旧統一教会と手を切ると宣言して第二次岸田内閣が発足したのに、新閣僚と旧統一教会との関わりが次から次へと明らかになって報道されている。この人たちは旧統一教会と関わりを持つことがなぜモンダイなのか、わかっているのだろうか。いや私がわかっていて、この人たちは口先だけと言いたいのではない。私は、旧統一教会が間違いなく政治家の権威を利用して信者を集め(資金収集をして)「政治的目的」を達成するために活動していると思っている。だがこの政治家たちは、(たぶん)それがモンダイとは思っていないんじゃないか。唯今、安倍銃撃事件があって、その発端を為したのが旧統一教会であり嘗て彼らが行っていた「霊感商法」が(今も続いているんじゃないかと)取り沙汰されて(世論の趨勢をみて)「具合が悪い」から、関わりがモンダイといっているだけではないのか。むしろ福田達夫前自民党幹部のように「何がモンダイかわからない」と言った方が正直で正確なんじゃないか。言葉の使い方として、そう受け止めている
日本の政治家の右往左往を笑うかのように旧統一教会の大規模集会が韓国で開かれ、ポンペオ前米国務長官が出席したりトランプ大統領のビデオメッセージが流れたり「あたかも安倍元首相の追悼集会のようでした」と日本TVは報じている。これの何処が悪い? と言葉を聞き分ける政治家なら言っても不思議ではない。何処が悪いの?
1年前(2021/8/12)の本ブログ記事「こんなことがあったのか」が手元に送られて来て、そうだ、そういうことがあったと思い出したことがあった。この記事では、古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ、2018年)を読んでへえと驚いている。
《「最近では言葉の意味を閣議決定するケースすら出てきたことなどを鑑みれば・・・」と古田が記し、クラウスの指摘する「そうした文化」が現代日本でも生じていることを示している。へえ、そういうことがあるんだと脚注を参照する。脚注には、2017年4月19日に安倍晋三首相が国会答弁で使った「そもそも」という言葉には「基本的という意味もある」と応じた正当性を明かすために、5月12日の閣議で決定したとあった》
国会審議の子細は知らない。安倍首相の口をついて出た言葉が野党からネチネチと責め立てられ、困ったあげくに「閣議決定」したのだろう。そういう閣議決定が,どのように発案され、どう審議され決定されていくものかわからないが、たぶん困惑する安倍首相を救済するべく官房長官あたりが話を持ち出して運んだのかなと、あの浮かない実務派の顔を思い浮かべながら推測している。もしこの発案が安倍首相自身だとすると、安倍首相は自分の不明を覆い隠すのに閣議決定という権威を利用したことになる。閣議を私物化したわけだ。いや安倍内閣として言えば、身も心も行政府という国家中枢を私物化しているのだ。わかりやすく譬えるなら、「未曾有」という言葉を「みぞうゆう」と読むこともあると「閣議決定」するようなものなのだ。そんなことをする首相をはじめとする閣僚が「美しい国の伝統」などというのだから笑っちゃうね。
そんなことを思いつつ寝床で拡げた本の冒頭が、ドンピシャリのお話しであった。荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』(柏書房、2021年)。世の中に憎悪表現が蔓延し日常の暮らしに迫り出してきていると「悔しがる」。著者は世代を超えて受け継ぎたい言葉を探して拾い出そうと思い、認めていると志を記して本文に突入する。
その第一章「正常に「狂う」こと」。著者は、会社に於ける仕事の中で心を病む人たちに対して心ない言葉を投げつける同僚の心ない言葉がブーメランのように,言葉を発した当人に返ってくることを取り出して、心を病む人たちのモンダイを会社とか仕事という舞台のモンダイとして考える視線を探っている(と私は読み取った)。そして次の言葉を引用する。
《ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それ自体正常なのです》
この言葉を発したのは、吉田おさみさん。1974年に結成された「全国『精神病』者集団」の結成集会に参加したときの言葉らしい。著者は「異常なのはか何? 誰?」と自問することからはじめようと、吉田おさみの言葉を「言葉遺産」だと推している。
私がイメージしたのは、安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者であった。これまで何度か触れたが、報じられた山上容疑者の生い立ちから推察すると、旧統一教会への襲撃を企み、その銃口が(側杖を食らうかのように)安倍元首相に向けられた経緯は、「自然にあらわれ(てい)る」と私には感じられる。だから「精神鑑定」に回したのには「別の意図が働いている」と思ったわけだ《「身の置き所のアジール」(2022-8-9)》。
そして今、昨日の旧統一教会の集会の様子を報じるニュースを観ていると、安倍元首相はただの「側杖」ではなく標的の直近にいたと思えてきさえする。とすると、山上容疑者を「異常」とみる社会の方が、狂っている。そういう価値転換を意識的・意図的に行いながら,情報化社会を生きていかねばならない時代なんだなあと溜息をついている。
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