2022年8月31日水曜日

発酵する隙が無い

 1年前(2021-08-30)の記事「地図を喪失する」を読んで、昨日と一昨日の記事に付け加えたくなった。この両日の記事は、画像メディアが直に感性に作用するために思索が飛んでしまうことを読書と対照させて考えたもの。底堅い思いを口にすることなく保つことが持続的な身のこなしに通じると、時代物の小説を読んで触発された。口にすると(その思いが)虚ろになる、色即是空と見て取ったと、いつもの結論に持っていった。

 だが、1年前の記事では、藤原辰史の「発酵」という観念を媒介にして、超越的な眺めと即物的な感覚とが身の覚えとして一体化すると、「心身一如」の方へもう一歩踏み出している。1年前に一つ足場を得ていたのに、それを忘れて、「いつもの結論」に跳ぶというのは、その思考が身に染み付いたからなのか、思考過程が粗略になったからなのか。いうまでもない、粗略になったのである。

 画像文化の横溢は、百聞は一見にしかずという俚諺を証明するかのように受けとられた。絵画や漫画が写真に代わることによって迫真性が増したが、絵画や漫画がその制作者の目を通したものであることを隠さないために、みる者は「ほんとかいな」と思いつつ受けとる隙間があった。この隙間で、書いた人のデフォルメとか消去されたモノを勘案しながら絵画や漫画を見ていたのだが、その照らし合わせるときにわが身の感性や思索のセカイを覗いていた。この「ほんとかいな」と(認識主体が)みる行為を「たましひ」の振る舞いと考えていたから、写真に撮られるとき「魂が吸い取られる」と人々が恐れたといえようか。「真を写す」ことが「隙間」を失う、つまり(写真を見る)主体が介在する余地を失うと表現していたのだと思った。

 その静止画の写真が動画となり、観ることそのものが急かされるようにもなった。これは、時間が外在化することである。遠方にあるモノが距離を縮めて眼前にLIVEとしてみえる。距離が縮まるのに反して観る瞬間にしかみえない。オモシロイ。録画とかネットで繰り返し観るという、メディアと時間を飼いならす方法も出現しているが、それとても、何回も繰り返し時間をかけて観るようなことはマニアでもなければしないから、市井の庶民にとっては、画像がLIVEで流れている瞬間に受けとる「世界像」が、そのまま直に感性と認識世界に流れ込み、思索の中で「(主体的に)発酵する」ことなく、世界観として(主体の)セカイに定着する。それがワタシなのだ。

 世のメディアの発達は、そのようにして人を変える。人の感性や世界観に作用して、当人が気づくことなく(まさしく主体的に)いつしか変わってしまっていく。だから私は「(わが)こころ」の主人なのかと疑いを持って吟味しないといけなくなってしまう。つまり主体であることは間違いない個体が思っていることさえ、その根拠を確かめつつ受けとる時代の波の中に、私たちは浮かんでいる。

 幸か不幸か、歳をとって私は、TVを観ているのがメンドクサクなった。映画も2時間くらいが適当で、それ以上長いと分けて観るようになる。ドラマもすぐに飽きてしまって、もういいやと途中で投げ出すことが多くなった。身が我慢できないのだね。

 いや実は、本を読んでいても、身の我慢ができなくなっていることを感じる。ちょっと誇大にいえば以前は、読み進めながらわが身の違和感と同時進行のように対話が進み、著者の言わんとすることと文章から受けとる印象とのズレを、考えるともなく思っていた。だから読み終わってメモを取るときに、該当のページをもう一度繰って引用を正確にして措くこともできた。ところが、その同時進行がどんどんズレてできなくなった。立ち止まるしかない。立ち止まって考えているうちに、著者が想定していたであろう展開の子細を書き込んだ大枠がどこかへ行ってしまい、結局読み終わって、2,3日胸中に放り投げておくうちに、なんとなく思っていたことが再びボーッと浮かんで来ることもあれば、それっきりとなって消えていって仕舞うことも多くなった。惚けたのか、それとも自然の劣化なのか。

 歳をとると身の裡に時間が引きずり込まれる。外部の時の流れに身が合わせられず、結局身の動きに応じた過ごし方しかできなくなる。その(外部時間との)ズレが「隙」となって、巧く作用しているのかもしれない。わが身の受けとる感触が、わが身の所為か、時代の潮流が醸しだしているものなのかわからなくなっている。せめて身の裡で発酵するときを持つようにしているのだが、わが身の発酵の時は、いつしかわが身の秋(とき)となって消えていくことになる。

 ま、だからといって何か不都合があるわけでもないから、ほどよく付き合うしかないか。

2022年8月30日火曜日

自分が「こころ」の主人なのか

 昨日のつづき、「人に対する底堅い思いを持っているかと自問し、わが振る舞いの身のこなしに果たして倫理的制約を課しているかに自答する暮らし方」について考える。この自問自答は、いま思い浮かべている「こころ(わが心)」の感触は本当に自分のものかと問うことにつながる。世の中の(なにがしかの)メディアにマインドコントルールされているんじゃないかと自問自答するワケだ。

 旧統一教会批判が高まる日本のメディアに対して韓国の統一協会会員たちが「宗教弾圧だ」と批判するデモを行なっている画像を見ると、マインドコントロールって何だろうと思う。いま誰かに「あなたは誰かにマインドコントロールされているか」と問われたら、そんなことはない、バカにすんじゃないよと応えるに違いない。

 なぜそう言えるんだろう。「こころ」の感じている世界との関係は、わが身の感じる痛みや不快感、心地よさや快感など、五感の感受した(個体的)感覚を「ワタシのセカイ」として総合的に受け止めたものだから、他の人の個体性とはっきりと異なると、身体的自律性を前提にしている。デカルトの哲学的思考の出立点、「我思う故に我あり」と同じように受け止めている。

 だが、そのワタシもセカイも、私が生まれ生育してくる間の環境がわが身に降りたって堆積し形を成したものという「個体的物語り」に変換してみると、「無意識」とフロイトの呼ぶ「混沌の海」が揺蕩っていることを感知できる。それを腑分けして無意識から引きずり出しコレと言葉にすることができれば、それはすでに無意識から意識の世界へ登場したことになる。「こころ」というセンサーは、無意識界と意識界の端境のところで言葉になる前のイメージ界を表象する。目や耳、鼻や舌、皮膚などの諸感官から飛び込んでくる外部世界が、ワタシという個体の身として総合的に感受したセカイとのカンケイ。その言葉にならない思いが「こころ」(わが心)として感じられる。不都合なものは捨象しているかもしれない。あるいは逆に、不都合なものだけで憎悪を募らせているかもしれない。そこは混沌の海に踏み込んで見なければ誰にもわからないことだが、無理矢理言葉にすると、断片となり、嘘っぽくなって身の底から絞り出してきたものとは違ったこととして表に出る。色即是空、空即是色だ。

 このテーマが江戸の物語として提示するのが相応しいのは、時代のメディアが格段に肌身に近いからだ。メディアというのを歩行にとってみると、せいぜい籠か馬、ときに牛だ。手紙というのも、一つひとつ手書きだし、それを読むのもそれなりの修練を積まなければならない。今となってはメンドクサイことが一つひとつわが身を長年練り上げて備えてきた力によっている。それがやっと、読み取る(書き取る)作業として外からやってくる。読むという行為それ自体が、ワタシの無意識界をかき混ぜ(外からの刺激と対照させて)意識界へ引きずり出してくる作業である。恒につねに自らの無意識を意識化する振る舞いとなる。

 わが言葉がわが思い(イメージ)を表現するのに、いつもずれが生じる。深いところの思い(無意識)が浮かび来る思い(イメージ)に似たように重なっているかどうかは(むろんのこと)わからない。だから人を見るのに、言葉よりも振る舞いに、つまり身のこなしに重きを置く作法がうまれた。と同時に、わが無意識もワタシにはとらえられない。だから、わが身をふり返る。言葉だけでなく、振る舞いを対象化して自省することによって、少しずつ無意識と「こころ」のズレからワタシを知り、「こころ」と言葉のズレをみて、「カンケイ」をとらえ返す。

 今の時代を考えると、写真や画像がイメージそのものとしてわが身に降り注いでくる。その一つひとつを「考え」ている暇はない。言葉さえ、音として心地良く響く。誦経のようにその意味がわからないことが余計に音の連なりとして荘厳さを感じさせたりもする。演説などは、何を言っているかというよりも、その響きが決断力を感じさせたり力強さを伝えたりして、それが心地良いと感じさせる。振る舞い同様に人柄というイメージの好感を盛り込んでいたりする。むろん逆様に感じ取ることも、大いにありうる。その画像に恒につねに晒されて、ワタシの感官はつくられ、鍛えられ、磨かれている。だがそれが、本当にワタシのものなのかどうか。ワタシの「こころ」の主人は私なのかといつも吟味しながら言葉にしていかないと、勘違いしてしまう。基本は、ワタシの感性や思念は、これまでに出逢った環境の(つまり世間の)感性や思念の凝集されたものであり、その凝集過程で(これまた出逢って蓄積された、各個体特有の感性・思念回路を通過して)偏りを持った私の固有性をもっている。その根柢にあるエロス性が「底惚れ」であり「底慕う」に当たる底堅さである。そこまで感知する感性や思念が到達しないと、環境の提供する刺激的なイメージに翻弄され、己を見失う。それをマインドコントロールと呼んでいると思えた。とすると現代社会に生きる私たちは基本的に、時代と社会のマインドコントロールを受けている。そこからの離脱をどう果たすかが、yの銃撃事件で浮かび上がっている主題なのではないか。

 それを根柢の無意識界でどうワタシがみているかは、引き出すように取り出してみなければわからないし、取りだした感触やイメージが無意識をそのまま反映しているかそうでないかも、また、わからない。それを無理矢理言葉にすると、あっコレちょっと違うなあと思うことはよくあること。だから、私自身がワタシの(無意識界の)ことをわかっていないと思うことは、しばしばだ。だから口にしないで(人への、あるいはコトへの)底堅い思いを探り当て、保ち続けることが、無意識につながる率直な「こころざし」を持続するエネルギーの源となる。それが「底惚れ」「底慕う」なのだと感じたわけであった。

 つまり、ワタシはわが心の主人なのかという疑問を抱いていて、ワタシの主体性を保ち続けようとする生涯続く営み。それが生きるということなのだと思っている。 

2022年8月29日月曜日

底惚れか底慕うか

 元首相aを銃撃したyが、なぜ母親に恨み辛みをぶつけようとしないのか、あるいは、ぶつける言葉を発しないのか、ずうっと疑問であった。今でも疑問ではあるが、ひとつ思い当たる心根を描いた小説なのかなと思い当たった。青山文平『底惚れ』(徳間書店、2021年)。最近、中公文学賞を受賞したというニュースで思い出した。

 惚れた腫れたを口にできない世の人の出逢いは、江戸ものの作品にはつきものだが、想う人と思いを受けとる人の(立ち位置による)すれ違いが生み出すデキゴトが、これまた悲劇的な命運へ向かってしまうってことも、ままあったことと読むものの心持ちには響くから、その綱渡りを見るように頁を繰る。そして、心底に残る爽やかさの感触は何であろうかと、作品から離れて、わが心裡へと視線は移っていく。

 主人公のわが身の感触にしかわからない底惚れが心を打つのは、その思いがそれとして伝えられないこと。あるいは、酒乱の夫から逃れた女房にとっては妻仇討ち(めがたきうち)と思われる出逢いが、じつは酔いからとっくに冷めて申し訳なかったと酒立ちをしている亭主とわからないという悲哀。読者はいわば神の目を持ってそれを見ているから、そうだよなあ、当事者にはそういう成り行きはわからないもんだよなあと余計切なくなる。

 それを見ている視点をもっと退いて眺めてみると、底惚れと人の振る舞いの関わりにいくつかのポイントがあるように思う。

(1)持続的な人の振る舞いには、底惚れに近い(人に対する)固い思いが重しのように必要なのかもしれない。

(2)それは本人も気づかない無意識界に起因し、倫理的と言っても良いようなある種の制約を振る舞いに課す。

(3)言葉にしないことによって、いっそう上記の倫理性が(神の視線で見ている観察者には)異彩を放つ。そうか、求めて求められない、不可能性の上の探求が持つ人の営みの神々しさか。色即是空、空即是色だ。

(4)ひょとすると、満たされては空無。まさしく「関係的実存」は、このようなものかもしれない。

 こうやってふり返ってみると、yの母親に対する思いが「底惚れ」という言葉では似つかわしくないが、「底慕う」というのに似たような無意識だったかもしれないと腑に落ちる。その切なさが市井の庶民には感じ取れるから、yに対する非難がタテマエ的には発せられるが表だって現れない。非難はもっぱら旧統一教会とそれに結託とか元首相aとかそのご一統の政治家たちは、(関係的実存の)人の切なさという無意してきた政治家たちに向かっている。言葉にするかどうかの端境から見ると、旧統一教会識界に感官のセンサーが届いていない。もっと表層の、欲望を手に入れる、欲求を満たす、願望を叶えるという充足リアル界に身を置き、意識を据え、関係の実存が底堅く保たれる気高さを感じ取る感覚を持ち合わせていない。これが現在日本の統治者のスタンダードである。彼らはわが身をふり返らない。自らの振る舞いを照らす鏡がマス・メディアや文春砲という暴露告発メディアにしかないから、その場凌ぎの歯止めしか目に入らない。言を左右にし、ブログを見てくれとごまかし、綻びた部分の繕いで精一杯の政治活動に勤しんでいる。

 関係的実存に暮らす私たち市井の民は、彼らを反面教師として、時代の(情報化社会という)流れに乗らなくても、人の対する底堅い思いを持っているかと自問し、わが振る舞いの身のこなしに果たして倫理的制約を課しているかに自答する暮らし方をしなくてはなるまい。

 お前さんはどうよ、と私も自問する。自答しようとして、おっと、あぶない、あぶない。言葉にしてしまうとするりと気高さが空無へと抜けていってしまいそうだ。ははは。

2022年8月28日日曜日

学校現場が腐るワケ

 今日(8/28)の朝日新聞にお笑い芸人がお世話になった小学校の教師との人情話が記事になっている。ふ~んと読んでいて、この教師のことを1年前に書いたことを思い出した。

 大阪市立小学校の校長だった彼が大阪市長に現場の苦衷を書き送った所、「訓告処分」を受けたというのが、昨年8月の記事。私は足尾鉱毒事件を天皇に直訴した田中正造を思い出し、「昔と変わらぬ風景」と題して、松井大阪市長の振る舞いを揶揄った。それくらい大時代的な現場教師に対する接遇の仕方であった。

 松井市長にすれば、現場の校長如きが市教育委員会の施策方針について「意見をする」など不届きなことと考えているのであろう。だが。こういう現場の声に耳を傾けず、現場教師を上意下達の命令系統で差配することで学校のモンダイが解決できると考える「強権主義的な統治手法」が、すっかり学校を変えてしまい、学校現場をブラック企業化していると批判を受けている(喜入克『教師の仕事がブラック化する本当の理由』草思社、2021年)。文科省が、例えば職員会議は決定機関ではない伝達機関だと方針を提示して、各都道府県教委に通達したのが、20年ほど前であったか。私はその直後に退職したからその後の変化は目撃していないが、そうした教師に対する管理方針が、現場教師の有り様をすっかり変えてしまい、教師たちを腐らせていったと、ときどき耳に挟んできた。

 松井大阪市長といえば日本維新の会の代表。この政党自身がかつては、既得権益をぶっ壊して大阪府市政を立て直すと旗印を掲げて登場したものであったが、それがどうしてこんな為体になったのか。

 いや、もともと橋下徹市長・知事の統治センスが上意下達タイプであった。意に沿わぬ(大阪都構想に関する批判的な)データを提示した国立大学教師を大学から排除しろと大学総長に迫るような強権むちゃぶりだったことを思い出す。私たち庶民からすると、既得権益者たちも維新の会も、どっちもどっち、強権主義者の権力争いにしか過ぎなかったってことだ。それをつい「既得権益」の破壊者と誤解しただけのことであったか。あるいは、それまでの為政者の身勝手に対する憤懣を、たまたまぶちまけるような気分を、勢いのいい維新の会に仮託しただけであったか。

 1年前の、当の校長がどうしているか気にならないでもなかったから、今日の記事は、無事退職して静かに暮らしているんだなと近況を手にした気分であった。朝日新聞も、この教師の振る舞いの肩を持って、大阪市のやり方を批判したいのであろう。わかる、わかる。そうしたい気分はわかる。だがそれは、こんな人情話からはじめることなのだろうか。江戸の敵を長崎でっていうような感じがするのだが、どうだろう。

2022年8月27日土曜日

言葉と人柄と信頼

 1年前(2021-08-26)の記事、「法的言語と生活言語の齟齬の現在」を読んで、旧統一教会と自民党政治家との関係について、一つ考えることがあった。

 いま旧統一教会が非道い団体であると思われているのは、生活言語世界からの見立てである。銃撃犯yの母親について語る(統一教会に対する)恨み辛みは、聞くだに同情を誘う。自民党の政治家が言を左右にして困惑しているのは、旧統一教会の何が違法なの? と法的言語で語るのと、選挙のときに支援してくれる人を(所属団体などを吟味して)誰何することはできないというのは、生活言語である。

 言を左右にしていると思われるのは、彼らが法的言語と生活言語の都合のいい部分を適宜使って自己防衛をしているからだ。彼ら政治家が法的言語に通じているのは、庶民から見ると当たり前だが、法に反しなければ何をやっても構わないというのは、ヤクザの台詞だ。法的な枠組み以外に社会的な規範があり、それをやっちゃあお終いよという限度が、法的な限界の内側にある。庶民の生活言語は、その曖昧模糊としてはいるが、しかしきちんと了解している規範に基づいている。近頃、同調圧力といって人々の言動に規範がないかのように考える人たちがいるが、それは頭でっかちの知意識人の考え方だ。庶民は、別に同調圧力というのではなく、そりゃあ常識だよと思っている。

