2018年12月30日日曜日
2018年12月28日金曜日
80歳過ぎが面白い?
渡辺京二の名前を知ったのは、もう30年以上も前のように思う。私の十歳上の知人が彼の著書を面白いと教えてくれた。以来、何冊か目を通して、どこか「在野の知識人」というニュアンスを感じて、好感を持っていた。その彼が今朝の新聞に登場して以下のようなことを述べている。
2018年12月26日水曜日
階段の集まり
一昨日(12/24)、団地の理事を選出している私の階段5戸と組み合わせ上一緒に輪番を組んでいる向かいの号棟階段の4戸、あわせて9戸が集まり、来年度理事送り出しの確認を行った。自画自賛であるが、こうした集まりを持ってもらってよかったと好評であった。
なんでこんな集まりをもったのか。じつは、28年目にして初めて顔を合わせ、言葉を交わす人びともいたのであった。つまり、この団地発足のときに、「輪番」を決め、それが何の不思議もなく順調に守られてきたために、翌年度の理事のことをだれ一人心配することなく、伝言ゲームのように継承され、したがって、前の方と次の人以外は、顔を合わせることもなく、名前も意識したことがないほどというわけ。まあ、そうはいっても、同じ階段の人たちは、28年の間に出くわすことがありますから、顔と名前はわかります。でも向かいの号棟の方は皆目わからない状態でした。私が理事長を務めたから、こういう集まりをもつことを考えたのは、確かです。
2018年12月25日火曜日
どっこい生きてる
賀状をつくった。これまでいつも、もうやめようと思ってきた。だが、その切り出し方がわからない。こちらがやめていても、向こうさんから送ってくると、やはり返事を書かないわけにはいかない。考えてみれば、もう何十年も逢っていない人からも、丁寧な賀状が届く。「白山羊さんからお便りくれた……」って歌みたいなやりとりだなあと思う。ところが近年、賀状が来ない人がいると、おや? 何かあったかと思うようになった。じっさいそうやって訃報に接することも、一人や二人ではない。
2018年12月22日土曜日
「冬至―柚子湯」
今日は冬至。冬至というと柚子湯を思い出す。というか、カミサンは柚子湯を沸かす。それを前日から計算していてか、今朝になると「洗濯をする」という。いつもなら二日に一回の洗濯を、昨日とつづけてやる。まあ、かき集めれば、一回の洗濯分ほどは洗いものがあるから、不思議ではない。それならと私も、いつもなら今日も着る長袖を洗濯に出す。
2018年12月20日木曜日
2018年12月18日火曜日
できることしかできない
今もまだ、団地管理組合の「高齢化問題」の出口を探っている。今朝方、夢うつつで思い浮かんだことがあった。団地住人の高齢化というのは、団地そのものの高齢化と同じではないか、と。
自分たちの暮らしは自分たちでどうにかするしかない。団地の理事会というのは、われらが身の神経系統のようなもの。状態に応じて勝手に動く自律神経もあれば、自分の意思で動かせる体性神経もある。
28年も経ってみると、理事会の運営もある程度ルーティンワークになって、これこれこうするものというのが「慣習」になっている。月一回の理事会とかその都度発行される「理事会ニュース」とか「議事録」をとることやクリーンデイや防災訓練のような年中行事など、「定番メニュー」。わが身の「心の習慣」というのと同じだ。これが安定していると、運動すれば心悸亢進したり血圧が上がったり、ものを食べたら消化器系が活発になるのと同じで、自律神経に属する。
他方、大規模修繕とか、給水管・給湯管の更新工事のように、建物が高齢化すれば意思的に取り組まねばならないことがらもある。これが、専門的な知識を動員する必要もあり、そのときどきの市場ともかかわって、なかなか面倒になる。だがそれをわが団地は、修繕専門委員会とか環境小委員会を設け(住民の中の専門知識を持つ人の貢献を得て)、よく手入れを行ってきている。いわば、日ごろ身体に気遣い、食べ物にも運動にもそこそこ手当を施して、健康体を保ってきたと言っていい。
2018年12月17日月曜日
正義の産業スパイ?
吉田修一『ウォーターゲーム』(幻冬舎、2018年)を読む。吉田の連作ともいえる作品のひとつ。つい最近国会で成立した水道事業の民間参入を許容する法の成立と裏側の事情を、利権に絡む政界の動きを交えて描いている。だが今回の作品は、前作に比べて分かりやすい。産業スパイの動きも、右往左往しているだけで、それで何か事態が大きく変わったりするから、世相を切りとるような迫力が、蒸発してしまっている。ただ単に、利害入り組む産業スパイのまさに「ゲーム」を描いているような、つまらなさ。冒頭の出来事が引き起こす緊張感がどこかへ消えて、いつしか観衆になっている読み飛ばしている自分を感じた。
2018年12月16日日曜日
信頼感の源
団地の管理組合が施設設備の保守管理を取り仕切る義務を負っていることは、良く知られている。理事長は、法的な責任を一身に背負わされているわけだが、建築などの素人である私に務まるとは思えない。いや、例の桜田大臣の話をしようというのではない。この責任を背負う役が務まるのは、理事会の諮問機関として修繕等に関する専門委員会が設置されて機能しているからにほかならない。むろん理事会に建築理事というのが2名置かれて、専門委員会をコントロールしている。この理事・役員が選出階段毎の輪番で毎年交代するから、ときにはずぶの素人が建築理事になって、青息吐息の一年を過ごさねばならないこともある。今年はふたりとも、ずいぶんしっかりした理事が就任したから、安心して見ていられる。むろん正副理事長は、毎回の専門委員会に出席する。
2018年12月15日土曜日
森には分け入らない
先日やっとガラケーを始末し、スマホに一本化した。2年前にスマホを導入したのは、山歩きの地図をGPSと一緒にみて、迷子にならないようにしようと考えたため。それはそれで結構役立ち、週一回の山歩きの私の同伴者になってくれた。もっとも現在地が分かることで、地理院地図にない場所でもあるけるという「不敵な」考えが入り込んできて、それなりに危ない目にも遭ってはいるのですが。その私のスマホが容量が小さいのか、「お財布ケイタイ」には使えませんと郵便局でいわれてしまったこともあったから、折を見て切り替えようとは思っていた。
2018年12月14日金曜日
世の中とアレルギー
昨日(12/13)は「ささらほうさら」の月例会。講師はnkjさん。お題は「文字で聴く中島みゆきの世界」。彼自身が長年のファンである中島みゆきの「歌詞」を読み解いていこうというもの。そう言えば、メロディとリズムとが伴わない中島みゆきというのを、私は考えたこともなかった。彼女は、シンガーソングライターであった。歌詞もまた、それ自体として読み取れるものを持っているとnkjさんはみたわけだ。
2018年12月13日木曜日
還る処
昨日(12/12)、映画 『ガンジスに還る』(インド、シュバシシュ・ブティアニ監督、2016年)を観た。「コメディ映画」とwikipediaは紹介しているが、これを「コメディ」と名づけたのは、誰なのか記載していない。私にはコメディとは思えなかった。というか、もしこれがコメディだとしたら、人生というのはコメディだとも言える。哀しくも微笑ましいといおうか、哀しくもやがて微笑ましいといおうか。
2018年12月12日水曜日
低山といえども侮れず
夕方から天気が崩れるという昨日(12/11)、ひと歩きして来ようと中央線の猿橋に向かった。大月方面から相模湖に向けて流れる相模川の南側に沿うように尾根を連ねる山並みがある。
因みにこの山並みの南側に東西に走る道志山塊がある。さらにその南側を同様に並行する丹沢の連山がある。これらの山並みが並行するのは太陽併用プレートなどが潜り込んで押し上げている大陸プレートの盛り上がりなのではないかと、私は推察しているが、地学的に確かめてみようとしたことがないから、確かなことはわからない。
猿橋から登山口まで40分ほど歩いて稜線に取り付き、幡野山を経て鈴ヶ尾山834mへたどる。その先で九鬼山からの主稜線に合流して、大桑山980mから高畑山981mに登ってから鳥沢駅に下山するルート。だが、主稜線までのルートは、国土地理院地図にも昭文社の地図にも記されていない。昭文社地図には山名が表示されていたから、行けばわかると踏んだ。昔読んだ何かに、ここを歩いた記事があって、私のメモに残っていた。
2018年12月10日月曜日
酪農というノスタルジーの真実(3)消費というちゃらんぽらんの自然
いつ頃から自分の食べるものや使うものに神経を使わなくなったろうか。牛乳という、子どものころから暮らしの中にあったものなのに、いつも冷蔵庫にあるものと思っていて、それ以上どこがどうと気遣いをしていない。
SRさんは「牛乳の表示」というA3判のプリントを用意して、牛乳製品の表示をもっとちゃんと見ろよと話す。牛乳の種別が七種類ある。言われてみれば「ことば」としては耳にしたことがあることばかりだ。「牛乳、特別牛乳、成分調整牛乳、低脂肪牛乳、無脂肪牛乳、加工乳、乳飲料」の七種。でもその中身がどうかは、考えてみようと思ったこともない。最後の二つ以外は生乳100%という。
2018年12月9日日曜日
酪農というノスタルジーの真実(2)牛乳の需要と供給
「最近、放牧の牛を見たことある?」
とSRさん。
「うん、見たことあるよ。つい先日も」
と私は応える。
「ウソだよ、放牧の牛なんていないよ」
はて、どこで見たっけ。石垣島で見たのは幼牛を肥育して本土へ和牛として売ると言っていた。あれは、去年か。吐噶喇列島の平島で観たのは、今年の4月か。
うん? 牧草地はたびたび歩いている。利尻島や礼文島やそこへ行くまでの稚内の牧草地では、あの大きな牧草の塊をつくっているのも見た。山梨や長野、新潟の山へ行く途上でもよく見かけたように思ったが、牧草地をみたのか、牛をみたのか、問われてみれば判然としない。そうか、たしかに牛を観たというのは、あれは今年の5月、中国のシルクロードへ行った時だ。たくさんの牛が放牧されていた。雪の高山地帯ではヤクの群れも見かけた。阿蘇の放牧は、TV画像だけの創作というわけではあるまい。
2018年12月8日土曜日
考えておきたいことごと
ちらりと頭をかすめ、ふっと湧くように心の片隅に兆しを感じ、でも次の瞬間には忘れてしまうようなことごとが、日々起こり消えていっている。そのちらりがまとまったら文章にしようなどと考えていたら、全部蒸発してしまう。せめてメモでも取っておきたい。
まず、そのひとつ。藤田知也『日銀バブルが日本を蝕む』(文春新書、2018年)を読んで気になったこと。
2018年12月7日金曜日
転機を図る
12/5(水)に登山口を登ろうとしていたら、ケイタイが鳴る。電話に出るとまだ現役の仕事をしているK君から。珍しい。「今日はこれから山なんだよ」と応じると、「ご相談がある。いつ戻るのか」という。夕方にと応えて、山へ入った。この山は、CLが骨を折ったので「よろしく」と頼まれ、ま、今週の山にでもしようかと先月末に歩いた。CLは別の人に変わってもらい、今日はその人に全部お任せ。あとで聞くと、彼女は、このルートの後半を歩いたことがなかったので、知人に頼んで先週下見をしたという。私の下見と一日違いだったが、せっかくのことだから、私は口をつぐんではじめての山のようについて廻った。
2018年12月4日火曜日
酪農というノスタルジーの真実(1)乳牛の悲哀
12/1(土)Seminarの講師のSRさんは、会場に1時間ほど前に現れた。横浜に住む娘さんが会場まで送ってきた。聞くと、この大学の卒業生。Seminarの世話人のひとりであるこの大学のSさんは指導教授であったと話す。Sさんはほんのちょっとあとで来たために、会うことは叶わなかったが、彼女は卒業以来だと、懐かしそうに17階から見える曇り空の街並みを見おろしていた。
2018年12月3日月曜日
ボーっと生きてる
昨日(12/1)は二か月に一回のセミナーseminarの日。岡山県の玉野市に暮らす喜寿の方がやってきて、講師を務めた。酪農にかかわってきた方。牛乳に関する話しの、ほんの触りだけだったが、「ボーっと生きてんじゃねえよ」と叱られるような面白さがあった。
2018年12月1日土曜日
知らない世界・ブラックボックス
団地の業務管理の一部を、住宅管理会社に委託している。団地創設のときから、住都公団の団地はこの管理会社が請け負うようにしてやってきているから、ま、いわば第一線の下請け。東京電力の関電工のような存在とでも言おうか。専門業者だから、わが団地の隅々のことまで熟知している。
2018年11月30日金曜日
12年目に突入する外部記憶装置
11月30日は、11年前にこのブログがはじまった最初の日。2007年。65歳になった翌月に起ち上げた。今日から12年目に突入する。だからなに? と問われて、何か意味があるようなことを口にするのは、はばかられる。ただの日録だ。だが一回りやって来たことになる。継続は力だと、若いころはよく耳にした。それは、継続することでその領域の能力を磨き、センスを高めることに通じたから、それなりに頷きながら心の習慣になるように身を処酢と考えた。だが今は、能力を磨いてどうする。センスを高めるったって、身は日々衰えを見せている。センスだけが高まったりすると、身の程知らずになると、身体がどこかで承知している。
2018年11月29日木曜日
対照的な里山
天気が崩れるかもと言われた昨日(11/28)、秩父盆地の入口にある埼玉県寄居町の里山を歩いた。来週行く予定だった、この山のチーフリーダーが「鎖骨骨折で行けなくなった。あとをよろしく」とメールがあった。えっ、俺も行ったことがないよと応答したが、まあいいか、今週の山に組み込んで歩いてこようと出かけたわけ。
2018年11月28日水曜日
人為的なものは冷血で良い
太田光『違和感』(扶桑社、2018年)を読んでいて、「モラルと道徳とルール」という節が気にかかった。要は、「ルールは厳しくていい。法律は冷血で良い」と言う。それを見て、そうか、と腑に落ちるところがあった。
2018年11月27日火曜日
2018年11月26日月曜日
自然(じねん)という傾き
このところ、わが団地の理事・役員の交代制の改善案を策定している。五階建ての団地の階段毎に一人の理事を輪番で選出して13人で理事会と自治会役員会を構成する。理事と役員はダブっている。つまり、自前で管理し、自治会活動も一緒にやろうという態勢でやってきた。もう28年もつづいている。
2018年11月24日土曜日
直葬
ご近所の高齢者ばかりの集まり。飲んでいるときの話題、ひとつ。
「わたしね、ジキソウすることにしたよ」
「なに、ジキソウって」
「死んだらね、葬儀社に頼まず、病院から焼き場に直行するのよ」
「そりゃあ、ご本人はいいでしょうが、奥さんはどうすんのよ」
「いや、家内もそれでいいって言ってるんだよ」
2018年11月22日木曜日
初冬の奥鬼怒温泉――山歩講・鬼怒沼湿原
わが家から鬼怒川温泉駅まで、わずか2時間。東武特急でやってくる山の会の人たちと落ち合い、42km先の奥鬼怒温泉郷の女夫淵温泉へ向かうnaviに頼るから、どこをどう抜けているかわからない。鬼怒川温泉駅の標高385mから女夫淵温泉1120mまで、山間を辿って緩やかに上っていく。上るにつれて山肌の紅葉がきれいになる。途中に栗山ダムや川俣ダムがあって、たっぷりとたたえた水に映えて、赤や黄色の彩がさえる。いい季節だと、今日の天候を讃えながら、車中に方たちは山談義に余念がない。何しろ私は、雨男。今年の私が企画する山はほとんどが、雨の中。久々に今日明日と、予報は晴れ続き。1時間ほどで女夫淵に着く。市営の広い駐車場は2,3台が止まっているだけ。奥の休憩所のそばには、市営のバスが出発を待っている。12時少し過ぎ。
2018年11月20日火曜日
これから、奥鬼怒の湿原へ
今日、明日と晴れ。私の山行としては、珍しい天候。今から奥鬼怒の湿原に出かける。奥日光から尾瀬に至る山塊の中ほどにある。1泊。妻夫淵温泉に車を置いて、沢沿いの山道を約2時間。途中の八丁の湯や加仁湯が有名だが、それらの湯の源泉にあたる日光沢温泉に泊まる。その奥の鬼怒沼湿原を訪ねる、のんびり贅沢な山行。それが天候に恵まれる。
日頃の慌ただしい世事を逃れて、湯船につかる。山旅を共にする人たちと飲み交わす。そして翌日は、全行程6時間の歩行と、年寄りの山歩きには極めつけの贅沢である。私は車で行く。鬼怒川温泉駅でほかの人たちを拾って妻夫淵温泉へ向かう。
胸に無時限爆弾を抱えた身となっては、長い時間、他人様を同乗させるわけにはいかない。私自身も、高速道路で事故を起こすわけにもいかない。心して出かける。ではでは。
2018年11月19日月曜日
こんにゃろ
はねが うつくしいからといって いつも
「ごめんあそばせ」と
とんでいるわけではない
ときには ずっこけて
「やばい!」とさけび
ときには すねて
「こんにゃろ」と つぶやいているのだ
はっはっは どうだまいったか
2018年11月18日日曜日
丸くなるのは、どうでもいいということか
相変わらず、私の俗世間とのおつきあいはつづいている。今日も、団地理事会に付属する建築関係の専門医委員会の月例会。この専門委員会の「値上げ素案」を受けて理事会の「値上げ案」を決めた。「受けて」などというのは、格好をつけている。内実は、そっくりそのまま受け入れて、「素案」を「成案」として「説明会に臨む。そういう「説明会資料」を作成中だ。理事たちに回した「成案」の第一稿を、この専門委員たちにも見せて、用語のチェックなどを期待した。これは、「説明会」の席上で、専門委員たちが理事会側に着くことを期待した「ガス抜き」でもある。
2018年11月17日土曜日
暮らしを織る
大城立裕『あなた』(新潮社、2018年)を読む。大城が生きていることも知らなかったし、こんなふうに坦々と、でもしぶとく憶えているよと伝えようとする筆致を駆使しているとは、思いもよらなかった。いや、敬服。彼は1925年生まれ。大正14年生まれになるが、「著者紹介」では西暦しか使っていない。まるで沖縄の大西巨人だと、私の印象は記憶している。本書は、短編集。
2018年11月16日金曜日
雑事に紛れて
11/13に「彼岸と此岸のグレーゾーン」をアップしてのち、14日と15日にブログへの書き込みをしなかったせいで、遠方の知人から「まだ入院しているのか。具合が恢復しないのか」と電話があった。いや、気遣わせてまことに申し訳ない。「入院」については、私の身体自体が(何かあったの?)という調子の反応なので、まったく何でもありませんでした。
2018年11月13日火曜日
彼岸と此岸のグレーゾーン
「逝くような体験」をしたのは救急救命室と集中治療室でしたが、病室が空いて6人部屋に移されました。「集中治療室」は4人部屋、病室は6人部屋。どんな方が入っているのか、カーテンで仕切られているので顔はわかりませんが、声だけは聞こえます。
嗚呼、病室というのは、人生の集積場だと感じました。
2018年11月11日日曜日
こんなふうに逝くのか、という体験
「ぼちぼちリミットか」と11/8に書いた。山歩きの疲労が喘息のようになって出ることを、山歩きの終わりの始まりととらえている所感だ。ところがどうも喘息ではないかもしれない、風邪かなと思う節があって、かかりつけ医に診てもらいに昨日、足を運んだ。待合室で本を読みながら待っている間、心臓の辺りに間歇的に軽い痛みが来る。2分に一回くらいか。痛くはない。強く上から押さえるような感触だが、圧迫感でもない。痙攣かなとも思う。
2018年11月9日金曜日
前線の通過する雲の中の丹沢を歩く
