コロナウィルスのおかげで足止めを食らって蟄居しているから、日暮らしパソコンに向かってよしなしごとを綴り、このブログにアップしている。そのうちのいくつかをピックアップして古くからの友人に毎月、「ささらほうさら・無冠」を制作し、送りつけていた。友人がアナログ世代であることはもちろんだが、デジタルに馴染んでいる人たちも多くなってはいるが、やはり紙にプリントされたものの方が、手に取って読んでもらうには良いと思うから、そうしている。
一人、毎月の私の「無冠」に関して返信をくれる、完璧アナログの友人がいる。一枚の葉書の裏表に1千字ほどをビッシリと書き込んで送ってくれる。ときにはハガキに収まらず、6000字となったり、8000字となって封書で戻ってくる。ははあ、元気になったと、調子が良い証のように受け止めている。この方、肺を患い心臓にも問題を持ち、ここ十年ほどは低空飛行。ご両親は長寿であったからその血統を受け継いでいることが唯一の便りという風情。このところのコロナウィルス蔓延のせいで、逢うことも適わなくなり、月々の返信が健康状態の唯一の便り。
だが、長く逢わぬ間に四百字詰め原稿用紙で1600枚に及ぶ「小説」『〈戯作〉郁之亮御江戸遊学始末録』を仕上げて上梓、目下読み続けている。それくらい元気になったのだと安心していたら、今月のハガキには、「……体調思わしくなく気持ちも少々萎え気味」と前置きして、でも裏表ビッシリと書き綴っていた。
その中に先月号の「無冠」が四百字詰め原稿用紙で150枚とあって、それで自分の調子を測る手もあると思った。ブログ記事は、ファイルにしてまとめているから、どれくらい書いたかチェックするのは、それほど難しくない。ファイル・テキストは1800字1頁のスペースになっているので、四百字詰め原稿用紙にしておおよその4枚。ファイルはテキスト頁を知らせてくれるから、はじめてそれを数字に起こして四百字詰め原稿用紙の枚数に換算してみたら、面白いことが見えてきた。年の瀬にふさわしい見返りとなるか。
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このブログは、2007年の11月から始めている。65歳の高齢者になった翌月から現在まで14年ということになる。2008年から2011年までは年間500枚ほどから800枚ほどへと緩やかに増えている。
2012年に1100枚を超えた。この年から山の会が始まった。山行記録を書いて月間の「山歩講通信」に載せた。2013年には1400枚近くに増えた。この年3月定年後にやっていた大学講師の仕事が終わりとなり、ならばやろうよと声をかけられ、36会という高校同期生在京組のseminarを始めた。そのせいもあって、こまめにメモを取るようにしたせいもある。seminar後の「ご報告」を書くこともした。山へ足を運ぶことも多くなった。
2014年には1700枚になっている。この年、母親と兄弟二人が亡くなった。わが身の来し方を振り返ることも多くなり、書き付けることが頻繁になった。2015年1500枚と少し減ったが、この年、亡母と私の兄弟5人の人生を振り返って一冊にまとめ、写真集も添えて母親の一周忌に間に合わせて本にしてもらった。
2016年には1800枚、2017年1700枚、2018年1500枚と月間120枚から150枚のペースで記録していっている。その間に後期高齢者になり、seminarも順調、山へ入る回数も多くなった。そうそう、2018年には、私の最初の孫が二十歳になることから『**と孫たちと爺婆の20年』と題して、初孫が生まれてからのち5人の孫たちと過ごした20年間の記録をまとめて一冊の本にして、プレゼントした。
2019年1700枚とコンスタントに書き続けている。山に入ることが多くなり、山の会の人たちとも「槍ヶ岳を目指そう」とトレーニング山行を組んだ。ああ、良いペースで歩くようになったと私自身は喜んでいた。だが後で振り返ってみると、ほかの方々には過剰だったらしく、「槍」が終わってみると、ずいぶんと体に無理がかかっていたようであった。
そしてコロナが襲来する2020年。実はこの年に高校の同期生が喜寿を迎えることもあって、田舎で同期会が企画された。在京組のseminarを「ご報告」するのには一番の機会。それもあって、5月の同期会に間に合わせようと大部のseminar記録1800枚をまとめはじめていた。A3版三段組みで300頁になった。しっかりとデザインしてもらって製本印刷し、『うちらあの人生わいらあの時代 古稀の構造色-36会seminar私記』と題して仕上げ、同期会の方々にお配りした。逼塞することが多くなったせいか1800枚も後半にさしかかるほどになった。
2021年の4月には、私の山の遭難事故があり、入院加療が20日近く続き、右肩を壊していたのに1600枚と結構な枚数に上った。山に行けなくなった反動か、家に逼塞している憂さ晴らしか。まさしく徒然草。
つれづれなるままに、日暮らしパソコンに向かいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。