 旧統一教会と「今後一切の関係を断つ」などと政治家が口にしても、ほんとかなと信じられないのは、その言葉の軽さ、身勝手さが、身の振る舞いから透けてみえるからだ。じゃあどうすりゃいいの? と当の政治家は思うかもしれない。法的言語と生活言語の使い分けを自分がどうやっているのかを、自分に問い、一つひとつ吟味しながら自答して行くしか、道はない。

 ほんの少し遡ってみてみると、安倍=菅=二階時代の自民党は、上記ご都合主義言語満載の展示場であった。言葉が信用できない。この人たちにとって言葉は、自分の意思を表現するものですらない。彼ら自身が自分の言葉に信を置いていない。その人たちの仕切る政府が選挙を通じて多数の支持を得てきたから、今の社会に於ける多数の庶民の言葉も、そういう頼りなさというか、虚ろな響きを当たり前としているのかもしれない。そう言えば『言語が消滅する前に――「人間らしさ」をいかに取り戻すか?』(幻冬舎、2021年)という哲学者の対談を収録した本があった。これも、私と同じように、虚ろな言葉の蔓延が世の中を覆ってしまう感触をとりあげていた。

 政治世界の言語ってそういう(虚ろな)ものさと見極めるのと、自分もそういう政治家の列に並んでいていいのだというのとは、違う。人の思いと言葉とが齟齬することは、市井の民は長年の(わが身の)経験で十分感じて知っている。だが、言葉と振る舞いとで「関係を紡ぐ」とき、虚ろでいいのだと思って言葉を発していると、そういう浅い付き合いが身の回りに蔓延り、身がそれに馴染んでしまう。それは心の習慣となり、そういう人柄をつくる。人柄とは、その人の紡ぎ出す「カンケイ」の醸し出している雰囲気であり、つまりご当人にはわからないが、周りの人々の「反応」を鏡にして感じられることだと言える。

 言葉は、どんな場面で誰から誰に向けてどのように発せられるかによって、意味合いもニュアンスも伝えようとする内容も異なってくる。だから政治家といえども、法的言語の一面しか持ち合わせていないわけではないし、私的場面でも虚ろな言葉を発し続けているわけではない。だが、政治家が政治家として繰り出す言葉は、公人としての人柄を全面的に体現する。今の情報化時代といわれるご時世、私人としての政治家の有り様というのはほとんど認められていないから、全身政治家として振る舞わないといつ文春砲に撃たれるかわからない。

 これはいつも意識的に「政治家」であることを求められるのだが、今の政治家たちの振る舞いと言葉を見ていると、とても尊敬に値するようにみえない。「言葉が消滅する前に」だけでなく、「振る舞いが目も当てられなくなる前に」も、言い及ばなくてはならない。それも、トランプさんやプーチンさんなどを見ていると、国内政治だけでなく、国際的な政治場面でも同じようなことが横行していると言えそうだ。

 とは言え、断片しか知らないが、メルケルという方もいた。語り口それ自体が尊敬と信頼を醸し出す。あるいはフィンランドの37歳の首相のように「私も人間です」と涙しながら「息抜きもしたい。(人生を)楽しみたい」と訴える言葉を聞くとき、私たちは、私たちができる以上のことをしてくれと要求しているのかと、自らの言葉をふり返ってみる。それはそれで尊敬とは異なるが(人として同じ現実を生きている)誠実さに信頼を置くことのできる響きがある。

 今の日本の政治家たちに、そのような人柄にかかわる尊敬や信頼を感じることができるだろうか。日本のシンクタンクといわれてきた官僚組織に(政治家はだらしないが官僚組織がしっかりしているから日本は大丈夫だという)かつての「信頼感」は抱けるだろうか。言葉よりも、立ち居振る舞いに於いて(つまり身体性において)評価する(日本の)「人を見る目」が是非とも復活してほしい。

2022年8月26日金曜日

姿形が起ち上がる

 いま大学は夏休み。東京に用のある孫が芦屋からやってきて、何泊かしてゆく。買い物とか友達に会うとかいって毎日出かけてゆく。友人の一人は「ガールフレンドや」という。口の堅い爺婆と思っているのか、意に介していないからなのか、ポロリポロリといろんなことを喋る。素直に育ったんだなあと感心する。

 首都圏の国立大の3回生、ちょっと耳にしたことのない学群で現実に生じた地球規模の問題をどう解決するかを研究しているそうだ。温暖化などに取り組んでいるのか。理系か文系かという昭和の分類アタマにはイメージが湧かない。母親は日本人の台湾国籍だから目下留学しているというワケ。「俺もな、第二外国語に中国語を選らんでんけどな、発音がめっちゃめんどくさいわ」と面白そうに話す。愉しくて仕方ないようだ。

 こうしたかっこうで人を知ると、その人の姿形が具体的に起ち上がる。私はオードリー・タンを思い起こした。「オードリー・タン」で検索すると、最初の記事は2021-2-23「オープン・ガバメントという希望」でアイリス・チュウ、鄭仲嵐『Au オードリー・タン――天才IT相7つの顔』(文藝春秋、2020年)を読んだ感想を記している。その後折ある毎にオードリー・タンに触れて民主主義の新しい展開に「希望」を寄せている。それともうひとつ、SDGsに関してオードリー・タンの振る舞いを参照している。2022-6-6の「天安門33回忌」まで、十本の記事を書いている。400字詰め原稿用紙にするとおおよそ65枚ほどの分量になる。それを編集してA4版8頁に収め、次のような「まえおき」をしてプリントアウトした。文字通り、次の世代に受け渡す思いがしている。

《あなたから台湾出身の友人がいると聞いて思い出したのは、オードリー・タン。30歳代の台湾の閣僚として名が知られたが、彼の生い立ちを紹介する本を読んで、台湾の民主主義が変わりはじめていると感じた。彼の提唱・実践するオープン・ガバメントは、日本の民主主義に絶望しかけていた私に希望を抱かせるものになった。あらためて日本の民主主義を作り直そうとする意欲が湧いてきたのだった。だが、いうまでもなく私は間もなく80歳。自分の代で立て直した姿を拝めるとは思っていない。希望は、後に続く世代に受けとってもらいたい。あなたの友人にとっては、サバイバルゲームがゲームでなくなっているにちがいないが、私にとってもいまの台湾が大陸に吸収されてしまうことは、希望が消えてしまうに等しい。市井の老人としては祈るしか方途はないが、ぜひともオードリー・タンの試みが絶えることなく続いてほしいと願っている。

 ここでは、私のブログ記事を「オードリー・タン」で検索して拾ったものをまとめてみた。ご笑覧下さい。》

 孫は「ありがとう、後で読んでみるわ」と受けとって、北海道から来る友人と会うために出かけていった。強い枷が一つ外れたような身軽さであった。 

2022年8月25日木曜日

皮肉な見方が的を射ている

 このところの旧統一協会に関係する報道は、果たして政権と与党を揺さぶっているのであろうか。それとも、メディアの自己陶酔なのだろうかと傍観してきた。関係する政治家は、なぜかかわっていたのが悪いのか自分の口からはほとんど述べていない。友好団体の名を冠したいろいろな事業が行われていて、それに政治家が宣伝に利用されているとは言うが、そこは持ちつ持たれつ、何が悪いと居直ればいいのに、知らなかった、わからなかった、今後は関係を見直すと言葉を曖昧にする。

 余計に旧統一教会の悪いことは社会的な一致点とみなされて、事態を巡る社会的な風の流れは変わらない。とどのつまり市民社会の自由な団体の活動と、旧統一教会と友好団体の社会的な市民活動の衣を着た活動の見分けもつかず、批判気分だけが盛り上がって固着しそうである。

 どうして、そうなるのと(私は)思う。思い当たるのは、元首相a銃撃犯yの犯行動機が旧統一教会(への恨み)に発しているという事実。その事実過程に於ける母親の莫大な献金、それによる子どもたちへの皺寄せ・窮乏、恨みを晴らすという(わかりやすい)動機の形成から、a銃撃が的外れかどうかにお構いなしに、旧統一教会(とその友好団体)がワルイと衆議が一決したかのようである。

 市民大衆が、そう受け止めるのは私も理解する。わからない事実がいくつもあるが、それはさておいても、子どもの窮乏を放っておいてまで母親に多額の献金をさせた旧統一教会(とその友好団体)が、今回事件の原因の一角をなしていると私も思う。また、aが狙撃されたワケも、あながち見当違いではなかったとも思っている。だが、どうしてそれ以上の事件理由の解析に踏み込めないのであろうか。

 そんなことを考えるともなく思っていたら、オンラインの「現代ビジネス」に《JFKの甥がはじめて明かす…安倍元首相銃撃事件がケネディ一族に与えた「衝撃」 特攻隊員を取材して気づいたこと》という「週刊現代 2022/08/25」の記事が紹介されていて、直感的な「誤解」が的を射ていると感じた。

《私たちケネディ一族には、現在の日本人が先の大戦に対して責任がある、と思っている人はいません。少なくとも私自身は、そういう思いを抱いたことは一度もありません。》

 と、ロバート・ケネディの息子である作家・マクスウェル・ケネディは話している。

《戦争は常に、愚かしい判断をするリーダーによってもたらされると思っています》

 と前置きをして、この作家は叔父の戦跡を訊ね、

《その地で、日米双方の若者たちがマラリアや飢餓を耐えしのびながら戦った日々を想像しつつ夜空を眺めたことは、忘れられない思い出です》

 と敵-味方関係を棚上げして感懐を語り、『特攻/空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』を代表作にまとめ上げる。

 その作家が、今回のa銃撃事件に触れ、

《テロリストや旧統一教会のようなカルトと、特攻隊というものにひとつだけ共通点があるとすると、それは組織の指導者が、人の気持ちや弱みにつけ込んで結果的に若者たちを死に追いやった、ということです。これは絶対に許せることではありません》

 と述べている。先の事件に関して、その事件の主原因は旧統一教会にあると受け止める私たち市民大衆の「直感」と同じ感覚じゃないかと思った。これではまるで、旧統一教会が銃撃犯となりaを殺害させたかのような「事態理解」である。つまり、殺害を実行した犯人の犯行動機を形づくったことこそが主原因だと視線が向いている。

 その探索が、宗教と政治活動へと一般化されて論題とされるのを、他の宗教団体や政党、例えば創価学会や公明党は懸命に避けようとしている。あるいは、市民団体や運動が、宗教団体や政治党派の隠れ蓑になって行われていることについては、どの政党もピリピリと対応している気配を感じる。マス・メディアのコメンテータも、その点には微妙なニュアンスで言葉を紡いでいるようにみえる。

 でも、ひょっとして、このような受け取り方の方が真っ当なのかもしれないと、ちょっとした驚きとともに反芻している。皮肉な見方が的を射ている。社会の多様性というのは、隠れ蓑であれ、市民運動内部の主導権争いであれ、いつの時代も変わらず続いているのであろう闇の政治闘争を、覆い隠す作用をする。そうした些末なあれやこれやを捨象して、バッサリと現象から本質へ直感的に到達する社会的気風の鋭さが、あるのだろうか。とたらそれは、世論調査に現れても選挙結果には表れないのだろうか。

 旧統一教会と自民党との接触がこれほどに広く深い。しかもその中心的存在であったaが銃撃殺害されたというのが、皮肉にも事件の解明とともにいっそう進展してしまう。しかも世間は、銃撃犯のyへの非難を棚上げしたかのように口にしない。何とも皮肉な反応に、いくぶん私の焦点が合わないで、ぼやけっぱなしである。

2022年8月24日水曜日

seminarの講師という近況報告

 先日seminarの折に「百歳の風景を見てみたい」と言った方がいて、「ミコちゃんすごい」と賞賛を浴びた。そのミコちゃんから昨日(8/22)電話をもらって、困っています。

 11月seminarの講師はミコちゃん。高校卒業後はずうっと東京暮らしなのに、今でも岡山弁がぬけない。seminarのお題は「80歳のわたしの風景」とすでに皆さんにお知らせした。私はぜひ、話が聞きたい。

 それを知ったご亭主のマンちゃんが、一言いった。

「あんたがseminar講師をやって喋るとな、ワシのことも喋らんではおれんじゃろう。そしたらわしぁ皆に合わす顔がのうなる。わしぁ、もうseminarに出んからな」

 止めろ、とはいわない。それを受けてミコちゃんは、

「講師をやめることにしました。そりゃあやってもいいんじゃけど、うちの人が世間と触れる場ってseminarしかないけんな。取り上げたらほんとに独りぼっちになってしまうじゃろう。そりゃあ可哀想だしなあ」

 これには困った。何しろ、二人は「同窓生の行き交う十字路」の主だ。このご亭主マンちゃんはseminarの言い出しっぺ。この方に万一何かあるときはそこがseminar終了の日、とさえ私は皆さんに常々いってある。そういう人だ。

 とりあえず、手紙を書くことにした。でも、どう書けばいいだろう。

 まず、「seminarのご報告」をメールで送ってはあるが、マンちゃんは目が悪くなってパソコンの画面をは見なくなった。まずそれをプリントアウトして、本文を書きはじめる。

                                      *

 さて、マンちゃん。ミコちゃん。

 上記記事で「元気高齢者」というのは、遠方より新橋まで足を運んでくることができる意欲と身体条件を持っているというほどの意味。似たような公的用語に「健康寿命」というのがあります。


《健康寿命の定義としては「健康上のトラブルによって、日常生活が制限されずに暮らせる期間」となります。日常生活が制限されない、とはつまり「介護状態にならないこと」「自分の身の回りのことを自分ですること」といった意味合いです》


 日本のそれは(2021年だと)「男性72.6歳、女性75.5歳」。すでに私たちは健康寿命を過ぎていますが、新橋まで足を運べるというのは、「介護が必要な常態」ではないでしょうから、「元気高齢者」と呼ばわってもいいすぎってことにはならないでしょう。

 強がっているわけではありません。高血圧、コレステロール、尿酸値を下げる薬を私は毎日飲んでいます。杖をついている人もいます。糖尿病と腰痛とを抱えて電車に乗るのも一苦労という人もいます。

 今朝のミコちゃんからseminar講師辞退のの電話を受けました。ご夫婦の齟齬に立ち入るつもりは全くありませんが、seminarを実務的に担ってきた者として、参ったなあと思っています。

 一つは、ミコちゃんの講師をやってやろうという気概。今月のseminar次第にも記しましたが、コロナ禍もあってから、seminarは勉強会ではなく、近況報告会に様子を変えてきています。二月に1回、「元気だよ」と姿を見せ、言葉を交わす。それがseminarです。

 今月のseminar講師を務めたタツコさんがメールの返信で次のように書いています。

《セミナーで発表する機会をいただいて、これまでの海外旅行を振り返ることができました。この機会がなければ旅行写真を死ぬまで見ることはなかっただろうと思っています。プレゼンを作っているうちに、あれもこれもと膨らんでいき、ボリュームが増えてしまった次第です。/次々回のミコちゃんの発表に繋がったのなら、嬉しい限りです。》

 seminarを運営する者としてふり返ると、大きく三期にわたって変化してきています。まず(マンちゃんが言葉にしたこともあって)古稀の言葉を交わす場として「36会seminar」がはじまり、何とか75歳までという当初の目的を達成しました。それ以降を「36会第二期seminar」として運営してきましたが、コロナ禍もあって、現地岡山での同窓会も中止となり、seminarも感染の拡大に抑えられて開けなくなりました。その間に私たちは馬齢を重ね、いよいよ80歳に突入です。

 マンちゃんが70歳の時に杜甫の詩を引用して「古来稀なり」を解析していました。では80歳はどう謂うのだろうと調べましたが、古典にはありません。つまり、古稀以降は、「古無」(=古来無し也)なのですね。だから(今の時代)古稀以降は、喜寿とか傘寿とか米寿、白寿というふうに表意文字をもじって表現してきたのだと私は思っています。

 もっと言葉を換えて謂えば、彼岸に渡る三途の渡しを「心身一如」「梵我一如」となって歩んでいくのが古稀以降の人の有り様、それを具現するのがseminarだと思っています。「心身一如」「梵我一如」というのは、来し方行く末の人や世界との関わりを時空間をわが身に一緒にして、ここまで生きてきた幸運を言祝ぎ、人と世界に(神や仏に)感謝しつつ、人生を全うすることだと思っています。

 そのseminarでミコちゃんが「百歳の風景を見てみたい」と意欲を示したことは、私にとっては何にも代えがたい歓びでした。そうだ、これがあるから私はseminarを取り仕切っていたのだ、と。

 それに対してマンちゃんが横槍を入れ、その意を汲んでキミコさんが講師を取りやめると言ったことは、『うちらぁの人生 わいらぁの時代』からしても、捨て置けないと感じました。「合わせる顔がない」というほど、マンちゃんは(36会に於いて)装いを新たにしていましたか?

