昨日(8/22)、手術後に糸を抜いてから一月の検診。
左手は、全般的には良くなっている感触がある。指の動きは良くなったし、手の平を使って物を摑んでもさほど力を入れなければ、痛みは走らない。だが、部分的には良くなっているのかどうかわからない。指3本の痺れは相変わらず。小指の腫れと痛みと伸びのなさは、手術前と変わりがないように思われる。
医師は指の一本一本を曲げたり伸ばしたりして一月前と比べているのであろうか。
「夜、ギブスはして寝ている?」
と聞く。
「いえ、一週間くらいで寝ていても痛むようなことがなかったので、今はすっかり外しています」
と応える。と、医師は驚いた顔をして、
「これはね、小指をしっかり伸ばすようにするためのギブスだから、して下さい。そうしないと、小指が曲がったままになってしまいます」
と、叱るような口ぶりになる。
ええっ? そうならそうと言ってくれれば良いのに。私は寝ているときに指を痛めてしまわないようにする防護用のギブスだと思っていた。だから寝返りを打っても手の平が痛むほどのことがなくなった頃から、寝る前の固定をしなくなったのだ。テーブルに置いたギブスをカミサンは(用がないなら)捨てようかと、私に聞いたこともあった。いや、捨てないで良かった。
夜、寝る前に左手にギブスを塡め、包帯でぐるぐると巻いてもらった。すると、それまで痛まなかった小指がピリピリと痛みの信号を送ってくる。これは、なんだ? ギブスを外していたために心地良く曲がっていた小指が、伸びるように矯正されたために生じた痛みなのか。しばらく、その痛みを感じて、寝入ることができなかった。なるほど、モノというのは、その使用目的を勘違いして使うと、却って事態を悪くしてしまうことがあるのだと、一つ知った。
この医師を責めるつもりはない。聞かなかった私が悪いと言えば、わるかったのだ。これに限らず、余りあれこれモノを聞くのはワルイと思っている。わからないことはもちろん訊ねる。だが、一知半解のことかどうかもわからないような、身に染みこんだ了解事項は訊ねるようにしないから、こうした粗相が起こってしまう。この医師は、痛み止めを飲んでいるかどうか、便秘気味は治まっているかと口にして、薬を出してくれたから、テキトーにやっているのではない。ワタシとの頃合いが測れなかっただけだと感じた。
痺れはこの先3ヶ月ほどは続くようだ。指の曲げ/伸ばしは、一日3回、各5分ほどやってくださいといい、しかしそれだけでは心許ないと思ったのであろう、リハビリを行うことになった。予約を取る。応対のリハビリ担当職員は、今週の前半3日間のいつでもいいですよと、日時を指定するよう促す。直ぐにでもと私は、翌日に予約した。帰るときの自転車のハンドルを握る左手の痛みが酷く、強く握れなくなっていることに気づいた。
気は心なのか、気がすぐさま身に反映する習慣が染み付いてしまったのか。ゆっくりとペダルを漕いで、家へ向かった。空一杯の雲が日差しを遮って、急がなくていいよと年寄りを労っているようであった。
0 件のコメント:
コメントを投稿