先日seminarの折に「百歳の風景を見てみたい」と言った方がいて、「ミコちゃんすごい」と賞賛を浴びた。そのミコちゃんから昨日(8/22)電話をもらって、困っています。
11月seminarの講師はミコちゃん。高校卒業後はずうっと東京暮らしなのに、今でも岡山弁がぬけない。seminarのお題は「80歳のわたしの風景」とすでに皆さんにお知らせした。私はぜひ、話が聞きたい。
それを知ったご亭主のマンちゃんが、一言いった。
「あんたがseminar講師をやって喋るとな、ワシのことも喋らんではおれんじゃろう。そしたらわしぁ皆に合わす顔がのうなる。わしぁ、もうseminarに出んからな」
止めろ、とはいわない。それを受けてミコちゃんは、
「講師をやめることにしました。そりゃあやってもいいんじゃけど、うちの人が世間と触れる場ってseminarしかないけんな。取り上げたらほんとに独りぼっちになってしまうじゃろう。そりゃあ可哀想だしなあ」
これには困った。何しろ、二人は「同窓生の行き交う十字路」の主だ。このご亭主マンちゃんはseminarの言い出しっぺ。この方に万一何かあるときはそこがseminar終了の日、とさえ私は皆さんに常々いってある。そういう人だ。
とりあえず、手紙を書くことにした。でも、どう書けばいいだろう。
まず、「seminarのご報告」をメールで送ってはあるが、マンちゃんは目が悪くなってパソコンの画面をは見なくなった。まずそれをプリントアウトして、本文を書きはじめる。
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さて、マンちゃん。ミコちゃん。
上記記事で「元気高齢者」というのは、遠方より新橋まで足を運んでくることができる意欲と身体条件を持っているというほどの意味。似たような公的用語に「健康寿命」というのがあります。
《健康寿命の定義としては「健康上のトラブルによって、日常生活が制限されずに暮らせる期間」となります。日常生活が制限されない、とはつまり「介護状態にならないこと」「自分の身の回りのことを自分ですること」といった意味合いです》
日本のそれは(2021年だと)「男性72.6歳、女性75.5歳」。すでに私たちは健康寿命を過ぎていますが、新橋まで足を運べるというのは、「介護が必要な常態」ではないでしょうから、「元気高齢者」と呼ばわってもいいすぎってことにはならないでしょう。
強がっているわけではありません。高血圧、コレステロール、尿酸値を下げる薬を私は毎日飲んでいます。杖をついている人もいます。糖尿病と腰痛とを抱えて電車に乗るのも一苦労という人もいます。
今朝のミコちゃんからseminar講師辞退のの電話を受けました。ご夫婦の齟齬に立ち入るつもりは全くありませんが、seminarを実務的に担ってきた者として、参ったなあと思っています。
一つは、ミコちゃんの講師をやってやろうという気概。今月のseminar次第にも記しましたが、コロナ禍もあってから、seminarは勉強会ではなく、近況報告会に様子を変えてきています。二月に1回、「元気だよ」と姿を見せ、言葉を交わす。それがseminarです。
今月のseminar講師を務めたタツコさんがメールの返信で次のように書いています。
《セミナーで発表する機会をいただいて、これまでの海外旅行を振り返ることができました。この機会がなければ旅行写真を死ぬまで見ることはなかっただろうと思っています。プレゼンを作っているうちに、あれもこれもと膨らんでいき、ボリュームが増えてしまった次第です。/次々回のミコちゃんの発表に繋がったのなら、嬉しい限りです。》
seminarを運営する者としてふり返ると、大きく三期にわたって変化してきています。まず(マンちゃんが言葉にしたこともあって)古稀の言葉を交わす場として「36会seminar」がはじまり、何とか75歳までという当初の目的を達成しました。それ以降を「36会第二期seminar」として運営してきましたが、コロナ禍もあって、現地岡山での同窓会も中止となり、seminarも感染の拡大に抑えられて開けなくなりました。その間に私たちは馬齢を重ね、いよいよ80歳に突入です。