 まず理屈を言います。

(1)私たち戦中生まれ戦後育ちは「日本国憲法」の理念に導かれるようにして育ってきました。子細に立ち入れば議論はありますが、現実社会が男女平等ではなく、ことに家制度の考え方のもとに長く身に染みこんできた長子相続的な、父権主義的なセンスが、女性たちをも自縛してきたと思っています。家のカミサンもそうですし、ミコちゃんもそうです。皆さん、家制度とか男社会とかという意識を抜きにして、女房たる者、母たる者、女たる者、これくらいのことはしなくてはならないと歯を食いしばって、男社会の世話をし、家事育児の面倒をみ、亭主を、子どもを、家を、社会を支えてきました。この状況を解消するのは、実は私たち男の役割でもあると私は考えてきました。

(2)古稀のseminarは、それを解き放つ試みでもありました。だから私は、ミコちゃんの「仏道修行の話し」やヤチヨさんの「戦後の女一代記」は、(男社会の縛りから女たちが)緩やかに解きほぐされてくる歩みを語っていると受け止めていました。でも、まだヤチヨさんは周囲を慮って、seminarの模様を本にして公開することを了解してくれませんでした。まだ途上にあるということだと受け止めています。今回のミコちゃんの「百歳の風景」宣言は、まさしくその第一歩を記すものと私は考えました。

(3)つまりマンちゃんには、このseminarに託した私の期待を、潰さないでほしいと願っています。これは、マンちゃん自身が意識しているかどうかはわかりませんが、それなりの男社会をそこそこ満喫して生きてきた私たちの、最後の闘いでもあるのです。誰との闘い? と思うかもしれません。言うまでもありません。自分との闘いです。

 さて、理屈はこの辺で止めておきましょう。

 このseminarが、コロナウィルスの感染拡大に押されて、果たして何処まで続けられるか、わかりません。あの三宅健作さんが、家で転んで擦り傷というだけで気が萎えて、seminarに欠席するようになってしまいました。いつまで身が保つか、重ねる毎回が、本当にkeiさんのいうとおり「一期一会」です。

 seminar終了後に女性陣がおしゃべりに興じているのをみていて、seminarはできるところまで続けようという思いが、湧き起こってきました。

 男たちは、さっさと帰ってしまってつまらないですね。でもそれが、私たち世代の男の歩き方だったのですから、致し方ありません。あなたはお酒も飲めなくなってしまったし、耳が遠くなっておおきな場所での会合に参加するのが、なかなか難しいですね。

 いずれ、あなたの家で、数人が集まってseminarをやるというのもオモシロイかもと思っています。

 ぜひ、ミコちゃんの11月seminarの講師が実現するようお考え直しくださるようお願いします。   ****拝

2022年8月23日火曜日

使用目的が違うよ

 昨日(8/22)、手術後に糸を抜いてから一月の検診。

 左手は、全般的には良くなっている感触がある。指の動きは良くなったし、手の平を使って物を摑んでもさほど力を入れなければ、痛みは走らない。だが、部分的には良くなっているのかどうかわからない。指3本の痺れは相変わらず。小指の腫れと痛みと伸びのなさは、手術前と変わりがないように思われる。

 医師は指の一本一本を曲げたり伸ばしたりして一月前と比べているのであろうか。

「夜、ギブスはして寝ている?」

 と聞く。

「いえ、一週間くらいで寝ていても痛むようなことがなかったので、今はすっかり外しています」

 と応える。と、医師は驚いた顔をして、

「これはね、小指をしっかり伸ばすようにするためのギブスだから、して下さい。そうしないと、小指が曲がったままになってしまいます」

 と、叱るような口ぶりになる。

 ええっ? そうならそうと言ってくれれば良いのに。私は寝ているときに指を痛めてしまわないようにする防護用のギブスだと思っていた。だから寝返りを打っても手の平が痛むほどのことがなくなった頃から、寝る前の固定をしなくなったのだ。テーブルに置いたギブスをカミサンは(用がないなら)捨てようかと、私に聞いたこともあった。いや、捨てないで良かった。

 夜、寝る前に左手にギブスを塡め、包帯でぐるぐると巻いてもらった。すると、それまで痛まなかった小指がピリピリと痛みの信号を送ってくる。これは、なんだ? ギブスを外していたために心地良く曲がっていた小指が、伸びるように矯正されたために生じた痛みなのか。しばらく、その痛みを感じて、寝入ることができなかった。なるほど、モノというのは、その使用目的を勘違いして使うと、却って事態を悪くしてしまうことがあるのだと、一つ知った。

 この医師を責めるつもりはない。聞かなかった私が悪いと言えば、わるかったのだ。これに限らず、余りあれこれモノを聞くのはワルイと思っている。わからないことはもちろん訊ねる。だが、一知半解のことかどうかもわからないような、身に染みこんだ了解事項は訊ねるようにしないから、こうした粗相が起こってしまう。この医師は、痛み止めを飲んでいるかどうか、便秘気味は治まっているかと口にして、薬を出してくれたから、テキトーにやっているのではない。ワタシとの頃合いが測れなかっただけだと感じた。

 痺れはこの先3ヶ月ほどは続くようだ。指の曲げ/伸ばしは、一日3回、各5分ほどやってくださいといい、しかしそれだけでは心許ないと思ったのであろう、リハビリを行うことになった。予約を取る。応対のリハビリ担当職員は、今週の前半3日間のいつでもいいですよと、日時を指定するよう促す。直ぐにでもと私は、翌日に予約した。帰るときの自転車のハンドルを握る左手の痛みが酷く、強く握れなくなっていることに気づいた。

 気は心なのか、気がすぐさま身に反映する習慣が染み付いてしまったのか。ゆっくりとペダルを漕いで、家へ向かった。空一杯の雲が日差しを遮って、急がなくていいよと年寄りを労っているようであった。

2022年8月22日月曜日

エコロジカルでピュアな希望の源

 森田真生『僕たちはどう生きるか――言葉と思考のエコロジカルな転回』(集英社、2021年)を読む。コロナウィルスがはじまった頃からほぼ1年間の、独立(数学)研究者・森田真生の暮らしの日誌。文芸誌『すばる』に連載されたものが本になった。

 京都に拠点を構え、2人の子どもを育てながら、子どもの言葉、振る舞いをみつめ、日々の変化を面白く受けとる。コロナで保育園が休園したり、オンラインのかかわりが入り込む。庭に「もりたのーえん」をつくり、土をつくり、植物を育てる。その方法を知人に教わり、そこに集まってくる虫の変容を子どもと共に観察し、驚きを記し、それまでの自分の知らなかった世界が開かれてゆくことに感嘆の言葉を紡ぐ。それにかかわる本の言葉を拾って転回のバネにする。まことにピュアな思考を辿っている。文体自体が、エコロジカルという感触を醸している。

《エコロジカルな自覚とは、おびただしく多様な時間と空間の尺度があることに目覚めることである》

 という言葉が、バクテリアやミトコンドリアの単位から眺める視線が、セミやカブトムシ、チョウの幼生や変態の移り変わりの観察と重なって、私たちの日常の思考を見つめ直すモメントを構成していく。

《環境破壊/その最たる原因は/農業である》

 という言葉に出逢う。それを「もりたのーえん」の現実においてほぐし、野菜と草の特性と土の関係の考察へ視線を向け、さらにそれと昆虫種(害虫)の大量発生と(関係)へ転回する。つまり「おびただしく多様な時間と空間の尺度を」を往き来する言葉の飛翔が、ピュアに、つまりわだかまりなく転がっていく。これ自体がエコロジーであると静かに声にしているように行間に感じる。数学者って、こういうセンスを身体的ベースとして持っているんだ。この身に染み付いた感性があってこそ、夾雑物にまみれたこの世のコトゴトを数値化して取り出して本質的に提示する技法をものすることができるのだろう。

 でも著者は決して、モノゴトの純粋な形に目をやって、夾雑物をみていないのではない。

《(人との会話の中で)現代の「不気味さ」について語る。……サルトルの『嘔吐に』……本来隠されていたはずの「存在」そのものが露出する不気味さ。……コレまで常識とされてきた物の見方が崩れていくなか、不気味さに蓋をするのではなく、不気味さを直視していくこと。目眩と酔いの先にこそ、まだみぬ風景が開ける》

 と、夾雑物にまみれることを厭わない姿勢を感知しながら、

《……ところがいまや、人間活動を支える環境は決して所与でないことが明らかになってきている。……あらためて自分たちが住む「家」を営んでいくための「思想」、……既存の枠組みが崩れていく酔いと目眩の経験の先に、新たな自己像を描き出していくのだ》

 と、わが身と離れずに言葉を紡ぐ心持ちを記している。

 たとえば、腐葉土を(子どもと共に)その道の専門家に教わって、つくる。そして、こう言う。

《木枠のなかで密接した落ち葉は、何度も踏みつけられて密集していく。これにバケツで繰り返し水をかけ、最後にビニール・シートをかぶせて密閉しておく。「密」な環境が微生物たちの活動を刺激していく》

 コロナの感染拡大を抑える「3密」の作法が、天然世界の作法に反していると感知して、こう続ける。

《生物が密集すれば、様々な感染が起こる。細菌やウィルスに感染することもあれば、アイディアや思想に感染することもある。不安や恐怖が伝播することもあれば、あたたかな感謝の気持ちや生きる喜びが伝染していくこともある》

 と、愉しそうに受け止める。

 著者の周囲を行き交う人たちの(国の内外を問わない)言葉を聞いていると、類は友を呼ぶという言葉が浮かんでくる。みごとに優れた人たちがごくごく自然に集うべくして集っていく。著者が持っている固有の雰囲気が、他の人たちに伝染してでもいるかのように、似た者同士が引き合い、言葉がスパークしてさらに(やわらかい言葉を生み出して)スパークするように転回していく。ティモシー・モートンの詩を引用して著者の思いを広げていく記述は、ピュアな知的世界が自然と渾然一体となって開けていく景観をみているようである。

 37歳の若い人が、このように世界をとらえて歩いていると知るのは、悲嘆することばかりじゃないと老い先短い年寄りにも希望を抱かせる。

2022年8月21日日曜日

定点観測点の元気高齢者

 昨日は5ヶ月ぶりのseminar。賑やかな新橋の会場に集まり、3時間半を過ごした。

 講師はタツコさん、お題は「建築を楽しもう、国際編」。2000年から2019年まで足掛け20年間に訪れた世界各国の建築を紹介していく、ま、諸国漫遊記・建築編ってワケ。

 でもこの講師、前回の「建築を楽しもう、国内編」もそうであったが、用意した写真とお話しをするのに時間いっぱいいっぱいを使って足りなかった。それもあって、今回のはじめの方で「あの~、その国の建築は~」と一人が質問をしはじめたところ、「あのね、時間が足りないくらいなの。質問しないで」と制されて、2時間を皆さん、黙って拝聴することになった。

 アメリカ、メキシコからベトナム、カンボジアの東南アジア、インド、ルーマニア、ブルガリア、イタリア、スペイン、フランスなどのヨーロッパ、北欧四カ国からチェコ、ハンガリーを経巡り、エストニアなどのバルト3国にまで脚を伸ばす。建築仲間との旅であったり、ご亭主との旅であったりしたようだが、観る物の多さを駆け足で巡るようになって、過ごした60代70代の元気の良さに感心して聞いていた。裏を返せば、参加した皆さんも昔風にいえば数えの80歳。元気高齢者の集まりだったというわけだ。

 だが、この講師に勢いづけられたのか悟りを開いたのか、会食になってキミコさんは「わたしはなあ、百まで生きよう思うとんじゃ」と話し始めた。要旨、こういうこと。

 いままで亭主の面倒を見てがんばらにゃあと思うてきたんじゃけどな、今の話しを聞いとってな、面白いなあ、いろんなことがあるんじゃなあ、わたしゃなんも知らんと来てしもうたと思うとんじゃ。そんでな、百歳の風景はどんなものがみえんじゃろうと思うたわけ。足腰が悪いけん、自分が動けるわけじゃないけど、テレビでも何でもいまはみられるじゃろう。うん、亭主はいまさら知らんふりはできんから、そりゃあ最後まで付き合うけれどな、亭主がどうなろうと百歳まで生きて風景を見てやろうと思った。

 いやはや、この話に皆さん、元気づいた。ミコちゃんえらい、と話は盛り上がり、11月seminarの講師になってもらって、「80歳のわたし」をテーマに話を聞くことになった。

 会食の時間も終わり、男たちは皆さんお帰りになったが、女性陣はおしゃべりが止まず、さてどうしたのだろう、場所を移して延長戦になったのであろうか。

 会食の最後のとき、平均余命の話が出た。人生百年時代といわれはじめてもう何年になるか。私たち今年傘寿は、いつまで生きるのか。ちょっと調べてみた。

 80歳の人の平均余命は(2021年で)、男8・57歳、女11・59歳。

 私は86・5歳まで(頑張って)生きる約束を兄弟としているが、余命は、それより2年ほども長い。女性陣は、91歳と半年ほどにもなる。こりゃあ、頑張らなきゃあならん。

 厚労省関連のネットを見ていたら、平均余命が男女ともに近頃は縮まってきているという。「失われた*十年」が響いているのか、新型コロナウィルスがその勢いを加速させているのか。

 死因のトップ3は、悪性新生物・心血管疾患・老衰とあった。「悪性新生物」ってなんだ? コロナなどの、生物かどうか決定しがたいウィルスのことかと思ったら違った。腫瘍(癌)のことだそうだ。これを「悪性新生物」と(医療関係者が)呼ぶのは、はじめて知った。腫瘍(癌)は、新生物なんだ。おお、話を元に戻す。

 その死因が平均余命にどう貢献しているか。平均寿命の前年との差を死因別に「分解する」と、「心疾患(高血圧性を除く)、脳血管疾患、自殺などの死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いている」という。これは、医療の充実というか、心筋梗塞や脳梗塞で倒れたときの救急治療が巧く働いて救われることが多くなったのだろう。また、高齢者の自殺が減っていることなども作用していると思われる。

 では、平均余命を減少させている死因は何か。そのトップが「老衰」、「肺炎」「不慮の事故」と続いている。

 老衰って何だ? 身体の全般的劣化が老衰だとしたら、心不全も、肝不全も、誤嚥性肺炎も身体の全般的劣化に起因していると言えるんじゃないか。つまり死亡因をコレと一つに絞る医療センスに対して、「老衰」というのはヒトという生命体に対する総合的判断である。もう70年も前になるが、私の祖母が自宅で亡くなったとき、看取った医師が「老衰です」といったのを私は忘れていない。74歳であった。当時学校では日本人の平均寿命は50歳といわれていたから、私は別に不思議とも思わなかった。だが、今のご時世、死因を判断するのに、何処の身体器官が「原因」で死に至ったかという判定を綿密にするのは、なぜだろう。犯罪にかかわるかどうかを判断する場合が多いからなのだろうか。それとも死因ということについて、医療関係者の間に共通する(特定しないではいられない分析的な)時代的気風があるのだろうか。

 私は総合的な判断の方が好ましいと思いつつ、ネットを読み進めていたら、「町医者」として慢性期医療に携わる長尾和宏という名の医師が、「まだ70歳台であっても老衰と書いた経験がある」とあるのを見つけた。在宅医療現場に於いてはまだ、総合的判断が息づいているのだ。

 おっと、これまた話が逸れてしまった。

 でもオモシロイ。こうやって「末期高齢者」といわれて傘寿を迎えた人たちが、元気高齢者として、先の世の面白さに興味を持ちながら「百歳の風景」を観てみたいと興味津々なのは、何ともオモシロイ。そういう近況報告の風景を味わうseminarになりつつある。

 それでいいのだっ、とバカボンのパパでもないのに、昭和世代の末期高齢者はうそぶいている。

2022年8月20日土曜日

社会への信頼を高めることが社会インフラの整備

 平井玄に倣って銃撃事件の加害者をy、被害者をaと呼ぶことにする。固有名を呼ぶほど彼らのことを知らないということ、さらに(私は)固有のこととして考えようとしていないという理由だ。

 ことにyの、決して底辺層に生まれたわけでもないのに、辿った軌跡の苛烈さは私怨をぶつける相手を探したくなるほどのものであったと「粗筋」だけでも思う。そして、日本の社会で子どもを放置して信仰にのめり込む親を持ったときに、その子どもを救済する社会的なインフラは整っているか、それはどんなものかと思案しているからである。

 図書館から借りだしていた本に目を通して、ここならyのようなことは起こるまいと思った。堀内都喜子『フィンランド幸せのメソッド』(集英社新書、2022年)。この本の「あとがき」が書かれたのが2022年の4月、ウクライナの戦争が始まってまだ2ヶ月も経っていないとき。当の侵攻したロシアのお隣にいて、これまでつねにその脅威を気にして、抜け出せない地政学的な位置で振る舞ってきたフィンランド。筆者はしかし、ウクライナ戦争を意識して書き下ろしたわけではなく、その地で5年ほどを過ごしてきた間の目撃録を認めたから、日常生活における社会的インフラを感じさせる記述が随所に記されている。

 このブログでも、2020-2-3「文化的・平和的に「防衛」を考えよう(4)人口減少時代の社会イメージ」において、その年、2/1の朝日新聞で「フィンランド 理想郷?」という企画記事にふれて関心を示している。このときは、36会seminarの「日本の防衛」にかかわって書いたから、フィンランドという国の人口規模550万を意識し地方自治をイメージして、

《今私たちに提示されているフィンランドの教訓とは、私たちの暮らしにかかわることを自分たちが決定する自治の実現とみることができます(記事は全然そういうことに触れていませんが)》

 と、自律的自治の風潮に思い及んだところで、終わっている。

 本書で特記されているのは、政治家が若いことと女性が多いこと。首相が30代の女性というのはよく知られているが、現閣僚19人のうち、30代と40代の閣僚が13人を占める。国会の5政党の党首がいずれも女性ということも、日本との対比では目につく。要するに、男だ女だということが問題にならないほど「人」として関わり合っている。それほどに、性差に関する社会意識には平等・対等が行き渡っている。当然出産もあろうし、育児や家事も家庭においては問題になるはずだが、それさえも性差を乗り越えるほど社会的な気風が成立しているとうかがわせる。

 今の30代後半女性首相が誕生した頃どこかのメディアが(日本風にいえば貧窮院の母子家庭という)彼女の生い立ちに触れて揶揄ったとき、この首相は「貧窮院育ちの子どもでも首相になれるというこの国を誇らしく思う」と切り返したと著者が間近に目にしたことを記しているが、そうしたことに(ほぼ)一縷の社会的偏見も介在しない社会的気配は、長年の伝統的気風が作用しているのではないかと私は思った。

