1年前にはオリンピックをやっていた。一段落して書いた記事「なぜスポーツに共感熱狂するか常套句を排して考える」(2021-08-18)は、ワタシとスポーツとのいろんな接点があったことを思い起こさせる。
子どもの頃の「三角ベースボール」は年齢も運動能力も様々なご近所の子どもや学校の同級生が暇を見つけては集まって始めるスポーツであった。私は直ぐ上の兄や同級の友人にくっ付くようにして仲間に入れてもらっていたのだが、つくづく競うことに熱意を持てない性分だったと(いま)思い出して思う。巧くなろう強くなろうと思ったことがない。大人になって長距離走とか登山に私の趣向が傾いたのも、その所為だとはっきり言える。何にでもそこそこに付き合いはするが、勝とうという根性に欠けるから勝負にならない。端から戦うのが苦手なのかもしれない。ということは私にとってスポーツとは、身近な人たちと友誼を深める機会であって、競技そのものを楽しむものではなかったのだ。
ご近所交わりのスポーツと最先端のスポーツ競技とを同列に並べること自体が無茶なのかもしれないが、ワタシの身のうちでは、(スポーツを観戦して)ヒトの能力としてピンからキリまで同列に並べてみている。オモシロイと思うのは、やるのとみるのとでは全然違うってこと。ピンのスポーツを見ていると、おおよそ人間能力の先端が何処まで行くのかと見果てぬ地平線を見るような気分になる。ところが身体能力的にキリのワタシでも誰が優れた運動能力を持ちどれが秀でた技能かを見分けることは(ある程度は)できる。勝ち負けはどっちでもいい。ほほう、こんなことまで出来るんだと、たとえばサッカーのゴール前でヒールキックをしてサポートし、ゴールを決める連係プレーをみて感心しているのだが、これってスポーツを楽しんでいるのかヒトの能力の幅広さや奥行きに感嘆しているのかわからない。
でも、そういう「勝ち負け」という(能動/受動)次元とは別の「中動態的な」競技こそが私の性分に似合っている。そこではつねに、わが身の能力とピン選手の技能とが対照されて感嘆し、言葉が紡がれている。スポーツを楽しむというよりもスポーツを見て哲学しているのだ。この中動態哲学が歳をとってからのワタシとセカイとのカンケイに相応しいと感じることが多い。
そうやってワタシのリタイア後の山歩きを総覧して見ると、「黄金の60代」「本当に古来稀なる70代」「壁とどう付き合うか80代」って感じに、見出しがつけられる。
スポーツというよりも趣味嗜好に近い山歩きそれ自体が、つねにつねに自分と向き合う性格を持っている。歩けるか歩けないか、進むか退くか。速さや休憩の取り方、行程の組み方、ペース配分など、すべてわが身の現在を見極めて判断することが要求される。コースのムツカシサやルート選択は地図を読むだけでは片付かない力が必要になるから、ときには案内人が必要になる。つまり、山歩きはピンからキリまで自分を対象として見つめ、どうわが身が移ろっているかを見極めることが求められる。これは、わが身の来し方行く末をみつめることと重なる。山歩きは哲学的なのだ。
「山を歩きながら考えた」とはじまる漱石の作品があったが、歩きながら考えることには、ろくなことがない。経験的にいうと、歩きながら考えることなどできない。歩いているときに浮かぶ思いは、ことごとく断片。つまり思考が身から離れることがない。つまり「考える」を意味する「意」と違って、身とくっ付いて身の裡を経巡る思いは「こころ」のうごき。身が受け止める五感の「感覚」をつねに総合してセカイとのカンケイとして感知するのが「こころ」、それが浮かんでは消え、消えては浮かぶのである。
身に引き寄せていえば、ココロは皮膚感覚同様にセカイとの触覚を司っている。心身一如というが、身が感知できるカンケイの統合本部がココロなのだ。温かさも冷たさも、どちらとも言えない透明なカンケイの温度もたたえて、受け止め送り出す。欧米風に身体と精神を切り離して「如何に身体を利用するか」と考えるのではない。身が感受するセカイとのカンケイを、「意」に送り言葉にしてゆく。体温を持ったロゴス。言葉。それが何より愉しい。仕事をしていたときの身の外なる「時間」から解放され、時間が身の裡に宿るようになった。体感時間と流れる時間が一緒になるから、あっという間に時は過ぎてゆく。
スポーツが持つ「熱狂」こそ、わが身の哲学とそぐわない体温。
なぜ?
「熱狂」の源を未だ対象化したことがない。わが身とともに感受する「共感」をさらに踏み越えて「熱狂」に至るのは、何なのか。いつも根源に目を向けて感知しなおそうとする中動態哲学にとっては「冷熱」こそが常態。熱に浮かれるほど身の裡が燃えないのは、性分なのか、歳のせいなのか。そんなことを思っている。
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