2022年8月7日日曜日

久々の邂逅

 昨日「お中元」が届いた。去年4月まで機能していた山の会の方々から、新潟黒埼青木農場の「黒崎茶豆」のクール便。お茶かと思って冷蔵庫に入れておいた。かみさんが帰ってきて、「枝豆よ、これ。以前にももらったわね」といったので、そうだ、そうだったと思い出した。

 今朝になって御礼の手紙を書いている。かつては、こういう儀礼的なことは止めましょうなどと言っていたが、近頃はこれが近況報告だと思うから、素直に喜んで受けとる。そうして、感謝の言葉を認める。こんなことを書いた。

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 突然の「お届け物」に驚いています。山歩講は解散したのに、まだこうした気遣いをして下さるなんて、恐れ多くて身の縮まる思いです。

 ありがとうございました。以前にも、この「黒埼茶豆」を頂戴したことを思い出しました。わが身の痛風に良くないとは思いながら、早速ビールを手に入れて、青木農場の「おいしい食べ方」の通りに湯掻いて頂きました。おかげで夕食を食べ過ぎることとなり、早々と床につく有様でした。

 昨年4月の遭難事故以来、ずっとリハビリに通っています。足腰は大丈夫だったわけですが、如何せん、身体機能全体の経年劣化が思ったよりも早く現れてか、長時間の継続した負荷には、あちらこちらに疲れが噴き出してきます。その疲れを和らげるため,未だにリハビリに足を運んでいます。

 歳はとるとかとりたくないとかいうものではなく、時間が過ぎてゆくことを身に思い知らせるように告知し続けてきます。

 若い頃には、時間は「外部」にありました。いつも追われるように仕事をし、ときどき追い越されて臍を噛むこともありました。リタイアしてからは(外部の)時間から解放され、わが思うがままに生きているつもりでした。だが気づいてみると、いつの間にかわが身そのものが時計と化したかのように時間を「内化」して、日々着実に劣化していっています。体内時計がいつも思い知らせてくるのです。

 そうやって身の回りをふり返ると、親はともかく、兄や弟もそそくさと彼岸に渡り、半世紀来の友人の訃報が届いたり、いつの間にか知り合いが亡くなっていたりすることも多くなりました。そうか、そろそろ平均寿命にさしかかるんだと、別に平均的に生きてきたわけでもないのに、そう思っている自分に気づきます。

 追いつ追われつしていた外部の時間が身の内部の時間にとり代わって、遠近法的消失点に向かって歩んでいることを実感させていたのですね。その変わりゆく姿を眺め,わが身の来し方を見渡し比べて、おれたちの人生わしらの時代を思う日々を送っています。

  いやはや、久々のお二人との邂逅に、つまらないおしゃべりをしてしまいました。

 お二人は、元気にしてらっしゃいますか。

 コロナ禍も、もう2年半になるのに、いまだ意気軒昂な様子です。イヤでも離れないとしがみついてくる情の深いストーカーのようですね。袖にし、振り切ってお暮らしでしょうか。虫除けワクチンを4回打って、我関せず焉と踏ん張ってますか。

 年を経るごとに身の回りのヒトもワンちゃんも、世の情景も変わります。その変わり様を兼好法師のように眺め楽しみ暮らしながら、元気にお過ごし下さい。

 ありがとうございました。この暑い夏、乗り切って下さい。

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 寄りすがってくる情の深いストーカーは、手を変え品を変えというか、姿を変え化粧を施して音もなく忍び寄ってきている。ときにはとりついても本人にはとりつかれたことが分からないというから、まるで四谷怪談。なるほど夏向きの話しではあるが、どうも今回のコイツは、年中無休、季節にこだわりがなく、こちらも一息つく暇もない。参ったねと参ってしまうと、年寄りには本当に命取りになるともいうから、容易に馴染むわけにも行かない。

 久々の出逢いは楽しいが、しょっちゅう付き纏われては、鬱陶しい。このストーカーは言葉が通じる相手ではない。毅然ととか優しくといったこちらの態度に左右される気配もない。情が深いかどうかも、ワカラナイというよりはカンケイない。鬼神とおなじか。ただ手近なヒトにとりついて身を保とうとしている。あまり友達づきあいはしたくないね。そう思うのは、わが身の裡に、カミもホトケもオニもジャもいなくなっているってことか。

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