 だが、そうではなかった。ほんの半世紀前までは性差別も大きかったし、賃金格差も日本と同じくらいあったようだ。その社会が、女性の社会進出をほぼ百パーセント達成し、大学院まで医療費や教育費は無償、18歳を過ぎれば子どもは家を出て自律し、学生も若干の給料をもらって自活できるという社会的インフラが整っている。障害を持った子どもも皆他の子たちと一緒に学校生活を送る。概ね16時を過ぎると仕事を終えて帰宅することを社会的基本として保育園や学童保育も整っているとなると、yが誕生する懸念はおおむねないということになる。yのことも含めて困窮する者の社会的インフラがどうなっているかと私の関心は焦点が絞られていたが、そうではないことに気づく。私のイメージする「社会的インフラが整っている」というのは、暮らしに於ける社会への信頼度が高いということなのだ。むろん一つひとつの「暮らし」の子細に関してどうなのかは具体的には問題となるが、社会全体がそうしたことに関して「懸念」しなくてやっていけるというのが、社会的に行き渡っていてこそ、「社会インフラが整っている」と言えるのだと思った。

 気候や自然環境、人口規模の多寡はもちろんモンダイとなる。だが、もし日本の人口が多いからといってフィンランド風の社会形成を渋るとすれば、ちょうど中国が日本の十倍の人口を抱えて「権威主義的な統治支配は致し方ない」というのと、同じである。だが子どもの政治への関わりをどうしているかをみると、そうした社会的気風を醸成するのは、自律的な自治を基本として社会的活動を作り上げていく過程に拠るのだとわかるように感じる。子どもも社会成員の一人であることを基本に、彼らにも社会的な問題に口出しする機会を用意し、彼らの発案する施策を真剣に検討し、可能なものは実施するという日常的な社会参加の政治的振る舞いこそが、大切だと教えている。

 旧統一教会を巡って曖昧模糊とした口舌をまき散らしている日本の政治家を見ていると、日本は道遠しと思わざるを得ない。でも希望の端緒はみえていると思った。

2022年8月19日金曜日

躰に聞く中動態哲学

 1年前にはオリンピックをやっていた。一段落して書いた記事「なぜスポーツに共感熱狂するか常套句を排して考える」(2021-08-18)は、ワタシとスポーツとのいろんな接点があったことを思い起こさせる。

 子どもの頃の「三角ベースボール」は年齢も運動能力も様々なご近所の子どもや学校の同級生が暇を見つけては集まって始めるスポーツであった。私は直ぐ上の兄や同級の友人にくっ付くようにして仲間に入れてもらっていたのだが、つくづく競うことに熱意を持てない性分だったと(いま)思い出して思う。巧くなろう強くなろうと思ったことがない。大人になって長距離走とか登山に私の趣向が傾いたのも、その所為だとはっきり言える。何にでもそこそこに付き合いはするが、勝とうという根性に欠けるから勝負にならない。端から戦うのが苦手なのかもしれない。ということは私にとってスポーツとは、身近な人たちと友誼を深める機会であって、競技そのものを楽しむものではなかったのだ。

 ご近所交わりのスポーツと最先端のスポーツ競技とを同列に並べること自体が無茶なのかもしれないが、ワタシの身のうちでは、(スポーツを観戦して)ヒトの能力としてピンからキリまで同列に並べてみている。オモシロイと思うのは、やるのとみるのとでは全然違うってこと。ピンのスポーツを見ていると、おおよそ人間能力の先端が何処まで行くのかと見果てぬ地平線を見るような気分になる。ところが身体能力的にキリのワタシでも誰が優れた運動能力を持ちどれが秀でた技能かを見分けることは(ある程度は)できる。勝ち負けはどっちでもいい。ほほう、こんなことまで出来るんだと、たとえばサッカーのゴール前でヒールキックをしてサポートし、ゴールを決める連係プレーをみて感心しているのだが、これってスポーツを楽しんでいるのかヒトの能力の幅広さや奥行きに感嘆しているのかわからない。

 でも、そういう「勝ち負け」という(能動/受動)次元とは別の「中動態的な」競技こそが私の性分に似合っている。そこではつねに、わが身の能力とピン選手の技能とが対照されて感嘆し、言葉が紡がれている。スポーツを楽しむというよりもスポーツを見て哲学しているのだ。この中動態哲学が歳をとってからのワタシとセカイとのカンケイに相応しいと感じることが多い。

 そうやってワタシのリタイア後の山歩きを総覧して見ると、「黄金の60代」「本当に古来稀なる70代」「壁とどう付き合うか80代」って感じに、見出しがつけられる。

 スポーツというよりも趣味嗜好に近い山歩きそれ自体が、つねにつねに自分と向き合う性格を持っている。歩けるか歩けないか、進むか退くか。速さや休憩の取り方、行程の組み方、ペース配分など、すべてわが身の現在を見極めて判断することが要求される。コースのムツカシサやルート選択は地図を読むだけでは片付かない力が必要になるから、ときには案内人が必要になる。つまり、山歩きはピンからキリまで自分を対象として見つめ、どうわが身が移ろっているかを見極めることが求められる。これは、わが身の来し方行く末をみつめることと重なる。山歩きは哲学的なのだ。

「山を歩きながら考えた」とはじまる漱石の作品があったが、歩きながら考えることには、ろくなことがない。経験的にいうと、歩きながら考えることなどできない。歩いているときに浮かぶ思いは、ことごとく断片。つまり思考が身から離れることがない。つまり「考える」を意味する「意」と違って、身とくっ付いて身の裡を経巡る思いは「こころ」のうごき。身が受け止める五感の「感覚」をつねに総合してセカイとのカンケイとして感知するのが「こころ」、それが浮かんでは消え、消えては浮かぶのである。

 身に引き寄せていえば、ココロは皮膚感覚同様にセカイとの触覚を司っている。心身一如というが、身が感知できるカンケイの統合本部がココロなのだ。温かさも冷たさも、どちらとも言えない透明なカンケイの温度もたたえて、受け止め送り出す。欧米風に身体と精神を切り離して「如何に身体を利用するか」と考えるのではない。身が感受するセカイとのカンケイを、「意」に送り言葉にしてゆく。体温を持ったロゴス。言葉。それが何より愉しい。仕事をしていたときの身の外なる「時間」から解放され、時間が身の裡に宿るようになった。体感時間と流れる時間が一緒になるから、あっという間に時は過ぎてゆく。

 スポーツが持つ「熱狂」こそ、わが身の哲学とそぐわない体温。

 なぜ?

「熱狂」の源を未だ対象化したことがない。わが身とともに感受する「共感」をさらに踏み越えて「熱狂」に至るのは、何なのか。いつも根源に目を向けて感知しなおそうとする中動態哲学にとっては「冷熱」こそが常態。熱に浮かれるほど身の裡が燃えないのは、性分なのか、歳のせいなのか。そんなことを思っている。

2022年8月18日木曜日

私怨から公憤への回路は断裂している

 ひょんなことから安倍銃撃事件に触れているエッセイを見つけた。筆者は平井玄。1952年生まれというから今年70歳になる方。「批評家」と肩書きがある。

「沈みゆく街で」シリーズの森崎和江に触れている文章の入口で《7月8日、ジョーカーはついに「正しい敵」に到達した。/この事案を避けるわけにはいかないだろう。/とはいえ、今回は前奏だけにとどめたい。》と切り出す。

「2発の散弾はなにを貫いたのか。」と問いかけ、

《狂信による家族の壊滅だけではないだろう。yの40年は非業そのもの。吹き飛ばされる塵芥というしかない。……誰が彼を塵にしたのか。弾道が串刺しにしたのはなにか。思わぬ場所から散弾は放たれ、思わぬ場所まで達した。そうだとしても、果たしてaはyの全人生を棄ててまで殺すに値したのか。》

 と自問する。この時点で私のyの鬱屈へのこだわりを軽々と(?)「弾道が串刺しにしたもの」と次元を飛翔させている。なるほど、yの犯行動機とaの殺害されたこととを切り離して考えようとしている。私は、この両者を一つの舞台に於いてとらえようとしている。どちらが、一つの社会のデキゴトとして起こったことを見るのに、妥当なのだろうか。yの犯行動機が見当違いであったとみる人たちは、aの殺害されたことと切り離している。どれどころか、見当違いのテロとしてaの業績をたたえることへ持って行っているが、それは「真相」をとらえているのだろうか。平井玄は、その違いをどう見るのか。しかし彼は、「ひとまずこの問いを転がしておこう」と捨て措いて、

《死は人を無機物にする。社会動物からいきなり惑星物理の世界に放り込まれるのである。そこには別の時間が流れている。殺した者も無機化する。そこから考えたい。だから、まずは思考の昂ぶりを体液に沁みこませよう。灼熱する神経物質を人類史の流水に浸したいのである。しかるべき迂回が必要である。この事案については連載の最終回でじっくり論じたいと思う。》

 と予告するにとどめている。これは、yの鬱屈が銃撃に至ったことの筋道をつかみ取りたいという私の詮索モチーフに対する批判である。私の思考流路は、yとaを同じ平面に置こうとしている。それは「aはyの全人生を棄ててまで殺すに値したのか」は、さて措いて、yの行動論理回路に措いて眺めようとする行為である。だが、平井はaの評価を別次元に設定しようとしている点で、国葬を画策してaの統治業績を賞賛しようとしている人たちと(評価の立ち位置は異なるけれども)同じ次元である。そうして措いて私に向かって、その詮索を通してお前は何をしようというのか、と問うている。それは「人類史の流水に浸す」ことになるのか、と問う地点で、私の心持ちと合流するようにも思う。

 これは「連載」の10回目だが、いつが最終回になるのかわからないから、待つほかないと、森崎和江と大正行動隊の話を読む。ところが、その末尾で「今世紀への導火線を1本だけ引こう」と前振りして、「暗殺者yを殺害行為に駆動した動機は「私怨」といわれる。全資産を奪い家族を破壊した政治教団に対する憎悪である」と言い置いて、「大正行動隊は私怨を群れに組織した」と規定する。

 そうして「私怨のどこが悪いというのか。/法が支える社会の地平への信頼が揺らぐとき、一人ひとりの怨みがせり上がる」

 私怨は「本能的な反射神経の反応」。「逡巡と躊躇。収まらない腹の虫。その虫が這い上がって胃がムカムカする。さらに頭骨に達して顔がゆがむ。その間は一瞬。場合によってはただちに手足が動く」と展開する。その、人類史的流水の行き着く先は何処なのか。

《眼前の悪。見た目や匂いから脳髄の思考系が働いて「敵対線」を同定する。カテゴリー判断が作動する。ここで特定の集団階層階級に対する「義」が起ちあがる。自分を超えた義心は一歩引いたところ生まれる》

 そうか。「義」や「公憤」に持ち込んで語ろうというのか。とすると私とは、ズレたまんまになると思えた。しかし平井は、「義」や「公憤」の出所を語った後で、

《だがそうなのか。/私怨は荒々しい潜勢力に満ちている。/そこには義の旗が幹に育つ前の粗い種子が胚胎されている。公の舞台に上げられれば、もう訴状の前言に動機として記載され、あるいは論文の長い註記になるだけ。私怨はときに方向を失う。銃口がおのれの額に向けられることもある。無方向に炸裂する。だから歴史文書に記されることは稀だ。大量の種子は土に埋められたまま腐り果てるのである》

 と、行き先を憂えて、「それでいいのか」と問い、森崎和江や谷川雁が見ていた「炭鉱があった一帯」に「私怨の匂い」を嗅いで「そこはまた別の沼だ」と断言する。ひょっとすると、yの私怨とaの死亡とを別次元にとらえるしかない現代の社会を見る目を、彼岸からみようとしているのかも知れないと思った。

2022年8月17日水曜日

子を見捨てて信仰に走る母の心

 安倍銃撃事件の容疑者・山上徹也の、母親との関係がどうであったかがわからない。むろん母親の犯罪ではないから、それを子細に調べて報道するというのは、如何になんでも(プライバシーにかかわって)酷い。でもそこを明らかにしないで今回の事件の「真相」を見ることはできない。報道はその「難局面」を乗り越えるために、旧統一教会のマインドコントロールという物語を間に挟み込んで(母親の心情に触れずに)事態の真相へ迫る道筋を選び取っている。だがこれも、自由な社会に於ける自由な信仰という舞台の上では、どう見ても旧統一教会の方に理屈は傾く。捜査当局は当然その「真相」には触れないか、裁判で触れても、公にはしないであろう。だから.どう始末したらいいか、物語りが創作できるまで「精神鑑定に回す」措置にしたと、以前触れた。

 山上容疑者の心持ち(恨み辛み)が、なぜ母親に向かわず旧統一教会に向かったのかが、まず最初に私の突き当たる疑問だが、それは容易に氷解する。どんなに非道い親でも、親は親、子は最初に刷り込まれた親に付き従う子ガモのようなもの。大自然の摂理のように受け止めるからだ。これは私の身の裡に堆積する一般論で山上母子の個別性を理解しようとしているからだ。でもこの理解の仕方は、報道者もその読者視聴者も、次元こそ違え、みなさんその自分の個的心情に於ける一般論で受け止めて「理解」したつもりになっているのだ。だから「理解」のズレは起こるし、一つ提起されれば、必ずといって良いほど反対論が定立され、お互いに謂いたいことを口にするばかりで「討論」とか「議論」にならない。外野でみているワタシとしては不毛だという思いが募る。

 では、どうして母親は子を見捨てて信仰に走ったのか(山上容疑者は逆に親のような立場で兄妹を支えようとしたのか)。母親の心持ちに於ける大自然の摂理はどうなったのかと疑問符は、形を変える。これもまた、ワタシの内部での一般論に足がついた地点で「理解」しようとするのだが、そこがなかなか「理解」に達しない。

 でもねえ、母親が子を見捨てると謂うが、そもそも母親が子を育てるというのにどれほどの大自然の必然性があるのかと問うてもみる。そりゃああるでしょう。どんな動物だって親が子を育てる。もちろん中にはタシギのようにメスは卵を産むだけ、それを抱卵して孵し、幼鳥を育てるのはオスの役割って鳥もいるから、子育てを母親限定のメニューとみる一般論は必ずしも成立しない。それに、岸田秀という精神科医がもう半世紀も前に言ってのけたが「人間は本能が壊れている動物である」という。それからすると、大自然の摂理という一般論の根拠を編み直さなければならない。

 つまりここで、「子を見捨てて信仰に走る」というのを一般論で橋渡しして、「マインドコントロール」と「理解」するのは(当事者の感性や感覚を無視するという)無理があると私は感じる。報道が不十分と思うのだが、そこを簡単に乗り越えているエッセイを見つけた。《アメリカで600万人が「地球平面説」を信じる理由》と表題を打っている「東洋経済オンライン8/15号」に紹介されているジョナサン・ゴットシャルの所論。

 《私たちの心の機能を奪う「陰謀物語」》という小見出しを付けているので気づいた。私たちは「理性」でモノゴトを理解していると思っているがそうではない。「理性」のいちまい下層に五感とか六感というのがあり、それら感覚諸器官を一つにまとめ上げているのが「こころ」である。つまり、私たちがいろんな情報に接してそれを受け容れるかどうかはまず感覚諸器官が受け止める。「理知的な情報」は「理性」という一般論から入ってくるかもしれないが、「こころ」が受け容れたときに、「腑に落ちる」とか「納得する」と感じる。つまり感覚諸器官が我がこととして「理解」するとき「理解」の地に足がつくのである。

 こう考えて見ると、リアリティというのが危うくなっていると思う。情報がどのように人の体に入ってくるかを考えると、バーチャル映像やITやゲームなどが介在すると実感という「感性」そのものに変化を与える。新奇さに、まず驚く。面白い。これまでに味わったことのない妙な感触に、戸惑いもする。それは、メンタルな豊かさが膨らむというだけでなく不安定さをもたらす。それまでに培って身に堆積してきた「感性」が揺さぶられる。その感性は、たぶん同時に安定点を確保しようとする裏筋の衝動も気づかぬうちに動き始めているに違いない。その一つが、「自分が感じたリアリティが正しい」という確信を安定点とすることである。時代的な価値多様化と相対化の動きもそれにドライブをかけた。

 先にあげたジョナサン・ゴットシャルのエッセイ《アメリカで600万人が「地球平面説」を信じる理由》がそれをよく示している。全米人口の2%が「地球平面説」を信じているという。真偽の判断が「感性」をベースにするとなると、それも「理解」できなくはない。わが足元の大地が時速1600kmで自転しながら時速10万㌔余で太陽の周りを回っているという「話し」は、わが身に体感できることではない。だからこそ、天動説が地動説に転換したのをコペルニクス的転回と名付けたのだと受け止めてきた。私はそれ(地動説)を信じることができた。その根源には、わが身が感知できないことが「大宇宙」「大自然」「世界」には数多あるという(どちらかというと)仏教的自然観があったからだ。むろん加えて、学校で学んできた大自然のことやそれを説き明かしてきた人類の歩みを知的に「理解」し、それらが「わからない」と思ってきた大自然とワタシのカンケイをより強固に結びつける知的理解になっていたからだ。

 そしてこの歳になって私は、あらためて西欧的自然観からする「世界理解」よりも、ヒンドゥー的/仏教的自然観からする「世界理解」の方が現代という時代を「理解」するのにより優れていると(そこはかとなく)思っている。それは、「世界」を見ているワタシという視点を外さないこと、そのワタシのもつ視界は「世界」のほんの片隅でほんの一人のヒトの感じ取った「せかい」に過ぎないこと、ということはヒトの数だけ「せかい」は描き出され、その共有されている断片部分だけが「世界」として語られていること。つまりワタシの「せかい」はほんの一瞬の人の口にする断片であり、「世界」にとっては取るに足らないことであるが、ワタシにとっては掛け替えのないオモシロイ思索であり現実そのものだということ。

 だから私は、山上母の「子を捨ててでも信仰に走る母の心」を覗いてみたいと願う。母が記者会見をするというのを聞いて、楽しみにすると同時に、「息子のことは心配していない」という週刊誌見出しに感じた違和感は何に由来するのだろうと、自問自答しているのである。