一昨日(11/6)丹沢を歩いた。バスを降りると、すでに雨が降りはじめていた。大きなトイレの外側の庇の下で雨着をつけて出発。ヤビツ峠から菩提峠を経て二ノ塔へ上って三ノ塔へ向かう、静かなルート。じっさい、出会った人は、三ノ塔の避難小屋で昼食をとっていた2パーティ4人と下山中に上って来た単独行の外国人だけ。バスは座席がおおむね埋まっていたから、他の方々は、寺山を通過する主稜線コースをとったか、大山へ向かったか。
2018年11月8日木曜日
ぼちぼちリミットか
昨日朝、咳き込んで目が覚めた。気管支炎というか、喘息のような咳き込み方だった。
じつは前日(11/6)、雨の中を丹沢に登った。あさ4時半に起き5時半過ぎに家を出て新宿からの電車に乗らないと、秦野発のヤビツ峠行バスに間に合わない。9時20分にヤビツ峠を歩き始め、午後3時22分のバスに乗ったから、行動時間はおおよそ6時間。午前中の雨は南からの風に乗って温かかったが、お昼頃に雨が上がるとともに、冷たい風が吹くようになり、前線というか、気圧の谷が通過して行ったんだと分かった。上りは標高差500mばかり、下りは標高差1000mほどと山歩きというよりは山下りの趣。快適な山であった。
2018年11月7日水曜日
女性の社会的経験の生み出す裏技操作気質
このところちょっと慌ただしい。団地の修繕積立金の値上げに関する「説明会資料」を文章化していることもあるが、それだけではない。山のことやseminarのこと、他の調べたいことがあって、ブログを書く気分になれない。でも、日々を過ごしていると気になることが出来する。それについて、いつか書こうと思っていると、ついつい忘れてしまう。まず、そのひとつ。女性の社会的経験の生み出す裏技操作気質。
2018年11月4日日曜日
事象をみる、原因はどうでもいい、か。
今野敏『豹変』(角川書店、2015年)を読む。ストーリーはさておいて、この物語の山場で登場する人物・お祓い師のセリフが面白いと思った。人に憑依する「狐憑き」をどうみるのかというところ。
「それで、人間の精神活動というのは、単なる個人の脳の働きの結果ではないと、あなたは考えているわけだね?」
「そういうことは考えません。俺は、目の前で起きている憑依現象について対処するだけです」
「原因も知らずに?」
「理屈など知らなくても戦うことはできます」
2018年11月2日金曜日
〈何か〉のために生きる自画像
《優子ちゃんと暮らし始めて、明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分のよりずっと大事な明日が、毎日やってくる。すごいよな。 瀬尾まいこ》
と「折々のことば」が拾われ、これは小説『そして、バトンは渡された』の一節と断って、鷲田清一は、こうつづける。
《縁あって高校生・優子の義父となった男の言葉。優子は幼くして母を亡くし、血縁でない大人たちにリレーされて育った。その”親”たちが大切なもう一つの「明日」のためそれぞれに心を砕く。あらためて考えれば、自分のために生きるというのは、自分を満たすものが何か見えず、存外難しいもの。》
これは、昨日アップした「アスリートと心の病」の、もう一つ深みを指し示しているのではないか。
2018年11月1日木曜日
納得する人生は後からついてくる
今日(11/1)の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」は「アスリートと心の病」。バスケットボール元女子日本代表主将の小磯典子さんを取り上げている。彼女が5回の五輪予選を経験する中でぶつかった精神的な葛藤と引退後に感じた絶望感を語っていて、頂点には頂点の苦悩が待っているのだと思った。
静かな笹尾根を歩く
ここ二週間、晴れの日が続いているのに、山に行っていない。身辺慌ただしいからだが、そうなるとスマホを充電しながら部屋の隅に置いておくだけで、見ることも滅多にしない。たいていのやりとりは携帯電話のショートメールでやっている。昨日は久々に山へ足を運ぶことになって、スマホを手に取ってみるとメールが二通入っている。海外にいる私の旧知の友人・ノブナガさんから10/24と10/28の日付。二通とも同文なのだが、二通目には「ワタシです。メールを見てくださいよ」と悲痛な叫び声のように書いている。歯が痛んで苦しい、医者は歯茎がイケナイというが、この12月に日本に帰る。そのときに診てもらおうか、ちょっと荒っぽいがこちらの医者に治してもらおうか迷っている。ところで、12月帰国の折に会いたいが、都合はどうか。と問い合わせる内容。山から帰ってきて、返信したところ、「不正アドレスのため、送信できません」とスマホのプロバイダから拒絶された。えっ、間違えたかなと思いつつ、きっちりと「返信」にしてみたが、同じ反応。向こうさんもg-mailなので、不正も何もないと思うが、どうしたものだろう。これまでこれでやりとりできたのに、「不正アドレス」ってなんだろう? こうなると、さて困った。海外にいる彼に応答する術がない。このブログでも目にしてくれるといいのだが、12月の帰国を待つしかないのだろうか。
2018年10月29日月曜日
団地住民のミーティング
ここ一週間ほどの間、小さな住民ミーティングを行っている。目下、団地の修繕積立金の値上げを策定している。管理組合規約には、ひと月以上前に「説明会」を開いて後、「総会」にかけて決議するという手順も定めてあるのだが、型通りに運べばいいわけではないという副理事長の提案ではじめたもの。お勝手の言い分に耳を傾けてみることが大切という、女性らしい発案。それに付き合って、平均して十人ほどが集まる小規模の集会を8回ももつことになった。現状の説明は副理事長が行うのだが、理事長の私が冒頭のご挨拶をすることになって、全回顔を出してきた。住戸の3/4が出席の返事をしてくれた。入居以来28年も経過した団地であるのに、初めて顔を合わす人も少なくない。また、私にとっては9年毎、4回目の理事であるから、いつであったか一緒に理事をやったという顔にも、久々にお目通り願うことになった。
2018年10月26日金曜日
神なき里の心の負担
昨日(10/25)の朝日新聞「折々のことば」。
《本来は自分がやるはずの自炊を、誰かが代わりに朝から働いてやってくれているから「たすかる」店だと。 按田優子》
引用者の鷲田清一は、こうつづける。
《……「たすけて」は惨めで言いづらいが、「たすかる」なら素直に言える。「してあげる/してもらう」という心の負担なしに互いを思いやれる関係だから。》
関係における「能動/受動」の醸し出す「心の負担」が、中動態によって軽減される。そう仕向ける思いやりが中動態に隠されていると、解釈している。意志が働くと、その意志の向かう先の人に心の負担をかける。見返りも何も求めず、ただ然るべくそうするという「たすく」行為が、それを受ける人にも天の恵みのように受け止められ、「たすかる」。この関係を自然(じねん)といい、私たちを取り巻くことごとに「神」が宿るように感じて過ごしてきた。それが「くに」に生まれ暮らしてきた私たちの宗教観であった。それを鷲田は「心の負担なし」という。神(への感謝)が消え、人が人びとと関わると考えられるようになって、「迷惑をかける/かけない」というようになった。須らく人もまた神仏になるという信仰が無くなった、神なき里の心の負担というわけである。
2018年10月25日木曜日
身を包むもの
衣替え。十月一日になると、そう思って来た。でもそれは「昔の話」。彼岸までと言われた寒暖の区切りが、どんどん後に延びている。やっと十月の後半になって、秋らしい気配が街に漂う。気温が二十度を切るようになると、衣替えの気分になる。
2018年10月24日水曜日
社会システムの潤滑油の無常観
今日の(10/23)朝日新聞は、外国人「実習生」の労働状況が大変厳しい報じている。いつかも世界第4位の「移民大国、日本」と報道されて驚いたことを記したが、ことに地方の労働現場では高齢者しか集まらず「技能実習生」という名の(低賃金)労働者に頼らざるを得ず、彼らが都会へ流出する様子が浮き彫りになっている。雇い主の方までが、これでは逃げ出すのは仕方がないと、彼らに同情的な言葉を口にしている。
2018年10月23日火曜日
改造人体と人体の構造
「トミー・ジョン手術」と聞くと、大谷翔平を想い起す。だが、トミー・ジョン手術というのがどういう手術かを私は知らない。剛速球を投げると傷めてしまう肘か肩の人体補強手術と思っていた。少し詳しくというか精確にきくと、剛速球を投げるために断裂する肘の靱帯を取り換える手術のようだ。別の組織からもってきた筋を移植し、新しい靱帯として使えるように養生して育てる。この養生に一年半ほどかかるという。これって、でも、ドーピングとどこが違うの? と思ったね。傷めてから取り換えるか、限界を超えるために薬剤を服用するか。いずれにしても、人体の弱点を目的に合わせて(人工的に)改造するってことではないか。ドーピング違反のモンダイもパラリンピックの記録が健常者のそれを越えることもおころうから、そのとき人間ってなんだとか、人体ってどこまでを「パラ扱い」するのかってことも、これから大きな問題になってこよう。
2018年10月21日日曜日
しつけと体罰
10/18の朝日新聞「しつけと体罰」欄に西澤哲・山梨県立大学教授が「有能感得る親 子は他律的に」と見出しを付けて書いている。そのなかに「日本ではいつから体罰をするようになったのでしょうか」と自問し、30年以上日本で暮らした宣教師ルイス・フロイスは「日本では子どもを育てるのに懲罰ではなく、言葉で戒めている」と書いていると紹介して、「明治期以前は日本で体罰はなかったようです」と論じている。たしかに、ルイス・フロイスは西欧と比べて放っておいて育つ日本の子育て風土を微笑ましく(好ましく)受け取ったのかもしれないが、同時に、そのように育った子どもがどうして世の中に出て規律を守るようになるのか不思議に思ったと書いていたように思う。西澤哲は、その不思議に応えていない。
2018年10月19日金曜日
切れ味
何ヶ月か前になるか、TVで「職人技」を扱った番組を観た。カミサンも見ていて、
「いつかこんな切れ味の包丁が欲しいと思ってたんだけど、取り寄せられるだろうか」
とつぶやく。
「ああ、いいよ。ネットで調べてみようか」
と応えて、岐阜県の関という地名と「和」という包丁の銘を打ち込むと、三星刃物(株)のホームページが出て、注文受付がなされていた。むろん、すぐに注文した。
ほどなく返信があった。
「注文が殺到しているため、三か月ほどお待ちいただくことになります」
地底から湧いてきた「暮らし」――鳥甲山
一昨日から2日間、鳥甲山へ行って来た。何しろ山深いところに位置している二百名山のひとつ。越後湯沢からレンタカーで入り、苗場山に連なる山の北の方、いわゆる魚沼地方の平地へ回り込んで、国道405号線を南下する。すべて一般道を走る。どんどん山深く、中津川の谷筋を下方にみながら辿る。ところどころに扇状地らし広く開けたところがあるものの、道は山体の中腹をぐるりと経めぐって標高が高くなる。いや、こんなところに人が住まわっているのだと、同行のひとりが、ため息をつくように声を出す。
2018年10月15日月曜日
上向きに生きる力の源泉
今年の五月、シルクロードの旅に行ったときのことを記した。十数年前から何度か中国を訪ねている。そのときどきの社会と人々の変貌に目を瞠る思いがしてきた。地域ごとの違いも大きいものがあるから一概には言えないが、蘭州から敦煌にかけての旅の途上では、近代化が急速度で進み、それに見合ってか、そこに暮らす人々の振る舞いも、しっかりとスマートになっているように思えた。その変化は、私たちが経てきた1970年代の変貌に似ていると私は感じた。昨日よりは今日、今日よりは明日がよくなるという「希望」があったからだと、振り返って思う。その「希望」は、後にエコノミック・アニマルと批評される類のことではあった。だが、「一億総中流」と名づけられるほど(おおむね)どなたもが潤い、暮らしがよくなる感触を持つことができていた。
2018年10月14日日曜日
道徳は教育できるのか(8)静かで控えめな日本人はヘイトスピーチの人と同じ
村山早紀『桜風堂ものがたり』(PHP、2016年)が読みづらい。なぜなのだろう。そもそもどうしてこんな本を図書館に予約したのか、思い出せない。カミサンは読んだよという。彼女が借りて読んでいたのが、気になったからなのか。
ライトノベルというのであろうか、メルヘンチックな「ものがたり」だ。登場する人物は、内向きの気質、静かに自分の好みの本に向き合う。あるいは、自分の想いを伝えることにいつも戸惑い、起こったことに責任を感ずる。あるいはまた、武道をやって闊達、溌剌なのだが、友人を気遣って己を控える。いずれも書店の個性的な優れた店員という設定。本を愛し、任された書棚は同じ書店員からも注目を集めるほど。私の好みにも合っていて読みすすめる。そこに事件が発生し、「ものがたり」は展開するのだが、それがどうにも読みづらい。
2018年10月13日土曜日
道徳は教育できるか(7)秩序維持はモラルよりも法で
「人って変わらないものだ」ということについて、少し触れておきたい。
戦後の日本国憲法下で私たちが「自由」や「平等」を、天然自然の「権利」(天賦人権説)として、身に沁みこませて育ったことは間違いない。でも「江戸しぐさ」的に淵源を辿ると、五か条のご誓文や聖徳太子の十七条憲法にまでさかのぼって「徳」を言い立てることもできる(もっとも役人への戒めであって、万民へのものではないが)。それでもそれらに誇らしさを感じるのは、ただ単に私たちが西欧の物真似をしているだけではない、民主的な精神に通じる伝統の足がかりをもっているといえたからである。ま、そういうふうに、人は遡って歴史を構成するものだと言える。
2018年10月12日金曜日
道徳は教育できるのか(6)規範の自叙伝的移ろい
人が成長過程で身につける規範感覚や道徳観というのには、見様見真似で身につける無意識の模倣と意識的な模倣(=真似)とがある。前者は体で覚えたもの。大人の側から言うと「養育」と呼ぶ。後者は生まれながら身に備わった「人間のクセ」だが、大人の側はそれを「教育」と呼んでシステム化してきた。いずれにせよ私たちがモンダイにしているのは、育てた私たちの子どもの世代(以降)の「規範」になる。とすると、私たち自身が生まれ育つ過程で身につけたものが、大人になり社会を担っていく過程の、時代の荒波にもまれているうちに変容し、それを見様見真似で身につけてきた若い人たちのそれがモンダイだと指摘していることになる。
2018年10月10日水曜日
いかにも里山の奥久慈男体山
今日の関東北部は山歩きの好天。陽ざしも入る曇り空。じっとしている分には暑くない。二週間前に歩いた奥久慈男体山の別ルートを確認のために歩いてきた。静か。二人の登山者にあっただけ。二人とも車で大円地まで入り、男体山の(たぶん)健脚コースを上がり、一般コースを降ったと思われる。私は、二週前に健脚コースから登り、稜線上を西の月居山まで縦走したが、一般コースと上小川駅への下りを歩いていなかったので、そちらをみてみようとしたわけ。一人は下山しているときに会い、もう一人は、男体山の山頂で出会った。静かな山だ。
2018年10月9日火曜日
作家の作為が入りすぎる
東野圭吾『殺人の門』(角川書店、2003年)を読む。TVドラマの原作などでは売れっ子の作家。図書館の棚で手に取って、持ち帰った。なるほど評判の作家だけあって、物語りの全体の構図は、起承転結がしっかり決まっている。それが逆に、ストーリーの骨格をしっかりさせるために、登場人物の立ち位置を決めすぎていて、後ろで操る作家の作為が行間から垣間見えてしまうような感じがした。
2018年10月8日月曜日
道徳は教育できるのか(5)矛盾的に生きているのが人間
道徳が社会規範であり、「心の習慣」として自ずから身につけるものというと自然主義的な傾きが強い。和辻哲郎が説いた、自然環境が民族の気質を決めるような響きすらある。自分自らの規範がどうかたちづくられたかを考えてみると、いつしか身に着いたことが多いことに気づく。ま、これは当然で、「気づく」というのは、すっかり成長して「自我」も出来上がってきてからだ。そこまでの、中高校生になったころまでの「わたし」には、育んでくれた家族や兄弟姉妹、地域や「くに」という「環境」が社会的気風として培う「かんけい」の文化が組み込まれ反映されている。「わたし」にとっては所与のこと、つまり自然である。
2018年10月7日日曜日
シノビが保つ人の矜持
横山秀夫『影踏み』(祥伝社、2003年)を読む。図書館の棚で見つけ手に取った。この作家の『半落ち』や『64』を読んで、人を見る目に確かさを感じていたからだが、新作ではなく、15年も前の作品だった。人の奥行きの複雑さと玄妙さ、その根底のところで保たれている心情が、普通に暮らす私たちの忘れ去ってしまったことであるところが上手に描き出されている。面白かった。
2018年10月6日土曜日
道徳は教育できるのか(4)文化をどう継承するか
10/2の(2)につづける。若い人の振る舞いが年寄りの癇に障るというのは、今に始まったことではない。謂うならば世代間の文化落差だ。前回の冒頭に掲げた「廃れた道徳」の指摘の《(2)困っている人に電車の席を譲るのは、車両のどこでも同じ。「優先席」は本来無くていい》というのも、若い人の振る舞いというよりも、電車経営側の「配慮」。言葉を変えて言うと、社会の側の「道徳観」の反映ではないか。困っている人を扶けたいというのは電鉄経営側としては、褒められる配慮だろう。だが、それを車内アナウンスで繰り返しても、そうはいかないのを目にすると、「優先席」を設けて困った人の援けにでもなればと考えるのは、一つの策だ。乗客のもめごとは避けたい。《「優先席」は本来はなくていい》という人は、「困った人に席を譲る」ことが自然に行われる風潮を良しとしているのがわかる。
2018年10月5日金曜日
ドキュメンタリーとは何か
今にも降りそうな曇り空のなか映画を観に行った。ロバート・フラハティ監督(映像)+モニカ・フラハティ監督(音声)『モアナ――南海の歓喜』(1925年+1980年音声+2014年デジタル処理)という、ややこしいつくりの映画だ。無声映画としてつくられた映像に、娘の監督が半世紀後に音声をつけ、さらに34年後にデジタル処理されて今の映画になったと、チラシは紹介する。
2018年10月4日木曜日
賑わう首都圏のハイキング・フィールド
晴れの昨日(10/3)、高尾山に行った。山の会の「日和見山歩」、チーフ・リーダー(CL)はkwmさん。じつは当初、サルギ尾根を登って御嶽山をめぐる予定であった。ところが10/1の深夜、台風24号が来襲した。お蔭でそのあとの三日間、晴れの日が続いたのだが、平地では台風の被害で大騒ぎであった。わが団地でもハナミズキの大きな木が2本倒れ、その始末はたいへんであった。多摩地方の被害も大きいと報道があったので、kwmさんが関係エリアに問い合わせたところ、サルギ尾根は倒木が多いだろうが確認できていない、上ったところのロックガーデンは通行禁止などと聞かされ、高尾山に行き先を変更した。ここは、彼女たちのトレーニング場。週一回のトレーニングに、それぞれが近辺を歩き回っている。ときどき、おや、こんなところで、とご挨拶することもあったという。
2018年10月2日火曜日
道徳は教育できるのか(3)何を「道徳」と呼ぶのか
Seminarの場でtkさんの使う「道徳」という言葉は、ずいぶん広い幅を持っている。
(1)日大アメフト部・非道タックル問題選手の「自己判断力」の土台にあるメンタリティ。
(2)困っている人に電車の席を譲るのは、車両のどこでも同じ。「優先席」は本来無くていい。
(3)子どもに体罰をしたことがあるか(一様に体罰はダメというのでいいのかというニュアンス)。
(4)喧嘩にしても、程度を心得ない。殺してしまうまでやる。限度を知らない。
