2017年12月31日日曜日
雪深い奥日光を歩く
昨日(12/30)朝の奥日光・湯元は良く晴れて風も弱い。赤沼から小田代ヶ原に向かう。8時45分。すでに先行者がいて、20センチほどに掘れた、人ひとりが歩く幅のトレイルがついている。ミズナラやシラカバの林は静かに雪に身を浸している。
2017年12月29日金曜日
吹雪く奥日光
奥日光、湯元に来ています。戦場ヶ原を抜けるあたりでは地吹雪であったものが、湯の湖畔に上ると雪になり、湯元の駐車場にたどり着いたときには、本格的な雪になっていた。風も強く、吹雪と言ってもよい。これは奥日光の気象条件を、よく現している。奥日光には梅雨がない、と言われる。太平洋側の吹き付ける低気圧は、いろは坂や霧降高原の千メートル級の山によって遮られ、いろは坂の上の中禅寺湖などには梅雨の手が及ばない。冬ともなると、中禅寺湖より標高で200m高い湯本は、日本海側の気象条件の影響を強く受ける。豪雪地帯と言われる尾瀬と奥日光は背中合わせなのだ。
2017年12月27日水曜日
静かな、のんびり歳末
年末のルーティンワークを一つ、昨日片づけた。年賀状だ。じつは古いパソコンに入れて使っていた宛名書きソフトが、去年、作業途中でフリーズしてしまった。あとは手書きでしのいだのだが、その後にプリンタが壊れ、新しいプリンタがWIFI仕様で古いパソコンと回線をつなぐ受け口がない。そのことに気づかないまま師走を迎え、いざ印刷しようという段になって困った。本文はつねに使う文書ソフトで作成していたから、また手書きでもいいのだが、この際思い切って葉書ソフトをあらためて購入した。ノートパソコンに入れて作動させる。住所も全部、あらためて入れ直す。それはそれで、たいした作業ではないが、去年の年賀や喪中はがきをみながら去来する思いを一つひとつ吟味して、私の分とカミサンの分をやり終えた。
2017年12月25日月曜日
司法の独立性を担保する「権威」とは
このブログの一年前の掲載記事が、自動送信されてきます。昨年の12/24には《市民社会の「法」の精神の原型》と題して、フェルディナント・フォン・シーラッハ『テロ』(酒寄進一訳、東京創元社、2016年)に関する追記を記しています。詳細は省きますが、ドイツの市民も参加する「参審制」が、法制自体を疑う精神を持っていることに(私が)感嘆したことを述べています。
2017年12月24日日曜日
人の昏(く)れ方
中原清一郎『人の昏れ方』(河出書房新社、2017年)を読む。図書館の「新刊書の棚」におかれていたのを手に取った。表題が気にとまったからではあるが、「2017年11月30日初版発行」とある。こんなかたちで読むのを出版社は嫌がるだろうが、そんな機会でもなければ、たぶん手に取ることもなかったと思う。
2017年12月23日土曜日
自身との交信が途絶える原罪からの解放
20日に山を歩いた。ほとんど疲れは残っていない(ように思えた)。昨日(22日)、ストレッチをやっていて気づいたこと。リンパの流れをすすめるために脚の太ももを押さえたとき、奥の方に軽い痛みが走る。ああ、これは疲れがたまってる。ふくらはぎのリンパの流れもやったときに、奥の筋の方に疲れが残っていると思った。そうなのだ。疲れを感じるのは恢復するときと思って来たのは間違いないが、こんな形で奥の方に溜め込んでしまっているとは思いもしなかった。
2017年12月21日木曜日
けっこうスリリングな下山の九鬼山縦走
晴天が続く昨日(12/20)、山の会の月例会。富士急行線禾生駅から九鬼山を経て馬立山への縦走路をたどり、菊花山を通って大月へ下るルートを歩いた。朝9時15分ころに歩きはじめ、午後3時10分ころに大月駅に到着したから、行動時間は5時間55分。お昼に35分とったので、歩行は5時間20分。ほぼコースタイムで歩いている。平均すると70歳を超える面々だから、これは立派である。
