昨日は5ヶ月ぶりのseminar。賑やかな新橋の会場に集まり、3時間半を過ごした。
講師はタツコさん、お題は「建築を楽しもう、国際編」。2000年から2019年まで足掛け20年間に訪れた世界各国の建築を紹介していく、ま、諸国漫遊記・建築編ってワケ。
でもこの講師、前回の「建築を楽しもう、国内編」もそうであったが、用意した写真とお話しをするのに時間いっぱいいっぱいを使って足りなかった。それもあって、今回のはじめの方で「あの~、その国の建築は~」と一人が質問をしはじめたところ、「あのね、時間が足りないくらいなの。質問しないで」と制されて、2時間を皆さん、黙って拝聴することになった。
アメリカ、メキシコからベトナム、カンボジアの東南アジア、インド、ルーマニア、ブルガリア、イタリア、スペイン、フランスなどのヨーロッパ、北欧四カ国からチェコ、ハンガリーを経巡り、エストニアなどのバルト3国にまで脚を伸ばす。建築仲間との旅であったり、ご亭主との旅であったりしたようだが、観る物の多さを駆け足で巡るようになって、過ごした60代70代の元気の良さに感心して聞いていた。裏を返せば、参加した皆さんも昔風にいえば数えの80歳。元気高齢者の集まりだったというわけだ。
だが、この講師に勢いづけられたのか悟りを開いたのか、会食になってキミコさんは「わたしはなあ、百まで生きよう思うとんじゃ」と話し始めた。要旨、こういうこと。
いままで亭主の面倒を見てがんばらにゃあと思うてきたんじゃけどな、今の話しを聞いとってな、面白いなあ、いろんなことがあるんじゃなあ、わたしゃなんも知らんと来てしもうたと思うとんじゃ。そんでな、百歳の風景はどんなものがみえんじゃろうと思うたわけ。足腰が悪いけん、自分が動けるわけじゃないけど、テレビでも何でもいまはみられるじゃろう。うん、亭主はいまさら知らんふりはできんから、そりゃあ最後まで付き合うけれどな、亭主がどうなろうと百歳まで生きて風景を見てやろうと思った。
いやはや、この話に皆さん、元気づいた。ミコちゃんえらい、と話は盛り上がり、11月seminarの講師になってもらって、「80歳のわたし」をテーマに話を聞くことになった。
会食の時間も終わり、男たちは皆さんお帰りになったが、女性陣はおしゃべりが止まず、さてどうしたのだろう、場所を移して延長戦になったのであろうか。
会食の最後のとき、平均余命の話が出た。人生百年時代といわれはじめてもう何年になるか。私たち今年傘寿は、いつまで生きるのか。ちょっと調べてみた。
80歳の人の平均余命は(2021年で)、男8・57歳、女11・59歳。
私は86・5歳まで(頑張って)生きる約束を兄弟としているが、余命は、それより2年ほども長い。女性陣は、91歳と半年ほどにもなる。こりゃあ、頑張らなきゃあならん。
厚労省関連のネットを見ていたら、平均余命が男女ともに近頃は縮まってきているという。「失われた*十年」が響いているのか、新型コロナウィルスがその勢いを加速させているのか。
死因のトップ3は、悪性新生物・心血管疾患・老衰とあった。「悪性新生物」ってなんだ? コロナなどの、生物かどうか決定しがたいウィルスのことかと思ったら違った。腫瘍(癌)のことだそうだ。これを「悪性新生物」と(医療関係者が)呼ぶのは、はじめて知った。腫瘍(癌)は、新生物なんだ。おお、話を元に戻す。
その死因が平均余命にどう貢献しているか。平均寿命の前年との差を死因別に「分解する」と、「心疾患(高血圧性を除く)、脳血管疾患、自殺などの死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いている」という。これは、医療の充実というか、心筋梗塞や脳梗塞で倒れたときの救急治療が巧く働いて救われることが多くなったのだろう。また、高齢者の自殺が減っていることなども作用していると思われる。
では、平均余命を減少させている死因は何か。そのトップが「老衰」、「肺炎」「不慮の事故」と続いている。
老衰って何だ? 身体の全般的劣化が老衰だとしたら、心不全も、肝不全も、誤嚥性肺炎も身体の全般的劣化に起因していると言えるんじゃないか。つまり死亡因をコレと一つに絞る医療センスに対して、「老衰」というのはヒトという生命体に対する総合的判断である。もう70年も前になるが、私の祖母が自宅で亡くなったとき、看取った医師が「老衰です」といったのを私は忘れていない。74歳であった。当時学校では日本人の平均寿命は50歳といわれていたから、私は別に不思議とも思わなかった。だが、今のご時世、死因を判断するのに、何処の身体器官が「原因」で死に至ったかという判定を綿密にするのは、なぜだろう。犯罪にかかわるかどうかを判断する場合が多いからなのだろうか。それとも死因ということについて、医療関係者の間に共通する(特定しないではいられない分析的な)時代的気風があるのだろうか。
私は総合的な判断の方が好ましいと思いつつ、ネットを読み進めていたら、「町医者」として慢性期医療に携わる長尾和宏という名の医師が、「まだ70歳台であっても老衰と書いた経験がある」とあるのを見つけた。在宅医療現場に於いてはまだ、総合的判断が息づいているのだ。
おっと、これまた話が逸れてしまった。
でもオモシロイ。こうやって「末期高齢者」といわれて傘寿を迎えた人たちが、元気高齢者として、先の世の面白さに興味を持ちながら「百歳の風景」を観てみたいと興味津々なのは、何ともオモシロイ。そういう近況報告の風景を味わうseminarになりつつある。
それでいいのだっ、とバカボンのパパでもないのに、昭和世代の末期高齢者はうそぶいている。
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