(5)「江戸しぐさ」など日本には良き「道徳」があった。それを教えていない。
(6)「教育勅語」も、中身をよく読めばなかなかいいことが書いてある。それを伝えることが重要。
などなど。私は聞いていて、tkさんは、今の時代状況に苛立っている、と思った。たぶん日頃目にすることごとが、彼の身につけている「道徳観念」と齟齬し、軋轢を引き起こしているのではないか。ところが彼もそうだが、後期高齢者はその「状況」に対して何ごとかをなす立場を持っていない。せめて「提言」のような形で書きおいて伝えられないか、と。
2018年10月1日月曜日
道徳は教育できるのか(2)実態的な事象表現が道徳の限界
Seminarにおいて講師のtkさんが「江戸しぐさも道徳の教科書に載っている」と触れたのを聞いて、どこかで「江戸しぐさは都市伝説」と耳にしたことを思い出した。このブログを検索してみると2017年6月2日に、当該の記事があった。長いが、もう一度掲載して、そのあとへSeminarの報告をつづける。
台風の落とし物
昨夜の風は強かった。何時ころかわからないが深夜、窓の外がびゅうびゅうと音を立てて唸る。街路樹のハナミズキの枝葉が揺れるだけで、こんなに騒がしくなるものだろうか。どこかでかた~ん、かた~んと規則的に、物と物がぶつかって立てる音が挟まっている。ベランダに置いた自転車の雨覆いが飛んでしまったろうかと思うが、起きてどうにかしようという気にならない。
2018年9月30日日曜日
道徳は教育できるのか(1)180度違う立ち位置
昨日(9/29)は、第3回目の第二期Seminarの日。講師はtkさん。お題は「後期高齢者からの子供の道徳教育に関わる提言のとりまとめ」。なんともつまらないタイトルにみえる。
どうしてこの人が? と最初は思った。リタイアして、油絵を描きながら悠々自適している自由人、と彼のことを思っていたからだ。いつだったか、第一期Seminarを取りまとめようという話しが出たとき、「そんなもの取りまとめても、誰も見やしないよ。ムダ、ムダ」と端然としていた彼が、なんでこんなことをと、耳を疑ったね。いやじつは、私ばかりではない。いつもtkさんに、コブラに対するマングースのように噛みついていると評判で仲良しのmdrさんまでが、「年くってボケが来たか」と揶揄するほど驚いていた。「ま、現役の仕事では散々悪いことをしてきたから、罪滅ぼしじゃない?」と私は感想を挟んで、でもどんな話になるのだろう。何しろtkさんは東大法学部の卒。いわば日本の法制の土台をつくっている本拠地で学んでいる(勉強する学生であったかどうかは知らないが)。金沢大学で教える仲正正樹も「東大法学部だけは、他の法学部と違うんだ」と、一段高いところにいて、ものごとの真偽正邪を決定する国家的審判官の位置に立っている気負った人たちと決めつけている。
2018年9月28日金曜日
「気づく、後で知る」から、混沌の〈せかい〉へ
今日(9/28)の朝日新聞に、鷲田清一が紹介している「折々のことば」。
《大切なものが近くにあってもそれに気づくのはずっと後、ということが私には往々にしてある。 鴻池朋子》
そして鷲田はこう続ける。
《美術家は随想「河原にて、また会いましょう」(『司修のえものがたり』所収)にそう綴る。いえいえ、みんなきっとそうなんです。気づいたときはも応取り返しがつかない。その分余計にこたえる。あなたが後で知ったその大切なものは、だから、あとに生きる人たちに確と伝えておかねばならない。……》
2018年9月27日木曜日
いかにも、の奥久慈男体山
昨日(9/26)奥久慈の山へ足を運んだ。どうして? と問われると、毛無山から話しはじめなければならない。じつは当初、この日、山の会の毛無山山行を予定していた。一週間前に「天気予報」をみると「雨、降水確率80%」。ところが翌日の27日は「晴、降水確率10%」とあるから、一日ずらしてもいいかどうか、参加者に問い合わせる。むろんそれでよいとの返答。四日前あらためて「予報」を観たら、なんと木曜日は悪く水曜日のほうが良くなっている。天気の変化が早まっているのだ。こんなに目まぐるしく変わる天気も、珍しい。台風のせいもあるのだろうか。もう一度参加者に問い合わせ、元の水曜日に実施することで了解をもらい、三日前にレンタカーの予約を済ませた。夕方「予報」を観ると、水曜日も悪くなっている。参ったなあと思いつつ、その様子を参加者に知らせると、「わざわざ雨の中へ出向くことはない。中止にしよう」と声が上がり、毛無山は中止にしたのだった。だが私の腹の虫というか、山への虫は収まらない。西がダメなら東はどうかと覗いて見たのが、奥久慈の天気。これがなんと「曇り、降水確率20% 、降水量0mm」とある。関東一円は雨の中、行くしかないと思った。
2018年9月25日火曜日
手ごたえのない空なしさが残る
半藤一利『歴史と戦争』(幻冬舎新書、2018年)が図書館から届いた。昭和五年生まれの人に私は、親しみを感じる。同じ午年ということもある。昭吾と名づけられた知人は、進駐軍相手に覚えたべらんめえ英語を駆使して敗戦後の日本復興を担い、しかしその体に沁みついた戦争体験を片時も忘れることのできない目を、政治や社会にむけている。そのひたすらさに敬服しているからだ。
2018年9月24日月曜日
教育の哲学の欠落
昨日(9/23)の「森絵都さん、おきばりやす。」に少し続ける。「教育」を「善きこと」と思い込んでいる作者の感覚が気になっているのだ。主人公の一人である国民学校を出た女性が戦前教育に恨みを懐き、公教育への、私から言わせると図式的な強い反発をするのは、国家権力が「教育」を損なっていると思うからである。だが、人類が生きのびる手立てとして、生まれ落ちて後の長い「養育/教育」期間ををもつようになり、ことばを伝え、振舞いを教えるという文化の伝承のかたちを生み出したのである。それが歴史的な径庭を辿って、近代国家による「義務教育」を制度化したのであるから、「教育」それ自体が「善きこと」かどうかは別として、類的存在にとっては通らざるを得ない過程だと言える。
2018年9月23日日曜日
今日は秋分の日、そして、満月
森絵都『みかづき』(集英社、2016年)を読む。どうしてこの本を手に取ることになったのかは、わからない。何ヶ月か前に図書館に「予約」をし、それが届いたからなのだが、なぜこの本を予約したのかは、覚えていない。何ヶ月か前に何かの本か雑誌を見ていて、この本のことを書いた記事を目にしたのだったか。
2018年9月22日土曜日
AI評価の大きなブレ幅は何を意味するのか
AIとビッグデータに関する報道がどこにでも見られるようになった。いずれも将来像を気に掛けているのだが、いますでに結婚相手の組み合わせを持ち掛けたりして、相性がいいと良くないというこにまで「介入」している。もちろんそれを受け容れる人がいるから成り立っているのだが、神様のお告げのようにAIのご推奨を受け容れるのは、そのご推奨がブラックボックスだからなのだろうか。
2018年9月21日金曜日
「悪」の凡庸さ
仲正昌樹『悪と全体主義』(NHK出版新書、2018年)を読んでいて、昨日観た映画『検察側の罪人』で感じたことが、より鮮明になる感触を得ました。「ハンナ・アーレントから考える」と副題された本書で、仲正は「エルサレムのアイヒマン」を読み解いて「悪の凡庸さ」についてこう記しています。
2018年9月19日水曜日
何が何に立ち向かっているのか――おまえは誰か
監督・脚本:原田眞人『検察側の罪人』を観た。エンターテインメントを謳いながら、これだけのモンダイをぶち込んで展開してみせるかと思うほど、盛りだくさん。切りとり方によっていかようにも読み取ることのできる仕掛けに、世の中と人間をみる厚みに感心しながら、楽しんだ。と同時に、ああおもしろかった、で終わらない残渣が心裡に残る。それは、「罪人」というのが、じつはおまえではないのかと問うているように思えたからだ。
2018年9月17日月曜日
逸れる視線――見るということは見られるということである
東京都美術館に足を運んだ。院展。斯界の権威の象徴のような展覧会だが、一人お目当ての絵描きがいる。高橋俊子。いくつの方かはわからない。どんな経歴を持っているかもわからない。今年の4月に、三越本店で行われた春の院展の、彼女の作品『生きる』を見た。その印象を次のように綴っている。
2018年9月16日日曜日
環境に生かされる
北海道胆振東部地震からはや十日。停電がなくなったとはいえ、余震も続く落ち着かない日々に身を置く、古い友人に思いを馳せる。地震の後「見舞いメール」を送った。その後に、千葉在住の同窓のMさんから、次のようなメールが届いた。
2018年9月15日土曜日
わが身とリズムの全体主義
朝、ラジオ体操をする。軽いピアノに合わせてゆっくり体を動かしていると、緩やかにほぐれ、身体が伸びてくる。うん、心地よいと言ってよい。その時、ふと思ったのは、この、リズムに合わせて体を動かすというのは、全体主義ではないかということ。なんというか、周囲の人たちと共感し、身に降りかかるリズムに共振する。これが快感であるのは、人類がもつ「共感性」「共振性」の身体反応ではないのか。
2018年9月13日木曜日
里山を徘徊する
昨日は、山の会の「日和見山歩」。「比企の低山を歩く(2)」と題する軽登山というか、ハイキングの日。ここしばらく、家庭の都合や身体的な事情で山歩きに参加できなかった方々が集まり、さながら半年ぶりの同窓会のよう。チーフリーダーはokdさん。前回の「比企野低山歩き(1)」で道を踏み迷って思わぬところに下山したこともあって、名誉挽回の{2}と称していた。奥武蔵の比企地方。1000mに満たない山が秩父地方の流れを引き継ぐように峰を連ね、「外秩父」と呼称する地域だが、「低山歩き」は、さらに低い、標高300m前後の散歩道とあって、しばらく休んでいた人たちもリハビリ・ハイキングと軽く構えて顔を出した。
2018年9月9日日曜日
わが身が知らせる「自然」の屈曲点
今日は、菊の節句。でも、このところの、中四国大洪水、台風21号被害、北海道胆振地震の報道が相次ぎ、二十四節季の感覚も節句を祝う心もちも、すっかり消え失せている。気候、気象の変動は、報道があるかないかにかかわらず私たちの季節感覚に作用し、「何百年に一回」とか「過去に経験したことのない」という表現が、毎年、毎月起こるような出来事として私たちの身体に刻まれていっているような気がする。その受けとめている身体感覚を身の裡の方へ探索してみると、異常が常態化する転換点を超えたのではないか。そう思えてくる。
2018年9月8日土曜日
「世界」に認知してもらいたい「わたし」の怖さ
「ささらほうさら」の夏合宿で用意されていたが、(時間がなかったために)それをめぐって言葉の交わされることのなかった「資料」のひとつに、《「ファシズム」学生ら体験》という新聞記事があった。神戸・甲南大学の歴史社会学の田野教授が行った「特別授業」のドキュメント記事だ。2週にわたって行われた2回目、白シャツとジーンズという「制服」が指定され、笛に合わせて床を踏み鳴らし、教室での行進、敬礼して「ハイル、タノ!」と声を出す。キャンパス内に繰り出し、(演出のためにそこにいた)疑似カップルに、授業参加の学生たちがどう対応したか、その自身の行動をどう感じたか、などを取材して報道している。場を踏まえるごとに(疑似カップルを糾弾する)声は次第に大きくなり、逃げるカップルを追いかけるように、振る舞いも「本気度」を増している。参加した学生のリポート。
2018年9月7日金曜日
わがコトとして受け止める現実
先月下旬、「ささらほうさら」の夏合宿がありました。現役の(管理職)仕事をしている若手が、日ごろ向き合っている事象を、すでに退職した年寄り向きに組み立て直して話して、「それってどういうこと?」と質問が相次ぎ、そこへもう一人の現役(管理職)仕事をしている若手が、そちらの現場の話とそれに対する感懐を投げ込むものですから、論題は錯綜しながら展開して、収まりがつかない広がりを見せる、面白いものでした。
2018年9月6日木曜日
良心は自死し、救済への道は閉ざされている
テンギズ・アブラゼ監督『懺悔』(グルジア、1984年)を観た。人間が群れをつくって生きていくことの中に、さまざまなことが呼び寄せられ、どちらともつかないことが善悪に裁断され、習わしや制度や統治の枠組みにとらわれて人びとの心は揺り動かされ、熱狂しあるいは平安を手に入れ、ご当人はそのことに気づかないままに、善悪に手を貸して過ごしている。
2018年9月5日水曜日
「隠れ疲労」だって?
五日間もつづけて、合宿や山歩きで遊び歩いた帰宅したら、やらねばならないことが溜まっていた。山行記録を書くよりも、メールの返信をし、そちらの「会議資料」をつくり、帰宅三日目の午前中いっぱいの「会議」をこなす。先々の日程を読みこんで、ひと月分の「お役目」を見落とすことなく采配し、滞りなく済ませる。
やれやれ、ひとまず乗り越えたという安堵もあろう。お昼を食べながらTVを観て、ボーっとしていると、張っていた気がほぐれて身の裡に溶け込んでいく気配を感じる。心地が良い。三日遅れの山の疲れも一緒になって、どんよりとわが身によどむ。それに身を任せている佇まいが心地よいのかもしれない。
2018年9月4日火曜日
素敵な雲中の3000m峰――立山連峰縦走(3)
第三日目、室堂は相変わらず雲の中。朝食のとき小学生に説明するリーダーは「何時でも声が掛かったら出発できる態勢にして、待機していてください」という。朝食は5時半。私たちは6時に出発するように準備をしている。雨着上下も着て完全装備。昨日、風もあって冷え込みを感じたので、私は長袖のシャツに羽毛のベストを一枚着こんだ。
2018年9月3日月曜日
雨と風の浄土山――立山連峰縦走(2)
二日目の朝食は6時から。バイキング形式。雨模様の深い霧。今日の宿泊所は、室堂山荘。一応荷物を全部持って室堂山荘に行き、荷物を預けてハイキングに出発することにした。乾燥室の衣類はきれいに乾いている。靴も登山靴に履き替えて、万全の装備をして表に出る。みくりが池の東側を回り、室堂山荘へ行く。20mも離れていない池の水面も霧に閉ざされて見えない。
2018年9月2日日曜日
天空の楽園は雲の中だった……立山連峰縦走(1)
山の会の月例登山で、立山へ行って来た。当初は1泊2日を立案したが、参加者が「せっかく室堂まで行くのだから、もう1泊しませんか」と要望があり、2泊3日とした。だが宿を予約した一月前、室堂の温泉宿は「二段ベッドの部屋2室に別れますが、いいですか」と返答があり、お盆過ぎとは言え、盛況なんだと思った。結局今回は違う宿に1泊ずつすることになったが、室堂の山荘がずいぶんと顧客に心遣いをし、山歩きをしている人たち向けにも行き届いたサービスをしていると、半世紀以上も前に室堂で登山訓練を受けたころのことを思い出していた。もう、いわゆる山小屋ではない。観光客が押し寄せるリゾート地の宿に近い心遣いがある。室堂がそうなってしまったということか。
2018年9月1日土曜日
はや九月、秋風の吹く私たちの暮らし
もう九月。暑さは酷暑のまんま、昨日の夕方は激烈な雷雨。駐車場に車を置いて家に戻るまでの間に、傘を差していたのにすっかりびしょぬれになった。土砂降りである。今朝方も雨が落ち、地上の雲気が抜けないで絡まりついてくる感じだ。
2018年8月26日日曜日
よく体を動かすという献身性
今日は防災訓練。17地区自治会の200人ほどが集まって、なかなか盛況であった。
昨日、総務係の私は「前日準備」のために避難所へ行った。集合時刻の15分前に着くように行ったのに、すでにブルーシートは広げ置かれ、位置調整をしている。気が早いというか、「(集合時刻を)決めた意味」を無にするような振舞いが、ここでも幅を利かせている。それでも、打合せのときに配られた「マニュアル」に則って、シートとシートの幅は1m20cmと、メジャーで測かる人がいて、動かす。大きなシートだから四人がかりで動かさないと皺になる。こうして、置いたシートを養生テープで止めていく。むろん私も、一員として作業をしている。ところが、タオル鉢巻の職人風情の60年配が、「ここ広すぎるよ」と言いながら、勝手にどんどん配置を変えてしまう。この人、何なんだ? と私は思うが、他の人たちは黙ってそれに従う。メジャーで測っていた若い人も、文句も言わず、付き従って引き続き仕事をしている。私は(なんだ? こいつ)と思うから、それ以降は鉢巻おやじの動きをみているだけにした。この人のことを、Yさんと呼んでいるから「マニュアル」の欄を見ると、総務班の班長のようだ。なるほど、古いタイプのヒトだと思う。率先垂範、身体を動かすことを厭わない。総務班という役員の長なのだから、どんな仕事がどうあって、誰が何をやるという采配を揮えばいいのに、そうはしないで、黙々と自分で動く。体育館のシートも、1m20cmという距離は役所のデスクワーク。その幅をとると設計図通りに体育館が使えない。鉢巻おやじの手直しした方が間違いなく使い勝手がいい。つまり、勝手知ったるこの人がやることが理に適っている。
2018年8月24日金曜日
見えない世界のぶつかり合い
マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書、2018年)を読みはじめた。この著者は1980年生まれのボン大学教授。今風に言うと、アラフォーの哲学者。新たに哲学を考えるとして、本書を著したと意気込みを語る。これまで幾多の哲学書を読んだが、「哲学を哲学(勉強)する」ものが多く、それはそれで、なるほどカントはそういうことを言っていたのかとか、現象学ってそういうことだったのかと、リライトされた物語を読むような気持がしていたものだ。「哲学する」こと、言葉を換えて言うと、ものごとを自らに引き寄せて考えることはエッセイのような形で提示されるものが多かったと思う。このアラフォーの研究者は、それに正面から挑んでいる。
2018年8月23日木曜日
屹立する外輪山
富士山の西側にある毛無山に上った。富士山を大きく取り囲む御坂山塊の山脈続きにある。静岡県と山梨県の県境。富士宮市の麓に車を置き、山頂へ向かう。1946m、標高差1100mほどの登降だ。振り返って思うと、大きな岩山である。そこに土がつき木が生い茂り、高さ1700~1900mの外輪山をなしている。その山並みの西側は山梨県が大きく南へ割り込んでいて、南北に富士川が流れ、5月に登った七面山のある身延町や早川町と南アルプスが峰を連ねる。
無心が自省の原点か
アジア大会がTV画面をにぎわしている。新聞の紙面も、日本選手の金メダルにだけ関心を示し、それ以外は成績さえ報道しないという報道ぶり。しかも、中国が金メダルを取った種目は紙面にも掲載されない。なんとも面妖な「報道ぶり」と思う。別に公平・公正にというのではない。競技の神髄に迫るというか、競技者が自身の身体にぎりぎりの磨きをかけたところに焦点を当てて競技をみる目を養いなさいよと、いつも思う。日本ファーストとでもいうようなナショナリティの称揚は、もうそろそろ卒業してもいいのではないか。
2018年8月21日火曜日
避難訓練
今週末に、私の暮らす地区を含む「避難訓練」が行われる。団地の自治会役員をしているので、約付きで顔を出すことになる。だが生憎、その準備打合せの日に団地の修繕専門委員会があり、私はそちらを優先しなくてはならず、代わりに自治会副会長が出席して話を聞き、「資料」をもらってきた。
2018年8月19日日曜日
私の「Q」
芹沢健介『コンビニ外国人』の紹介記事で、「日本は移民第4位」というのを見て、? と思った。ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで日本の移民は世界第4位である(と国連調査にある)らしい。どういうことだ?