マンちゃんが70歳の時に杜甫の詩を引用して「古来稀なり」を解析していました。では80歳はどう謂うのだろうと調べましたが、古典にはありません。つまり、古稀以降は、「古無」(=古来無し也)なのですね。だから(今の時代)古稀以降は、喜寿とか傘寿とか米寿、白寿というふうに表意文字をもじって表現してきたのだと私は思っています。
もっと言葉を換えて謂えば、彼岸に渡る三途の渡しを「心身一如」「梵我一如」となって歩んでいくのが古稀以降の人の有り様、それを具現するのがseminarだと思っています。「心身一如」「梵我一如」というのは、来し方行く末の人や世界との関わりを時空間をわが身に一緒にして、ここまで生きてきた幸運を言祝ぎ、人と世界に(神や仏に)感謝しつつ、人生を全うすることだと思っています。
そのseminarでミコちゃんが「百歳の風景を見てみたい」と意欲を示したことは、私にとっては何にも代えがたい歓びでした。そうだ、これがあるから私はseminarを取り仕切っていたのだ、と。
それに対してマンちゃんが横槍を入れ、その意を汲んでキミコさんが講師を取りやめると言ったことは、『うちらぁの人生 わいらぁの時代』からしても、捨て置けないと感じました。「合わせる顔がない」というほど、マンちゃんは(36会に於いて)装いを新たにしていましたか?
まず理屈を言います。
(1)私たち戦中生まれ戦後育ちは「日本国憲法」の理念に導かれるようにして育ってきました。子細に立ち入れば議論はありますが、現実社会が男女平等ではなく、ことに家制度の考え方のもとに長く身に染みこんできた長子相続的な、父権主義的なセンスが、女性たちをも自縛してきたと思っています。家のカミサンもそうですし、ミコちゃんもそうです。皆さん、家制度とか男社会とかという意識を抜きにして、女房たる者、母たる者、女たる者、これくらいのことはしなくてはならないと歯を食いしばって、男社会の世話をし、家事育児の面倒をみ、亭主を、子どもを、家を、社会を支えてきました。この状況を解消するのは、実は私たち男の役割でもあると私は考えてきました。
(2)古稀のseminarは、それを解き放つ試みでもありました。だから私は、ミコちゃんの「仏道修行の話し」やヤチヨさんの「戦後の女一代記」は、(男社会の縛りから女たちが)緩やかに解きほぐされてくる歩みを語っていると受け止めていました。でも、まだヤチヨさんは周囲を慮って、seminarの模様を本にして公開することを了解してくれませんでした。まだ途上にあるということだと受け止めています。今回のミコちゃんの「百歳の風景」宣言は、まさしくその第一歩を記すものと私は考えました。
(3)つまりマンちゃんには、このseminarに託した私の期待を、潰さないでほしいと願っています。これは、マンちゃん自身が意識しているかどうかはわかりませんが、それなりの男社会をそこそこ満喫して生きてきた私たちの、最後の闘いでもあるのです。誰との闘い? と思うかもしれません。言うまでもありません。自分との闘いです。
さて、理屈はこの辺で止めておきましょう。
このseminarが、コロナウィルスの感染拡大に押されて、果たして何処まで続けられるか、わかりません。あの三宅健作さんが、家で転んで擦り傷というだけで気が萎えて、seminarに欠席するようになってしまいました。いつまで身が保つか、重ねる毎回が、本当にkeiさんのいうとおり「一期一会」です。
seminar終了後に女性陣がおしゃべりに興じているのをみていて、seminarはできるところまで続けようという思いが、湧き起こってきました。
男たちは、さっさと帰ってしまってつまらないですね。でもそれが、私たち世代の男の歩き方だったのですから、致し方ありません。あなたはお酒も飲めなくなってしまったし、耳が遠くなっておおきな場所での会合に参加するのが、なかなか難しいですね。
いずれ、あなたの家で、数人が集まってseminarをやるというのもオモシロイかもと思っています。
ぜひ、ミコちゃんの11月seminarの講師が実現するようお考え直しくださるようお願いします。 ****拝
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