 宮部みゆきあたりが小説に紡いでくれたら、感性的にはワタシは納得するだろう。そう思いながら、日本総人口の2%といえば250万人か、これくらいのヒトが「地球平面説」を信じているだろうかと考えると、やはり日本の(仏教的)自然観と、教育の浸透度からすると、もっと自然科学の明らかにしたことに信頼を置いているような気がする。

 それが、旧統一教会への信仰を深めることと繋がりがあるとかないとか言える立場にないが、山上母の心の移ろいが現代社会の「謎」を解く一つの鍵にかかわっているような感触を持っているのである。

2022年8月16日火曜日

地獄の釜の蓋

 今日16日は「地獄の釜の蓋が開く」という。閻魔様も地獄の獄卒の鬼たちも休日をとる。昔の藪入り。盆と正月の忙しい務めを果たした丁稚小僧が、遑(いとま)をもらって実家に帰る日と思ってきた。

 ところがカミサンは、「極道の節供働き、地獄に落ちるのよ」と妙なことを言う。なんで、そうなるの? と私の胸の内で疑念が膨らむ。

 というのも、8月16日は、明治生まれの私の母の正月命日。8年前だが104歳で身罷った。あの働き者の母が地獄へ落ちたというのは解せない。もしそうなら神も仏もないこの世ってことになる。

 「故事俗信ことわざ大辞典」に「極道の節供働き」として、面白い記述があった。

《「極道」は怠け者。ふだん怠けている者が他の人の休む節供にかぎって働くの意》とあり、《土佐(高知県)地方では、他に「極道のおうだくね(一度に大量の仕事をしようとする)」「極道のしきむくり(「しき」は農家の休日。「むくり」は仕事に励む)」ともいう》と、「ことわざお国めぐり・高知の巻」からの引用を付け加えている。カミさんの言う意味合いだ。

 それで、氷解した。カミサンは当時「高知のチベット」と謂われた土地で生まれ幼少期を過ごしてきた。千枚田というと聞こえはいいが、猫の額ほどの田圃が小さく区割りされて階段状に斜面に連なり、目に見えているバスの停車場から実家まで歩いて30分の歩程は、その田を縫うようにジグザグに登る。もちろん丁稚小僧がいるわけでもない。肥後の五木村では子守の姉やが(年貢の形とか口減らしで預けられて)いて「盆が早よ来りゃあ~早よ戻ろ」と詠ったかもしれないが、高知の山奥の村でそういう話は聞いたことがない。

 むしろ、とカミサンがニュアンスを付け加える。皆が休むときにせっせと働く人というのは、抜け駆けというか小狡いというか油断のならない人という趣があって、そういう言い回しをしていたかもしれない、と。とすると、今風に謂えば(極道呼ばわりするのは)同調圧力ってことか。でもマックスウェーバーは「極道」を戒めるプロテスタントの精神を近代社会の倫理として持ち上げていたっけ。

 他方私は、街場の生まれ育ち。母親は生まれは農家だが零落し、戦前すでに地方都市に暮らす都会生活者。父親の系統の家業は商家であった。もちろん私が物心ついた頃に丁稚小僧がいたわけではないが、そうした姿を描いた小説はいくつも読んだ。丁稚小僧とは馴染みが深い。だから私は藪入りのイメージ、カミサンは極道のイメージで「地獄の釜の蓋の開く」のを見ていたというわけだ。

 どちらが正解ってことを問うているのではない。もうすっかり元々の意味したことはどこかへ行ってしまって、でも、言葉だけは残ってひとり歩きする。その一人歩く言葉に、行きずりにかかわる人がそれぞれに意味合いを付け加えて、次の世代へと受け継いでいく。大元がなんであったかを記すのは「辞書」だけという世界。

 その世界も、今のように移ろいが早いと、ネットで検索できる方に皆さんのアプローチは片寄り、大部の辞書を何冊も引っ張り出してきて、ひとつひとつドカドカと引くのは、どう考えても野暮ったい。わが身が身罷るとともに、この辞書も身罷ることになろう。

 惜しいなあ。もったいないなあと心の片隅で思いつつ、閻魔様にも会って、地獄行きのこの「大辞典」類をどう思うか聞いてみたい。

 あっ、あっ、いずれにしても今日は、お休みね。ごめんなさい。

2022年8月15日月曜日

線路は続くよ、何処までも

 トランプ前米大統領が国家安全保障の機密文書を持ち出していたとして今月8日、FBIの強制捜査が行われ「家宅捜索では最高機密指定を含む11件の機密文書が押収され」たと報道された。そろそろ勝負あったとかと思った。

 ところが昨日(8/14)の「現代ビジネス」ニュースで、元国家安全保障会議補佐官が、「どの文書も機密解除されたもの」と発言し、共和党下院議員が「トランプ政権は沼のドブさらいをしていたのだ」とトランプ支援のツイートをし、ポンペオ前国務長官が「(バイデンは)政治武器化している」と強制捜査を非難している、と報じた。いつものトランプ流のフェイクづくりと言えば言えなくはない。

 だがそのなかに私は一つ感心した言葉を見つけた。「沼のドブさらい」という共和党下院議員の台詞。そうか、トランプ支持派の人たちは、そのように受け止めているから、トランプが大統領在任中の傍若無人の振る舞いをも、そりゃあ仕方ないでしょうとか、当然ですよそれくらいとおもって受け容れることができたんだ。つまり常軌を逸した言動が全面的に容認されるには、根柢的に何かをひっくり返したいんだという「意思」を市井の民には伝える必要がある。逆も言える。鬱屈を晴らそうとする庶民は、何をどうしたらいいかはわからないが、根柢的に何かをひっくり返したいという欲望を持っている。何をどうしたらいいかは、よくわからないし、これだけ大勢の人間を率いるのであれば、その子細は少々どうなっても構わない。既得権益者にツバを吐きかけるだけでも気晴らしにはなる。トランプの我が儘な振る舞いは、あたかもそうした天の命革まるような気分をもたらしてくれた。それまでの為政者の綺麗事が口先だけだと非難するのに、「沼のドブさらい」という言葉ほど、的確な名言はない。

 ポンペオ前国務長官は「メール問題を起こしたヒラリー・クリントンに対してさえ強制捜査はしなかった」と共和党政権の寛容さを示し、バイデン政権の「政治武器化」と非難している。つまり、民主党政権ばかりか既得権益に乗って民主制のフィクションをタテマエ衣装にしている連中を根こそぎ入れ替えてしまうには、「沼のドブさらい」という表現ほど、包括的且つ的確にドラスティックな転換を促す言葉はない。ほとんど「超法規的」と訳知り顔の知識人が遣いそうな言葉をも吹き飛ばして、トランプのやったことを許容し、それに期待する気持ちを体現している。巧いなあ。たぶん、トランプ応援下で下院議員になったのだろう(と勝手に推測しているが)この議員は自身も心底そう思っているから、去年1月の議会襲撃だって、厭わなかったに違いない。

 むろん民主党サイドもFBIに対して、押収した「機密文書」の価値評価を提出せよと要求してトランプ派の息の根を止めようとしているから、アメリカの「分断」はそう簡単には終わらない。♫線路は続くよ~どこまでも~♫ ってワケ。だが、これまでの約束事を全部チャラにしてもいいと思わせる心的契機が、こんな簡単な言葉に宿っているとは、思わなかった。

 これは実は、ワタシ自身の身の裡に淵源を持つ感性である。それが身の裡でリアルに響くのは、なぜか。そう自問する。眼前の綻びだけを縫い繕いして状況をすり抜けてきている日本の政治に、いい加減嫌気がさしていることに起因していると、自答している。

 現政権お気に入りの広報会社・電通マンたちの取り仕切る言葉を含めたコマーシャリズムの綱渡りショーは、こういうことに達者なんだろうね。お笑いもそうだが、ほんのちょっとしたフレーズが、人の心を揺り動かしてリアリティの受け止め方を変えてしまう。それは、そう揺さぶられ、笑っている感性をベースにして人は、自身の意識を整え、アイデンティティと(マッチすると瞬時に判断して)意見を形づくっているからなのだ。アタマがヒトの意思を体現すると考えていると、とんでもない見当違いをしてしまう。電通の手練手管に操られる私たち庶民は、そう覚悟する決断がいる。

 その感性部分への突撃、侵入・浸入、浸透こそが、人の心持ちを動かす(操作する)政治的手腕と、現代政治学では位置づけられるに違いない。人々は自律的主体性を何よりも重んじている。その人たちが、いつ知らず、我知らず、世情に移ろう言葉によって感性を刺激され、薫陶を受け、自ら進んで意思形成をしていく。その人というのが実はワタシなのだとわかった地点から、いつでも話しははじめなければならない。そう痛感した「つづく線路」の話しでした。

2022年8月14日日曜日

濡れにぞぬれし色はかわらじ

 昨日からお盆。お墓のない私らは、別に医療専門家の声に耳を傾けたわけではなく、家に逼塞している。そう言えば為政者は、コロナに関してもう声も上げなくなった。お役御免になっちゃってるって、わかっているだろうか。

 そこへ台風がやってきている。空には雲が張り出し、風が吹いてカーテンが大きく膨らみかつ網戸に張り付く。暑さが和らぐ。朝4時前に目が覚めて、よしなしごとを書き付ける。朝食も終わり新聞の折り込み広告に目を通していたカミサンが「あっ、お豆腐が安い」と声にする。このところご近所農家の100円棚に見事なゴーヤがお店の半額ほどで並ぶのを買ってきてチャンプルーにしている。

 でもねえと、カミサンの腰は重い。間もなく台風が静岡へ上陸しようとしているとTVが叫んでいる。外はまだ静か。ちょうどよしなしごとに一段落ついた私は、涼しさもあって3キロ半ほど先の生協へ行ってきてもいいよと散歩気分で口にして出かけた。途中にある図書館に返す本もある。家を出て直ぐに空を見てとって返し、折りたたみ傘をリュックに入れる。

 図書館で本を返し「今日返却された本」の棚をみると、半月ほど前に(上)巻を読んだ宮部みゆきの(下)巻が並んでいる。他にもう一冊真山仁の面白そうなタイトルを借り出して、生協への道をとる。

 おっ雨になりそうだ。リュックの傘を取り出す。開いて霧雨を避けようとするかしないかのうちに、雨は大粒となり大量になり、強い風がバケツの水を浴びせかけるように降りかかる。まだリュックを背中に戻していない。本が濡れては大変とリュックを体の前にもって水から護る。半ズボンで歩いていたから、たちまち顔とリュック以外はまるでプールに入ったように水浸し。強い風に傘はときどき逆開きになる。生協へはまだ1キロほどもあるが、いまさら帰るのも業腹。寒くなるわけじゃない。どうせ濡れるのなら、このままと歩を進める。500mも行かないうちに大降りの雨は小降りになり、生協に着く頃には霧雨に変わった。やれやれ。

 今日は土曜日か。結構人がいる。それとも土砂降りで雨宿りの人たちが溜まっているのだろうか。精算カウンターに人の列はないから、思ったほど人はいないらしい。本をビニールの買い物袋に入れてリュックの底に置き、その上に買った物を詰める。これでどんなに濡れても凌げる。リュックを前に抱くようにしてお店を出る。雨は止んでいた。ゴロゴロと雷が鳴っている。

 二本おおきな道路を渡るのだが、どちらでも信号待ちをすることなく、早くお帰りなさいと先をせかせるようだ。靴も水浸し。玄関で靴下も脱ぎ、短パンTシャツも洗濯籠に放り込む。すっかり着替えて1時間半の散歩を終えた。

 台風がやってきたのは午後から夜にかけてから。ばらばらばらと音を立てて降りかかる雨は、今朝ほどのそれと同じくらいかなと思わせた。色はかわらじ。

2022年8月13日土曜日

狂っているのは世の中の方?

 旧統一教会と手を切ると宣言して第二次岸田内閣が発足したのに、新閣僚と旧統一教会との関わりが次から次へと明らかになって報道されている。この人たちは旧統一教会と関わりを持つことがなぜモンダイなのか、わかっているのだろうか。いや私がわかっていて、この人たちは口先だけと言いたいのではない。私は、旧統一教会が間違いなく政治家の権威を利用して信者を集め(資金収集をして)「政治的目的」を達成するために活動していると思っている。だがこの政治家たちは、(たぶん)それがモンダイとは思っていないんじゃないか。唯今、安倍銃撃事件があって、その発端を為したのが旧統一教会であり嘗て彼らが行っていた「霊感商法」が(今も続いているんじゃないかと)取り沙汰されて(世論の趨勢をみて)「具合が悪い」から、関わりがモンダイといっているだけではないのか。むしろ福田達夫前自民党幹部のように「何がモンダイかわからない」と言った方が正直で正確なんじゃないか。言葉の使い方として、そう受け止めている

 日本の政治家の右往左往を笑うかのように旧統一教会の大規模集会が韓国で開かれ、ポンペオ前米国務長官が出席したりトランプ大統領のビデオメッセージが流れたり「あたかも安倍元首相の追悼集会のようでした」と日本TVは報じている。これの何処が悪い? と言葉を聞き分ける政治家なら言っても不思議ではない。何処が悪いの?

 1年前(2021/8/12)の本ブログ記事「こんなことがあったのか」が手元に送られて来て、そうだ、そういうことがあったと思い出したことがあった。この記事では、古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ、2018年)を読んでへえと驚いている。

《「最近では言葉の意味を閣議決定するケースすら出てきたことなどを鑑みれば・・・」と古田が記し、クラウスの指摘する「そうした文化」が現代日本でも生じていることを示している。へえ、そういうことがあるんだと脚注を参照する。脚注には、2017年4月19日に安倍晋三首相が国会答弁で使った「そもそも」という言葉には「基本的という意味もある」と応じた正当性を明かすために、5月12日の閣議で決定したとあった》

 国会審議の子細は知らない。安倍首相の口をついて出た言葉が野党からネチネチと責め立てられ、困ったあげくに「閣議決定」したのだろう。そういう閣議決定が,どのように発案され、どう審議され決定されていくものかわからないが、たぶん困惑する安倍首相を救済するべく官房長官あたりが話を持ち出して運んだのかなと、あの浮かない実務派の顔を思い浮かべながら推測している。もしこの発案が安倍首相自身だとすると、安倍首相は自分の不明を覆い隠すのに閣議決定という権威を利用したことになる。閣議を私物化したわけだ。いや安倍内閣として言えば、身も心も行政府という国家中枢を私物化しているのだ。わかりやすく譬えるなら、「未曾有」という言葉を「みぞうゆう」と読むこともあると「閣議決定」するようなものなのだ。そんなことをする首相をはじめとする閣僚が「美しい国の伝統」などというのだから笑っちゃうね。

 そんなことを思いつつ寝床で拡げた本の冒頭が、ドンピシャリのお話しであった。荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』(柏書房、2021年)。世の中に憎悪表現が蔓延し日常の暮らしに迫り出してきていると「悔しがる」。著者は世代を超えて受け継ぎたい言葉を探して拾い出そうと思い、認めていると志を記して本文に突入する。

 その第一章「正常に「狂う」こと」。著者は、会社に於ける仕事の中で心を病む人たちに対して心ない言葉を投げつける同僚の心ない言葉がブーメランのように,言葉を発した当人に返ってくることを取り出して、心を病む人たちのモンダイを会社とか仕事という舞台のモンダイとして考える視線を探っている(と私は読み取った)。そして次の言葉を引用する。

《ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それ自体正常なのです》

 この言葉を発したのは、吉田おさみさん。1974年に結成された「全国『精神病』者集団」の結成集会に参加したときの言葉らしい。著者は「異常なのはか何? 誰?」と自問することからはじめようと、吉田おさみの言葉を「言葉遺産」だと推している。

 私がイメージしたのは、安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者であった。これまで何度か触れたが、報じられた山上容疑者の生い立ちから推察すると、旧統一教会への襲撃を企み、その銃口が(側杖を食らうかのように)安倍元首相に向けられた経緯は、「自然にあらわれ(てい)る」と私には感じられる。だから「精神鑑定」に回したのには「別の意図が働いている」と思ったわけだ《「身の置き所のアジール」(2022-8-9)》。

 そして今、昨日の旧統一教会の集会の様子を報じるニュースを観ていると、安倍元首相はただの「側杖」ではなく標的の直近にいたと思えてきさえする。とすると、山上容疑者を「異常」とみる社会の方が、狂っている。そういう価値転換を意識的・意図的に行いながら,情報化社会を生きていかねばならない時代なんだなあと溜息をついている。

2022年8月12日金曜日

企業が生き残る社会的・構造的・人間的要素

 今日(8/12)の新聞に《浅草の暴力団「解散」》という記事が出ている。いわゆる「指定暴力団」ではなく、ダフ屋やテキ屋でしのぎをしている小さい地域の「暴力団」。コロナ禍とネット販売と転売規制によって、稼ぎが激減し解散することになったと記事は解説している。任侠暴力団と最強の暴力団=国家との暴力占有争いは、法の整備などで追い詰められて前者の敗北が決定的だ。

 似たような状況に置かれた「暴力団」が六本木の公衆浴場の再生コンサルタントをするという今野敏『任侠浴場』(中央公論新社、2018年)を手に取った。この作品は政治的に読むと面白い。政治的に読むというのは、人を動かすモメントをどう用いているかという視線で読むこと。この作家の人間観や社会観、世界観が浮き彫りになる。

 今野敏という作家は、ナイファンチと呼ばれる沖縄空手や武術のことを記し、身体の子細な動きに目配りして人を描きとることをしてきた。また、警察機構という上意下達のシステムの制約を受けながら、犯罪捜査に於ける警察官の心の動きを書き留めて、社会関係を炙り出す作品をいくつもモノしてきた。他方で、マス・メディアの現場を舞台にして、犯罪や捜査、取材と報道,スクープといった表向きの競争関係を作品のストーリー展開の緊張として描き出しながら、人の動きの地道な積み重ねや綿密さを、まるで人の暮らしの基本が身の動きにあるといわんばかりに底流させて取り出してくる。

