今日16日は「地獄の釜の蓋が開く」という。閻魔様も地獄の獄卒の鬼たちも休日をとる。昔の藪入り。盆と正月の忙しい務めを果たした丁稚小僧が、遑(いとま)をもらって実家に帰る日と思ってきた。
ところがカミサンは、「極道の節供働き、地獄に落ちるのよ」と妙なことを言う。なんで、そうなるの? と私の胸の内で疑念が膨らむ。
というのも、8月16日は、明治生まれの私の母の正月命日。8年前だが104歳で身罷った。あの働き者の母が地獄へ落ちたというのは解せない。もしそうなら神も仏もないこの世ってことになる。
「故事俗信ことわざ大辞典」に「極道の節供働き」として、面白い記述があった。
《「極道」は怠け者。ふだん怠けている者が他の人の休む節供にかぎって働くの意》とあり、《土佐(高知県)地方では、他に「極道のおうだくね(一度に大量の仕事をしようとする)」「極道のしきむくり(「しき」は農家の休日。「むくり」は仕事に励む)」ともいう》と、「ことわざお国めぐり・高知の巻」からの引用を付け加えている。カミさんの言う意味合いだ。
それで、氷解した。カミサンは当時「高知のチベット」と謂われた土地で生まれ幼少期を過ごしてきた。千枚田というと聞こえはいいが、猫の額ほどの田圃が小さく区割りされて階段状に斜面に連なり、目に見えているバスの停車場から実家まで歩いて30分の歩程は、その田を縫うようにジグザグに登る。もちろん丁稚小僧がいるわけでもない。肥後の五木村では子守の姉やが(年貢の形とか口減らしで預けられて)いて「盆が早よ来りゃあ~早よ戻ろ」と詠ったかもしれないが、高知の山奥の村でそういう話は聞いたことがない。
むしろ、とカミサンがニュアンスを付け加える。皆が休むときにせっせと働く人というのは、抜け駆けというか小狡いというか油断のならない人という趣があって、そういう言い回しをしていたかもしれない、と。とすると、今風に謂えば(極道呼ばわりするのは)同調圧力ってことか。でもマックスウェーバーは「極道」を戒めるプロテスタントの精神を近代社会の倫理として持ち上げていたっけ。
他方私は、街場の生まれ育ち。母親は生まれは農家だが零落し、戦前すでに地方都市に暮らす都会生活者。父親の系統の家業は商家であった。もちろん私が物心ついた頃に丁稚小僧がいたわけではないが、そうした姿を描いた小説はいくつも読んだ。丁稚小僧とは馴染みが深い。だから私は藪入りのイメージ、カミサンは極道のイメージで「地獄の釜の蓋の開く」のを見ていたというわけだ。
どちらが正解ってことを問うているのではない。もうすっかり元々の意味したことはどこかへ行ってしまって、でも、言葉だけは残ってひとり歩きする。その一人歩く言葉に、行きずりにかかわる人がそれぞれに意味合いを付け加えて、次の世代へと受け継いでいく。大元がなんであったかを記すのは「辞書」だけという世界。
その世界も、今のように移ろいが早いと、ネットで検索できる方に皆さんのアプローチは片寄り、大部の辞書を何冊も引っ張り出してきて、ひとつひとつドカドカと引くのは、どう考えても野暮ったい。わが身が身罷るとともに、この辞書も身罷ることになろう。
惜しいなあ。もったいないなあと心の片隅で思いつつ、閻魔様にも会って、地獄行きのこの「大辞典」類をどう思うか聞いてみたい。
あっ、あっ、いずれにしても今日は、お休みね。ごめんなさい。
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