術後の左手の痺れや痛みが消えていかない。ものを持つのも親指と中指という動きでは、摑むと言うより軽く摘まむ程度。力が入らないから思いものを持ち上げることはできない。手の平の窪もものが当たると人指し指の先まで痺れが走る。力を入れてものを握ることが適わない。少しは良くなっているかなという気配もなかったが、先日お話ししたような事情で十月居宅工事のスペースをつくるために部屋の片付けをはじめた。
その続きをやろうと昨日は、手袋を塡めた。平の方に滑り止めの着いた軍手。ところが、これがどう作用しているからなのかわからないが、左手の不安定さが拭われ、しっかり保護されている感触が感じられて、少々の痛みも痺れも我慢できるようになる。手の平まで包んで物をグリップしても、痺れが和らいでいるように思われる。ちょっとした手品を施したような感じ。左手の指の一つひとつの間に右手の指を一つひとつ噛ませて、手の平を返して頭の上に持ち上げるという「冒険」をしても、ある程度まで裏返して伸ばすことができるではないか。これは大発見だ。
思い物を持つとき、力を入れるのに躊躇わない。痛みが走ることもあるが、一時のことと我慢できる。軍手の上から台所用の大きい手袋をすると水回りにも不都合ない。庭の紫蘇の葉をたくさん採って、ジャコと唐辛子でふりかけをつくる。今年最後のふりかけづくりとなるが、これまでの倍近い量になってしまった。調子に乗ったのだね。左手の軍手の上からビニール袋をかけて手首を締めると、シャワーをもつこともできる。日常に一人でできるコトが格段に広がる。
もう一つ感じている左手の変わりよう。毎日TV体操をやっている。ラジオ体操というのは、伸ばすところは伸ばす、回す、曲げるというのを丁寧にきっちりやると、全身運動であるとよくわかる。腕を振り上げる、手指の先まで伸ばして躰を回す運動が、これまでは痺れや痛みが走るから、いい加減に押さえていた。ところが手袋を塡めていると、この伸ばしたり回したりするときの痺れや痛みが大きく減少する。まるで安全確保をして岩登りをするときのように、それに頼っているわけではないのに、岩にとりつく心許なさがなくなって、しっかりとわが身を持ち上げて登る足場と手指の置き場を探ることの集中できる。
これなら自転車にも乗れる。今日の病院へはバスでなく自転車で行こう。手を変え品を変えというが、品を変えると手が変わる。これって、なんだ?
左手の術後の不安定さが、痛みや痺れから来ていることは間違いない。だが、リハビリというのは、動かない手指を少しずつ無理をして動かし可動域を騙しだまし大きくして、いつしか「ふつう」になっているようにすることだ。ところが、痺れとか痛みというのは、何処までが我慢の限界かがわからない。医者は「5秒間我慢して、間を置いて繰り返す。1日3回」とコツを指示したが、押さえる程度がわからない。そのリハビリの尻込みは、実は私の脳のブレーキだったことを手袋が教えてくれている。手の平に当たる軍手が「大丈夫だよ」と保護の声をかけているのだ。そうか、ダイジョウブなんだと脳が感じ取って、大胆になったのだね。
「騙しだまし」が何を騙しているのかが、変えた品によって浮き彫りになった。わが身が痺れや痛みを感じて尻込みしていた。そこへ突然生じた「軍手の保護膜」がダイジョウブだよと脳に伝え、同時にももわが身もそれを感じ取るというメカニズムか。
こうして左手の可動域リハビリも、医師の指示とは異なるが、取りかかることができている。一つ気づいたことがある。この手術をするまで隔週で通っていた右肩と首と肩甲骨のリハビリから遠ざかっている。左手というおおきな痛みが発生すると、それよりは小さい痛みは忘れられて治ったかのように身が感じている。面白い。痛みを制するに痛みを以てする。そんなこともわが身は知っているのだ、と。
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