2018年8月17日金曜日
ノモンハンに思う護るべき「祖国(くに)」
8月15日のTV放送、NHKスペシャル『ノモンハンの真実』を観た。山から帰ってきた日で、夕食のとき焼酎のお湯割りを二杯も心地よく呑んでご機嫌だったので、途中で眠ってしまうのではないかと心配していたが、75分間、気持ちが持続した。
2018年8月16日木曜日
山上の緑陰散歩
昨日(8/15)は「雷雨予報」のない晴れ。師匠のお誘いに乗って御嶽山へ足を運んだ。レンゲショウマを見に行こうというわけ。お盆だからなのだろうか、青梅線の御嶽駅で降りた人の数は尋常ではなかった。ホームから改札へ向かう階段のところで大渋滞、駅前の交差点の信号が変わる寸前に渡ったせいで、臨時便のバスに乗れた。ちょうど「レンゲショウマ祭り」が開かれている。なんと、9月上旬ひと月半もの間だが、この花はそんなに長持ちするのだろうか。
2018年8月13日月曜日
気軽さと不安とネットワークづくり
公共的なネットワークと市場に任せる交換の間に、どうしても欠かせない「かんけい」が挟まっている。ご近所付き合いというやつ。いつかも記したが、私は「放っておかれる自由さ」が心地よいと都会暮らしに馴染んできた。それは逆に、隣人に対して「関心を持たない自由さ」と抱き合わせであった。友人や知人に対しても、深く踏み込まない。そちらから送ってくるメッセージは心に留めておくが、こちらからあれこれ穿鑿して訊ねたりしないのを旨としてきた。だから世間話というやつが苦手だ。
2018年8月12日日曜日
迷惑をかける/かけない
「やっぱり、迷惑を掛けたくないって思いますからね」と話すのはAさん。私は「なに言ってんですか。迷惑をかけるなあと、負担に思ってもらいたいんですよ、私は」と返したのだが、果たしてそれで良かったのかどうか。日を追うごとに私の応対は間違っているんじゃないかと思うようになってきた。いま、団地の交代制でやっている役員(理事)が、いくつかの事情でうまく回らなくなっている。その対応策の話しだ。
2018年8月11日土曜日
「かんけい」を見極める視線
日大のチアダンス部のパワハラが問題になっている。これは、これまでとりあげられたレスリングやアメフト、ボクシングなどとはちょっと違うと思うのだが、報道のニュアンスは、ほぼ同じ。しかも、日大は早々と顧問を解雇してコトを始末しようとしている。なぜこれまでと違うと思うのか。
2018年8月10日金曜日
隠されている鏡の背面
暑さが戻ってきた昨日、テンギズ・アブラゼ監督『祈り』(ジョージア映画、1967年)を観る。「祈り三部作」の第一部という売り出しだから、この一作を観ただけで評価を決め付けるつもりはないが、まるで象徴的な物語の劇画をみるようなつくり。モノクローム、観ている私の脳裏に「戦艦ポチョムキン」という映画が思い浮かんだが、ポチョムキンほど登場人物の内面は描き出されていない。
2018年8月9日木曜日
干天の慈雨、炎天の慈涼
台風が来て、一昨日から昨日、今日と、久々の雨。まさに干天の慈雨。そればかりか、北東の風が吹き込み、これまでの暑さがウソのように涼しくなった。夜、西向きの小窓を網戸にしておいたが、夜中に冷え込むような気がしてタオルケットに潜り込んだ。午前3時ころ強い風の音に目覚め、おお台風の風だとぼんやり思い、秋が来るときの気配だなと思いながら、また寝込んだ。そうか、立秋は7日であったか。
2018年8月6日月曜日
三か月目の峠に差し掛かる
今日(8/5)午前中、8月の管理組合定例理事会が開かれた。6月初めからはじまり、なんとか3ヶ月目の峠に立った。2時間半の会議によって、決めることは決めなければならない。来月の会議までに必要なこと、半年先までに必要なこと、来年の通常総会までに必要なこと、と思いを巡らす。
2018年8月4日土曜日
体に沁みついた体質の♯Me-too
アマチュア・ボクシング連盟の「強権的運営」がやり玉に挙がっている。レスリングやアメフトにつづき、♯Me-tooが噴き出しているのかな。TVを中心とするマスメディアに代表される世間の風潮が、「告発者」を勇気づけているように見える。
2018年8月3日金曜日
異常が平常になる臨界点
今日も炎暑。37度と最高気温を数値にするが、35度と聞くと、おや涼しくなったと思うほど、身体が馴染みはじめている。なにしろ、こういう暑い日々が、梅雨明け以来、ここ一カ月以上続いている。山に入って歩いている方が、汗はかくが、心もちは涼しい。じぶんの身体が動き、その熱が汗に変わるというのは、動的平衡というか、内と外が響き合って達成感にもつながる快感をともなう。だが、平地にいるときのこの炎暑は、ことごとく外的な熱が取り囲み、静かに暮らしている私に襲い掛かる外圧としか感じられない。相互の「関係性」に組み込めない。
2018年8月1日水曜日
新右翼の哲学的限界
鈴木邦男『失敗の愛国心』(理論社、2008年)を読む。どうしてこの本を手に取ることになったのかは、しかと覚えていない。内田樹の何かを読んでいるときに、参照図書に入っていたのかもしれない(とかすかに残る思いが浮かぶ)。
2018年7月31日火曜日
攻撃準備態勢の虎
原題「CROUCHING TIGER――WHAT CHINA'S MILITARISM MEANS FOR THE WORLD」を読んだ。原著は2015年の出版。日本語訳のタイトルは『米中もし戦わば――戦争の地政学』(文藝春秋、2016年)。著者ピーター・ナヴァロはトランプ大統領の補佐官。国家通商会議議長という肩書をみれば、トランプのお気に入りということが分かる。そればかりか、いまトランプが中国に対して非難する「知的財産権の侵害」とか「国家安全保障上の理由による経済制裁」が何を意味しているか、よく理解できる。アメリカからみた中国の現在を、軍事の枠組みからみてとっている「概観」である。
2018年7月29日日曜日
庶民の気骨の原基をみた
河治和香『がいなもん――松浦武四郎一代』(小学館、2018年)を読む。松浦武四郎は幕末の伊勢に生まれ、全国各地を旅して歩き、山に登り、ついには、何度も蝦夷地にわたって地誌的にもアイヌの暮らしにも通じ、大量の記録を残したことでよく知られている。北海道の名付け親とも言われながら、明治維新後は北海道開拓の「名誉職」を辞し、その地に足を踏み入れることなく生涯を終えた。
2018年7月28日土曜日
仙丈岳――四周の眺望は絶品だった
甲斐駒ヶ岳の登りでkwmさんの不調が高山病のせいではないかと考えた私は、仙丈岳の登山ルートを、当初計画から逆のコースに変更したほうが良いかもしれないと思っていた。それに一日目の下山でkwrさんもすっかりくたびれていた。仙丈小屋へ回り込むルートの方が(早く)山頂を眺めることができる。そこから引き返しても仙丈岳を観たことには違いないと。ところが第二回の夕食のときに仙丈小屋の支配人が「おすすめ」として、当初のkwmさんが策定したルートを紹介しているのを耳にした。第一回目の夕食のときは、酔っ払いの話し声が絶えず、支配人も説明を省略してしまったのだろう。寝床で聞きながら隣のkwrさんに「おすすめ」にしたがおうかと声をかける。そうそう、もう一つあった。支配人が「甲斐駒ヶ岳へ行く方はコースタイムより2時間くらい余計に、10時間ほどかかるとみておいた方がいい」とコメントしていた。これはkwrさんに効いた。甲斐駒ケ岳の全行程を今日は8時間10分で歩いていたから、なんだそれなら(俺たちのペースは)結構いけるではないか。7時間10分かかる仙丈岳のコースタイムを歩けるだろうかと心配していたのがウソのように思えたにちがいない。
2018年7月27日金曜日
甲斐駒ヶ岳――名山の展望台に上がる
一昨々日(7/24)から昨日まで山に入った。いくつかの幸運に恵まれて、百名山二つを踏破し、絶好の眺望を満喫して、無事に帰ってきた。山の会の「日和見山歩」の企画。kwmさんをチーフリーダーに、甲斐駒ケ岳と仙丈岳を登ってこようという、梅雨明け十日のお手本のような山歩き。kwmさんが一年前に登りたいと「ツアー」に応募していたところ、参加者が足りないというので中止になった山旅である。その話を聞いて「ならば、あなたが企画すればいい。私も参加して、日和見山歩として実施しましょう」と声をかけ、実施にこぎつけたもの。「日和見山歩」はこれまで、文字通り「お手軽気分で上ろう」という趣旨が含まれていた。だが、これがうまくいけば、中級の山も含めることができる。山歩講全体が「行きたい山に行ける山の会」に変貌してくれれば、主宰をしている私としては肩の荷を降ろせる。これをきっかけに山歩講自体が変わることを、私は期待していた。
2018年7月24日火曜日
「ご指摘」がおさまるかどうか
団地の生垣を植え替え、植栽業者から「三か月は水をたっぷりとやってください」と依頼を受けた。梅雨のさなか、6月の中旬終わりのことである。ところが、それから一週間ほどで梅雨明け宣言。その後の猛暑は、すさまじかった。とうとう昨日は、熊谷で41.1度という国内新記録が樹立された。植栽業者は三日に一遍くらいといっていたが、とてもそれじゃ足りない。二日に一回、根元に水がしばらくは溜まる程度に水遣りをする。だが、端まで行ってみると、はじめの方に巻いたところはすっかり吸い込まれてしまう。
2018年7月23日月曜日
隠居の奥行(承前4)――ただのヒトからの再出発
(9)「野田は家禄百八十石で……しかし松江の実家は……家禄もせいぜい三十石前後ではなかったか……」と清左衛門は述懐する。それを受けてkwrさんは「家柄」へのこだわりがなくなっていることと「親子兄弟のつながりが薄くなっている」時代へと言葉を移し、「家禄」を抜き出して、こういう。「仕事を離れ、カミサンと二人で生きていくようになって、頼るのは年金、保険など国の制度だけというのは心細い限りである」。
2018年7月22日日曜日
隠居の奥行(承前3)――死者と語らうことの意味
(6)「百年前の生前の姿を知らない死者の法要だったが、済ませたあとの気分は以外にも快いものだった。死者がその法事を、間違いなく生者が捧げる慰めとして受け取ったかのような感触が残ったのである。」と三屋清左衛門が感じたことを糸口に、kwrさんは墓をつくったことを話す。両親と若くして亡くなった彼の先妻の墓である。お彼岸とお盆の年三回の墓参り。そうして、「最近は暇になったせいか」、死者のことをよく想い出すそうだ。これぞ「隠居」。
2018年7月21日土曜日
隠居の奥行(承前)――有徳の生き方
「ささらほうさら」のkwrさんの話しはまだ、つづく。
(4)「清左衛門が外へ出れば嫁はその間、舅と同じ屋根の下にいる気づまりから解放されるわけだから、おおいばりで釣りに出かけていいはず……」と藤沢は記す。その「嫁」を「カミサン」に置き換えkwrは、こう続ける。「外へ出るのが億劫になり、カミサンには気づまりなこと大、一日中顔つき合わせ、昼の支度までするのは不自由このうえもない状態が続いたが、昼は勝手に食べることにし、やっと慣れてもらった。朝もそうすることになった」
2018年7月20日金曜日
2018年7月19日木曜日
2018年7月18日水曜日
先を見通す視野とリアリティ
6/22のこの欄で「私のシンギュラリティ」と題して、2045年までのことを視野に入れてわが団地の修繕積立金を構想しろという「反発」に遭っていることを記した。ベースになっているのは、築後29年目を経過しているわが団地の「長期修繕計画(サイクル)表」。初め、わが団地の設計建築を企画した大手都市計画企業が、築後の修繕管理を請け負うために設立した会社が、「サイクル表」を提出していた。それに沿って昨年、2022年の給水管給湯管の補修・更新の「見積り」を(何社かに)要請したところ、「サイクル表」を作成した会社は「見積り」に参加しなかった。当然(実施前段で)「なぜ」と疑問が出る。それに対して当該の社は「わが社ではそういう工事を行った実績がない」と回答があり、これまた当然、では「サイクル表」の積算基礎はどのようにしたのかと疑問の追い打ちが為された。「一般的な工事費です」という回答に納得できなかった団地理事会は、「サイクル表」の作り直しを別の建築設計コンサルタント会社に依頼して、つくりなおした。
2018年7月16日月曜日
怒り心頭に発するのは、なぜ?
