《冬至の今日は日の出から日没までの時間が9時間44分。明日からは、着実に明るい日中時間が長くなる。身が軽くなるのも、気分と相関している。/古稀時代とおさらばして傘寿時代へ身を移す。そう考えると、身も心も軽くなる。》
こう記したのは、1年前の冬至の日。4月の事故以来リハビリをつづけ、ようやく前向きの気分が湧いてくるのを感じていた。そして4月下旬になって四国のお遍路に出かけ、2週間ちょっとで「飽きて」帰ってきた。思っていたより疲れが溜まっており、帰宅後しばらくは何もする気が起きなかったが、5月下旬にはすっかり元に復したように思い、デュピュイトラン拘縮の左手掌の手術をすることにして、心臓の事前チェックや検査を行い、それはそれでモンダイがみつかり年を越えて子細検査を行うことになった。一病息災ってことだね。
こうして7月中旬、全身麻酔の手術をした。医師の判断では順調に手術も終わり、翌日には退院という運び。後はリハビリに通うようになった。ところが、手術部位の、強張りが解けない。確かに拘縮して縮まっていた部分は伸びるようになったが、指を折り曲げると、手の平に指先が付かない。人指し指の痺れは未だにつづいている。2週間毎に診察する医師も、首を傾げる。カミサンは手術の失敗じゃない? というけど、そう医師に確認するのは、とても怖くてできない。
ただ2週に3回受けるリハビリは、わずか30~40分ずつだけど、一進一退、長い目で見ればほんの少しずつ効果があるようには感じている。でも、もう5ヶ月を過ぎた。左手掌が少々不都合でも山歩きには支障なかろうと、元気な頃なら思ったであろう。だが、身体のバランスは以前より不安定になっている。ストックを握るのに、指が手の平に付かないのでは、親指と人差し指に挟んで止めているだけ。小指や薬指がきっちり締まってこそ力も入るというもの。つまり左ストックを持っている意味がなくなる。平地を歩く分にはなくても構わないが、山歩きに右手だけでは心配になる。
小指と薬指の拘縮を何とかしようと思った。痛みがあったわけではない。酷いときは残りの指も曲がってしまうことがあるというのに脅かされたわけでもない。寿命とどちらが先かはワカラナイと思っていた。ただ、「人もすなる手術というものを我もしてみんとてするなり」という軽い気分だった。先ずは利き腕だけでもやってみて、うまくいけば次は右手を考えていた。確かに拘縮した指は伸びるようになった。だがまさか、縮まなくなるとは思ってもいなかった。傘寿になるという身の程を知らない若気の至りであった。
握力を測った。左手は15ほど。右手は30に少し足らない。確か還暦の頃の身体計測で図ったときには40ほどで、ずいぶん弱くなったなあと思った覚えがある。手術しようがするまいが、これじゃあ身体を支えるどころじゃない。左手掌の強張りが解けないのも、伸びた指が曲がらないのも、わが身そのものが、もうリミットよといっているのかも知れない。「治す」というのは、モデル型にすることではない。身にそぐう動きを常態にすることだとすると、今の左手掌のそれは、ほぼ「治っている」と言えるのかもしれない。
1年前の「古稀時代とおさらばして傘寿時代へ突入する」気分の軽さは、振り捨てるしかないか。手掌の拘縮手術は古稀時代の若気の至り、傘寿時代はもう、そんな好奇心で手術でもしてみようかというほど、身体が若くはない。つまり回復するってことがないんだよと言っているのかもしれない。ならば、今の手掌の常態に身を適応させて、新しい年を新しい、初めて体験する傘寿時代として受け容れて過ごしていくほかない。
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