2022年12月6日火曜日

蛇紋岩の露頭

 高山植物の花の山を歩いて、蛇紋岩という言葉を知った。尾瀬の至仏山とか北上の早池峰山だ。至仏山の固有種、オゼソウ・タカネバラとか、早池峰山の固有種といわれるハヤチネウスユキソウ・ヒメコザクラは、その山が蛇紋岩でできているからときいた。蛇紋岩は、植物が育つには厳しい条件をもっている。植物に必要なカリウムやカルシウムの量が少ない、貧栄養の土壌。一方、過剰に摂取すると有害なニッケルやマグネシウムが多く含まれている。これらの悪条件を乗り越えることができる植物だけが生き残れる。そのために「固有種」が生まれたという。

 蛇紋岩じゃないが、高山植物の女王といわれるコマクサも、風の強い砂礫地という悪条件の中で育つ。他の植物が寄りつけないから生き延びることができたというわけだ。固有種の花を見つけて喜んでいた登山者の裏側に、その花の根を生やした土壌と気候条件があり、生き残りをかけた懸命の働きがあった。そこまで思いが及ぶと、固有種の生育を自然のすべてにおいて見て取ることができる。

 人を見るときに、そこまで私の視線は及んでいるか。とてもとても、といつも思う。

 12/4の朝日新聞「悩みのるつぼ」に人生相談の投書があった。ちょっと長いが、全文を収載します。相談者は「女性 70代」。

《一昨年夏、5年半の闘病の末に他界した夫は、優しく誠実で、ジェンダーの意識も備えた最高の人でした。「気持ちは言葉にしないと伝わらない」が持論で、日本の男性には珍しく、ことある毎に私を褒め、「私の人生で最高の幸せは、あなたと結婚したこと」とまで言ってくれました。/私たちは高校の同学年で、部活も同じでした。それぞれ県外の大学に進んだとき、近くに住んでいることがわかって再会して交際を始め、25歳で結婚。一人娘も家庭を築きました。/義母の介護は私にとって大変でしたが、仕事から帰宅して疲れていた夫も精一杯向き合ってくれました。つらい介護でしたが、夫はとても真摯な姿勢で臨んでくれました。/こんな悩みがぜいたくであることは重々承知しているのですが、余りに言い夫だったが故に亡くなった反動が大きく、日が過ぎたら薄らぐと思いきや、むしろ苦しさが強まります。家中に飾った夫との楽しかった2ショット写真を見ながら、日に何度も泣きながら話しています。娘夫婦は気にかけてときどき来てくれますが、夫への思いはどうしようもありません。気を紛らわせようとジムへ行ったり、勉強や趣味を再開したりしていますが、やっぱり一人になると夫を思って苦しくなり、涙があふれるのです。一体どうしたらいいでしょうか。》

 これを読んで、そうだね、そういう夫婦もあるよねと思って通り過ぎることもできます。こんなに思ってもらえてご亭主は幸せじゃない、と思うのもありでしょう。「いったいどうしたらいいでしょうか」などと言わないで、泣きたいだけ泣けばいいじゃないかと一切放下のように処方箋を繰り出すこともできるでしょう。あるいは、「回答者」の美輪明宏のように「あなたが悲しみに明け暮れて泣き続けるのは、よくありません。毎日、とにかく明るく楽しく生きるように務めて下さい」と励ますのも、悪いとは思いません。

 それはちょうど、至仏山の固有種の花開いているのをみて喜ぶのと同じです。見られる花にもし心があるとすれば、開花冥利に尽きると思うかもしれません。

 だが、善し悪しは抜きにして、この投書者の、涙に明け暮れる振る舞いに、人と人がかかわり合うもっとも源の源泉が宿されている。それが何であるかという問いが、胸中に起ち上がる。それに少しでも近づくことができれば、そこに露頭している蛇紋岩を見つけることができるかもしれない。あるいは、その条件の中で生き延びてきた固有植物がもつ生命戦略の勁さに触れることができるかもしれない。

 そうすることができると、その探求に踏み込むワタシの現在にピリピリと響く共鳴音を感じ取ることができるかもしれない。あるいはさらに、現代という時代が、粗末に扱っている(人と人との関わりに於ける)社会的な何かが浮き彫りになり、コミュニティの構成に意識的な要素を付け加えることができるかもしれない。そう感じたのでした。

 あるいはまた、人の本性に迫る考察の入口になるかもしれない。人と人との関わりに於いて、2年以上経っても涙が止まらない、歩んできた痕跡の「おもい」の花が開く。それほどの花を開かせた蛇紋岩がどのような質を保ち、相互にどのような厳しい条件を湛え、尚且つそれこそが幸いして花開く「おもい」となったのか。それが「涙」であるのは、言葉にならないものを言葉にするとウソになってしまうからだ。

「気持ちは言葉にしないと伝わらない」とは近代知的世界が掲げてきた旗印でもあります。そのとき同時に実は、ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という厳しい限定も生まれていたはずなのですが、機能性が重視される社会システムに気圧されて、いつしか忘れ去られていました。だがここでは、「沈黙」に代わる身の振る舞いとして表現されています。その源は、何だろう。それが私の自問の正体です。

 投書に戻ってみましょう。

 源の泉は、共に過ごした暮らしの長さにあるのでしょうか。同時に、高校の同学年とか同じ部活であったという同時代の同じ文化に身を浸してきたことが、身に刻んだ共通感覚とそれを共有してきた存在という心持ちの安定感なのだろうか。この話を聞いた友人のフミノ君は、「(夫婦の)相性が良かったんだね」と口にした。そうだね。でもここでとどまれば、固有種の花を愛でたのとかわらない。もう一歩踏み込んで、心裡のどこに「涙」の源泉が育まれたのだろうか、そこへ触れたい。

 でもそこに踏み込むのは、当人にしかできない。「優しく誠実で……とまで言ってくれた」という漠然とした記述では、ベターハーフでしたと言うのとかわらない。義母の介護に対して「精一杯向き合ってくれた」夫ということも、じつは、「大変であった介護」を鏡に映すようにして行った自己評価ではなかったか。善し悪しは別としてというのは、胸像の自己評価が悪いということではなく、そのように人は自らを他者に映してみていくしかないからです。ただ私たちに出来るのは、創造力の世界で、この「女性 70代」の心情の奥底に降りたって、わが身と重ねて「涙」の源泉となる「関係」の紡ぎ方を切り分けて取り出してみることではないか。

 そこへ踏み込んでこそ、「女性 70代」の個人的体験が、社会的な人間の考察として甦ってくるように思えるのです。そうか、これが蛇紋岩か。そうか、こんな厳しさにはこのように対応してヒトは生きているのか。そう考えていくことが、何より自分を対象にして世界を解きほぐしていく道程だ。そんな感じがしています。

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