2017年12月19日火曜日
何を気に留めているのか
又吉直樹『火花』(文藝春秋、2015年)がやっと図書館から届いた。なんと刊行してから2年近くかかっている。芸人・又吉が芥川賞を受賞したと評判になり、メディアは作家・又吉を持ちあげようとしたが、当人は芸人ですと本業の矜持を保っていたのが印象に残っていた。だが私の悪い癖で、「時の人」的な評判に迎合するのが嫌なものだから、わざわざ図書館に予約して、順番が回って来るまで待つことにした。そのうち、予約したことも忘れていた。そして本よりも先にTVドラマ・『火花』が目に触れることになり、そうか、そんなことを書いてんのかと本を読んだ気になっていたから、図書館から届いても、急いで読もうとは思ってもいなかった。ところが先に手に取って読み終わったカミサンが、TVドラマでは(なんやろ、面妖な話)と思っていたのに、本を読むと(芥川賞をもらうに値するわ)と思うようになったという。そうか、読んだ気になってはいかんのだなと私も手に取ることになった。ところが私の読後感はと言うと、TVドラマは、本の描いていた人物の「痛さ」をうまく表現していたなと、まず感嘆した。このカミサンとのずれはどこから来るのか。
2017年12月18日月曜日
工業規格にしたがって壊れるのか?
しばらく前から便座の、おしり洗浄の調子が悪い。ノズルが出て来なかったり、ノズルは出ても水がちょろちょろとしか出なかったりした。説明書を読むと、水の通るところにあるカートリッジのゴミを取り除けとある。水の栓を止め、カートリッジを取り出して水洗いする。取り付けて作動させてみると、今度はノズルが出てこない。ノズルも、手順を踏んで取り出して拭いたりする。出るようにはなったが、水がでない。まあ出なければ出ないで使わなければ済むし、使うにしても山歩きのときのようにペットボトルで代用すれば不都合はないから、しばらく放っておいてから作動させればよいと思って、放置してきた。
2017年12月17日日曜日
これぞ「自然(じねん)」の神髄
今朝の新聞を開いて、高村薫の『土の記』が大佛次郎賞を受けたことを知った。この作品では野間文芸賞も受けている。大佛次郎賞の選考委員五氏が選評を書いているのを読んで、私の感懐と少し違うことを感じた。
土の記憶か土の記録としての「土の記」。記憶も記録も、誰がいつどこでということを抜きにしては語れない。言葉は人間のものだ。そういう意味では、土と向き合う人が主体となって土の記憶を感知し、土の記録を蘇らせる。土が主体と考えると、その記憶や記録は自然(しぜん)そのものだが、人が介在することによって言葉となると、自然(じねん)となる。自動詞と他動詞が混ざり合う境界の領域をどちらが主体なのか判然としない、そんなことどちらでもいいではないかと言いたいほどに、渾然一体となって露出する。「土の記」とはそういうことだと思いながら読みすすめた。
2017年12月16日土曜日
人のコントロールが利くか利かないか
昨日は「ささらほうさら」の月例会。msokさんが体調不良でお休み。そろそろこういうことが多くなる。後期高齢者になる年齢だ。平均寿命が延びたからと言って、個人寿命が延びるわけではない。月例会ごとに、「おお、今月も(無事に)会えましたな」というのが挨拶になる。ところがnmさんが町で出合った古い知り合いから耳にしたのは、
「kwrさんが亡くなったんですか?」
という問いかけ。kwrさんは、ささらほうさらのメンバー。えっ?(先月逢ったけど、聞いてない)
「どういうこと?」
「新聞に出てましたよ」
「……」
と話していたところへ、当のkwrさんが顔を出す。
