2022年8月25日木曜日

皮肉な見方が的を射ている

 このところの旧統一協会に関係する報道は、果たして政権と与党を揺さぶっているのであろうか。それとも、メディアの自己陶酔なのだろうかと傍観してきた。関係する政治家は、なぜかかわっていたのが悪いのか自分の口からはほとんど述べていない。友好団体の名を冠したいろいろな事業が行われていて、それに政治家が宣伝に利用されているとは言うが、そこは持ちつ持たれつ、何が悪いと居直ればいいのに、知らなかった、わからなかった、今後は関係を見直すと言葉を曖昧にする。

 余計に旧統一教会の悪いことは社会的な一致点とみなされて、事態を巡る社会的な風の流れは変わらない。とどのつまり市民社会の自由な団体の活動と、旧統一教会と友好団体の社会的な市民活動の衣を着た活動の見分けもつかず、批判気分だけが盛り上がって固着しそうである。

 どうして、そうなるのと(私は)思う。思い当たるのは、元首相a銃撃犯yの犯行動機が旧統一教会(への恨み)に発しているという事実。その事実過程に於ける母親の莫大な献金、それによる子どもたちへの皺寄せ・窮乏、恨みを晴らすという(わかりやすい)動機の形成から、a銃撃が的外れかどうかにお構いなしに、旧統一教会(とその友好団体)がワルイと衆議が一決したかのようである。

 市民大衆が、そう受け止めるのは私も理解する。わからない事実がいくつもあるが、それはさておいても、子どもの窮乏を放っておいてまで母親に多額の献金をさせた旧統一教会(とその友好団体)が、今回事件の原因の一角をなしていると私も思う。また、aが狙撃されたワケも、あながち見当違いではなかったとも思っている。だが、どうしてそれ以上の事件理由の解析に踏み込めないのであろうか。

 そんなことを考えるともなく思っていたら、オンラインの「現代ビジネス」に《JFKの甥がはじめて明かす…安倍元首相銃撃事件がケネディ一族に与えた「衝撃」 特攻隊員を取材して気づいたこと》という「週刊現代 2022/08/25」の記事が紹介されていて、直感的な「誤解」が的を射ていると感じた。

《私たちケネディ一族には、現在の日本人が先の大戦に対して責任がある、と思っている人はいません。少なくとも私自身は、そういう思いを抱いたことは一度もありません。》

 と、ロバート・ケネディの息子である作家・マクスウェル・ケネディは話している。

《戦争は常に、愚かしい判断をするリーダーによってもたらされると思っています》

 と前置きをして、この作家は叔父の戦跡を訊ね、

《その地で、日米双方の若者たちがマラリアや飢餓を耐えしのびながら戦った日々を想像しつつ夜空を眺めたことは、忘れられない思い出です》

 と敵-味方関係を棚上げして感懐を語り、『特攻/空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』を代表作にまとめ上げる。

 その作家が、今回のa銃撃事件に触れ、

《テロリストや旧統一教会のようなカルトと、特攻隊というものにひとつだけ共通点があるとすると、それは組織の指導者が、人の気持ちや弱みにつけ込んで結果的に若者たちを死に追いやった、ということです。これは絶対に許せることではありません》

 と述べている。先の事件に関して、その事件の主原因は旧統一教会にあると受け止める私たち市民大衆の「直感」と同じ感覚じゃないかと思った。これではまるで、旧統一教会が銃撃犯となりaを殺害させたかのような「事態理解」である。つまり、殺害を実行した犯人の犯行動機を形づくったことこそが主原因だと視線が向いている。

 その探索が、宗教と政治活動へと一般化されて論題とされるのを、他の宗教団体や政党、例えば創価学会や公明党は懸命に避けようとしている。あるいは、市民団体や運動が、宗教団体や政治党派の隠れ蓑になって行われていることについては、どの政党もピリピリと対応している気配を感じる。マス・メディアのコメンテータも、その点には微妙なニュアンスで言葉を紡いでいるようにみえる。

 でも、ひょっとして、このような受け取り方の方が真っ当なのかもしれないと、ちょっとした驚きとともに反芻している。皮肉な見方が的を射ている。社会の多様性というのは、隠れ蓑であれ、市民運動内部の主導権争いであれ、いつの時代も変わらず続いているのであろう闇の政治闘争を、覆い隠す作用をする。そうした些末なあれやこれやを捨象して、バッサリと現象から本質へ直感的に到達する社会的気風の鋭さが、あるのだろうか。とたらそれは、世論調査に現れても選挙結果には表れないのだろうか。

 旧統一教会と自民党との接触がこれほどに広く深い。しかもその中心的存在であったaが銃撃殺害されたというのが、皮肉にも事件の解明とともにいっそう進展してしまう。しかも世間は、銃撃犯のyへの非難を棚上げしたかのように口にしない。何とも皮肉な反応に、いくぶん私の焦点が合わないで、ぼやけっぱなしである。

0 件のコメント:

コメントを投稿