2022年8月3日水曜日

庶民文化の自律の根拠

 門前の小僧が門の前で入門を撥ね付けられたように感じたのは、今思うと、生育歴中に身に刻まれた文化と生活習慣が、門内境内にみえるアカデミズムの景観に感じるあまりの段差。それに戸惑い、怖じ気づいたからだったかもしれません。情けないと言えば情けない。でも投げ出して引き返したかというとそうでもなくて、都会文化の大学生の空気を吸い、キャンパスや寮で出遭った人たちとかサークルの人たちからの強烈な刺激を受けて、本を読み議論を目撃し、それなりに自分の身を切り替えてゆく試行錯誤の渦中を過ごしてきました。相変わらず門前の小僧であったことだけは、間違いありませんが、門を離れず、うろついていたのですね。

 そうして就職して、人類史的な社会の困難を一身に背負った定時制の生徒たちにであったのでした。金の卵として地方から出てきた生徒たちはそのまま自分の姿が投影されているようでした。73年の第一次オイルショック後、一斉に金の卵は姿を消し、代わって近隣の全日制に入れなかった生徒たちがやってくるようになり、学校の実態がわが身の処し方と深く関わって展開していると感じていました。当時の文部省の指導要領はタテマエ、実態は少しでも良き生活習慣を身につけて世に送り出す文化伝承の機関だということが、ピリピリと伝わってきたのです。

 しかし世の中は高度経済成長が一段落付き、悪かろう安かろうという大量生産時代から、品質が問われる多品種少量生産の安定成長時代へ移っていきました。もちろん同時に、生徒たちには良質な労働力としての「品質」が要求されましたが、定時制の卒業生たちは端から除外されていました。労働力商品としての「高品質の学力」が序列をつくり、それに遵うことを肯んじない生徒たちは世の中の埒外に捨て置かれ、身の置き所に苦しんでいたのだと思います。

 どういうことか。学校がすっかり(産業分野に役立つ)「学力」序列で整序され、教師の視界もそれによって覆われてきたのです。定時制では、学校が同世代生徒集団として抱えているコミュニティ性とそこに於ける人としての振る舞いが、(教室秩序を維持するために)教師たちにとっても大切にみえたのですが、全日制の中堅校へ行くと、学力で輪切りにされた生徒たちの立ち居振る舞いは、おおむね均質になり、教師たちも生活習慣とか日常の振る舞いを気にする必要がなくなったのでした。

 1980年代の後半に私が転勤した全日制高校は、まさしく一億総中流の子どもたちらしく、穏やかな環境で順調に育った安定した生活習慣を持っていました。それは反面で、輪切りにされた学力下層の高校の生徒たちがいたことを意味します。生活状況が底辺層の子どもたちが多く、「学力」を主題にする学校に馴染むことが出来ず、底辺高にきた。ご近所のコンビニさえ、アルバイトにこの底辺高の生徒は採用しなかった。原宿や渋谷へ遊びに行くのも、怖くてできない子たち。世の中に身を置く所を見いだすことも出来ず、彷徨って漂うことになっていました。

 この子たちが高度経済成長の結果、突然この世に出来したわけではありません。労働力商品としての「学力」に一本化しなかった時代には、教養としての知的能力でした。それに適応できない人たちは、それなりに身の置き所があったのであったのです。それを受け容れたのが、庶民の文化です。江戸で言えば町人文化。それが明治維新以降、欧米流資本家社会に突入し成長路線へと加速するに付けて、西欧風の思考や芸術観念が「芸術」として権威を持ち始めます。欧米で評価を得て日本で高く評価されるという傾きはその後長く続き、家永三郎氏が「日本文化史」を上梓した頃にもまだ色濃く残っていたことが、マサオキさんの引用から読み取れます。

 そして私もまた、そうした時代の空気を吸って成長してきました。だから、大学に入った頃の私は欧米風学問への憧憬をもっていて、大学の教授たちの、旧弊旧習な身体的振る舞いと欧米的知性のハイブリッドにぶつかって尻込みしたか幻滅して、門前の小僧にとどまったのでした。それはわが身に無意識に刻んで(堆積して)いる「ワタシ」とは何かという問いに自ら自答しなくてはならない。そういうテーマを背負い込む道へ踏み込んだワケです。

 そのワタシの無意識に身につけた観念や感覚を一つひとつ対象化して、その根拠を問い、自ら応える応答を続けてきました。それはことのほか面倒であり、時間もかかりました。その途次をここ半世紀ばかり、つかずはなれず付き添うように、間近でみるともなく傍らに座を占めていたのが、マサオキさんだったといって良いでしょう。

 ちろりちろりと目をやって、彼だったらどう応えるか。どう返すか。どう逸らすか。どう韜晦するか。どう皮肉ったり、おちょくったりするか。それは、身の程をわきまえず世の中のあれやこれやに口を挟む性癖を持った私を、地の底の方に重心を置いて、空間を軽々と飛びながら、吐き出す言葉や振る舞いがそのまま批評であるという風情を醸す。まさしく庶民文化のひとつのかたちをはっきりと示しています。

 いうまでもありませんが、私に庶民文化を価値づけたり論じたりする力はありません。だが、庶民文化を味わい、それを時代においてみる程度のことは、岡目八目ながら(ワタシに引き寄せて)やってきています。

《ですから「あそびをせんとやうまれけむ」などと言って持ち上げたりおだてたりするのはいくら気のおけない仲とはいえ、いけませんね。》

 というマサオキさんの言葉を軽々に、素直に受け取ってはならないのです。

「まだ神髄には達していませんね。持ち前の鋭い筆法で薙ぐに何の躊躇もこれあらん。」 とばかり、ここまでお出でと揶揄っているのです。でもそれをものともせず、これからも、庶民文化の精髄を西欧風の権威主義文化に対置して、取り上げてみたいと思っています。なお、直近の関連ブログ記事は、以下の3本あります。ご参照下さい。

(1)2022-7-22「即興ジャズ・エクリチュール」

(2)2022-7-3「ディズニーランド国民国家」

(3)2022-6-30「遊びとしてのエクリチュール」

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