「いや、生憎まだ生きてるよ」
と笑いながら、会がはじまった。
2017年12月14日木曜日
ご苦労なことだ、わが身よ
夜寝ている間は休んでいると思っているが、ただ単に体を横たえているだけ。体も頭も動き回っていると、思うようになった。近頃、睡眠時間が、やたらと長くなった。むろん6時間ほど寝たところで一度は目を覚ましてトイレに行ったりする。起きてもいいのだが、うつらうつらしていると、夢うつつで寝入ってしまい、気がつくと8時間とか9時間、ときには10時間も寝たことになっている。
2017年12月13日水曜日
けっこう変化に富む九鬼山ルート
地理院地図には、このルートが記載されていないので、下見に行ってきた。山の会の来週のコース。行ってよかった。私自身の、方向音痴かと思うようなエラーもあった。もしこのまんまで、皆さんを案内して歩いていたら、会を閉じるほどの顰蹙もの。
変化に富んだ面白いルートなのだが、目標の九鬼山に到達するのに4時間もかかる。これでは、歩く気力が、すっかりへばってしまうかもしれない。逆に、下山した方から登ったら、2時間足らずで登頂する。それが最高峰。そこからアップダウンはあるが、今日私が歩きはじめた猿橋駅へ下るのではなく、大月駅へ、あるいは田野倉駅へ下るエスケープ・ルートがいくつも取れる。歩きながら、疲れ具合をみて、コースを変更するのもいいかもしれない。
2017年12月11日月曜日
廃業と解脱
ミズ・グリーンからケイタイに電話があったと気づいたのは、後になってから。「お留守番」にメッセージが保留してあるというので、そちらに掛ける。
「あのね、ハマちゃんになんかあったんじゃないかって思うの。昨日も今日も、お店が閉まったままなのよ。」
昔の同級生・ハマの異変を知らせている。ハマは浜松町でタバコと酒の小売販売店を長年やっている。私同様、後期高齢者。身体がゆうことをきかないと、会うたびにこぼしていた。この夏には救急車で病院に運び込まれ、ウィルス性大腸炎の診断を受け四日間の入院を余儀なくされた。そのとき体重が四一キロに減ったという。これはたいへんと、できるだけ食べるようにしていると言ってはいたが、すっかり骨皮筋衛門になってしまっていたから、元の級友たちは気遣っている。
2017年12月10日日曜日
人生の区切りを思い起こさせる「集い」
師走になると人と会う機会が増える。つい何年か前まで「忘年会」と呼んだのは、まだ若かったのだと思う。つまり、「忘年会」というのは、日ごろ顔を突き合わせている人たちが、節季の区切りをつけるために、あらためて「集う」儀式だった。だが歳をとると、会う機会を持つために、年に一回か二回「集う」。半年ぶりの人、一年ぶりの人、時には9年ぶりの人というのにも会う。
2017年12月7日木曜日
小春日和の青梅丘陵山歩
今日(12/6)はもっと冷え込むとTVは言っていたが、それほどでもないなと思いながら、通勤ラッシュの人たちに紛れながら電車に乗り込む。抜けるような青空。立川で青梅線に乗り換えても、乗客の混雑は変わらない。関東平野の西の端へ向かう人たちがこんなに多いというのは、驚きだ。私は本を読んでいたから気づかなかったが、あとで聞くと、富士山がきれいに見えていたそうだ。
2017年12月6日水曜日
なにがつまらないのか
朝(12/5)6時前外に出る用があり、空を見上げると向かいの建物の上に丸い月がかかっていた。暦で調べてみると12/4の「月齢は15.6」12/5は「16.6」とあるから、12/5の早朝のそれは16日の月とでもいえようか。右下の方が心もち凹んでいるような少し白味を帯びた月には、《月落ち烏啼いて 霜天に満つ》ごとき師走の風情が漂っていた。寒かった。
2017年12月4日月曜日
