《「意味論」の世界では、言葉は不便な道具で「事実・真実」「発話者」「発話の受け手」に不一致が存在する》と、遣う言葉が彼我において同じ意味合いであるかどうかも疑ってかかる必要があることを意識している。私は似たようなことを、東浩紀に倣って「郵便的誤配」と受けとっているが、それも踏まえて、ゆっくり時間を掛けて言葉を交わしていきたいと思っている。ともに80歳になる。80年もの間の、高校生活という、それもツナシマさんと私とは過ごしたポイントが大部分すれ違っていたことを思うと、ほんの一瞬の共有部分しかないと思わないでもない。だが、たぶん同じ時代の空気を吸って生きてきたという大舞台の共通性がベースになる。意味合いの違いなどに心配りしながら、ズレたところを知らないフリをしないで、取り出しながら、遣り取りできると面白いと思う。
トキさんはそんなことはメンドクサイというに違いない。そうなんだ。歳をとると、それまで何でもなかったことがメンドクサクて、もういいやってなってしまう。日々それを感じながら、でも放っておけない。私の悪いクセなんですよね。
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