先日(7/13)のこの欄で、「法的言語のとげとげしさかご近所のよしみの柔らかさか」と、ベランダでの喫煙のことを記した。「訴え」があったこと、それに対して「知恵をお貸しください」と全理事にメールをした。その後日談。
2018年7月14日土曜日
「A JAPANESE LIFE」
『ゲッベルスと私』(オーストリア映画、2016年)を観た。監督は4人が名を連ねる。ドキュメンタリーとでも言おうか。ゲッベルスの秘書を務めていたブルンヒルデ・ポムゼルが80年近く前を想い起しながら坦々と語る。背がもう少し高ければ非の打ち所がない、演説の上手なゲッベルスに仕え、でもそれほどに彼の私生活に踏み込んだ様子が語りだされるわけでもない。そのところどころに、ナチスに熱狂していくドイツ民衆の様子、強制収容所に送られるユダヤ人を収めたフィルム、ヒトラーユーゲントが志願して出征する記念集会の模様、敗戦後に次々と暴かれる強制収容所におけるホロコーストの痕跡を明かすフィルムが差し挟まれ、彼女の語りがかぶさっていく。
2018年7月13日金曜日
法的言語のとげとげしさかご近所のよしみの柔らかさか
山から帰ってきた一昨日の夜、「日報回覧」が副理事長からまわってきた。そのなかに私の名前を記したチラシが入っている。「バルコニー、ルーフバルコニー、テラス、専用庭での喫煙はお止めください。」と大文字で大書した表題。その下に5点「バルコニー等での喫煙により、タバコの煙・臭いが住戸へ進級したり、洗濯物に付着する臭い、灰等で被害を受けている住民がいること。」という調子の「受動喫煙被害」を受けている人がいることを記している。宛先は「団地居住者の皆さまへ」。
2018年7月12日木曜日
静かな山、温泉岳・根名草山
気温の高温注意報が出ていた昨日朝6時に家を出て、金精峠から温泉岳と根名草山に登って来た。山は涼しい。半袖インナーの上に長袖のTシャツ一枚で歩きはじめるときは、ちょっと寒いかなと思うほど。金精道路の栃木県から群馬県へ抜けるトンネルのすぐ手前の駐車場に車を入れる。すでに10台ほどが止まっている。山の標高は2300m余。これだけで平地より12度以上気温は下がる。
2018年7月9日月曜日
利尻島・礼文島・稚内――弥生的な復元縄文人
バスで香深港に降り、すぐ近くの礼文町郷土資料館に向かう。島の北部にある船泊からたくさんの縄文遺跡が発掘されたと聞いたからだ。十数体の屈葬して埋められた骨が、ほぼ原形を保ったまま掘り出されている。こまごまとした副葬品も同じところから出土しているそうだから、どんな人が住んでいたかわかるのではないか。あった。DNAを解析して、髪の毛や目の色、肌のシミや皺までも復元した女性像が展示されてある。おや? と思ったのは、通常縄文人と聞くとえらが張った四角な顔を想いうかべるが、そうではない。むしろ弥生人のイメージに近いほっそりした顎をしている。やはり、南方系の縄文人と違った経路で入ってきた人びとではないか。しかも展示では、のちにアイヌが入ってきたと記しているから、アイヌとも違った人種なのかもしれない。面白いが、そうした侵入経路に関心がないのか、展示はそのようなことには触れていない。縄文土器も呪術に用いたのであろうか小さな土人形もまた、つくりがずいぶんしっかりしている。
2018年7月8日日曜日
利尻島・礼文島――寒い! ホッカイドーですから
稚内の街が、案外大きいのに驚いた。どのくらいの人口だろう。帰ってきて調べたら、35,000人ほど。それにしては広い面積とほどよい高さの丘を背にめぐらして、北に宗谷湾が海を抱え込むように開け、高いビルも立ち並んでいる。その西端の突先がノシャップ岬、東端の突先が宗谷岬、北海道最北端の地になる。稚内空港は宗谷湾の少し宗谷岬寄りにあり、賑やかな街並みやJR稚内駅や船の出るフェリーターミナルはノシャップに近い方に位置している。こちらがそうだからそう見えるのかもしれないが、観光客が多い。
2018年7月7日土曜日
利尻岳に登る――海に浮かぶ姿がいい
月曜日から4泊5日で利尻岳に行ってきました。梅雨の晴れた関東から、なぜか梅雨前線を追って北海道くんだりまで行くことになり、日々悪くなる「天気予報」をみて、どうしようかと思いめぐらして飛行機に乗りました。ANAの300人乗りの7割程度の座席が埋まっています。稚内は良く晴れていて、お迎えの車や観光バスの一団はそれぞれに散っていきます。私たちは、空港から稚内の中心部へ向かう飛行機便に合わせたシャトルバス。2,3台待機していて、発車していきます。私たちは立ったまんま、40分ほどかけてフェリーターミナルに着きました。
2018年7月1日日曜日
遠出の準備
明日から5日間、北海道へ行ってくる。私の主宰する山の会の月例登山で「利尻岳と礼文島」を企画した。羽田から飛んで利尻岳に登り礼文島に渡って花の礼文岳を訪れる。航空券や宿の手配はもう何カ月も前にしているから、そちらの方は時刻通りに空港に行くことからはじまる。だが、じつは、利尻岳のどこからどう登るかは、一般の百名山の案内書の通りだと考えていた。
「繁栄」が一致しない
昨日(6/30)の朝日新聞の投書に「子を産んで国栄える 正論では」というのが載っていた。自民党の二階幹事長が「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと勝手なことを考えている人がいる」という発言をめぐって非難が起こる中、「政治家が指針とすべき正論であり」憲法の理念にも沿うものだと述べている。投書者は65歳。そうか、「正論」というのがまだまかり通っているのだ。
2018年6月30日土曜日
見苦しく生きのびるか潔く散るか
6/25にサッカーW杯の熱狂が、一人一人に分かたれて拠り所のない人たちの「愛国」のはけ口になっているのではないか、と言った。今朝の「日本vsポーランド」戦への反応をみていると、もののみごとに応援している人の人柄が浮き彫りになっている。いや、話題にしているのは、攻撃をしないでパス回しに終始していた日本の「消極戦術」10分のことだ。苦虫を噛み潰したような顔をして気持ちの落ちつけ所を探り、「でもまあ、決勝リーグに行けたからねえ」と自分に言い聞かせるように応えている。
2018年6月28日木曜日
映画『万引き家族』とドラマ「あにいもうと」
二本、映画とドラマを観た。ひとつは今評判の『万引き家族』、もう一つはTVドラマ「あにいもうと」。どうしてこの二本を、ここに並べてとりだすか。「家族」とそこに生じる人と人との関係をテーマにしているからだ。前者はカンヌ映画祭の賞を受賞したという評判、後者は6/25に放送されたドラマ。
2018年6月27日水曜日
絡まり合っている関係――沈黙に如くは無し
昨日TVを観ていたら、日大の田中理事長という方が内輪の場所で(なぜ記者会見しないのかについて)「あのバイキングなどに笑いものにされますからね」と喋っているのが目に止まった。「バイキング」はいつもお昼を食べながら私はみている。世間の話題を下世話に拾って、いわば庶民感覚とのずれをとりだして笑い飛ばしている番組である。田中理事長の言は、まさにその通り。虎視眈々と笑いものにしようと狙っているような造りをしている。TBSやTV朝日のように賢い人たちが啓蒙的にコメントする番組と違い、出演者の身を通して井戸端会議的にやいのやいのいうから、喋っているタレントの身柄が表れてくる。だからじつは「笑いものにしている」のは出演者自らでもある。そこが、田中理事長には見えていないと思う。
2018年6月25日月曜日
「時代が似ている」という感覚
今年が明治維新から150年。私は今75歳。ということは、ちょうど明治維新から74年目に生まれて76年目に突入している。ほぼ半ばである。ところが大澤真幸という社会学者が、明治維新以降の時代を25年ごとに区切って、第一期、第二期、第三期とやると、敗戦後の25年毎の第一期、第二期、第三期と時代的相貌が似ていると指摘している。その戦前の第三期が、1918年頃にはじまる日本の全体主義の時代と重ねられると、近頃の立憲主義もへったくれもない行政府の暴走が思い浮かんで、「似たような時代」を歩いている気になる。とすると、敗戦後、私たち親の世代が愚かだったから戦争に突入したんだと感じてきたことにかぶせると、今度は、私たちの世代が愚かだったから、こんなになっちゃったんじゃないかと、わが息子たちの世代に謗られることになる。ふと、そう思った。となると、なにが「似たような時代と思わせる動き」にしていったのか、自省的にみてみようと思った。
2018年6月24日日曜日
医療と政治と社会常識
家族ぐるみの付き合いをしている友人の息子が入院していると聞いた。つい先日も顔を合わせたが元気そのものだった。精巣腫瘍が見つかって手術したという。えっ、なにそれ? ホラ、爆笑問題のタナカ君って子、あの子と一緒よと親は笑う。笑うが、目は笑っていない。苦笑ってこういうのを言うんだろうか。そういえば相方のオオタって子が「おまえカタキンだろ」とジョークを飛ばすのを思い出した。
2018年6月22日金曜日
私の2045年
シンギュラリティが2045年に起こると見立てたのはカーツワイルだが、もちろんそのとき私は、生きてはいないだろうと考えてきた。生きていたら103歳、そうか、私の母親は104歳で身罷ったから、おおよそ不可能な数字ではないかもしれない。ところが最近、ひょんなことから、私の2045年問題が降りかかってきた。
2018年6月21日木曜日
猫の目の幸運――田代山・帝釈山
今日は夏至。一年で一番昼が長い。はたして猫の目のように天気が変わる梅雨空に、陽の光が顔を出すかどうか。その梅雨のさなかに歩く山は「予報」が頼り。一週間前まで宿の予約もしなかった。そして一週間前、両日とも「曇り、降水確率20%、降水量0mm」とあり、宿とレンタカーを申し込み、同行者から「二日目の山は?」と返信があった。ところが三日前には悪くなり「降水確率80%、降水量0mm」となり、いやな感じ。台風もやってきているというので、なお、不安が募る。そして出発の前日、なんと一日目は「晴、降水確率10%」、二日目「曇り、降水確率10%、降水量0mm」となり、何と幸運なといそいそと出かけることにた。台風は熱帯性低気圧に変わっていた。
2018年6月18日月曜日
古文書の人相書き
今月の「ささらほうさら」は古文書の勉強であった。講師はmsokさん。彼自身、やむをえざる理由によって古文書を五年ほど勉強してきたという。それを少しばかり開陳しようという試み。やむを得ざる理由と、それを引き受ける成り行きというのが面白い。msokさんはこう記す。
2018年6月15日金曜日
もうノスタルジーのマルクスか
映画『マルクス・エンゲルス』を観に行く。原題は「若きマルクス」。もう半世紀以上前になるが、私が若いころに「若きマルクス」と呼んで好ましく思っていたのは、哲学するマルクスであった。「経哲手稿」や「ドイツ・イデオロギー」などに豊かなふくらみを持たせる視線の奥行きは、人間をとらえる感覚の確かさに裏打ちされているように思った。だから、政治活動としての(政治党派に象徴される)マルクス主義が付随させる苛烈な階級的敵対関係の排除してしまう人の息遣いが、わが肌になじまないまま、ストレスとなってまとわりついていた。当時私が勉強していた宇野経済学の哲学的基礎が余計に、実際的な場面において党派的な立場をとることをためらわせ、政治的なかかわり方に対する批判をことさらに強く持たせることになったと、いまにして思う。「若きマルクス」は「マルクス主義」とは違うんだ、と。
2018年6月13日水曜日
2018年6月12日火曜日
シルクロードの旅(補)変化途上の人間の悲哀
昨日(6/11)シルクロードの旅の打ち上げ会があった。久々に熊谷まで足を延ばし、駅近くの民家の中の料理店で会食し、同行した人の編集したビデオを見、写真を頂戴し、旅の味わいをたのしんできた。私は、この「旅の記録」を16ページに収めてパンフレットにし、皆さんにお配りして勘弁してもらった。そうしてふと、書き落としていると思い出したことを記しておきたい。その料理店から駅へ戻っているとき、私が横断歩道を渡ろうとしたら、誰かが「危ないよ! ここは蘭州じゃないからね」と声をかけ、やってくる車をみながら皆で笑った。それほどにシルクロードの道路は「歩行者優先」が徹底していたのだ。
2018年6月11日月曜日
人が存在する前の「世界」
カンタン・メイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年)を読んでいる。きちんと論理を追うとむつかしいが、大雑把に何を問題にしていると読むと、面白い「論題」を取り上げていることが分かる。昨日、『おらおらでひとりいぐも』の主人公が、46億年の地球の誕生以来の「世界」に自分を位置づけて考えていることを、私と同じだと記したが、その、人の意識が誕生する前、言葉が生まれる前の「世界」は存在したのかと問うている。
2018年6月10日日曜日
社会関係からくる男女の性差もチョッピリ感じて
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社、2017年)を読む。芥川賞を受賞したときに図書館に「予約」したのだったか。半年遅れの到着。一日で読み終えた。
2018年6月8日金曜日
一息ついている
昨日「シルクロードの旅」を書き終えた。そこへ、旅をコーディネートしてくれたOさんから「下山祝いをしましょう」とお誘い。11日(月)に熊谷まで出向いて、残金の始末をし、写真を交換する。私は、そこにこの「旅の記録」を届けることができる。ホッと一息である。
2018年6月7日木曜日
シルクロードの旅(12)石窟を彫る荘厳さと儚さ
黄河三峡ダムの上流、柄霊寺はスポット観光地だ。ウリは石窟。莫高窟をみていたから、またかという気分があった。だが違った。石窟が開かれたのは北周の、似たような時代であるが、莫高窟のように保護されていない。千五百年もの間、風雨にさらされてきている。にもかかわらず、残されている仏像の肌合いの滑らかさ、表情の柔らかさ、姿態のたおやかさは、ちょっと息をのむような気配を湛えていた。みることができるものは(高いところのものは足場もなく)限られていたが、風化するままに放置されてきたことが、いっそう、人の営みの(長年をかけて石を彫るという)厳かさと、にもかかわらず(風化に耐ええず)崩れ落ち朽ち果てるという儚さを湛えていて、見ているものの気持ちをすうっと引き締める。
2018年6月6日水曜日
シルクロードの旅(11)2000年の時空の旅
陽関の入口に「ポプラ」の木に関する看板が目に付いた。「胡楊(populus diversifolia)」 と表示し、「胡」の字から、西域から伝わった植物と知れる。姿形は多変化し「千奇百怪」、「国家一級重点保護植物」と記している。そうなんだ。また入口の城壁の前には、古代の戦闘に使われたであろう「投石機」や「城壁登攀機」「城門破壊機」など映像の三国志でみかけた「兵器」の数々の模造品がおいてある。現実と故実がごちゃ混ぜになって、私の脳裏を襲う。
シルクロードの旅(10)いやすごいなあ、人間というのは
「この暑さは陽関などを思い出しますね」と、今回の旅をコーディネートしてくれたOさんからメールが来た。昨日(6/5)の「暑さ」を指している。彼の住む熊谷では30度を超えたろうか。今朝は雨音を聞いたように思って目を覚ました。窓を開けてみると、自転車置き場の屋根が濡れている。久々の雨。気温も、昨日とは打って変わって低い。いよいよ梅雨に入るのだろうか。
2018年6月5日火曜日
目から鱗――日本の雪を見直して
面白い話を聞いた。スキーの制作をしている人の手助けをしている若い人の話。今年の冬も、長野県のスキー場で、新作スキー板の試乗会を催し、スキーヤーたちの声を聞きながら、板制作の手伝いをしてきた。久々にあったので、スキー板の話になった。
シルクロードの旅(9)砂の脅威、水の不思議
敦煌の街に入り中心街を通り過ぎて南へ向かう。着いたのは「国家級風景名勝区」と簡体字で大書された「観光地」。時刻は夕方6時近いというのに、陽は高い。ゲートの正面に大きな砂山が見える。鳴沙山。敦煌の街から4キロほど南に位置する。北からの風に吹き寄せられた砂がここから南へと堆積して、沙漠帯をつくる。鳥取の砂丘などの鳴き砂と違い、風に吹かれて砂同士がこすり合わさって静電気を発生し、それがぱちぱちと(なのかさらさらとなのか)音を立てて「鳴く」のだそうだ。年間39mmの降水量、3000㎜の蒸発量とガイドは力説する。そういえば昔、楼蘭の事を記した本の中に、この地の人たちは死んだ後、砂に埋葬すると水分が蒸発してミイラとなり、そこへ魂が戻ってくると読んだ記憶が蘇る。「楼蘭の美女、発掘」とか言ったか。
2018年6月4日月曜日
シルクロードの旅(8)土曜日の賑わい
5月12日(土)、新幹線に乗る時刻は11時35分とあって、午前中ゆっくりと張棭市の「名所」を訪ねた。土曜日とあって街には大勢の人が出ている。大仏寺の前の大きな広場はコンクリートが敷き詰められ、一隅で五十人ほどの人たちが生前と並んで体操をしている。ヒップホップダンスのような動きだが、先頭の人が指導者という風情でもない。その右側には十数人の人たちが太極拳をしている。こちらは横に一人だけ飛び出ている男性が先達のような風情。なんとも健康的な人々の暮らしだ。
2018年6月3日日曜日
私の神経戦(2)まずひとつ峠を越えた
今日は「お役目」の第一回理事会。A4版16ページの「議事資料」を作成し、臨んだ。マンション管理の事務方を引き受けている会社の「恒例の説明」があるというので、10分ほどをとられた。新米かと思われる若い女性社員が、型通りに説明する。質疑がふたつあっただけ。
2018年6月2日土曜日
シルクロードの旅(7) 感嘆した七色の地貌
「地貌」という言葉を張棭丹霞の街は使っている。日本語で謂う「地形」の中国語と思っていたから、平山湖の大峡谷をみても冰河丹霞をみても、そうか、シルクロードのグランドキャニオンだなと、私の内心の納得世界の延長上に位置していた。ところが、七彩丹霞をたずねたとき、ああ、これは、地形ではなく「地貌」なのだと、わが心がジャンプして得心することになった。かたちではない。色なのだ。
2018年6月1日金曜日
久々の晴れ、気持ちはただ一筋
このところ新しいお役目で、慌ただしい。月末と月初、役員交代の時期ということが大きく左右しているのには違いない。そこへもってきて、例年のルーティンワークをチェックして(こんなことを考えなければなるまいと)考えていたことが、じつはもうすでに事務処理段階に入っていると、わかったことも、いくつかあった。引継ぎが行われていなかったのだ。前理事たちからすれば、すでに「決定し」、事務職員に処理を指示したから、引き継ぐこととは思わなかったのかもしれない。だがこちらに捺印を求められると、「なにそれ?」ということになる。「管理日報」のチェックというのも、新発見の「お役目」だ。その内容を見ていて、坦々と進んでいる事務処理もあることを知る。
2018年5月29日火曜日
シルクロードの旅(6)古い地勢と古びた感性の奇岩怪石の地
この旅の記録は、5/21の第五回いらいですから、8日間もご無沙汰しました。ま、その途中に、山が入り、山の疲労と新しい社会的お役目の神経戦が加わった身体トラブルで、ごちゃごちゃとしてしまいました。すっかりシルクロードのことは頭から抜けてしまっていました。でも、せっかっく行ってきたのですから、何とかメモ代わりになる程度のことは記しておかねばなりません。
2018年5月28日月曜日
私の神経戦ご報告(1)詰めが甘い
昨日午後、1時から5時まで「通常総会」が開かれ、理事が交代し、いよいよ私の「神経戦」がはじまりました。実の脚の動きは、日にち薬のようによくなって、どうにかストックをつかずに歩けます。
2018年5月27日日曜日
「神経」戦のはじまり
昨日は一昨日より少し良くなった感じがした。何しろ事態を書き綴ることができたのだから。冷蔵庫も空っぽになりかけたので、買い物にも出かけた。杖をついて、車に乗り、カートをつかんでゆっくり左脚を引きずる。「こりゃ(買い物は)無理だ」という店の駐車場での一昨日の感触は、感じなかったから、やはり少し良くなっていたのであろう。それでも、何かをしようという気が起こらず、ソファに横になって過ごした。体の持っていた熱も引いたらしく、半袖で寒くはなかった。でも夕方までは、今日も布団で寝るのは無理かなと思っていた。左脚の上部の炎症が残っていたように感じたからだ。
2018年5月26日土曜日
こうして山を歩けなくなる
山に行ったのは22日~23日。快適な山歩きだったことは、24日に記した通りだ。ところが、ブログにアップし、そのあと写真を添付して山の会の方々に送信しようと、ほぼ全体を仕上げた。送信は夕食後にでもしようかと、食事にとりかかる。じつはカミサンが海外へ出かけたため、一週間は独り暮らし。気分良く、焼酎のお湯割りを二週間ぶりに口にする。やはり中国甘粛省の稗の蒸留酒よりはうまいなあと、ご機嫌であった。
