2022年8月26日金曜日

姿形が起ち上がる

 いま大学は夏休み。東京に用のある孫が芦屋からやってきて、何泊かしてゆく。買い物とか友達に会うとかいって毎日出かけてゆく。友人の一人は「ガールフレンドや」という。口の堅い爺婆と思っているのか、意に介していないからなのか、ポロリポロリといろんなことを喋る。素直に育ったんだなあと感心する。

 首都圏の国立大の3回生、ちょっと耳にしたことのない学群で現実に生じた地球規模の問題をどう解決するかを研究しているそうだ。温暖化などに取り組んでいるのか。理系か文系かという昭和の分類アタマにはイメージが湧かない。母親は日本人の台湾国籍だから目下留学しているというワケ。「俺もな、第二外国語に中国語を選らんでんけどな、発音がめっちゃめんどくさいわ」と面白そうに話す。愉しくて仕方ないようだ。

 こうしたかっこうで人を知ると、その人の姿形が具体的に起ち上がる。私はオードリー・タンを思い起こした。「オードリー・タン」で検索すると、最初の記事は2021-2-23「オープン・ガバメントという希望」でアイリス・チュウ、鄭仲嵐『Au オードリー・タン――天才IT相7つの顔』(文藝春秋、2020年)を読んだ感想を記している。その後折ある毎にオードリー・タンに触れて民主主義の新しい展開に「希望」を寄せている。それともうひとつ、SDGsに関してオードリー・タンの振る舞いを参照している。2022-6-6の「天安門33回忌」まで、十本の記事を書いている。400字詰め原稿用紙にするとおおよそ65枚ほどの分量になる。それを編集してA4版8頁に収め、次のような「まえおき」をしてプリントアウトした。文字通り、次の世代に受け渡す思いがしている。

《あなたから台湾出身の友人がいると聞いて思い出したのは、オードリー・タン。30歳代の台湾の閣僚として名が知られたが、彼の生い立ちを紹介する本を読んで、台湾の民主主義が変わりはじめていると感じた。彼の提唱・実践するオープン・ガバメントは、日本の民主主義に絶望しかけていた私に希望を抱かせるものになった。あらためて日本の民主主義を作り直そうとする意欲が湧いてきたのだった。だが、いうまでもなく私は間もなく80歳。自分の代で立て直した姿を拝めるとは思っていない。希望は、後に続く世代に受けとってもらいたい。あなたの友人にとっては、サバイバルゲームがゲームでなくなっているにちがいないが、私にとってもいまの台湾が大陸に吸収されてしまうことは、希望が消えてしまうに等しい。市井の老人としては祈るしか方途はないが、ぜひともオードリー・タンの試みが絶えることなく続いてほしいと願っている。

 ここでは、私のブログ記事を「オードリー・タン」で検索して拾ったものをまとめてみた。ご笑覧下さい。》

 孫は「ありがとう、後で読んでみるわ」と受けとって、北海道から来る友人と会うために出かけていった。強い枷が一つ外れたような身軽さであった。 

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