2022年8月18日木曜日

私怨から公憤への回路は断裂している

 ひょんなことから安倍銃撃事件に触れているエッセイを見つけた。筆者は平井玄。1952年生まれというから今年70歳になる方。「批評家」と肩書きがある。

「沈みゆく街で」シリーズの森崎和江に触れている文章の入口で《7月8日、ジョーカーはついに「正しい敵」に到達した。/この事案を避けるわけにはいかないだろう。/とはいえ、今回は前奏だけにとどめたい。》と切り出す。

「2発の散弾はなにを貫いたのか。」と問いかけ、

《狂信による家族の壊滅だけではないだろう。yの40年は非業そのもの。吹き飛ばされる塵芥というしかない。……誰が彼を塵にしたのか。弾道が串刺しにしたのはなにか。思わぬ場所から散弾は放たれ、思わぬ場所まで達した。そうだとしても、果たしてaはyの全人生を棄ててまで殺すに値したのか。》

 と自問する。この時点で私のyの鬱屈へのこだわりを軽々と(?)「弾道が串刺しにしたもの」と次元を飛翔させている。なるほど、yの犯行動機とaの殺害されたこととを切り離して考えようとしている。私は、この両者を一つの舞台に於いてとらえようとしている。どちらが、一つの社会のデキゴトとして起こったことを見るのに、妥当なのだろうか。yの犯行動機が見当違いであったとみる人たちは、aの殺害されたことと切り離している。どれどころか、見当違いのテロとしてaの業績をたたえることへ持って行っているが、それは「真相」をとらえているのだろうか。平井玄は、その違いをどう見るのか。しかし彼は、「ひとまずこの問いを転がしておこう」と捨て措いて、

《死は人を無機物にする。社会動物からいきなり惑星物理の世界に放り込まれるのである。そこには別の時間が流れている。殺した者も無機化する。そこから考えたい。だから、まずは思考の昂ぶりを体液に沁みこませよう。灼熱する神経物質を人類史の流水に浸したいのである。しかるべき迂回が必要である。この事案については連載の最終回でじっくり論じたいと思う。》

 と予告するにとどめている。これは、yの鬱屈が銃撃に至ったことの筋道をつかみ取りたいという私の詮索モチーフに対する批判である。私の思考流路は、yとaを同じ平面に置こうとしている。それは「aはyの全人生を棄ててまで殺すに値したのか」は、さて措いて、yの行動論理回路に措いて眺めようとする行為である。だが、平井はaの評価を別次元に設定しようとしている点で、国葬を画策してaの統治業績を賞賛しようとしている人たちと(評価の立ち位置は異なるけれども)同じ次元である。そうして措いて私に向かって、その詮索を通してお前は何をしようというのか、と問うている。それは「人類史の流水に浸す」ことになるのか、と問う地点で、私の心持ちと合流するようにも思う。

 これは「連載」の10回目だが、いつが最終回になるのかわからないから、待つほかないと、森崎和江と大正行動隊の話を読む。ところが、その末尾で「今世紀への導火線を1本だけ引こう」と前振りして、「暗殺者yを殺害行為に駆動した動機は「私怨」といわれる。全資産を奪い家族を破壊した政治教団に対する憎悪である」と言い置いて、「大正行動隊は私怨を群れに組織した」と規定する。

 そうして「私怨のどこが悪いというのか。/法が支える社会の地平への信頼が揺らぐとき、一人ひとりの怨みがせり上がる」

 私怨は「本能的な反射神経の反応」。「逡巡と躊躇。収まらない腹の虫。その虫が這い上がって胃がムカムカする。さらに頭骨に達して顔がゆがむ。その間は一瞬。場合によってはただちに手足が動く」と展開する。その、人類史的流水の行き着く先は何処なのか。

《眼前の悪。見た目や匂いから脳髄の思考系が働いて「敵対線」を同定する。カテゴリー判断が作動する。ここで特定の集団階層階級に対する「義」が起ちあがる。自分を超えた義心は一歩引いたところ生まれる》

 そうか。「義」や「公憤」に持ち込んで語ろうというのか。とすると私とは、ズレたまんまになると思えた。しかし平井は、「義」や「公憤」の出所を語った後で、

《だがそうなのか。/私怨は荒々しい潜勢力に満ちている。/そこには義の旗が幹に育つ前の粗い種子が胚胎されている。公の舞台に上げられれば、もう訴状の前言に動機として記載され、あるいは論文の長い註記になるだけ。私怨はときに方向を失う。銃口がおのれの額に向けられることもある。無方向に炸裂する。だから歴史文書に記されることは稀だ。大量の種子は土に埋められたまま腐り果てるのである》

 と、行き先を憂えて、「それでいいのか」と問い、森崎和江や谷川雁が見ていた「炭鉱があった一帯」に「私怨の匂い」を嗅いで「そこはまた別の沼だ」と断言する。ひょっとすると、yの私怨とaの死亡とを別次元にとらえるしかない現代の社会を見る目を、彼岸からみようとしているのかも知れないと思った。

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