2018年5月24日木曜日
幸運の七面山
一昨日(5/22)から七面山へ出かけて来た。五日前の事前の天気予報は「両日とも曇り、降水確率40%、降水量0mm」。「行きましょう」と山の会の方々にはメールをした。ところが前日の予報をみると「22日…晴」「23日…雨、午前6時小雨、午前9時降水量1mm、12時降水量2mm」と後になるほど雨がひどくなる。「今年は梅雨の入りが早いかも」と追っかけるような報道も。まあ、22日に登って山頂付近のお寺に泊まり、23日は降るだけだから、早発ちをして温泉に入って汗を流して来ようと考えた。
2018年5月21日月曜日
シルクロードの旅(5)幻の湖・平山湖
張棭の街から車で1時間半ほどの平山湖大峡谷へ向かう。道路がまだ建設中とあって、作業中。舗装していないところや、片側だけ出来ていて、右や左へ車線を変えながら走る。着いたところも目下建設中。広い広い、ガラガラの駐車場の突き当りに高さ6メートルほどの凸凹で赤茶色の大岩が立ちふさがる。じつはこれが模造品。まるで撮影所のセットのようだ。その正面に「大峡谷」「平山湖地質公園」と大書してある。ガイドが私たちのパスポートをもっていって手続きをする。有料だが、「70歳以上は無料」とある。子どもや軍人、障碍者も無料だ。
シルクロードの旅(4)恵みの雨、雪景色
翌朝(5/10)、6時起床、7時の朝食を済ませ、7時半には蘭州のホテルを出発する。蘭州駅8時20分発のウルムチ行新幹線「車廂号」に乗る。これは2600km先まで行くが、私たちは約600km先の張棭で降りる。切符に名前が記載されており、ホームへ入るのに飛行機に乗るのと同じようなパスポートの提示と荷物のチェックがあった。中国人は一人一人に発行されるIDカードを持っている。日本の新幹線に較べると車幅が少し狭い。昨年、大連から瀋陽へ乗ったときは、座っていた客が(指定席券を持った)ほかの客が来ると席を立ち、また別の空いた席に座るという何だか自由席風の振る舞いをする人がたくさん見られたが、今回はそういうことはなかった。土地柄なのか、完全に指定席ばかりなのか、わからない。まるで飛行機のキャビンアテンダントのようなやわらかい制服を着て首にスカーフを巻いた乗務員が回ってきて検札し、下車時刻を一枚一枚に書き入れて、そして下車時刻が近くなると、やってきて声をかける。なんとも丁寧。座席はほぼ満席。ところがEさんが後ろの方の車両を見に行くと、ガラガラの車両もあったとのこと。車輛を一つひとつ満席にしていく切符の売り方をしているようだ。
2018年5月19日土曜日
シルクロードの旅(3)甘粛省の民俗的アイデンティティ
中華航空機で羽田を発った。まるで日本の鉄道のように「定刻」を気にしていると感じた。いつであったかどこかへ旅をしたとき、コーディネートしてくれた旅達者が「飛行機の出発というのは、離陸した時刻、到着というのは着陸した時刻」と教えてくれた。そのとき、(そうかなあ、機体が動きはじめた時刻じゃないのか)と思ったことを思い出した。だが中華航空機はまるで、コーディネータの言のように定刻の10分前に動き出し、午前7時20分に離陸した。これは乗り換えた北京でもそうであったし、帰りのときの蘭州空港でもそうであった。中国人も「定刻主義者だ」。
2018年5月18日金曜日
シルクロードの旅(2)衣食足りて礼節を知る
中国が大きく変容していると感じたことを、もう少し付け加えておこう。
町や街に、ゴミが落ちていない。十年前に行った四川省の成都もそうだったが、昨年行った大連や瀋陽などでも、紙のゴミが散らばり、程度の差はあるが、あまり政経つとは言えなかった。ところが今回、蘭州などの都会はもちろん敦煌などの町も、陽関という辺境の地でも、ゴミが落ちているという印象がなかった。肝入りの観光地である莫高窟などではディズニーランドのようにゴミを拾って歩く人がいて、始終片づけている。新幹線もそうだ。車掌とは別の清掃係が手早く(私たちの使った紙やプラスティックなどを)袋に入れて回る。何度も床をモップで拭いて廻っていた。
2018年5月17日木曜日
シルクロードの旅(1)あなたの小一歩は文明の大一歩
中国シルクロードの旅から帰ってきました。訪ねたのは、甘粛省の省都・蘭州から、西の端・敦煌の先、新疆ウイグル自治区との境界辺りまでです。といっても、中国の省の位置なんかわかりませんよね。私もそうでした。大雑把に言うと、中国の北にモンゴルがあります。そのモンゴルの東の方は中国東北部、モンゴルの東南の方は、中国の内モンゴル自治区。モンゴルの中央部ゴビ砂漠と境を接しているのが甘粛省です。甘粛省の西側には新疆ウイグル自治区という広大な「西域」があります。その広さはヨーロッパと同じ面積というのですから、ちょっと私などの空間認識では計り知れません。
2018年5月7日月曜日
飛ぶ鳥「あとのことは良しなに」
明日午後からシルクロードへ向かうというので、それなりに慌ただしく「世俗のこと」にかまけてきた。1月末に「次期理事長候補」を引き受けてから3ヶ月余、「現理事会」や「現修繕専門委員会」の「傍聴」をしているうちは、まだよかった。押し寄せる「世俗の臭い」を嗅ぎつつ、身構え方を考える余地があった。ところが4月の後半になって「引継ぎ」の実務に移ったから、「現理事からの引継事項」を受け取り、「次期理事候補」の方々への引き渡す仲立ちをすることになった。もう「臭いを嗅ぐ」などと悠長なことは言っていられない。「受け継ぎ方/引き取り方」の感触を吟味しながら、この方は「お役目だから仕方なくやっているのか」「余計な心配をしているのか」「むやみに一所懸命だが、何か意図するところがあるのか」などと、いらぬこともやりとりの中に挟まってくる。それが煩わしくも愛おしくなりもする。
2018年5月5日土曜日
自画像を描き出す宮部みゆき
先月の「ささらほうさら」月例会で、「宮部みゆきの世界」を聴いた。講師のnkjさんに触発されて『孤宿の人』を読み、『楽園』を読みすすめていると昨日記した。今日、読み終えた。「宮部が一番気に入っている作品」と聞いたから、どこがそうだろうと考えながら読んだ。じつは読みはじめたときに、(あれっ、どこかで読んだかな)と思った。ストーリーの展開に、既視感というか「おぼえ」があった。だが読んだとすればブログの記録にあると考えて、2014年までを探してみたが、見当たらない。ま、ま、二度読んでもいいではないかと思いながら読みすすめたわけだ。
2018年5月4日金曜日
区切りをつけて「じぶん」をまとめる
今日は「休日の狭間のお休み」だと思っていた。いつのころだったか、働きすぎを押さえようと休日を増やした。そのとき(名目はどうでもいいから大型連休が途切れないように「狭間を埋める休日」をつくったと、私は思っていた。ところがカレンダーをみると「みどりの日」となっている。えっ、みどりの日は4月29日、昭和時代の天皇誕生日だったんじゃないか。と一枚カレンダーを繰り戻してみると、そちらは「昭和の日」になっている。いい加減だなあ、オレって。現役仕事から退職して日々是休日を過ごしていると、こんなふうになってしまう。
2018年5月3日木曜日
日々忘却の彼方へ
「世俗に戻る」と昨日記した。来週の今ごろは甘粛省の砂漠の中を歩いているはず。大慌てで、帰国後の、新しい社会的役割を果たすべく、準備を整えているというわけであった。また他方で、シルクロードから帰ってきた三日後に、Seminarがある。じつは私がコーディネートしてきたSeminarの最初の約束である五年間は、今年の一月に終え、三月にはその「まとめ」のSeminarも片づけた。そこで終了にすればよかったのだが、元気なうちは継続しようという「提案」があり、なんとなく私も「活力」のひとつと考えていたから、「第二期」をやることになった。5月は、AIと人間とを対比させて、自動機械の方から「人間とは何か」を眺めてみようというSeminarである。
2018年5月2日水曜日
久し振りに俗世に戻る
今月27日の「通常総会」から、いよいよ団地の理事長というお役目がはじまる。
1月末に「次期理事」の顔合わせをし「役割分担」を互選で決めてから、(正副理事長候補というお役目柄)何度か「現理事会」や「修繕委員会」の傍聴も(慣行にあるから)行ってきた。(慣行とはいえ、なんで傍聴してんだ)と疑問に思うから、その様子を「傍聴記」として(議事録や広報紙に載ることとは別に)「所感」を記し、次期理事候補におくってきた。ウォーミングアップというか、引き継ぎをスムーズに行うため。あわせて、次期理事長候補はこんな人なんだと、理事候補の方々に受け止めていただくためであった。
2018年4月30日月曜日
「軽々と」が「やっと」
いま毎朝、TV体操をしている。去年の10月までは毎日カミサンがTV体操をしていたが、私はパソコンの前に座って、フンという顔をして書き物をしていた。ところが昨年の9月、「化石化」で左腕が上がらなくなり、その後、リハビリをすすめられてから、朝の体操をすることになった。それから7カ月、何とか左腕も上がるし、回せるようになった。
2018年4月29日日曜日
人を人たらしめている原基
宮部みゆき『孤宿の人』(新人物往来社、2008年。初出は2005年)を旅の途次に読んだ。先月の「ささらほうさら」で「宮部みゆき」をテーマにnjさんが話しをしたとき、この作品のタイトルを耳にした。十年も前の作品だ。図書館の書架にあった。時代物。舞台が、「あとがき」で宮部自身が丸亀に範をとったと記しているのも、親密に感じたひとつ。私の生まれは香川県の高松。育ったのは対岸の玉野。丸亀は海の向こうに見えている(瀬戸大橋を渡った)対岸にある。
トカラ列島訪問記(2)――働き手と鳥の減少が比例する
島の探鳥路はおおよそ七つ。
「ガジュマルの森」が一番長い探鳥ルートであった。小中学校のグランドにはじまり、ジャガイモ畑を経て、ガジュマルの森を抜け、樹林の中の水場を覗いて、鉄塔への上り分岐を脇に見て、長い簡易舗装路を海を遠くに見ながら下って、コミュニティセンターの脇へ下ってくる。早朝も、昼間でも鳥の声が欠けることはない。姿もそこそこ見えるが、ムシクイの仲間が何であるかは、ついにわからずじまいであった。
2018年4月27日金曜日
トカラ列島訪問記(1)離島に暮らすということ
20日から昨日まで、吐噶喇列島の平島へ行ってきました。目的は探鳥なのですが、そもそも「トカラってどこなの?」と訊ねられ、「さあ奄美と沖縄の間かなあ」という程度の見当しか持っていませんでした。お恥ずかしい。私に訊ねた人のなかには、外国だと思っていた人もいましたから、まあ、あまり変わり映えはしないのかもしれません。因みに余談だが、このタイトルの原稿を保存しようとしたらパソコンの保存機能が作動しない。後で分かったのだが、吐噶喇の文字をトカラにしたら受け付けてくれて、保存できた。つまり漢字のそれは、機能に障害をもたらす質の文字なのだとわかった。
2018年4月19日木曜日
敵もさるもの
ハナミズキが散っている。フジが咲いていると思ったら、これも散りはじめた。何度も感じてそう書いてきたが、今年はずいぶん季節の進行が早い。晴雨の変化もきっぱりしている。気温の寒暖差も、けっこう大きい。冬物を仕舞って失敗と思わせて、翌日は夏日だったりする。こういうことも、温暖化と言えるのかどうかはわからないが、温帯から亜熱帯への緩やかな移行とすると、(気候変動という)敵もさるもの、人が馴染むのを見越して、もてあそんでいるように思える。
2018年4月18日水曜日
文章は表音文字、編集やデザインは表意文字である
今日は雨。夜中にはずいぶん大きな音を立てて降っていた。山の会の月例山行が予定されていたが、「予報」が雨とあって、中止をした。ふだんなら延期なのだが、明後日から私は遠方に出かける予定がある。来週に延期もできないので中止にした。お蔭で今日はゆったりした休養日になった。
2018年4月17日火曜日
風呂桶理論
もう半世紀以上前になる。オーディオ・マニアの間で「風呂桶理論」というものが取り交わされたことがあった。当時、スピーカーの値段も性能もものすごいのが売り出されて、一本のスピーカーが年収をはるかに超えることもあった。そのとき私の友人の一人が話してくれたのが、この理論であった。板を組み合わせて風呂桶をつくるとき、水が張れるのは一番低い板までになる、と。つまり、アンプやスピーカーやプレーヤーなどの性能全部が高い水準にそろってこその高性能であって、その一つでも低いと、出力される音は低いところに留まる、ということであった。
2018年4月16日月曜日
侘しさと人生
先日、逝去した大学時代のサークル仲間Sの弔問に行った。前後2年同期の6人。上野駅の不忍口に集まって、奥様の住むマンションを訪ねる。土曜日とあって上野は大変な人出。人にぶつかりながら歩く。上野広小路側から回り込んで池の西側に向かう。公園の賑わいも休日のそれだ。公園の道路を挟んだ向かいに建設中のタワーマンションもある。すでに20階ほどが出来上がり、その上にクレーンが首を伸ばしている。横山大観の記念館がある。そのすぐそばのマンションだが、入口には受付があり、来訪のアポなしには入れない仕掛けになっている。
2018年4月15日日曜日
他人の目にさらす
いま「孫」に関する冊子を作っていると、以前お話しした。とっくに原稿は入れ、写真を添付したほうが良いというので、何百枚もの写真を、原稿のどこのページに相当すると付け加えて送付した。そしてデザイナーの手に渡り、いま半分ほど割付が出来上がって順次送付されてきている。それを見た一つの感懐。
2018年4月14日土曜日
穏やかな季節に年寄りの感懐
今日午後から天候が荒れるというが、いい季節になった。薄曇りの陽ざしも柔らかく、風もない。気温はほどよく、長袖のシャツ一枚で過ごすことができる。秋ヶ瀬公園の近くにある環境センターで会議があるというカミサンを送り、買い物をして帰ろうと裏街道へ車を回す。
2018年4月13日金曜日
里山としての宮部みゆき――愛の喜び、愛の苦しみ
昨日(4/12)は「ささらほうさら」の月例会。今月の講師はnkjさん、テーマは「宮部みゆきの『世界』」。じつはこのテーマで、1月の合宿で講師を務められるように準備をしていた。講師予定のまだ現役のkrさんがひょっとしたら参加できない、そのときはよろしくと頼まれて用意していたのだった。krさんが参加できたこともあったが、nkjさん自身が合宿直前に腰痛と脚のしびれで立ち歩けなくなり緊急に入院、椎間板ヘルニアの手術となった。長い療養の末、3月末に退院、今月の講師で4ヶ月ぶりに用意のテーマをこなした次第。
2018年4月12日木曜日
静かな丹沢の山
昨日(4/10)6時前に家を出て丹沢へ行ってきた。来月の山の会の「日和見山歩」なのだが、私が海外へ行っていて参加できないというので、チーフ・リーダーが下見に行きときに同道することにしたのだった。チーフ・リーダーはやはり70歳の友達を連れてきて、この方のペースを基準にしてガイドしようというわけ。天気は絶好。ただ新宿発が6時42分と早い。
2018年4月9日月曜日
40年後の暮らしを決められるか
今住んでいる団地の管理組合の理事長に5月末から就任することになり、2月から現理事会や修繕委員会という専門部会に傍聴で出席している。「傍聴」というのは微妙な立場だ。5月の定期総会の議案書はすべて現理事会が提出する。そこで決定された「事業方針」にしたがって、次期理事会が執行する。だが「議案書」の審議は「傍聴」だから、口をさしはさむ立場がない。ところが現理事会を運営する人たちは、審議のところどころで「よろしいでしょうか」と私のほうを向いて訊くのだ。
2018年4月8日日曜日
人間とは「わたし」である
「人間とは何か」と(この年になってわが身を通して)考えると、人間とは「わたし」だというのが、最初に浮かぶ答えです。「わたし」とは何かと追いかけるように自問するところから、(たぶん)「人間論」が分かれてくるのだと思います。
2018年4月6日金曜日
相次ぐ訃報
こちらが後期高齢者になったからというわけでもあるまいに、訃報が相次ぐ。昨年までは年上の知人が亡くなっていたと、あとになって分かることが何件かあった。まあ、80を超えているから致し方ないかと思ったりするのだが、先月末に私より一つ年下の知人の奥方がくなり、家族葬を終えました、とお知らせのメールが来た。患っていたとは聞いていたが、自宅へ帰ってきて、家族に見守られて亡くなったという。
2018年4月5日木曜日
山も初夏の彩り
昨日は山の会の「日和見山歩・奥武蔵の低山を歩く」。あさ8時ちょっと過ぎに武蔵嵐山駅に集合。雲ひとつない青空。陽ざしが暑く感じられる。このところ風邪を引いたり、腰が痛かったりと不調であったoktさん、okdさん、mrさんたちも顔を見せている。mrさんは「歩かないと歩けなくなる」と意気軒昂であった。
2018年4月3日火曜日
里山の東筑波山嶺
常磐線というのは上野から乗るものとばかり思っていた。ところが今朝出かける前に検索してみると、武蔵野線の新松戸で常磐線と接続している。そこから鈍行に乗っていくつか行き、柏で快速に乗り換えるとみごとに目的の岩間駅に行きつけた。東浦和を出てから2時間弱。これは、発見。急に茨城県が近くなった。ちょうど通勤時間帯とあって、乗り換え客でごった返している。でも、北へと向かう客はそれほど多くないから、土浦でぐんと減る。駅名を聞いて、ああ、霞ケ浦の西の端の方にいるのだなと地図を想いうかべる。
2018年4月1日日曜日
気づかなかった「わたしの価値意識」
昨日のSeminarのあと、一杯飲みながら話をする機会があった。そのとき、私が兄弟と母親を2014年に一時に亡くしたことが話題になり、どうやって立ち直ったのかと話しを振られた。「たぶん、その出来事を一つひとつを書き記してきたからかな」と私は思い起こしていて、「弟(64)の(食道がんで)亡くなったことを聞かれて話すときは涙が止まらなかったのだが、兄(77)が亡くなったときは(私のすぐ脇で急死したのに)彼がちょっと散歩にでも出たみたいな感触で、あまり悲しいと思っていなかった」と付け加えた。話しを聞いていた一人が、「弟さんのことは無念の死と受け止め、お兄さんのことは達成感をもった人生だったと思っていたからではないか」と解析してくれて、ドッと胸を突かれる思いがした。
2018年3月30日金曜日
季節の進行が早い
サクラソウが咲いていると聞いて、今朝、田島ヶ原のサクラソウ自生地へ行った。例年なら4月の初旬に咲き始め、20日ころにサクラソウ祭りとなるのに、今年はサクラソウがすっかり咲いて、ノウルシが覆い隠さんばかりになっている。サクラソウ自生地の案内ボランティアもはじまっていて、今日はボランティア希望者への説明会を開くという。陽ざしはいっぱいだが、一昨日のように暑くはない。長袖シャツにウィンドブレーカを羽織るとちょうどいい。秋ヶ瀬公園のサクラも、もう散りはじめていて地面も桜色に染まっている。サクラと芝生の緑と自生地のノウルシの黄色を含んだ若い緑は、春爛漫という言葉を思い起こさせる。季節の進行が今年は早い。1時間ばかり公園を散策して、帰ってきた。
2018年3月29日木曜日
陽気に歩く初夏の春山
昨日(3/28)は山の会の月例山行。一週間前の21日に設定されていたが、雪の予報に延期していた。延期して正解であったことは、三頭山での遭難騒ぎをみるとわかる。昨日は抜けるような青空。気温も24℃になる予報。上野原駅は、目下改修中、来週の初めから新しい駅前広場が完成するとあって、いつもバス停で山案内するオジサンも「時間があるならぜひ、あちらを観てきなさい」と、強い勧誘。行ってみると、二十メートル以上下方にまだユンボが土を均している。でもこれができると、これまでの狭い北口のバス停の混雑は一挙に解消する。南口の通勤客も、車で送ってもらう必要はなくなり、広場から駅舎までのエレベータに乗ってらくちん。だがこれだけの費用を支出するのは、上野原市にすると、ずいぶん苦労したのではないかと、バスで傍らを通過しながら話しが弾む。
2018年3月27日火曜日
人間とは何か?
今月の「ささらほうさら」の月例会(3/15)は、4人もの人が欠席。骨を折ったり親族の葬儀があったりと、この年になれば思わぬことが出来する。ま、仕方がないよねと済ませればいいが、今回の欠席者のなかに「講師」が含まれていた。前々日になって急遽、「何かやってよ」と依頼が来た。さて何にしようと、溜めおいた「資料」を浚うが、いまひとつピンとこない。ならば今私自身が考えつつある「もんだい」を皆さんに考えてもらおうと提示したテーマが「人間とは何か?」であった。
2018年3月26日月曜日
わたしは保守化したのか?