漂流する小舟に乗っているような気分
ここんところ晴れがつづく。いよいよ関東地方に乾季が到来したようだ。寒いことは寒い。だが陽ざしが当たり、気持ちがいい。ぶらぶらと歩いて買い物に行き、図書館へ本を返す。行くときは陽の当たる処をたどっているのに、帰るときには日影を選んで歩いている。土日とあって、親子連れが通りににぎわい、若い人が連れ立ってどこかへ出かけている。
2017年12月1日金曜日
ひぐらしの十年
今朝目覚める前の半醒半睡のなかで、師走になったという時節の移ろう感触とともに、そうだ、ブログもこれで十年経ったという時の移ろいが浮かんできた。ブログのはじまりのころからのテキストのファイルを開いていみると、冒頭に二首の歌が記してあった。
あひみてののちのこころにくらぶれば むかしはものをおもはざりけり
しのぶれどいろにでにけりわがこひは ものやおもふとひとのとふまで
2017年11月30日木曜日
自分のことばを手に入れる人生
宮下奈都『窓の向こうのガーシュイン』(集英社、2012年)を、旅の往き帰りに読んだ。人の輪郭を描かせたら、この人ほど心裡に沁みとおるように言葉を紡ぎだして、揺蕩う様子を浮き彫りにできる作家を、私は知らない。彼女の作品を、ここのところ何冊か読んで私は、そう思うようになった。ちょうど私が、AIに関心をもって本を読んでいたこともあって、AIと人間との違いは何だろうと、心裡に疑問符を持ち続けていた。それもあって、宮下奈都の作品の描く人間イメージがもっとも的確だと思ったのだ。AIとの対比では、作家ご自身としては褒められたように思わないかもしれないが。
2017年11月29日水曜日
お伊勢Seminar (3)七五さんの奏上をする
11月28日。薄暗いうちに目が覚めた。カーテン越しに外を見ていた一人が「星が見えるよ」という。窓の正面に黒々と稜線をみせているのが、内宮の背にしている山。その右、東の方の空が少し明るくなってそちらから陽が昇るとわかる。
お伊勢Seminar (2)神より、まず暮らし
瀧原宮から外宮へは40kmほどの距離。伊勢自動車道を走りった。移動中に雨がぽつりぽつりと落ちてきて、案内役のIさんはトイレ休憩を入れてスーパーマーケットに立ち寄り、ビニール傘を何本か購入した。一本108円。誰かが「傘を買うと雨は止むんよ」と声をあげる。外宮に着いて表参道の火除橋を渡るころには雨は上がっていた。
2017年11月28日火曜日
お伊勢Seminar (1)彼岸から此岸をみる瀧原宮
26日から昨日までの一泊二日、コーディネートしてくれたのはoくん。彼の後輩で、現在神宮ガイドをしているIさんが現地案内を細かく気遣ってしてくれました。今年三月にoくんが「お伊勢さんの不思議」と題するSeminarで、外宮や内宮、瀧原の宮や倭姫のことなど、概略を解説してくれていましたから、ずいぶんと踏み込んでみることができたと思っています。その上、出発2週間前になってtkくんから『伊勢の曙光』というミステリーが、記紀神話をはじめ伊勢神宮の「謎」について詳しい史料を読み解いていて「参考になる」「読むことをお勧め」ときたからそれも読んで、30個の「謎」を抱えて伊勢に足を運んだわけです。この本を読んで私が抱えた「謎」を事前に案内役のIさんに書き送りました。彼は「伊勢市の図書館に、この本があったので借り受けて読みます」と返信をくれていました。
2017年11月25日土曜日
高田崇史『伊勢の曙光』に関する追記