 これら一連の作品に私は「鏡を見ているような、妙な気分になって」好感を抱いてきた。今回の「任侠浴場」という娯楽的なタイトルと漫画的な表紙デザインに、おやっと目が留まった次第。そして、ああこれは政治的に読むと今野敏の現代社会批判が読み取れる、と思ったのは読後感。

 六本木の古い銭湯。跡継ぎもなく廃業かと思われるのに、売れない、売りたくない、売らせたくないと、各方面の思惑が絡む。親分に話が持ち込まれる。「暴対法」などがあって、暴力団にかかわるだけで犯罪行為となる。義理と人情だけでなく道理も重んじる親分としては、扶けざるべからずとなるが、今野敏は、語り手を代貸のアニキにすることによって、ブレーキとし、常識的視線を取り込む。しかし昔ながらの経営を抜け出せない銭湯のオーナーの心持ちを揺さぶり、親分の思惑へと持ち込んでいく仕掛けこそが、政治的読み取りの妙味。そこここに、平凡にちりばめられるのは、この作家が沖縄空手から取り入れた身体技法にあると,私は読み取った。

 まず掃除、片付け。だんだんルーズになる高齢化する経営者の限界も浮かび上がる。利用者の快適さというイメージに伝統的な安息空間の心持ちを持ち込むというのには、新奇なものへの切り替えを良しとする社会的風潮への批判も組み込まれる。そうして、肝心な所でほんのちょっとだが顔を出して、いや知らんよと言って姿を消す大物政治家の配置は、目下、旧統一教会と関わりを持つ与党政治家たちが、いかに「暴力的な力」を裏道に於いて揮っているかを如実に示酢ことを暗示して興味深い。彼らの「知らない」という振る舞いこそ、国家独占暴力団の神髄を表現しているとも言えるからである。「何がモンダイかわからない」というのは、与党大物政治家としては「おとぼけ」というよりも「惚け」に値する。

 でもなによりも、この作家の本領発揮の舞台設定を示すのが、小さな弱小暴力団という任侠集団の世界。ここに於ける気遣いと身のこなしと立ち居振る舞いは、今時のITアルゴリズムに犯された若い衆と異なり(代貸アニキの眼を介してではあるが)、見ていて心地よいほど一意専心である。この動きの基点にすがすがしさを感じるのは、私が昭和の人間だからだろうか。

 このブログの、今野敏関連の記事を一部紹介しておく。ご笑覧下さい。

* 2019-10-28「地道に探索する関係に生まれるスクープ」

* 2019-10-27「つれづれなるままに」

* 2019-10-8「基底に立つ」

2022年8月11日木曜日

ゲシュタルト固着と物語り

 1年前に2本の記事をアップしている。「ゲシュタルト崩壊と物語」(2021-08-10)と「言葉を脱ぐ」(2021-9-1)。前者はアメリカの女子体操選手シモーネ・バイルズが「絶対女王」といわれながら「決勝を出場拒否」したというオリンピックの話し。後者は、石山蓮華という若いエッセイストの「言葉を脱ぐ」という雑誌『新潮』に乗ったエッセイに触れている。

 シモーネ・バイルズは競技中に「自分は何?」という疑問にとらわれた。石山蓮華は街の声を拾うレポータの(下請け)仕事をしていたとき、声のかけ方からインタビューの項目まで事細かく指示されているとおりに運ぶことに「自分でなくなっている」と気づいて「言葉を脱ぐ」ことを覚えたという話し。いずれも、世の中の人とワタシとのおおきな乖離を感じ、自問自答することからはじまっている。シモーネ・バイルズの場合は、観衆やアメリカ国民の期待やコーチや他の選手たちの様子や言葉が、有形無形の形でワタシに迫ってきて、己を見失う。自己像が、周囲からの声にかき消されてつかめなくなっている。石山蓮華は(結論ありきで)借り出される(画面構成上の飾り)仕事をしているワタシに違和感が膨れ上がる。これは、自己像が明らかに周囲のカンケイからかかわってくるイメージと齟齬して、呑み込まれそうで不快になる。「言葉を脱ぐ」ことでその状態から脱出する話しは切実である。

 これを、ワタシという形(ゲシュタルト)が崩壊するとみて、あれこれ感懐を述べたのが、ブログの記事であった。この時、崩壊しているのがワタシという個体と思ってはならない。シモーネ・バイルズにしても石山蓮華にしても、ワタシを軸として形成しているカンケイの全体が崩壊していると感じ取られているのである。そう受け止めることによって、では私にそう感じられないのは、なぜか。彼女たちそれぞれのモンダイはそれを観ているワタシの(立ち位置と紡ぎ出しているカンケイの)問題にもなる。彼女たちのモンダイにどう私は位置しているかを見定めて私たちは、世の中の主体として立ち現れ、世の中のモンダイに向き合うべく自問自答をそれぞれにはじめることになる。

 さて自己像と周囲の関わりとの齟齬でゲシュタルト崩壊に出遭って《「自分が何をしているのかわからない」と惑泥》するのを避けるのと逆の道筋を辿ることもある。形(ゲシュタルト)に固執するのだ。自己イメージからするともっときちんと(社会的に)遇せられていいはずなのに、どうしてこんなに不遇なのかと自問自答するとき、頑なに自己イメージに固執して遇しかたを過っているのは周りの方だと、外部へ攻撃の矛先を向ける場合だ。

 元首相銃撃事件が起きたとき私は、朝日平吾のことを思い浮かべた。中島岳志『朝日平吾の鬱屈』(筑摩書房、2009年)を読んだときの感懐は、このブログ「ゾクゾクと神経がささくれ立つ」(2015/2/6)に詳しく記しているが、朝日平吾が自身の鬱屈を溜めに溜め、安田財閥の安田善治郎を殺害して自らも命を絶った顛末である。これが引き鉄になって一月後に東京駅での原敬暗殺事件が起き、その後昭和のテロやクーデターの時代へとなだれ込んでいった。橋川文三風に言えば、「大正デモクラシーを陰画的に表現した人間のように思われてならない」朝日平吾のように、今回銃撃事件の山上徹也も、「失われた平成時代を最下層から率直に表現した人間」にみえたのであった。

 その背景を取材したコラムの連載が朝日新聞で始まったが、3回の連載が終わって、なんだか肩透かしを食らったような気分だ。このコラムの2回目の半ばに《「信頼していた者の重大な裏切り」に気づいた》と山上容疑者は(ツイッターに)書き、次のように続けているそうだ。《俺も人を裏切らなかったとは言わない。だがすべての原因は25年前だと言わせてもらう。なあ、統一教会よ》と枕を振っておいて、「アカウント名によく似たタイトルのゲームソフト」の粗筋とか、「ツイッターに頻繁に登場する(サイコスリラー)映画」の紹介をして、山上容疑者の感想を記す。

《2回も観てしまったぜ》《悪の権化としては余りにも,余りにも人間的だ》

 このコラムはこう続ける。「そして、映画を見た直後、火炎瓶を携え、ある場所に向かった」と、旧統一教会の総裁のイベントに出席しようとし入場できなかった、去年8月のデキゴトを記す。まるで映画の主人公になりきったような心持ちに聞こえる。

 これでは、朝日平吾の溜めた鬱屈に似ているというより、映画に感化された模倣犯だ。いや、模倣犯でもいい。山上容疑者の心裡の自己イメージが映画の物語と同一化して固着している。その後は、銃器や弾薬の製造に向かい、標的が旧統一教会幹部から安倍元首相に向かったというゲームのような展開になり、山上徹也の鬱屈と安倍銃撃というデキゴトが、物語の粗筋に変化してしまった。

 何処で(私は)肩透かしを食らったのだろうか。

 コラムの2回目半ばまでは山上容疑者の歩いてきた、決して貧しいとは言えない暮らしの出立と父親の自殺、母親の旧統一教会への入信、その結果として取り残された兄や妹を抱えての困窮と鬱屈に話しは向かっていた。さもありなんという時代的共感を踏まえていたから、母親がなぜ子どもを放置したまま入信してしまったのかは取材されると期待して記事を待った。だが、母親の信心の行方は、昇華したまんま。また、山上徹也自身の恨み辛みがなぜ母親へ向けられなかったのかも、触れないまんま。全部サイコスリラー映画に同一化して,展開するから、その後の話しは一般論になって、容疑者自身の鬱屈はどこかへ消えてしまった。

 そうなのだ。私は、山上徹也の個別の物語を期待したのだ。朝日新聞は8/9の26面全面を使って「山上容疑者の生い立ち」を年表にしたり「山上容疑者の41年」の記事にしている。だが、海自を退職した2005年から後の2019年までのことは、「アルバイトや派遣の仕事を転々とした」「同僚と交わらず,車中で一人昼食をとる」「孤独を嘆き、苦しみ、その原因が教団にあると考えていたようだ」と数行でまとめている。つまり一般論なのだ。

 ここを踏まえないと、ただ単に「危ない男」というイメージが屹立して,いつまで経ってもわが身の日常や径庭とスパークしない。つまり私にとっては、山上神容疑者も事件も、その後の社会の大騒ぎも、単なるひとつのドラマとして通り過ぎてしまう。そんな感じがする。

 ふと、同じ日の同じ新聞の最下段にある「週刊女性」のコマーシャルが目を留まった。《追跡取材 安倍元首相銃撃事件山上徹也容疑者 献金”自己破産”の母は「今も息子を心配してない」》

 とある。ええっ? そうかい? 心配してないって、息子は達成感に満たされているってこと? それとも、こんな事件を起こしてもまだ、息子の行為と自分のやったこととのカンケイがつかめてないってことか?

 そうか、そうだろうね。息子のことを気遣うような母親だったら、いくら自分の魂の救済といっても、3人のわが子の暮らしを眼中に入れない信仰に、身を投じるようなことはしないよね、とわが身の「物語り衝動」が噴き出しそうであった。

2022年8月10日水曜日

品を変えると手が変わる

 術後の左手の痺れや痛みが消えていかない。ものを持つのも親指と中指という動きでは、摑むと言うより軽く摘まむ程度。力が入らないから思いものを持ち上げることはできない。手の平の窪もものが当たると人指し指の先まで痺れが走る。力を入れてものを握ることが適わない。少しは良くなっているかなという気配もなかったが、先日お話ししたような事情で十月居宅工事のスペースをつくるために部屋の片付けをはじめた。

 その続きをやろうと昨日は、手袋を塡めた。平の方に滑り止めの着いた軍手。ところが、これがどう作用しているからなのかわからないが、左手の不安定さが拭われ、しっかり保護されている感触が感じられて、少々の痛みも痺れも我慢できるようになる。手の平まで包んで物をグリップしても、痺れが和らいでいるように思われる。ちょっとした手品を施したような感じ。左手の指の一つひとつの間に右手の指を一つひとつ噛ませて、手の平を返して頭の上に持ち上げるという「冒険」をしても、ある程度まで裏返して伸ばすことができるではないか。これは大発見だ。

 思い物を持つとき、力を入れるのに躊躇わない。痛みが走ることもあるが、一時のことと我慢できる。軍手の上から台所用の大きい手袋をすると水回りにも不都合ない。庭の紫蘇の葉をたくさん採って、ジャコと唐辛子でふりかけをつくる。今年最後のふりかけづくりとなるが、これまでの倍近い量になってしまった。調子に乗ったのだね。左手の軍手の上からビニール袋をかけて手首を締めると、シャワーをもつこともできる。日常に一人でできるコトが格段に広がる。

 もう一つ感じている左手の変わりよう。毎日TV体操をやっている。ラジオ体操というのは、伸ばすところは伸ばす、回す、曲げるというのを丁寧にきっちりやると、全身運動であるとよくわかる。腕を振り上げる、手指の先まで伸ばして躰を回す運動が、これまでは痺れや痛みが走るから、いい加減に押さえていた。ところが手袋を塡めていると、この伸ばしたり回したりするときの痺れや痛みが大きく減少する。まるで安全確保をして岩登りをするときのように、それに頼っているわけではないのに、岩にとりつく心許なさがなくなって、しっかりとわが身を持ち上げて登る足場と手指の置き場を探ることの集中できる。

 これなら自転車にも乗れる。今日の病院へはバスでなく自転車で行こう。手を変え品を変えというが、品を変えると手が変わる。これって、なんだ? 

 左手の術後の不安定さが、痛みや痺れから来ていることは間違いない。だが、リハビリというのは、動かない手指を少しずつ無理をして動かし可動域を騙しだまし大きくして、いつしか「ふつう」になっているようにすることだ。ところが、痺れとか痛みというのは、何処までが我慢の限界かがわからない。医者は「5秒間我慢して、間を置いて繰り返す。1日3回」とコツを指示したが、押さえる程度がわからない。そのリハビリの尻込みは、実は私の脳のブレーキだったことを手袋が教えてくれている。手の平に当たる軍手が「大丈夫だよ」と保護の声をかけているのだ。そうか、ダイジョウブなんだと脳が感じ取って、大胆になったのだね。

「騙しだまし」が何を騙しているのかが、変えた品によって浮き彫りになった。わが身が痺れや痛みを感じて尻込みしていた。そこへ突然生じた「軍手の保護膜」がダイジョウブだよと脳に伝え、同時にももわが身もそれを感じ取るというメカニズムか。

 こうして左手の可動域リハビリも、医師の指示とは異なるが、取りかかることができている。一つ気づいたことがある。この手術をするまで隔週で通っていた右肩と首と肩甲骨のリハビリから遠ざかっている。左手というおおきな痛みが発生すると、それよりは小さい痛みは忘れられて治ったかのように身が感じている。面白い。痛みを制するに痛みを以てする。そんなこともわが身は知っているのだ、と。

2022年8月9日火曜日

身の置き所のアジール

 安倍元首相銃撃事件の報道が、いまや旧統一教会と政治家とのカンケイのモンダイに移行している。政治家は、いかにも今風の政治家らしく、「知っている限りでは関わりはない」とか「そういう反社会的団体とは知らなかった」と、逃げ場を用意したものの言い様で、いつまで経っても変わらない無様な姿をさらしている。降りかかる火の粉を払うって感じで受け止めているんだね。

 だが私の胸中で蟠っているのは、二つあった。

 その一つは、山上容疑者が「精神鑑定」に回されていること。理由の説明は目にしていない。どうして旧統一教会への恨み辛みが安倍元宰相に向かったかが、ふつうの判断では(銃撃までとの距離は)飛躍がありすぎるってことなのか? 私には、そうは思えない。

 事後の報道をみていても、そう的外れではなかったんだと腑に落ちる思いがしている。とすると(と、ここで私の探索眼が目を覚まして)、山上容疑者が元宰相を狙撃するのに相応しい物語を制作するまでの時間稼ぎなんじゃないか。このまま司法の場で安倍銃撃の経緯をあからさまにしてしまうと、山上容疑者の自白する物語りが元宰相を大きく傷つけてしまう。それは避けたいと(法務大臣が言ったかどうかは分からないが)検察の思惑が透けてみえる。逆に言うと、元宰相は、いかにも生前の振る舞いに相応しく忖度を働かさせている。「死せる孔明(諸葛)、生ける仲達を走らす」の図ってワケか。

 もう一つは、山上容疑者の母親がどうして(困窮極まる)子どもたちを放っておいてまで一億円もの生活費を献金してしまったのか。なぜわが子のことを構わないで済ませることができたのか。また山上容疑者自身、一言も母親に恨み辛みを述べていない。なぜなのか。この母と子のカンケイはどうなっていたのか。そのことに踏み込んだ報道は,これまた目にしていない。せいぜい、叔父の元弁護士が坦々と(母親について)控え目に説明しただけである。

 なぜ報道しないのか。むろん母親が容疑者ではないからプライバシーに配慮しなければならない制約はあろう。だがこれに踏み込まないと、旧統一教会が多額の献金をさせたという物語だけがひとり歩きして、献金した母親はただ単にマインドコントロールされた被害者ってことにされてしまう。もしそういう扱い方をしているとヒトはみな悪くないが、宗教とか制度とか運不運とか、外部がモンダイってことになる。でも、そうなのかい?