先日大学時代のサークル仲間と会う機会があった。鳥取や浜松からも駆けつけ、なかには卒業以来52年ぶりという人もいた。私より一つ年上の方が仕事から身を引いてボランティアをしている公園を散策し、夕方になって会食をした。1960年代の前半、サークル時代にわりと親密に過ごした(近い)世代の人たちだったせいで、近況もうちとけて話しが弾んだ。私のなかでは半世紀以上の時空が溶け合って眼前に浮かんでくるようであった。皆、古稀を超えている。
2018年3月25日日曜日
早春の道志山塊
降り立った上野原駅は登山客でごった返していた。土曜日だ。駅舎を出会たところの狭い広場は各所へ向かうバスが四台も止まっている。60年配の男性が登山者にどこへ登るのかねと訊ね、地図を手渡して山の様子を話しながら、バスを指し示す。乗客を乗せてつぎつぎとバスが出発すると、間もなく、次のバスがやってくる。私が乗るのは上野原市秋山郷の先へ向かう。中央線の東西に走る線路の南側、道志村の南に峰を連ねる丹沢山塊との間にある、標高1000メートルに満たない山並みに登ろうというのである。この山並みを道志山塊と呼んでいいのかどうか、正確には知らないが、西へ行くと三つ岳につながる。たくさんの登山客を集めている中央線の北側は「高尾・陣馬」。人気の領域である。それに比して南側の道志山塊は、静かなたたずまいを残している。無生野行きのバスに乗ったのもわずか五人。私と一組の、合計3人がリュックを背負っている。
2018年3月23日金曜日
香港(7)吉野家の牛丼にホッとする
第七日目(3/12)、いつもの食堂で軽い朝食。今日は最終日なのでYさんが皆さんから預かったお金の清算をして、一人当たり何ドルかの返金があった。今日の支払いは銘々でやってくださいといわれて、45ドルくらいの支払いをしたからよく覚えている。でも、暖かい牛乳とトーストを食べたなとおもったところで、あれっ? それじゃあ四日目の朝と同じものを食べたのかな(そんなはずはない)と考えて、何を食べたかに、自信がなくなってしまった。人の記憶って、こんなにももろいものなのか。
2018年3月22日木曜日
香港(6) イギリス統治の面影が色濃い公園
前夜ホテルに戻りシャワーを浴びて床に就いたのは11時ころだったろうか。第六日目(3/11)も朝は6時20分頃集合。6時半から開く食堂で朝食なのだが、三日目の朝に食べたラーメンは、ほんとうに即席麺がスープに浸かっているだけ。ポークを頼んだら、皿に豚のステーキのようなものがついて出てきた。これの筋が強(こわ)い。歯の方が痛みそうだったから、今日は牛乳とバター付きトーストを注文して軽く済ませた。いつもの海外なら、三日目くらいに下痢気味になったりしたのだが、今回はらしい前兆に「陀羅尼助丸」の30粒錠剤を一袋呑んでことなく済ませた。この「陀羅尼助丸」はカミサンが友人から「いいわよ」と言ってもらったものだが、私には思い出すことがある。大峰山に、二人の高齢の兄たちと登ったときに泊まった天川村洞川温泉の町には「陀羅尼助丸」の看板があちらこちらにかかっていた。修験の盛んであった時代から薬効があるとして重宝されたといい、その製造所まであったように思う。昔の話だと思って笑って過ごしていたのに、こんなところで出逢って、お蔭を被るなんてと、不思議な因縁を感じたりしていた。
2018年3月21日水曜日
近代化への罪の意識
寒いお彼岸になった。最高気温も6度ほど。昨日から雨が降り続く。予定通りなら今ごろ、霙のなかの山を歩いているはずだった。一週間延期してよかった。予報を見ると明日の最高気温は16度くらいになるそうだから、「…寒さも彼岸まで」とはなりそうだ。
2018年3月20日火曜日
身の裡を照らしているかどうか
昨日新橋まで足を延ばし、古くからの友人Hに会ってきた。二月に一度は会っているのだが、今月末のSeminarのレポーター役をお願いしている。昔なら、と言ってもほんの3年前少しまではメールでやりとりもしていたし、私のブログに書き込みもしてくれた。ところが、目が悪くなり、パソコンのデスクトップを見ていられなくなった。電子ブックは、バックライトというらしいが、パソコン画面と違った画面表示をするらしく、そちらの方はまだ読むのに差し支えない。そういうことがつづいて、いまはメールを送ってもパソコンを見ていないから、「メールを送ったよ」と電話しなければならなくなった。面倒と言えば面倒だが、でもそのおかげで、やっている店番を奥さんに任せて少しばかりおしゃべりをすることもできた。
香港(5)近代的なハードにそぐわないソフトな慣習
さて元朗の古い街での五日目の朝食が終わって、今度はミニバスに乗る。二階建てのバスは幹線道路を縦横に走っているが、それと並行したり脇道へのルートを走るのが、ミニバス。16人乗りとボディに記している、バンの少し大きいタイプ。これはオクトパスが利くものと利かないものとがあるが、その違いなど(交通機関の収支の公共性とのかかわり)は(聞いても)わからない。系統はあるようで、私たちが乗ったのは「ミニバス74」。乗車するとき、ガイドをふくめて10人いた私たちのグルー
2018年3月19日月曜日
香港(4)馴れない景観と食べ物
前日の海鮮料理を食べたところへ案内してくれたのは長く現地でYさんと仕事をしていたIさん。私はただ「ついて行った」だけだったせいもあって、香港(地図上)のどこなのかわからない。そうなると、まるで自分の覚えまであいまいになって記憶から蒸発してしまうことになった。いつもなら行程を思い出せるものが、混沌としてしまう。まるで山中で道に迷ったような感じだ。考えてみると、空間認識と記憶とが(私の場合)、欠かせなく結びついていると思う。普段こうした行程記録を書く場合、メモ代わりの写真は参照するが、実はあまりメモを取っていない。時刻とルートをなぞるうちに思い浮かぶことを書き落としていく。ところが(たぶん)くたびれていて、人の後について行った場合、その航跡自体も頭に残らないというわけだ。
2018年3月18日日曜日
明らかに春めいている
香港から帰ってきて以来、大忙しであった。「爺婆二十年史」をつくっていることはすでにお話ししたが、その写真の提出があった。かき集めたら、なんと600枚近くあった。それを節ごとに振り分け、要らないものを落とし、写真にわかりやすいファイル名を付け、番号を振り、分類して節ごとのボックスに仕分ける。そうして、それぞれにキャプションをつける。さらにその、写真の一覧をエクセルで作り、目次と合わせて、どこにどれを配置するかをデザイナーにわかりやすく整理する。
2018年3月16日金曜日
香港(3)山間の農村を歩く
前夜買い置いた軽食をホテルで摂り、7時10分に出発。地下鉄で荃灣站(Tsuen Wan Station)へ向かう。この駅は香港全体で言うと中央部の西端に位置する地下鉄路線のターミナル。降り立って驚いた。超高層建築街の真ん中にある二階デッキ。そこから下の道路をまたいでそちらこちらのビルにつながる連絡通路が通っている。8時ころとあって、通勤客でごった返している。改札を出て、香港の探鳥ガイドたちと待ち合わせる間、トイレを探した。口頭で説明を聞いたが、わからない。香港の探鳥家の一人が案内してくれる。百メートルほど離れたビルの一階上のドアを開けて入っていくと、トイレマークがあった。その前には「讃岐うどん」の看板を掲げた丸亀製麺のチェーンストアがある。日本では丸亀製麺は「讃岐うどん」の表示をしてはならないとされているが、ま、ここまでくれば文句を言う人はあるまいとタカをくくっているのかと、思う。トイレはすこぶるきれい。TOTOの製品を使っている。
2018年3月15日木曜日
香港(2)それなりに奥深い山
3日目(木曜日)はうって変わって天気が悪かった。朝からの小雨。タイポカウ(大埔墟)の公園。大埔駅からタクシーで山里へ入る。通勤時間帯のせいか、タクシー乗り場は長蛇の列。「大埔墟自然護理區」と表示のある公園の入り口から坂道を上り、亜熱帯特有の照葉樹の森を両脇に抱えた山の斜面に抜ける石段のルートに、「自然教育區」と記した古びた看板がある。長年の蓄積があるようだ。コウラウンが飛び交う。昨日は夢中になって双眼鏡を向けたが、今日は「何だコウラウンか」とほかへ目を向ける。日本では見られない鳥でも、こうして毎日身近に見るようになると、関心が薄れるのか。開けた地面の50メートルほど向こうの電柱の上にカンムリワシがとまっている。
2018年3月13日火曜日
落差を感じないフレンドリーな香港
香港から帰ってきました。一週間の滞在。中心街に宿を決めて、そこから探鳥地に出撃する。使うのは公共交通機関とごく一部タクシー。街を歩いていても、ヨーロッパやアメリカの町に感じる緊張感を覚えない。もちろん顔つきが似ているということもあるが、掏摸やかっぱらいに「狙われている」という雰囲気がない。電車に乗っても(こちらが年寄りばかりということもあるが)、若い人たちがパッと座席を譲る。混雑するときには、場を空ける。大声で話をしていない。おおむね皆さんそこそこ豊かというばかりでなく、満ち足りている。加えて知的な雰囲気を湛えている。同じ中国とは思えない落ち着いた暮らしを感じさせていた。
2018年3月6日火曜日
なぜ日本の治安はいいのか
今日頭条という中国のサイトに「中国人が羨ましいと思う日本のコト」というのがアップされているそうだ。そのなかに、「小学生が一人で学校へ通える」というのもあったが、「日本の住宅の窓には格子がない」というのがあった。中国の住宅は、中層住宅でも窓は外から侵入できないように格子が入っているという。それが牢獄にいるような気分にさせるが、日本の住宅は羨ましい、と。
2018年3月5日月曜日
姉弟の苦渋と独立不羈の精神
近頃耳にした二つの姉弟関係の話しを考えていた。
ひとつは、80歳を超える弟。妻と二人暮らしで子どもはいない。妻はお茶の師匠。いわゆる「難病」を抱えていて、でも「医療費が一銭もかからない」と話すような磊落な人柄が好まれていた。それもあって、いわゆる家元制度の「お免状」を授けるということにこだわらず、お茶を愉しむというのを基本にしていて、お師匠の妹さんも加わったお弟子さんたちも茶席に立ち寄るのを愉しんできた。このお茶のご師匠は、なかなか凝った器を持っていて、そのうちの一つや二つを妹さんはいずれ自分も頂戴したいと(姉に向かって)口にしていた。この師匠の夫君はすっかり妻に頼り切っているように見え、飄々と過ごしている。ときどき茶席に顔を出したり、庭の柿をとってお弟子さんに振る舞ったり、愛想も良かった。
2018年3月4日日曜日
裁量労働が苦にならない
ここ一月ばかりの間私は、裁量労働で日々が明け暮れている。一冊の本をつくろうとしている。ひと月経ってやっと、400字詰め原稿用紙にすると800枚くらいの原稿を削りに削って450枚ほどに整理し、三部構成にし、何とか体裁を整えて、デザインと製本をしてもらおうとある出版社に持ち込んだ。丁寧に応対してもらい、刊行意図を聞いて、それなら写真を数百枚付けたらどうかと提案を受けた。今月の下旬にはそれも含めてすべてをデザイナーに渡さなければならない。ということもあって、ほぼ朝起きてから夜寝るまで、PCの前に座って、全力投入である。だが加重労働とは思っていない。なぜなら、これはまったく私の趣味の仕事であって、ハンナアーレントに言わせれば、労働でも仕事でもない、活動であるからだ。
2018年3月3日土曜日
有機体の人間でいたい
今日、お昼を食べながらTVをつけたら「最期の授業」という番組の再放送で、石黒浩・大阪大学教授が、学生さんを相手に「何かの」講義をしているのが目にとまった。自分そっくりのアンドロイドをつくり、ほぼ80%程度イシグロの理知的な判断の通りに言説をくりだすことができる、という。面白いと思ったのは、有機体ではないこのアンドロイドは「人間」なのかどうかと、学生さんに問う。当然答えは、NOだ。
2018年3月2日金曜日
方法としての「偏り」
半藤一利×保坂正康『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社、2015年)は、意想外に面白かった。「序章」が象徴的にそれを伝える。幕末の「錦旗」は長州の偽装・偽計であったとか、戊辰戦争における官軍の醜悪な「侵略」、靖国神社に「朝敵であった」薩長側の人物は祀られているが、のちに賊軍側におかれた「御所を護っていた人々」は排斥されているとか、スキャンダル的に展開するのかと思ったが、そうではなかった。
2018年3月1日木曜日
どこから「せかい」をみているか
ジョージア映画『花咲くころ』を観た。「岩波ホール50周年記念作品第一弾」と銘打っている。時代は四半世紀前、ソ連崩壊後の独立したグルジアの首都トビリシ。思春期を迎える若い娘たちと青年たちの日常が描き出される。風景は、敗戦後間もないころから昭和三十年代の日本の地方都市に似ている。つまり私の中高生時代と重なる。多くの道は舗装されておらず、雨でも降ると水溜りができ、歩きながら右往左往する。食べ物も服装も、なべて貧しい。
2018年2月26日月曜日
わたしの自然信仰――「わたし」というすべて
むかし、トルーマン・カポーティ『クリスマスの思い出』という短編を読んで記し置いたことがあった。
トルーマン・カポーティというと、昔『冷血』という一家殺人事件を扱った作者だとおもうから、ノンフィクション・ライターだとばかり思っていたのだ。それが、メルヘンというのとは趣が違うが、七歳の子どもと「いとこどうし」というばあさんと犬が、周りの顰蹙を買いながら言葉を交わし、日々を愉しみ、クリスマスの用意をするというお伽噺のような短編。次のような一文を見つけて、《まさに、その通り!》ともろ手を挙げた。
「私はこれまでいつもこう思っていたんだよ。神様のお姿を見るには私たちはまず病気になって死ななくちゃならないんだってね。そして神様がおみえになるときにはきっと、バプティスト教会の窓を見るようなものだろうって想像してたんだ。太陽が差し込んでいる色つきガラスみたいにきれいでさ、とても明るいから、日が沈んできてもまるっきり気がつかないんだ。そう思うと、安心できたんだよ。その光を見ていれば怖い思いなんてせずにすむってさ。でもそれは正真正銘のおおまちがいだったんだよ。これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ、神様は前々から私たちのまえにそのお姿を現していらっしゃったんだということを、ものごとのあるがままの姿」……「私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。」
2018年2月25日日曜日
分ける―まとめる、germのつぶやき
孫が誕生し爺婆になっての二十年史をつくろうと考えていると、まずぶつかるのが、全体の構成をどうするのかということ。主たる仕事を定年退職して十五年。最初の五年は「日録」を簡略に記している。その後の十年、つまり前期高齢者になってからは「日誌」をつけている。前者は手書き、後者はパソコンでタイプしている。較べてみると、「日録」よりも「日誌」の方が饒舌になっている。「日誌」も、初めのころに比べて今の方が、おしゃべりだ。
2018年2月22日木曜日
強くなれないなら上手くなれ
一昨日(2/20)から一泊で奥日光へ入った。山の会の、毎年恒例のスノーシュー山行。
朝6時半、Kさん宅で彼を拾って奥日光へ向かう。久々に一緒の山行。9時40分頃、清滝で借用するスノーシューを積み込んで、赤沼へすすむ。道路の積雪はすっかり除雪されていて危なげなく走る。9時少し過ぎに赤沼に着いた。やってきたバスのなかから手を振る赤毛のアン・swdさんが見える。この人とも一年ぶりだ。
2018年2月19日月曜日
2018年2月17日土曜日
記憶と印象と歳を経ること
人の記憶というのは勝手なものだ。20年前に生まれた孫のことよりも、それより10年程も後に生まれた孫のことを、よく憶えている。こうも言えようか。中学に入って以来、滅多に近づかなくなった孫のことよりも、まだときどきは顔を出す小学生の孫の方が印象の残る、と。それと同時に、五人いる孫それぞれの違いをはっきりと感じているのだが、間違いなく大きい孫に「規準」を置いて、見定めている。「規準」にするというのは、いつのまにか「孫」という一般名詞のように、どの孫をみるときにも、最初の孫との出来事や付き合い方を「モデル」にして、それとの差異で下の孫の特徴を見定めている。経験則と謂えばわかりやすいが、これは私の偏差だろうか。それとも、いくらかは一般性のある話なのだろうか。
2018年2月16日金曜日
「転向」なのか「自然(じねん)への先祖返り」なのか
昨日(2/15)の「ささらほうさら」の講師はosmさん。現在ある大学院大学の教師を務めている。彼が去年4月の「ささらほうさら」の定例会で講師を務め、「歴史の水脈」と題して彼の出自とその地にまつわる小作争議と、それを大学の卒業論文にすべく調べたこととを話してくれた。そのとき私は、彼が主題に据えていたことの手前のところで時間が来てしまったことを次のように記している。ずいぶん長いが、まずそれをお読みいただいて、今日の本題に入っていきたい。何しろ私たちの歳にもなると、すっかり忘れている。新鮮な気分で読める(笑)と、わが身に照らして自信を持っていたりする。文字通り、ご笑覧あれ。
人生折り返し点の娘に送る手紙
45歳の誕生日、おめでとうございます。女性の平均年齢が89歳になろうとしていますから、やっと人生の折り返し点に来たってとこでしょうか。お疲れ様でしたと声をかけるのは、まだまだ早いですね。
40歳のことを不惑というのは、わが歩む道筋が定まって迷うことがないからと言われます。なぜ定まり、迷うことがなくなるか。私が不惑を迎えたときのことを思い出して、次のように考えていました。
2018年2月14日水曜日
青空、暖かい奥日光
来週の下見に、奥日光へ行ってきた。赤沼8:40、8人ほどの若い人たちが、クロスカントリースキーを装着して、歩きはじめようとしている。ここから小田代ヶ原に行き泉門池へまわり、光徳へ向かうという。3、4時間のコースだ。気温はマイナス1度。陽ざしが差していて、奥日光としては暖かい。雪は多く、締まっている。小田代ヶ原へ行く道はよく踏まれていて、スノーシューなどいらない。クロスカントリーの人たちは、ミズナラの林の降り積もったままで、誰も歩いていない雪の上をたどるに違いない。壺足で歩いてみたが、ずぼずぼと沈まない。陽ざしを受けて溶け、寒さに凍っている。
2018年2月11日日曜日
病膏肓に入る
