2022年12月30日金曜日

自問自答は生命史への旅

ミヤケ様/ツナシマ様/皆々さま

 お送りしたエッセイ「生きてきた世界の違い」(2022-12-19)にお目通し下さり、ありがとうございます。ミヤケさんには、いずれ、量子力学的な観点から,かかわる部分の見解を教わりたいと思っています。とりあえず、今日は、ツナシマさんの感想に,少しばかり付け加えておきたいことを記します。

(1)《これに対して「ヒトのクセの動態的プロセス」というのは、ヒトをより根源的にとらえ、ヒトを宇宙・自然の中の生命体の一つとして捉えようとするものであるかのように感じました。》

 その通りです。わが身を含めて「人間」のことを「ヒト」と表現するのも、「量子力学的な観点から・・・」とミヤケさんにお願いするのも、わが身が「宇宙・自然の生命体のひとつ」とみているからです。いや、みているだけでなく、「宇宙・生命体」の歩んできた径庭が堆積しているのが、わが身・「ヒト」だと感じています。そのほとんどは無意識ですから、ワタシにとってはほぼブラックボックスです。ですからひとつひとつわが身が受け止めた「感触」の根源を探り、はてそれは何だろうと問うことだと考えてきました。その自問自答を,哲学することだと思っていたこともあります。しかし、「後に掲げるエッセイ」のように、そりゃあ違うよとホンモノの哲学者に軽くいなされてしまいました。ご笑覧下さい。でも門前の小僧であるワタシのテツガク的志向は間違っていないと思っています。

(2)《人のクセのトップに感情がきていますが、感情は生命や本能に近く、生存に必須なものと私は認識しています》

 前述の自問自答のアタマに「感情」がくるのは、ワタシがセカイを感知するのが、それだからです。通常セカイを感知する感官を五官といいます。眼・耳・鼻・舌・身と、感知する箇所で表現したりしますが、それらで感知したことを身体全体でひとつに総合して、外部からの刺激としてセカイを感じています。それをワタシはココロとみています。逆に表現するとココロは世界を感知するセンサーです。仏教では心身一如という言葉を用いますが、五官の感知器官のひとつとされている「身」が「心」とひとつになってココロとして働いていると考えています。それほどに五官の働きは繊細精妙であり、五つに分けて扱えるほど単純ではありません。すべてがつながって外界とワタシを連接させて、「身」として反応しています。それを、「生命や本能」と一括してしまうと、あまりに大きくとらえすぎてしまうために、身の裡の微細な働きに目が届かなくなります。

「知・情・意」というとらえ方で、ヒトのタマシイの作用を取り上げようとするのも、「身」と「心」を分断していると感じます。肉体と精神を分断して、精神こそがヒトを象徴する気高いこととし,逆に(それによって)肉体を,ただの物として貶める考え方を西欧キリスト教世界はしてきました。

 ツナシマさんが「プーチンを理解できるか」と論題を立てていますから,ちょっと逸脱して、ロシアの人々の肉体理解に触れますが、30年ほど前に週刊誌で目にして驚いたことがあります。藤原新也という写真家が撮ったロシア(ソ連?)の屍体工場の写真だったと思います。極寒の地の大きなプレハブ工場の広いスペースに山のように積み上げられた人の死体です。それを解体して(何かの)利用に供するという趣旨のコメントがつけてありました。そのとき私は、ロシア人のこの人間観には付き合えないと強烈に感じました。魂の抜けた肉体はただの物というのが、彼らの自然観だと思ったのです。それ以来、キリスト教世界の自然観には用心してかかろうと思いました。確かに,何でもかでも大雑把に一括してかかるのは間違いの元ですが、この初発の印象は、いまだに拭えません。

 さて話を本題に戻しましょう。

 わが身の裡に、人類史ばかりか生命の歩んできた道筋がことごとく堆積しているという直感は、ワタシの姿勢を正すのに大いに貢献しています。ミヤケさんが宇宙の果ての考察が宇宙の始原を観ることと同じと指摘したことも、同じ感触で受け止めました。つまり、わが身の裡への視線が、世界を受け止めることと等質の重みを持つという充実感です。ワタシが感じていること、ワタシが考えていること、ワタシが想像することは、全人類史ばかりか全生命史の堆積である。その感覚や感性、直感や感情、思索の流れや価値意識も、どこで、なぜ,どう身につけたかと、根拠を問うことがじつは、全生命体の歩みとを問うことと等質だという直感でした。

 こうしてワタシの自問自答の旅がはじまったのは、還暦で仕事をリタイアしてからでした。ハマダさんやミヤケさんと(再び何十年ぶりかで)言葉を交わしはじめたのもその頃でした。それがこのseminarにつながったと思っています。

 とりあえず、ツナシマさんのコメントへの私の感懐を綴りました。でもね、このワタシへの旅が、門前の小僧の戯言かもしれないと指摘されたのが、冒頭にお断りした「後に掲げるエッセイ」です。別送しますので、こちらもご笑覧下さい。

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 皆々さま

 相変わらずコロナは勢い盛んですが、2023年1月22日(日)13:00~16:30 seminar会食を行います。元気でまた、顔を合わせることができますように、お身体に気をつけてお過ごし下さい。

 佳い年をお迎えになりますよう。

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