ひとつ大事なことを落としていました。『伊勢の曙光の』QEDとして高田は「自動詞と他動詞」と「喝破」しています。これは「アマテル」が「アマテラス」になったことを指していると私は読み取りました。つまり、自動詞アマテルが他動詞アマテラスになったということは、照らされる存在が明確に意識されるようになったことを意味します。部族的な集団における君臨なら、崇神のように始祖神・アマテルというだけで十分でした。だが、他の氏族や土着の豪族、加えて稲作などに従事する民草を照らされる存在と視野に入れると、「天皇が支配する正統性」を必要としたのです。天武・持統朝に成し遂げようとしたのが、班田収授法(つまり稲作)を基本とする律令制度の確立でした。神々(の末裔として)の天皇の正統性とは二点考えられます。
2017年11月24日金曜日
子どもの生きる世界とか
イタリア映画『はじまりの街』(2016年)を観る。夫のDVDに耐えかねて、子どもを連れて女友達のすまいのあるトリノへ移り住む。仕事を探し三交代で働く。13歳になる子どもは、突然友人とも切り離され、新しい街にともに遊ぶものもいないままに、自分の居場所を探す。その地に住む「外国人」という元サッカー選手、街の娼婦、なによりも同居を喜んで迎え容れてくれた女友達との交歓が描き出される。だが観終わって、[だからなに?]という疑問が浮かぶともなくつきまとう。何が言いたかったのだろう。
2017年11月23日木曜日
わが身の盛衰を推し測りながら山を歩く
やはり幸運に恵まれたというべきなのであろう。昨日(11/22)、御岳山から登り、大岳山、鋸山を経て奥多摩へのロングコースをたどった。幸運というのは、天気のこと。「曇りのち雨」の予報。ところが往きの電車は明るい陽ざしのなかを走る。上空に雲は張り出しているようだったが、青梅線の車窓から富士山がくっきりと見える。気温はうんと低い。羽毛のベストをつけ雨着の上を羽織ってちょうど良いほど。鼻水が出るから気温は5℃くらいであろう。
2017年11月22日水曜日
怨霊なんて怖くない、か
森見登美彦『夜行』(小学館、2016年)が図書館から届いた。去年の今ごろ上梓されている。たぶん何かの書評をみて、気になって予約したものが、今ごろ届いたのであろう。でも初めの方を一読して、やめようかと思った。こういうファンタジーものというか、落ち着きどころのない妖異譚は何を言いたいのかわからなくて、持て余す。人が消える。ふと現れて違和感を齎し、場をかき混ぜて姿を消す。妖しいが、だから何なのと思うほど、危害を加えるでもなく祟るでもない。でもなぜか、人の心裡を覗いているように言葉を紡ぎ、不安に陥れる。不安にさせるだけなのだが、なぜそうさせるのか、なぜそうなるのか、わからない。四編に別れた連作ものだが、最後になって、謎が解き明かされる。裏と表、昼の世界と夜の世界、陰画と陽画が変わるだけの、どちらに身を置いて語っているのかが不分明であるが故に生じる、読み手の不安感や違和感。何だか、もてあそばれているようで、だから何なのと聞きたくなる。読み終わっての感想。さもこの作家は、その身をどこに置いているのであろうか。
昨日このブログで『伊勢の曙光』という本に触れた。伊勢神宮が、彼岸と此岸の彼岸の世界を体現するように設営されているというのは、なぜそうしたかはわからないが、死霊とか怨霊のあった気配を証拠づけるように思われる。そして伊勢のことに触れれば触れるほど、私たちがすっかりそれを忘れて暮らしていることが浮かび上がる。振り返ってみると、子どもの頃は暗闇が怖かった。夜が恐ろしかった。トイレに行くことも怖くて、誰かについて来てもらうか、我慢して夜が明けるのを待ったことも思い出す。どうしてあんなに、夜の闇が怖かったのだろうと、今ならば思う。それだけではない。子どものころは、まともな人生と踏み外した人生という「闇」も感じていた。タバコやヒロポンやバクダンやアヘンやマヤク漬けになって、生ける屍となる「畏れ」を胸中のどこかに宿していた。町にやってくるサーカスや大道芸人などの旅芸人に気持ちを魅かれると恐ろしいことが待っていると、心裡のどこかで思って「恐がって」いた。いまでも子どもはそうなんだろうか。