気管支炎の薬は間違いなく効いている。だが、少し静かに養生していないと、途端に夜寝入ってから、咳き込みが激しくなる。水曜日に薬を処方してもらった。たいぶ楽になった。そう思って、金曜日の夕方、ご近所の公民館でやっているストレッチ体操に足を運んだ。1時間半、ストレッチとリンパの流れをよくする体操をやっている。負担にならない程度に手を抜きながら、身体を動かす。気持ちがいい。そうして帰ってきて夕食をとり、10時ころ床に就いた。
ところがしばらくすると咳が出る。夢うつつだから寝入っているはず。なのに、自分の咳き込みで目が覚める。電車の通る音がするから、一番電車が来たんだなと思って時計をみたら、午前一時ころ。終電の時刻だ。夕方体を動かしたのが、影響したとしか考えられない。こうしてまた、少し振り出し近くに戻る不安を抱えて昨日を迎えた。
案に相違して、しずかに一晩を過ごすことができた。薬は五日分。つまり、今日の夜で服用は終わる。はたしてこれで、完治するか。
2018年2月8日木曜日
緩やかに効く薬
気管支炎という診断に五日分の薬をもらった。朝昼夜三食後に2種類、朝と夕食後に1種、夜寝る前に2種類と5種類もある。それぞれ咳の鎮静、痰の切れをよくする、気管支の炎症を抑える、気管支の拡張、細菌による感染症予防と、「守備範囲」が違うようだ。320円、ジェネリックでいいかというので、副作用などのことを尋ねたら正統薬と同じだというので了承した。この程度の値段だったと、わが懐を気遣ったのではない。高齢者にかかる医療費の「国難」を少しでも避けようという気分。
2018年2月7日水曜日
ああ、土瓶のヘタリ
とうとう今日の「日和見山歩」に行けなかった。一週間前の朝方から咳き込みがはじまり、いつもの気管支炎と放っておいたが、昨日になってまだ治まらないどころか、夜中の咳き込みがひどくなる。今日の山行に欠席しますと参加メンバーにメールを打つ。Aさんには《山行記録をよろしく》と付け加えた。と、
《どきっ! 何とかします。鉄人でも風邪をひくんですね。健康管理はどうなっているんでしょう。お大事に》
と、返信が来た。「鉄人」と思われては、今後の山行に差し障りがある。あまり頼りにされては、緩やかに消えていこうという私の戦略に狂いが出る。
《鉄人どころか、もう化石化がはじまっていますから、土瓶ですね》
と応信したら、
《土瓶にあまりお酒など盛り込みませぬように》
と、皮肉が帰ってきた。すっかりお見通しだ。
2018年2月6日火曜日
システム構築における超越的存在
「団地の次期理事長を引き受けることになった」と先日記した。でもこれは正確な表現ではないと、相撲協会の理事の決定の仕方を見ていて思った。相撲協会の理事は、選挙でえらばれた後「理事候補」となり、3月の評議委員会の承認を経て正式に「理事」となるというふうに、もうひと段階上の承認機関が存在する。これはどういうことなのだろうかと考えたとき、団地の次期理事も候補であって、「定例総会」で承認決定されてから正式に「理事」になるのだ。それまでは「理事候補」なのだとわかった次第。
2018年2月5日月曜日
親密になって勁くなるということ
私の主宰してきた山の会がヒート・アップしている。といっても、会員が多くなったりしているわけではない。「山に足を運ぶ気」がみなぎっているといえようか。
五年前のスタート地点では、月一回。私が半年分をまとめて「山行計画」を提示し、皆さんの都合のつくときに、それぞれの力量に応じて参加し一緒に歩くというもの。つまり私が、ガイド役を務めていた。私の山行は、メンバーの力のぎりぎり上限の少し下くらいを引き出すように歩こうと計画する。きついといえばきつい。だが間違いなく達成感はある。いつも自分の力を見計らって歩くことが必要になる。私の何十年来の、一つ年上のアスリートの友人やすでに百名山を踏破しているうちのカミサンががサブ・ガイドを務めてくれた。途中でエスケープする人とかがいると、私かサブガイドが付き添って下山したり、別ルートをとったりもした。
2018年2月4日日曜日
急に近景が起ちあがってくる
今日は忙しかった。じつは、今年の6月から地区の役職が一つ加わった。今住んでいる団地の理事を引き受けることになった。先月の末に新役員のポジションを決める集まりを持った。それを持つにあたって、今年度の自治会長から「あなたが最年長だから、ポジション決めを取り仕切ってください」と依頼が来た。「名簿」をみると、私の知る同い年の女の方がいる。それを告げると、渋々とその方にも同じように依頼してくれたが、私より十歳年長の自治会長の胸中には、女が取り仕切ることが端からなかった。あとでわかるが、じつはその方の方が私より少し年上であった。となると、とうぜん、彼女に「司会進行」を依頼する。私はサポート役になる。彼女はすぐに引き受けてくれた。気持ちがいい運びだ。
2018年2月2日金曜日
積もらぬ雪
昨夜の9時ころだったか、雨が雪に変わった。私はすぐ寝付いてしまったからわからなかったが、夜中に家の前を走る車の音は雨のようだったと、朝起きてカミサンが言う。積もってる? と聞くと、「車の屋根にうっすらという感じかな。庭にも道路にも積もってない」と。起きて外をみると落ちているのは雨のようだった。
2018年2月1日木曜日
現に見るということ
昨日(1/31)の夜10時ころ、「月食が見えるよ」とカミサンが話す。外へ出て、団地の頭上の雲間に赤く黒ずんでいるというので、私は、双眼鏡をもって外へ出た。見える、見える。左下の方がより黒っぽいが、全体に赤味がかって異様な感じになっている。双眼鏡で覗いていると、雲がかかったりとれたりする。初め双眼鏡の調子が悪くなっているのかと思ったほどだ。スーパー・ブルー・ブラックムーンと呼ぶと、今朝の新聞を見て知った。
2018年1月31日水曜日
いやな予感
明日と明後日は曇りと雪の予報。となると今週、山へ入るのは今日(1/31)しかないと思い定めて、行き先と地図を用意し弁当も作ってもらうことにして、昨夜は早く床に就いた。山へ入る前日は特別のことがない限りお酒も口にしない。少し咳が出始めたのが気になったが、上々の調子と思っていた。ところが夜中に、咳き込んで目が覚める。それほどひどくはない。目覚ましが鳴る前に咳き込んで目を覚まし、「今日の山はやめるわ」とカミサンに声をかける。「今年のインフルエンザは熱が出なくて咳が出るそうよ」と返ってくる。
2018年1月30日火曜日
そうか、自然に帰れ! か
昨日の最後に「教えてよ、イワナミ映画さん」と記した。今朝夜明けにそれが夢の中に甦り、ひとつ思い浮かんだことがあった。
映画『女の一生』の主人公の立ち位置は、ナイーブな女だったのか。伯爵家出身の世間知らずの女というのではなく、純朴で疑うことを知らない、まっすぐに生きる女という意味を読み取っていたのかもしれない。日本にいる私などからすると、カトリック的制約がないというだけでも、さらに枠を外した「まっすぐに生きる」と言うありかたを想いうかべてしまう。とすると、ヴェネツィア映画祭批評家連盟賞の選考委員たちも、そう読み取ったのか。
2018年1月29日月曜日
「”女の本質”はそう変わらない」ってか?
ステファヌ・ブリゼ監督『女の一生』(フランス映画、2016年)を観る。原作モーパッサンの映画化したもの。なんともつまらない作品だと、観終わった後、思った。なんでこんな映画を、いまどき、持ちあげて上映するのか、わからない。女性客がいっぱい。いつもなら3,40番くらいの入場順番が百番近い。2,3倍の入りだ。
2018年1月28日日曜日
実務軽視と戦略重視の狭間にあること
昨日(1/27)は36会Seminar。今回で第30回。満五年が完了する。思えば古稀の歳にはじめて、隔月に開いてきた。会場になる大学の、定年後も研究仕事をボランティア的に続けてきた人がいたからではあるが、同時に、Seminarをやろうよと発案した新橋の商店主、自動車会社の開発部門に身を置いた技術者などの同窓生が気を合わせたから、ここまで続けることができた。
2018年1月27日土曜日
2018年1月25日木曜日
下山の極意を会得した天覚山
昨日から厳しい寒気が入ると予報されていた関東平野は、一昨日の雪が残り、高いところから見下ろすと白一色、モノクロームの晴天。道に残る雪と除雪あとの凍りついた路面を恐々と踏んで、朝、駅へ急ぐ。相変わらずの通勤ラッシュ。申し訳ないが私はリュックを担ぎ、山行スタイル。ま、後期高齢者だから、縮こまる必要はない。降り立った西武秩父線の吾野駅は、昨日の高い気温に溶けた雪の部分と、それでもまだ残る部分とが混ざり合って、でも、全体に雪景色であった。あとで聞いたが、この町で予定されていた「ウォーキング大会」は中止になったらしい。今日の山歩きに参加の方々が顔をそろえる。
2018年1月23日火曜日
雪、降り積もる
雪深い福島県の新野地温泉から帰ってきた翌日、つまり昨日(1/22)、午前11時にはもう降りはじめていた。小さな雪片がちらちらと落ちてくる。積もりそうな気配。お昼になって庭を覗くと、土がうっすらと白くなっている。
2018年1月22日月曜日
いまどき「社員旅行」?
一昨日(1/20)から「ささらほうさら」の合宿。今回は初めて福島県の新野地温泉に足を運んだ。まだ現役の方がいるので、土~日に設定している。njさんは朝になって突然の不調。右脚が不自由な彼の利き足である左脚が「しびれ」、痛みを伴って歩けなくなったとのこと。人の身体というのは、バランスを保って「身」を支え続けようと全力を挙げているのだとわかる。彼の脚を気遣い、現地まで車で入ることになっていたwksさんが迎えに行ったとき、njさんは玄関まで出てくることもできないほど弱っていたという。他方、12月の例会に欠席したmsokさんが咳き込みながらも参加。参加しようという意気込みでもないと、そのまんまクタバッテシマウと笑いながら話す。
2018年1月19日金曜日
どちらがボケているのか
夢は、雰囲気(イメージのもつ気配)をみている。かたちはおぼろなのだが、(ゆったりしている)とか、(安心している)とか、(変だなと思っている)とか、(妙な感じだ)というのは、割としっかり覚えている。夢の中のことばは明瞭なのだが、覚めてみると、何だかずいぶんはっきりと分析的にしゃべっていたという(印象)が残るばかりで、何をどう分析的にしゃべっていたかは、思い出せない。夢のなかでは、ずいぶん頭が良かったのに……と思うこともないわけではない。願望だろうか。無意識の「自己主張」なのだろうか。
2018年1月18日木曜日
心棒が曲がっている
「石灰化」のために左肩に痛みが走ったのが昨年9月半ば。注射や投薬、湿布薬の施療で何とか痛みが取れたのが11月初め。リハビリと称して左腕を動かすことを心掛け、なんとか動かせるようにはなったが、いつのころだったか、動かしていると左の二の腕の筋肉に痛みが走るようになった。山歩きのときなどに左腕で木につかまってバランスをとろうとすると、烈しく痛みがあり力が入らない。そのうち痛みが、腕を垂らしているときにも手首の方にまで及ぶような気がする。まいったなあ、これじゃ、左手が使えないよと思う。ザックを背負う時にも左腕を先に通さないとならなくなった。つまり、後ろの方に伸ばすことができないのだ。整形外科へ行っても(たぶん)湿布薬をくれるだけだ。
2018年1月17日水曜日
私たちは「洗脳」されていないのか?
もう何年か前の話になるが、北朝鮮を訪問した知人の日本人ジャーナリストが帰国後、「北朝鮮の人たちは洗脳されているから(取材しても)面白くなかった」と語っていたことがある。そのとき「そうかなあ。自分を守っているだけなんじゃないかな。私たちだって洗脳されて育った」と私の口をついて出た。「えっ、どういうこと?」とそのジャーナリストは問うたが(神保町を歩きながらだったので)そのまんまになったのが思い出される。私の感想は、いまも変わらない。
2018年1月15日月曜日
前半で下見は完了
高気圧が全国を覆うとの予報に、来週の山の下見に出かけた。じつはこの山の下見は、7月にやっている。古峯神社からの踏路を歩くのは初めてだったから、ルート確認のつもりであった。そのときは、地蔵岳まで上り、ハガタテに引き返してそこから、稜線をたどって古峰ヶ原の入口まで行き、古峯神社への沢沿いの下山路をとった。途中、行者岳から下るルートへ踏み込んではみたものの、廃道になっているのか、踏み跡がわからない。頼みのGPSも電池切れで作動せず、そのせいもあって、ルートを間違え、1時間ばかり引き返す失態を演じた。
2018年1月14日日曜日
歩くということ
「分速80メートル」というのが不動産の物件表示における基本速度だと知ったのは、昔住んでいたマンションを売りに出したときであった。時速にすると4.8km、なんとも中途半端な速さ。この業界の人たちは何を基準にこれを決めたのだろうと、そのときは不思議に思ったが、それっきりで忘れていた。ところが、レベッカ・ソルニット『ウォークス――歩くことの精神史』(左右社、2017年)を手に取って頁をめくっていたとき、「時速3マイル」という表記があって、気がついた。これが「分速80メートル」だと。そうか、欧米由来の人の歩行速度だったのだ。
2018年1月13日土曜日
前を向くのが今の活力か
山歩講(私の主宰する山の会)の今年度前期(4月~9月)の計画案を立てて講中の方々に提示した。月一回は講中が代わる代わるチーフ・リーダー(CL)となって計画を立てて実行する「日和見山歩」。もう一回は私のプランによる「月例山行」。まず「月例山行」プランを立てて提示し、講中はそれを見てCL担当者を決めて、「日和見山歩」のプランニングをする。最終決定は2月後半の奥日光のスノーシューの泊りの宿で行う。山歩講のメイン山行は、昨年から「日和見山歩」になった。
2018年1月12日金曜日
どこから来てどこへ行くのか
千葉聡『歌うカタツムリ――進化とらせんの物語』(岩波書店、2017年)を読む。面白い。カタツムリの色と形のさまざまを取り上げて、進化がどう進んでいるかを「論理化」する試みが、ダーウィン以降、こんなにも世界に広く行われていたとは、思いもよらなかった。
2018年1月11日木曜日
日向ぼっこの八王子城跡
いや、今日は実に天気が良かった。雲一つない晴天とはこのこと。高尾駅北口から10分足らずでバスを降り、登山口にあるお寺、心源院に行く。広々とした境内。標高は186m。すぐ後ろに山が控えている。鬱蒼とでもしていれば御神体とでもいうのであろうが、さにあらず、枯れ木を林立させて青空に清々しい丘陵という風情。9時に女坂を登りはじめる。霜柱が立ってザクザクと心地よい音を立てる。昨日の雨が地面を湿らせているのであろうと思っていたが、登るにつれ茅の原が現れ、下が砂地になると霜柱は姿を消してしまった。稜線に乗り振り返ると、八王子の町が眼下にみえる。平に連なっているのではなく、丘陵の隔てられてポツンポツンと住宅地が固まって所在している。
2018年1月8日月曜日
我感ず、ゆえに我あり
西加奈子『i』(ポプラ社、2016年)を読む。刊行されてから一年と一カ月経って手元に届いた。表題の「i」というのは、虚数の「i」――「存在しない」と表現されてはじまる。途中で大学院数学科の人たちが「何を素人みたいなことを言ってるんだ。ゼロだって印度で発見されるまでは存在しなかったが、発見されてからは存在しているんだ」と反駁する。主人公の名は「アイ」、裕福なアメリカ人と日本人の夫婦の養子。シリア難民の子どもが、もらわれてきた。「この世界に、アイは存在しない」とイメージが重ねられる。戦火のさなかにおかれている記憶にない生まれ故郷と裕福な環境の中で恵まれて育っている「アイ」との落差。つまり、わが身に世界の落差が埋め込まれている主人公の心裡の不確定さを「i」は象徴し、「わたし」って何? と問うている作品のように思える。陽子という主人公のおかれたありようも、血のつながりをどうとらえるのか、それにどれほどの意味をみることができるのか、問い続ける主人公の胸中が描き出される。体に埋め込まれた世界の落差をどれほど体現しているかと問う主人公の自問自答は、ほとんど表現としても空転しつづける。
2018年1月7日日曜日
天与のことごとに感謝を捧げる
一年前のブログ掲載記事を、ブログ提供元が送ってくる。ちょうど一年前に何をしていたか、何を考えていたか(「日記」を読むような気分だが)わかる。じつはすっかり忘れているから、面白い。去年はまだ、息子一家がいたのだ。東照宮に寄って帰ったり、妹孫が中耳炎になって医者にいったりして、(親は)あたふたしている。爺婆はわりとクールにみながら付き合っている。
2018年1月6日土曜日
名を残す? どっちだっていいじゃないか
NHKのTVドラマ「風雲児たち」の録画しておいたのを観た。三谷幸喜脚本と知ったのは、全部が終わってから。いかにも彼らしい。『解体新書』の成立由来を軸につくった物語。 なぜ杉田玄白が前面に出て、前野良沢の名前が「解体新書」の著訳者として載っていなかったのかを軸に、言葉の橋渡しをするという翻訳のご苦労をコミカルに軽く描いて、面白い。
2018年1月5日金曜日
2018年1月4日木曜日
かたち(形象)を得る
今回も旅の往き帰りに佐江衆一『北海道人――松浦武四郎』(講談社文庫、2002年。作品の最初の刊行は1999年)を読む。松浦武四郎の名前は最初、幕末のころにたくさんの山歩きをした人物として(何かの本を読んでいて)知った。と言って、登ったのか近くを通りかかって見ただけなのかわからない。登山記録はない。好奇心旺盛な探検家というのが最初のイメージであった。さらに蝦夷地と呼ばれていたころの北海道を何度も歩き、子細な地名を記した地図が残っている。出会ったアイヌの人物像をこれでもかというほど書き記している。記録魔ともいうほど絵と地図と文章に書き残した人物であり、「北海道」の名付け親として知った。まるで、のちの時代の南方熊楠のようにいろいろなことを手掛けている。地理学であり、博物学であり、アイヌの生活誌をアイヌ語とともに書き記した文化人類学であり、何よりも松前藩の支配や和人商人たちの強奪搾取ともいうべき悪辣なやり方に怒る言葉が迸り出ている正義漢であり、樺太や択捉まで足を延ばして探査する仕事までしている。しかも明治維新後には、北海道開拓の「お役」を受けていたりするから、役人にもなったのだと思っていた。出自が伊勢の武士の四男だと知って、去年お伊勢参りに行く前に、この人の伝記本を手に取りもした。要するに一つのイメージにおさまりきらない人物であった。
2018年1月3日水曜日
第30回 36会 aAg Seminar 案内
あけましておめでとうございます。
いよいよ、第30回 36会 aAg Seminarを行います。古稀を迎えて開始したこのSeminarが、隔月に開催されて五年間、無事に全うできそうであることを、なによりも寿ぎたいと思います。
2018年1月1日月曜日
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