 母親にとって旧統一教会は避難所であったように思う。献金が多額かどうかよりも、手元にある金にはこだわらずに献金に回すことが、彼女の心持ちの安らぎに通じていたのではないか。もしそれを悪いって(マインドコントロールを)批判するのであれば、視線は単に献金額の多寡だけに向いてしまう。あるいは、その献金が旧統一教会の政治資金として使われたという使途不純金てことにとどまる。でもそんなことに口出しはできまい。

 もし山神容疑者の母親の心の避難所(アジール)が必要だったのだとすれば、今の日本社会では、そうしたモンダイにどう社会的な救済システムがあるのだろうか、結局母親は捨て置かれる以外に身を救う道はなかったのではないか。旧統一教会が悪いってコトだけで片付けてしまうと、山上容疑者やその母親のような問題を抱えた人たちは,ではどう生きることができたのか方途を失ってしまう。

 そんなことをボンヤリと考えていた今日(8/9)の朝日新聞社会面に「深流」というコラムを起ち上げ、「家庭崩壊 渇望した母の愛」「困窮の陰 送り続けたエール」と見出しを付けた連載記事がはじまった。山上容疑者の辿った径庭が取材者の目を通した断片ではあれ明らかになってくると、私の探索眼の物語りも浮かび上がってくる。それを主軸にして今の社会を生きるヒトの物語を覗いてみたいと思う。

 避難所とかアジールというと、一時の気休めのように思えるかもしれないが、必ずしもそうではない。そこにいることそれ自体がワタシをかたちづくるってコトもある。もっと拡げて言えば、仕事だって社会的なお役目だって、似たようなものだ。そこにいる自分が,心安らげ、落ち着くとしたら、それこそがアイデンティティであり、ワタシなのだ。そういう意味では、避難所=アジールというのは、ヒトの実存を意味することなのかもしれない。親と子というカンケイに身を置くことができなくなるヒトだっていても不思議ではない。ヒトが物語を必要とするときに、わが身の救済だけが視界にあり、その余のカンケイが眼に入らないとしたら、それによって見捨てられるヒトをも社会的に救済しようとするインフラ物語りが必要になってくる。それは、誰が紡ぐのか。どう紡ぐのか。それと今回の銃撃事件は関係がないのか。

 そんなことを、わがアジールで考えるともなく思っているのです。

2022年8月8日月曜日

ま、今日はここまででいいか

 朝3時半頃に起きる。コーヒーを淹れる。豆を挽く。コスタリカのエル・アルコン。何種類かあるが、これは甘く香りがいい。左手が重いものを持つことができなくなってしばらくはカミサンに淹れてもらった。今だってさして変わりはない。だが嘗ての日常に使った手の平の動きを少しずつでもやることがリハビリになる。そう思うから、時間はかかるが丁寧にやる。湯が沸きはじめたのをみて火を止め、ゆっくりドリッパーに粉を移す。この間に95℃の湯が90℃くらいの適温に下がる(と勝手に決めている)。湯を注ぐとぷくぷくと粉が膨れ上がる。粉粒が注ぐ湯の動きに応じてブラウン運動をしているのを感じる。その膨らみを見ているのがコーヒーを淹れる至福。

 朝食を摂る。カミサンは早い電車に乗って、友人と落ち合って探鳥に行く。

 見送って私は昨日の到来物へのお礼状を認め、郵便局まで行って投函する。日曜日の最初便で送れば、月曜日には届くだろう。その文面を手直ししてブログにアップする。

 図書館へ本の返却に行く。空一面の曇り空が日差しを遮って気持ちが良い。少し遠回りの散歩を加える。人とも車とも行き交わなかったが、公園を通ると幼い子どもとパパたちが、自転車の練習をしている。そうだ、日曜日だった。

 図書館は賑わっていた。社会人席も、窓際にずらりと並んだ学習カウンターにも(一席ずつ話してあるが)人が一杯。そうか夏休みだった。サンダルの音を立てて歩く子どもに父親が「静かに歩きなさい」と注意している。予約本が来ていたのを4冊借りだし、書架の大部の本を手に取る。古川日出男『おおきな森』(講談社、2020年)。900頁ほどもある。小説のようだ。誰もいない近くのテーブルについてどさっと置いて頁を拡げる。妙な始まり。遣り取りも幻想的。何でこんなに厚い本は気持ちを誘うのだろう。大部の本を手に持つだけでワタシが豊かになったような気がする。読んでさらに心持ちが潤うかどうかは,また別の歓びかもしれない。

 と、男が一人のぞき込んでくる。

「んっ? 何?」と口にして顔を上げる。

 彼奴は何も言わず立ち去る。私の座っていた場所に何か忘れ物をしていたのかもしれないが、無礼なヤツめ。ことばをつかえ、言葉を。

 時計を見ると11時半にもなっている。この本は持ち歩くには重すぎる。また今度来たときに置いてあれば、続きを読もう。書架にしまって帰途につく。

 厚かった雲が薄くなり日差しが少し通って降りてくる。でも暑さは軽いまま。

 お昼を済ませ、書斎の片付けをする。10月には団地の給水管給湯管の居宅更新工事がやってくる。1号棟はもう始まっている。それまでに工事に使用する箇所の片付けをしなくてはならないが、暑さと手の平の手術と、何よりわが身のいい加減さが働いて、延び延びになってきた。このままにしていたら、手はいつまでも治らない。一月半かけて片付けようと重い腰を上げた。いや、要らないモノというか、ここ何年も手を付けていないものばかりだ。ゴミに出してしまえばいいのに、それができない。本も段ボールに入れたまま、売りにも行かず、ゴミにも出さず。それよりオーディオやパソコンのデスクトップという古いものまで取ってある。右のものを左に移すようにして業者の作業空間と作業物の置き場を確保する。少し動かして草臥れる。ま、今日はここまででいいか。

 ソファで本を読んでいるうちに寝てしまった。朝が早かったから、これも悪くないと自分に言い聞かせる。風が通るからクーラーも入れていない。

「小田代ヶ原でお昼」とカミサンからLINEメール。奥日光は涼しいだろうなと、1年前のリハビリ登山を思い出す。でも日曜日、帰りの車は渋滞になるんじゃないか。

 6時半頃に帰ってきた。夕食にする。鳥や植物が面白かったらしい。いろいろと喋っている。その興味深さが、年寄りの元気の源と感心しながら、右から左へと素通りしていく。

2022年8月7日日曜日

久々の邂逅

 昨日「お中元」が届いた。去年4月まで機能していた山の会の方々から、新潟黒埼青木農場の「黒崎茶豆」のクール便。お茶かと思って冷蔵庫に入れておいた。かみさんが帰ってきて、「枝豆よ、これ。以前にももらったわね」といったので、そうだ、そうだったと思い出した。

 今朝になって御礼の手紙を書いている。かつては、こういう儀礼的なことは止めましょうなどと言っていたが、近頃はこれが近況報告だと思うから、素直に喜んで受けとる。そうして、感謝の言葉を認める。こんなことを書いた。

      ****

 突然の「お届け物」に驚いています。山歩講は解散したのに、まだこうした気遣いをして下さるなんて、恐れ多くて身の縮まる思いです。

 ありがとうございました。以前にも、この「黒埼茶豆」を頂戴したことを思い出しました。わが身の痛風に良くないとは思いながら、早速ビールを手に入れて、青木農場の「おいしい食べ方」の通りに湯掻いて頂きました。おかげで夕食を食べ過ぎることとなり、早々と床につく有様でした。

 昨年4月の遭難事故以来、ずっとリハビリに通っています。足腰は大丈夫だったわけですが、如何せん、身体機能全体の経年劣化が思ったよりも早く現れてか、長時間の継続した負荷には、あちらこちらに疲れが噴き出してきます。その疲れを和らげるため,未だにリハビリに足を運んでいます。

 歳はとるとかとりたくないとかいうものではなく、時間が過ぎてゆくことを身に思い知らせるように告知し続けてきます。

 若い頃には、時間は「外部」にありました。いつも追われるように仕事をし、ときどき追い越されて臍を噛むこともありました。リタイアしてからは(外部の)時間から解放され、わが思うがままに生きているつもりでした。だが気づいてみると、いつの間にかわが身そのものが時計と化したかのように時間を「内化」して、日々着実に劣化していっています。体内時計がいつも思い知らせてくるのです。

 そうやって身の回りをふり返ると、親はともかく、兄や弟もそそくさと彼岸に渡り、半世紀来の友人の訃報が届いたり、いつの間にか知り合いが亡くなっていたりすることも多くなりました。そうか、そろそろ平均寿命にさしかかるんだと、別に平均的に生きてきたわけでもないのに、そう思っている自分に気づきます。

 追いつ追われつしていた外部の時間が身の内部の時間にとり代わって、遠近法的消失点に向かって歩んでいることを実感させていたのですね。その変わりゆく姿を眺め,わが身の来し方を見渡し比べて、おれたちの人生わしらの時代を思う日々を送っています。

  いやはや、久々のお二人との邂逅に、つまらないおしゃべりをしてしまいました。

 お二人は、元気にしてらっしゃいますか。

 コロナ禍も、もう2年半になるのに、いまだ意気軒昂な様子です。イヤでも離れないとしがみついてくる情の深いストーカーのようですね。袖にし、振り切ってお暮らしでしょうか。虫除けワクチンを4回打って、我関せず焉と踏ん張ってますか。

 年を経るごとに身の回りのヒトもワンちゃんも、世の情景も変わります。その変わり様を兼好法師のように眺め楽しみ暮らしながら、元気にお過ごし下さい。

 ありがとうございました。この暑い夏、乗り切って下さい。

    ****

 寄りすがってくる情の深いストーカーは、手を変え品を変えというか、姿を変え化粧を施して音もなく忍び寄ってきている。ときにはとりついても本人にはとりつかれたことが分からないというから、まるで四谷怪談。なるほど夏向きの話しではあるが、どうも今回のコイツは、年中無休、季節にこだわりがなく、こちらも一息つく暇もない。参ったねと参ってしまうと、年寄りには本当に命取りになるともいうから、容易に馴染むわけにも行かない。

 久々の出逢いは楽しいが、しょっちゅう付き纏われては、鬱陶しい。このストーカーは言葉が通じる相手ではない。毅然ととか優しくといったこちらの態度に左右される気配もない。情が深いかどうかも、ワカラナイというよりはカンケイない。鬼神とおなじか。ただ手近なヒトにとりついて身を保とうとしている。あまり友達づきあいはしたくないね。そう思うのは、わが身の裡に、カミもホトケもオニもジャもいなくなっているってことか。

2022年8月6日土曜日

明日は何があるかわかりませんので

 一昨日(2022/8/4)の「青天の霹靂」で思案していた新橋でのseminar開催が、一挙に「解決」した。kさんからの一本のメール。

 《いつもながら、返事が遅くなり申し訳ございません。/私は、仕事のシフトを交代して、20日セミナー出席を予定致しておりますが、皆様のご意向で延期で有れば、それも可。80歳ともなれば、明日は何があるかわかりませんので、お会いできる時に、お目にかかっておきたいと思います。/テーブルの配置についての提案ですが、円形にして、お互いの顔が見れる方が楽しいかなと思います。今までは、感染予防の観点から厳重に距離を取っていたと思いますが、マスク、換気に気をつければ、円形の距離でも大丈夫ではないかなと。/お昼は焼うどんをお願い致します。(笑)/取り急ぎ  k》

 この方、前回登場のトシさん同様、まだ仕事をしている。まさしく「健康時間寿命」を感じながら過ごしている気配が文面から漂う。なによりseminarの言い出しっぺである新橋の「同窓生の十字路・交差点」のお店を、夫婦二人はまだ頑張っている。炎暑やコロナ感染の中心地で、毎日仕事をしていることを考えると、熱いのなんのと言ってられない、と思う。講師のタツコさんも肚が決まったようだ。メールが来た。

 《8月20日に向けて準備をしていらっしゃる方も多いのですね。/コロナのこともありますが、暑いさ中、私のつたない喋りのために、わざわざ新橋までお越し頂くのは心苦しいと思っていたのです。/そういうことなら、20日にやらせていただきます。/よろしくお願い致します。 タツコ》

 連絡のなかったミヤケさんからも「連絡が遅くなって済まない。むろん出席します」とメール。思い出した。seminar会場が8/20日しか開いていないと知ったとき彼は、奥さんの法事日程を変更して、参加できるように算段してくれていたのであった。

 kさんの「焼きうどん」に続いて、「エビメシ+セット・ドリンク」、「ズワイ蟹重」、「シェフのおまかせランチ」と会食の料理の注文が書き添えてあるのが、なんとも頼もしそうに感じる。本当に「健康時間寿命」を過ごしている。

 元気な返事ばかりではない。「いや、やっぱり用心します」「今回は欠席」と炎暑かコロナか、打撃が大きいとみえる。

 かと思うと、メールに返信がない。目が悪くなり、パソコンの画面を見ていられなくなった人がいる。この人には電話をしたりしていたが、今回は「ランチメニュー」の添付があるから、プリントアウトして郵送にした。もう一人郵送がある。有楽町の薬局へ仕事には出ているのだが、パソコンを見なくなった。スマホで受けるらしいが、まだ仕事現役だからだろうか、随分たくさんの有用無用取り混ぜたメールが届いて、いちいち見ていられない(と言い訳をしていた)。返事が、来なくなった。でもまあ、いつものことと思っていたら先月のseminar会場がとれなかった日に電話があった、「どうして誰も来てないの?」と冒頭に文句を言う。えっ?  メール見てないの? と私は驚く。6月から何度か皆さんに相談して、今月20日に変更したときにも、そう言えば返事がなかった。本人は、会場がとれなかったことも,その後の遣り取りも目にしていなかったのだ。何と言えばいいだろう。歳をとって、いろんなことがメンドクサクなってきたのか、しっかりとコトの顛末を押さえることをしなくなっている。電話をしてきた後に、送ったメールの何通かをプリントアウトして,日付と経過が分かるように郵送した。それを受けとったという知らせもない。仕方なく今回は、メールを送るのと並行して、プリントアウトして郵送の投函をした。ところが今回は、メールで返信が来た。何だかなあ、と思う。でもこれで怒ったりしていたら、年寄りの会のとりまとめはできない。にこにこと、頑張ってますねと声をかけようか。「明日は何があるかわかりませんので、お会いできる時に、お目にかかっておきたい」おいう冒頭のkさんの言葉が頭に浮かぶ。

2022年8月5日金曜日

実在とは何か

 最初にこの本を手に取ったのは、物理学からアプローチする哲学の本だと思ったからです。アダム・ベッカー『実在とは何か』(筑摩書房、2021年)。この本は、副題的に(表紙に)こんなことを書き込んでいます。

《量子力学に残された究極の問い/「量子革命」から100年、問うことすらタブーとされてきた難問をめぐり、二十世紀最強の科学者たちの論争をたどる。/今最も熱い論争がここにある/Adam Becker What is Real--The Unfinished Quest for the Meaning of Quanntum Physics》

  量子物理学じゃあ歯が立たないなと思いつつ読み始めましたが、その量子論が成立する過程のここ百年に及ぶ論争を繙いて、あたかも量子論そのものがコレといって提示してみせるものではなく、「世界」を見て取る切り口を示すような哲学だと解いているように、読めます。まだ全部読み終えていませんから、ほんの門前の小僧のちょっと見なのですが、物理学者たちの最先端の遣り取りも、私たち庶民が突き当たり、それなりに自分を納得させていく「世界理解」とかわらないんだなあと興味深く思っています。

 主としてアルベルト・アインシュタインとニールス・ボーア(デンマークの理論物理学者、量子論の育ての親と言われている)の「コペンハーゲン解釈」を巡る何十年にわたる遣り取りの記述は、量子論そのものよりも、その思索と表現とその遣り取りが為される舞台に登場する物理学者たちの「理解/無理解」と「誤解/新しい発見」という右往左往を浮き彫りにし、しかもその有り様が私たち庶民の「情報」「認識」「腑に落ちる」のと似たような功績を辿っていることを示している。

 この著者・アダム・ベッカーがどういう方なのか知らないが、科学領域に関して私が門前から橋渡しをして境内を垣間見させてもらったことで言えば、ジョージ・ガモフ、カール・セーガンに次ぐ、3人目の案内者だ。つまり門前の小僧にとっては、量子物理学の中味そのものよりも、その世界を語る語り口、即ち哲学が、どのように、どこまでわが身の感じてきた世界の感触と重なり合っているか、重なるとまでは言えなくても、響き合うものを感じ取れるか。

(1)ボーアは表現が苦手であったらしい。書くものは難解、本人も何が言いたいのかよく分かっていないが、でも、言わねばならないというポイントはあって、とりあえず書く。あるいは口述論議したものが文字にされる。とにかくよく推敲を重ねて、様子を整えて提出する潔癖な方であったのに、そのエクリチュールは何を言い合いのか、よく読み取れない。だが後になって、本人が言っていたのはそういうことかと腑に落ちるポイントを突いていた、とか。

(2)それに対してアインシュタインは簡潔明快に述べることをしたが、それがボーアのコペンハーゲン解釈を否定しようとする狙いと読み取られ、指摘する論議の要点に踏み込めない扱いを、しばしば受ける。

(3)取り巻く,やはり物理学者たちは、ボーアやアインシュタインの論理の穴を見つけて探求し、当人たちが言い及ぶことができなかった論点を明快にしてゆくのだが、多くの人たちは、アインシュタインの批判に対して,ボーアが何を言っているのかは分からないが、アインシュタインの言っていることを否定したことだけは腑に落とし、心持ちを安定させて研究を続けることができた。

(4)それら量子の動きを、実験科学的に明白なエビデンスを提出できるのかどうかとなると、観察したときにだけとらえることができるというボーアに対して、観察していようといるまいと実在する(思索の渦中にある)というアインシュタインとが、遣り取りする地点で、私たち庶民の「実在」とイメージが重なってくる。

     *

 ああ私はこの本を哲学書として読んでいるんだなと思いながら、一つ独中の感懐を記しておこうと思った。(4)の「観察したときにだけとらえることができる(量子の動き)」というのは、カメラに収めた一枚の人物像のようなもの。瞬間を切り取っている。これが、観察したときに現れるすがた。ではカメラに収めないときは実在しないのか。シャッターを切るときにしかポイントが特定できない量子の動きは、あるのかないのか。 つまりカメラに収めた人物(私)が同一人物であるというエビデンスは、何によって示すのか。人間の場合で言えば、個人を特定する科学的方法はいくつかあるが、それは目に見えるものだから。ではめにみえないとき、あの時の自分とこの時の自分とが同一であるというのを、当人は何によって「保証」しているのだろうか。というふうにして今度は、「記憶」の領域の扉が開く。こうやって次から次へと、一つの謎を解いたと思ったら、次の謎の扉が開くように科学者の論議は、積み重なっていく。それはわが身を探求しはじめたら、向こうに謎がみえてくるのと、同じと言えば同じ。ワタシも量子と同じ旅を続けているのだと一知半解どころか、一知全半壊の門前の小僧的無明の自覚をしているところです。

2022年8月4日木曜日

青天の霹靂

 今朝2時頃だったろうか、ゴロゴロと鳴る遠雷に目が覚める。おや、寒気が入ってきたかと枕元の小窓を開ける。生暖かい風が申し訳程度に流れ込んで,昨日日中の暑さを思い出す。35℃を超えた日中に図書館への往復を歩いた。

 今月20日に予定しているseminarの講師から、コロナの隆盛もさることながら,この暑さ。参加者が皆(傘寿を迎える)高齢者だから涼しくなってからにしませんかと(全員宛の)メールが来た。皆さんはどう反応するだろう。

 トキくんからは、《……世の中のクーラーを全部止めれば、涼しくなるんじゃないかと(驚きの提案しながら)……体の不調で医者通い。seminarは成り行きで決めればいいのでは。コロナは峠を越すのかな》と皆さん宛の返信メール。

