もう1年も終わりに入った。でも年々、年を越すことの「画期的」な趣は薄れている。外的な、他の人と共有する時間によって時を経ていることを認識する「年を越す」というより、わが身の日々の不都合に出くわして歳を意識することが多くなった。つまり外的であった時間が内化して、一年周期の大きな時の進みよりは、日々、月々の変わりように驚くことが多く、もはや一年という単位は、すっかり遠ざかってしまった。
辛うじて「画期」を保っているのは、暦とカミサンの習性。マーケットのクリスマス・セールや歳末売り出しのチラシや旗が歳末が近づいていることを知らせる。同じようにカミサンの年越し準備が始まるので、そうか、窓の掃除をしなくちゃならないな、年賀状をつくらなくてはならないと知らされる。ようやっと重い腰を上げる。
賀状の写真を選んでいて、今年を振り返る。四国のお遍路にも行った。カミサンの嗜好に合わせてあちらこちらに出かけている。それらを貫く棒のようなものはあったか。カミサンは鳥と植物。だが私は、それらについて門前の小僧。
では、わが門内のコレということはあるのかとなると、何にもない。ただ歩くだけが趣味の行き当たりばったりだったと、結論的に行き着く。気取っていえば「遊行」というだろうけど、歩きながら何をしてるのと自問すると、ホントにな~にもない。空っぽ。
そう言えば、私の父は雅号を虚心としていた。若い頃からそう自署していた。絵画や俳諧ではなく書道だったが、漢籍や仏教に大きく心持ちが傾いて、それらの言葉を条幅や色紙に認めている。「虚心」か。私の空っぽと同じなのか、似たようなことか。それとも、似て非なるものか。父の心裡を推しはかってみようとは思う。だが、なにしろ37年前に鬼籍に入っている。訣れて後の、そろそろ倍、私は生きてきたことになるか。思えばホントに遠くへ来たもんだ。遺品といえば、8年前に彼岸に渡った私の弟が編集した「遺墨集」があるばかり。本当に推察するほかなく、仕事をリタイアして後の坦々とした父の佇まいを思い浮かべて、「虚心坦懐」とはああいう風情であったなあと思い当たる。この四字熟語は私の好みに合う。「空っぽ」は虚心坦懐。そうであったらいいな。
そうして、今年一年の物語を探り、年賀を仕上げた。はじめ、宮古島へ行ったことなどがちらついたが、一点に絞ると、やっぱり吉野山を訪ね、最奥の西行庵に行ったことか。あの、行き詰まりの斜面を少し沢に降りた地にポツンと小さく佇む西行庵は、「空っぽ」ならば、これだけで十分、お前なんでそんなに身に纏い、飽食し、温かさに包まれて唯々諾々と過ごしているかと、質朴の槍で胸を衝かれた思いであった。
断捨離とはものを片付けることではない。そんなことは遺品整理、不要品一斉処分で子や孫がやってくれる。それよりも、今の暮らしそのものが、如何に余計なものに取り囲まれ、それに身が馴染み、快適でない不都合は改善して、よりいっそう外からの厚着を纏う方向へ向かっている。どこへ向かっているかを直視せよ。
人は一人、手ぶらで死ぬ。齢傘寿になってみれば、もはや古来稀を通り越して、古来空無の領域に入っている。暮らしを質朴に整え、心も空っぽにしてみると、西行の辿り着いた境地にほんの少しながら近づけるかもしれない。そうしたら、彼の詠ったことが感じられるのではないか。
〽年長けて又こゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜の中山
歌に誘われたわけではないが、秋には掛川の中山峠近くに宿して、紅葉狩りの風情を味わった。「いのちなりけり」というのが、命あってこそとみれば、こうして中山峠を越え、箱根の山も乗っ越すことができると、私の「遊行」の風情に近い。足腰をもって歩くだけが取り柄のわが身に思い当たった。
とても空っぽにはできないわが心裡ではあるが、ひとつゴミを拾って捨てたかな。ちょっぴり怪しいが、そう決めた。
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