2022年8月8日月曜日

ま、今日はここまででいいか

 朝3時半頃に起きる。コーヒーを淹れる。豆を挽く。コスタリカのエル・アルコン。何種類かあるが、これは甘く香りがいい。左手が重いものを持つことができなくなってしばらくはカミサンに淹れてもらった。今だってさして変わりはない。だが嘗ての日常に使った手の平の動きを少しずつでもやることがリハビリになる。そう思うから、時間はかかるが丁寧にやる。湯が沸きはじめたのをみて火を止め、ゆっくりドリッパーに粉を移す。この間に95℃の湯が90℃くらいの適温に下がる(と勝手に決めている)。湯を注ぐとぷくぷくと粉が膨れ上がる。粉粒が注ぐ湯の動きに応じてブラウン運動をしているのを感じる。その膨らみを見ているのがコーヒーを淹れる至福。

 朝食を摂る。カミサンは早い電車に乗って、友人と落ち合って探鳥に行く。

 見送って私は昨日の到来物へのお礼状を認め、郵便局まで行って投函する。日曜日の最初便で送れば、月曜日には届くだろう。その文面を手直ししてブログにアップする。

 図書館へ本の返却に行く。空一面の曇り空が日差しを遮って気持ちが良い。少し遠回りの散歩を加える。人とも車とも行き交わなかったが、公園を通ると幼い子どもとパパたちが、自転車の練習をしている。そうだ、日曜日だった。

 図書館は賑わっていた。社会人席も、窓際にずらりと並んだ学習カウンターにも(一席ずつ話してあるが)人が一杯。そうか夏休みだった。サンダルの音を立てて歩く子どもに父親が「静かに歩きなさい」と注意している。予約本が来ていたのを4冊借りだし、書架の大部の本を手に取る。古川日出男『おおきな森』(講談社、2020年)。900頁ほどもある。小説のようだ。誰もいない近くのテーブルについてどさっと置いて頁を拡げる。妙な始まり。遣り取りも幻想的。何でこんなに厚い本は気持ちを誘うのだろう。大部の本を手に持つだけでワタシが豊かになったような気がする。読んでさらに心持ちが潤うかどうかは,また別の歓びかもしれない。

 と、男が一人のぞき込んでくる。

「んっ? 何?」と口にして顔を上げる。

 彼奴は何も言わず立ち去る。私の座っていた場所に何か忘れ物をしていたのかもしれないが、無礼なヤツめ。ことばをつかえ、言葉を。

 時計を見ると11時半にもなっている。この本は持ち歩くには重すぎる。また今度来たときに置いてあれば、続きを読もう。書架にしまって帰途につく。

 厚かった雲が薄くなり日差しが少し通って降りてくる。でも暑さは軽いまま。

 お昼を済ませ、書斎の片付けをする。10月には団地の給水管給湯管の居宅更新工事がやってくる。1号棟はもう始まっている。それまでに工事に使用する箇所の片付けをしなくてはならないが、暑さと手の平の手術と、何よりわが身のいい加減さが働いて、延び延びになってきた。このままにしていたら、手はいつまでも治らない。一月半かけて片付けようと重い腰を上げた。いや、要らないモノというか、ここ何年も手を付けていないものばかりだ。ゴミに出してしまえばいいのに、それができない。本も段ボールに入れたまま、売りにも行かず、ゴミにも出さず。それよりオーディオやパソコンのデスクトップという古いものまで取ってある。右のものを左に移すようにして業者の作業空間と作業物の置き場を確保する。少し動かして草臥れる。ま、今日はここまででいいか。

 ソファで本を読んでいるうちに寝てしまった。朝が早かったから、これも悪くないと自分に言い聞かせる。風が通るからクーラーも入れていない。

「小田代ヶ原でお昼」とカミサンからLINEメール。奥日光は涼しいだろうなと、1年前のリハビリ登山を思い出す。でも日曜日、帰りの車は渋滞になるんじゃないか。

 6時半頃に帰ってきた。夕食にする。鳥や植物が面白かったらしい。いろいろと喋っている。その興味深さが、年寄りの元気の源と感心しながら、右から左へと素通りしていく。

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