 トシさんからは、《……とうとうコロナに感染しました。7月12日に発熱、病院に行ったらコロナの診断。解熱剤など薬をもらったら2日ほどで熱は納まりました。どこで感染したのかは定かではありませんが、10日間の自宅療養。家内もすぐに感染しました。その間の取材をキャンセルしたので今週は目いっぱい、フル操業です。こんな具合で軽症でした。セミナー開催なら出席します。》とすっかり恢復した様子。

 フミノさんは、《お世話になっております。先日お昼に30分ほど傘を差しながら、日陰を探しながら歩きましたが、かなり参ってしまい年齢を思い知らされました。私ももう少し暑さがおさまるまでずらしたほうが良いかなと思います。ただし皆様にお会いすることがなによりの楽しみなので、実施が決まれば八月でも参加いたします》といつもながらの洒落者ぶりを窺わせる。さっそく男の日傘を使っているのだ。

 ノリコさんからは、《酷暑の中の思案、お疲れ様です。コロナについて、高齢者は不要不急は自粛すべしとか、基礎疾患のある人は自粛すべしとか自治体によって取り決めがある様ですが、何よりも高齢者は無理をしない事では…? コロナの行末も暑さが収まるかどうかも (多分)でしか判断出来ないのであれば、無理をしない方がいいかと思います。講師の準備のご都合もあるでしょうし、私は先に延ばす方がいいと思います》と、気遣いと慎重さを忍ばせるメール。

 今朝4時半前、ボタボタと庭に落ちる大粒の雨音に起こされる。気温は下がっているようだが、湿度が高く、涼しいって感じではない。でも、こうした熱波の波動を感じながら、いつの間にか亜熱帯の気候帯に移り変わっていくのかもしれない。とすると、涼しくなるのを待ってなどと言っていると、年寄りに先のない寿命と身体劣化の時間推移が立ちはだかる。

 こうも言い換えることができようか。「涼しくなるのを待って」という前者は、「時間」がわが身の外部に流れている。だが後者の時間は、はっきりとわが身に内化されている。皮肉なことに、若いうちは「待つ」ことをしなくても状況を突破するだけの体力があり気力が後押しをする。そうやって忙しなく「時間」を乗り越えてきた。だが歳をとると時間はいくらでもある。外部的な「時間」から解放されてわがままに過ごすことができる。それなのに、身が待っていられない。あっという間に時間が過ぎてゆくという実感は、「時間」さえ身の裡に内化されて、身とともに滅びてゆくのかもしれない。

 さてそう考えると、30℃くらいなら何でもないが、35℃を超えるとなるとちょっと手強いぞという境目のところで、いまseminarの開催を思案していることになろうか。これってまだ、「健康時間寿命」が残ってるってことか、それとも危機的状況にあるってことか。

 さあ、今朝の晴天も霹靂が、seminar開始のGOサインとなるか、それとも焼け石に水となるか。歳をとると、言葉の意味合いも逆になって世間から離れてしまうようですね。

2022年8月3日水曜日

庶民文化の自律の根拠

 門前の小僧が門の前で入門を撥ね付けられたように感じたのは、今思うと、生育歴中に身に刻まれた文化と生活習慣が、門内境内にみえるアカデミズムの景観に感じるあまりの段差。それに戸惑い、怖じ気づいたからだったかもしれません。情けないと言えば情けない。でも投げ出して引き返したかというとそうでもなくて、都会文化の大学生の空気を吸い、キャンパスや寮で出遭った人たちとかサークルの人たちからの強烈な刺激を受けて、本を読み議論を目撃し、それなりに自分の身を切り替えてゆく試行錯誤の渦中を過ごしてきました。相変わらず門前の小僧であったことだけは、間違いありませんが、門を離れず、うろついていたのですね。

 そうして就職して、人類史的な社会の困難を一身に背負った定時制の生徒たちにであったのでした。金の卵として地方から出てきた生徒たちはそのまま自分の姿が投影されているようでした。73年の第一次オイルショック後、一斉に金の卵は姿を消し、代わって近隣の全日制に入れなかった生徒たちがやってくるようになり、学校の実態がわが身の処し方と深く関わって展開していると感じていました。当時の文部省の指導要領はタテマエ、実態は少しでも良き生活習慣を身につけて世に送り出す文化伝承の機関だということが、ピリピリと伝わってきたのです。

 しかし世の中は高度経済成長が一段落付き、悪かろう安かろうという大量生産時代から、品質が問われる多品種少量生産の安定成長時代へ移っていきました。もちろん同時に、生徒たちには良質な労働力としての「品質」が要求されましたが、定時制の卒業生たちは端から除外されていました。労働力商品としての「高品質の学力」が序列をつくり、それに遵うことを肯んじない生徒たちは世の中の埒外に捨て置かれ、身の置き所に苦しんでいたのだと思います。

 どういうことか。学校がすっかり(産業分野に役立つ)「学力」序列で整序され、教師の視界もそれによって覆われてきたのです。定時制では、学校が同世代生徒集団として抱えているコミュニティ性とそこに於ける人としての振る舞いが、(教室秩序を維持するために)教師たちにとっても大切にみえたのですが、全日制の中堅校へ行くと、学力で輪切りにされた生徒たちの立ち居振る舞いは、おおむね均質になり、教師たちも生活習慣とか日常の振る舞いを気にする必要がなくなったのでした。

 1980年代の後半に私が転勤した全日制高校は、まさしく一億総中流の子どもたちらしく、穏やかな環境で順調に育った安定した生活習慣を持っていました。それは反面で、輪切りにされた学力下層の高校の生徒たちがいたことを意味します。生活状況が底辺層の子どもたちが多く、「学力」を主題にする学校に馴染むことが出来ず、底辺高にきた。ご近所のコンビニさえ、アルバイトにこの底辺高の生徒は採用しなかった。原宿や渋谷へ遊びに行くのも、怖くてできない子たち。世の中に身を置く所を見いだすことも出来ず、彷徨って漂うことになっていました。

 この子たちが高度経済成長の結果、突然この世に出来したわけではありません。労働力商品としての「学力」に一本化しなかった時代には、教養としての知的能力でした。それに適応できない人たちは、それなりに身の置き所があったのであったのです。それを受け容れたのが、庶民の文化です。江戸で言えば町人文化。それが明治維新以降、欧米流資本家社会に突入し成長路線へと加速するに付けて、西欧風の思考や芸術観念が「芸術」として権威を持ち始めます。欧米で評価を得て日本で高く評価されるという傾きはその後長く続き、家永三郎氏が「日本文化史」を上梓した頃にもまだ色濃く残っていたことが、マサオキさんの引用から読み取れます。

 そして私もまた、そうした時代の空気を吸って成長してきました。だから、大学に入った頃の私は欧米風学問への憧憬をもっていて、大学の教授たちの、旧弊旧習な身体的振る舞いと欧米的知性のハイブリッドにぶつかって尻込みしたか幻滅して、門前の小僧にとどまったのでした。それはわが身に無意識に刻んで(堆積して)いる「ワタシ」とは何かという問いに自ら自答しなくてはならない。そういうテーマを背負い込む道へ踏み込んだワケです。

 そのワタシの無意識に身につけた観念や感覚を一つひとつ対象化して、その根拠を問い、自ら応える応答を続けてきました。それはことのほか面倒であり、時間もかかりました。その途次をここ半世紀ばかり、つかずはなれず付き添うように、間近でみるともなく傍らに座を占めていたのが、マサオキさんだったといって良いでしょう。

 ちろりちろりと目をやって、彼だったらどう応えるか。どう返すか。どう逸らすか。どう韜晦するか。どう皮肉ったり、おちょくったりするか。それは、身の程をわきまえず世の中のあれやこれやに口を挟む性癖を持った私を、地の底の方に重心を置いて、空間を軽々と飛びながら、吐き出す言葉や振る舞いがそのまま批評であるという風情を醸す。まさしく庶民文化のひとつのかたちをはっきりと示しています。

 いうまでもありませんが、私に庶民文化を価値づけたり論じたりする力はありません。だが、庶民文化を味わい、それを時代においてみる程度のことは、岡目八目ながら(ワタシに引き寄せて)やってきています。

《ですから「あそびをせんとやうまれけむ」などと言って持ち上げたりおだてたりするのはいくら気のおけない仲とはいえ、いけませんね。》

 というマサオキさんの言葉を軽々に、素直に受け取ってはならないのです。

「まだ神髄には達していませんね。持ち前の鋭い筆法で薙ぐに何の躊躇もこれあらん。」 とばかり、ここまでお出でと揶揄っているのです。でもそれをものともせず、これからも、庶民文化の精髄を西欧風の権威主義文化に対置して、取り上げてみたいと思っています。なお、直近の関連ブログ記事は、以下の3本あります。ご参照下さい。

(1)2022-7-22「即興ジャズ・エクリチュール」

(2)2022-7-3「ディズニーランド国民国家」

(3)2022-6-30「遊びとしてのエクリチュール」

切り取る窓の懐かしき狭さ

 以前にも登場してもらった、半世紀来の友人・マサオキさんから今月号の手紙が届きました。往復葉書の三面半を使ってビッシリと手書きの文字。その文字数、約2800字。地球温暖化といわず「地球暑熱化/激甚級気象」のこと、コロナウィルスの変異のこと、サル痘のこと、豚熱や鳥インフルに感染した動物の「処分」のこと,安倍首相暗殺のこと、東京五輪と理事の収賄と電通のコト、利権の祭典ということ、竹田理事の越後屋騒動の裁判費用はJOCが全額負担していること、安倍元首相の国葬も電通が取り仕切っていること、マサオキ・ガーデンへようこそ、といった風情です。

 そして先月号の「ささらほうさら・無冠」に関連して思う所を認めています。その一節に次のような文面があり、私の自問自答に刺激スイッチが入りました。


《家永三郎の『日本文化史』(昭和34年間の岩波新書)を再読していたら、これは得たりの一文に行き当たりました。彼の文芸に関する潔癖さが窺われます。曰く

「江戸後期の町人芸術は一時のなぐさみものにすぎなかった。作者もみずから〈戯作者〉の名に甘んじ読者の好みに迎合することを恥としなかった……人生と真剣に取り組んで内的情熱を傾けて創作に当たろうとするまじめさを持っていなかった……高邁な思想がなく現実の勇敢な取り組みにも欠けているとすれば、いきおい奇を追う傾向に堕するのは免れ難い結果である……」

 どうです正鵠を射ているでせう。私の自称戯作もまさに仰るとおりであり、こう言っては何ですが、こちらのもくろみ通りの評言が六十年も昔から届いているのです。ですから「あそびをせんとやうまれけむ」などと言って持ち上げたりおだてたりするのはいくら気のおけない仲とはいえ、いけませんね。持ち前の鋭い筆法で薙ぐに何の躊躇もこれあらん。》

      *

 これは、2022/6/30の本ブログ「遊びとしてのエクリチュール」に対する彼の返書。くすぐられて悦ぶ人でないことは先刻承知ですが、ここに彼の強い現代社会への批判、私への皮肉が籠もっていると私は読んでいるわけです。そこへ、今日は少し踏み込んで考えてみましょう。

 家永三郎は、1960年代の古典的なアカデミズムの人物と私の中のイメージが焼き付いています。二つ記憶に残る印象深いデキゴトがありました。

 1961年に彼の講座「太平洋戦争論」を聴講しました。一般教養です。教室は満席。教授の声が静かに響いています。ノートに書写する音がするだけの雰囲気には圧倒されます。だが私は、馴染めませんでした。彼は、90分の授業分相当の「原稿」を書いてきて,それを句読点を含めてゆっくりと読み上げ、書き取らせるだけの授業だったのです。もちろん教授と言葉を交わしたいと思ったわけではありません。だが、歴史学の天上界から響いてくる声は、田舎から出てきて東京の文明文化に驚嘆している18歳にとっては、接点を見つけるのが難しい。これじゃあ,本を読むのと同じじゃないか。まさしく天の声。そして私の予感通り、その翌年に岩波書店から『太平洋戦争(論)』として出版されました。

 今思うと、アカデミズムの門前に立っている小僧に、丁稚は雑巾掛けからはじめなさいと身を以て教えていたのでしょうね。戦争に突入した親世代に抱いていた不審感を学問的に解き明かして詰めていく絶好の機会でもありましたね。でも、お前さんたちを相手にするに足りるかどうか、初っぱなに篩にかけられたように感じていました。この授業が端緒になって、教育学部にいた私の知人は家永教授に心酔し、4年終了後に文学部日本史専攻に編入したほどでしたから、私の受け止め方が門前の小僧としての自覚を欠いていたとは思いますが、大学に幻滅した一つの体験でした。

 もうひとつは(上記のことから1,2年後の)学園祭のときのこと。家永教授が講演をし、終わって後の質疑応答で誰かが「社会主義国(中国やソ連))の人民民主主義はどうして民主主義と言えるのですか」という趣旨の質問をしました。それに対して家永教授は「(社会体制が異なると)基本的な考え方が違ってくる」と応じて、「真理を見極めることの重要性」を展開しました。なぜか(社会主義を擁護しようとしているが)煙に巻かれたように感じました。当時マルクス主義では当然視されていた「前衛論」を前提にしているんだなと(私は身の裡で)教授の言説の文脈を構成していました。でもそれを口にしないで、「前衛性」を援用しようとして、言葉が曖昧になってしまったのだと。

 当時、「新日本文学」の論壇では、保守派にせよ共産党にせよ結局東大新人会が日本の進路を決めるという(戦前の)統治の構図をめぐって遣り取りがありました。また、花田清輝と吉本隆明の戦争責任論争もすでに終結していたのだから、それらに触れないで太平洋戦争を論じるのを不思議に感じてもいました。結局この人も(東大新人会系統同様,統治者サイドの)雲上人だと受け止めたのですね。

 この人は「人民」をみていないと直感したのだったと、今ならまとめることが出来ます。それが、マサオキさんが引用した「文化論」によく現れています。

 家永氏は「江戸後期の町人芸術は一時のなぐさみものにすぎなかった」と貶しています。取るに足らないというのでしょうか。「なぐさみもの」の何が悪いと、浅草に入り浸り剽げて一発芸を見せて笑わせていた同郷の仏文科の友人を思い浮かべている。文化を論じるとき、町人のなぐさみものになっているってことをどうとらえどう評価するかは、欠くことの出来ない視線です。すでにそのとき、柳宗悦の「生活芸術論」も提起されていたのに、芸術を何か人の暮らしとかけ離れた高踏な領域の創造活動と家永氏は考えていたようにみえます。

「読者の好みに応じて迎合する」〈戯作〉の展開も、時代を映す鏡ではないでしょうか。それを「まじめさ」(を欠く)という庶民の生活感覚に還元して評価しようとする家永氏の芸術センスは「高邁な思想」が、何だか大真面目な統治センスに浸されているように、私には感じられてしまうのです。まるで近代のプロテスタントの倫理学者のような匂いさえしてきます。でもそれは、市井の民の暮らしを視界においてヒトの暮らしを考える視線をもっていません。まるで武士の物語でこの世の経世済民は語り尽くせると思っているようです。と、マサオキさんの引用だけを読んで思っています。

 たまたま私は、時代の文化状況を考えるサークル活動に属していましたから、先輩たちが「授業に出るのはバカだ。本を読め」という世間話の言葉の方が、心裡に迫って私の行動規範になっていったのかもしれません。ここですでに私は、アカデミズムから脱落していたのですね。学問の武士である家永氏のありようが、商家出自の私に馴染めなかったのは、無理もないことだったのかもしれません。私にとって大学は、統治的な社会階層に属する人たちの言説や振る舞い、そこへ辿り着こうと歩く人たちもあれば、いろんな層の人々によって構成されている世の中の、独特の一角を占めて身を立てようとする人たちもいれば、すでにそこに身を置いて学生を応援する街の年寄りもいる。その存在にわが身が照らし出されて驚きの日々を送っていました。地方と都会の落差もさることながら、わが身の来し方が堆積して身に刻まれている。そのわが身が、そういう諸相が混じり合っている社会にどう位置するか。おろおろと勝手を探って右往左往していたのでした。(つづく)

2022年8月1日月曜日

夏の最中

 手の平の腫れが引かない。餅がくっついたような感触があり、親指の根方を押すとピリピリと人指し指の先まで軽い痛みが走る。痺れって、これをいうのだろうか。医者は指を一本一本曲げては伸ばせというが、左手の指は第一関節も第二関節も曲がらない。右手で包み込むようにして曲げると関節が折れそうなほど痛い。ただ、左手の甲の晴れがなくなり、しわしわになってきた。日にち薬っていうが、じわりじわりと良くなっているのだろうと思うしかない。

 30日にはコーヒー豆を買いに行った。いつもなら歩いて行くほどの5㌔だが、この暑さでは途中で音を上げそうだ。自転車は29日に試して危なっかしいと分かった。車はどうか。左手の操作はオートのギアチェンだけ。左手のハンドル操作は押さえているだけで用が足りる。自転車よりは役に立つ。ただ押さえて力を入れるとき親指の根方のふっくらとした部分を使うとピリピリと人指し指に響く。いつものようにはできない。ゆっくりと走らせた。  

  昨日は7月最後の日。3.5kmほど離れた生協へカミサンが買い物に行く。私は散歩がてら荷運びをしようとついて歩く。暑いから午前9時ころに家を出たが、踏み辿る日陰がそれほどない。ゆっくり歩を進めながら、ふり返るとかみさんがいない。おや、どこかへ置いてきてしまったか。角の木陰に身を置いて100mほど無人の歩いてきた道路を眺めていると、20mほど手前の家の脇からひょいと姿を現す。ン?……。何か目に止まった植物に誘われて吟味していたのだろう。何か話していたが、暑さに蒸発してしまったように耳にとどまらない。

 主要道を2本横切り、農地や林の残る住宅街の細い道を40分ほど歩いて生協へ着く。人が多い。冷凍餃子が1パック50円も通常値段より安い。牛乳も安いとあって、餃子と牛乳を買ってリュックに背負い、私は先