いや大人になったいまでも、夜の闇は怖い。山中のテントに独り居て、目覚めたとき、外を動き回るものの気配や風がたてる音は、わが身のすぐ脇で、別の世界が展開していると思わせる。冬の雪の中のテントで、しんしんと降る雪がテントをつぶしゃしないかと心配する怖さとは全然別だ。後者は、何が起こるかが目に見えている。それに対して、わが身は寝ているのに、それと関わりなく別の世界が展開しているというのは、わが身がどうかかわるのか見えてこない。お化けや妖異の何かが跳梁跋扈していないとも限らない。そういう想像の世界が「闇」には伴っている。でもそれは、想像の世界のこと。そう切り分けて心裡に始末するから、恐くはない。だから子どものころの「闇」や夜は始末のつかない「ことごと」がたくさんありすぎて、日々の体験の一つひとつが(胸中の世界に)落ち着きどころを得るまでは、恐いモノやコトであり続けたのであろう。
歳をとると、そういうことがあまりない。しかも快適な暮らしの中で、わが身に起こることの「せかい」の輪郭が、割としっかりとしている。不安なこともおぼろなことも、地図や全体構成や物語りの転結を見極めて自分のいる位置が定まってみえると、たいてい端境が見てとれる。「闇」はたいてい「じぶん」の闇だとわかる。不安も、自分の想いから引き出されてきていると読める。これはつまらない。だが、人生をそのように生きてきたのだから仕方がない。
2017年11月21日火曜日
謎にみちびかれて「お伊勢参り」
26日(日)からお伊勢参りに行く。内宮の早朝参拝などの「特別参拝」もある、ついては「ドレスコード」があるというので、少し煩わしい「メール」のやりとりをしていたら、tkくんから以下のような「追伸」メールが届けられた。
《なお、ご参考までに。私は今、講談社文庫、高田崇史著の「QED 伊勢の曙光」を読みかけてます。ストーリーそのものは、たわいもないミステリーですが、書かれている伊勢神宮等に関わる記述は、引用(古事記、日本書紀から始まり、その他)はものすごく豊富でなかなか勉強になってます。もしお時間あれば、一読をお勧めします。》
2017年11月19日日曜日
どっこいお役目はたして
昨日、中学高校の同窓生が集まった。そのうちの一人・tkくんが銀座の画廊で個展(と言っても、「二人展」)を開き、それを機に同窓生が集まっておしゃべりをしようというもの。いつもならmdさんが仕切ってくれるのだが、今年彼女はサンフランシスコに住む友人が「(認知症になって)落ち込んでいる(わかるうちに会えるのは最後かもしれない)」というので見舞いに行って「お世話できないから、あなた仕切って」と頼まれて、私がコーディネートした。でも結構皆さん私的に忙しく、絵を見には来たが会食には顔を出せないという人もいる。あるいは出歩く程度に元気な人しか出て来られない。文字通り後期高齢者の年寄りは静かなものです。
2017年11月18日土曜日
視点をどこに据え、いかなる視線をもってみるか
今月の「ささらほうさら」月例会の講師はktさん。「いじめについて思うこと」と題して、彼が小学校教師時代のことを振り返って、「1、意味」「2、道徳性」「3、起きたときどうするのか」「4、言えないいじめ」「5、親」「6、教師の姿勢」と展開した。その初っ端から、聞いている私は躓いた。
2017年11月17日金曜日
不信心者が歩く信仰の七面山(2)
(承前)下山を開始する。9時45分。登るときよりも、遠方と下界の景色が読み見通せる。モミの木など足元を背の低い笹が覆う踏路にはロープが張り巡らされ、「危険」とビニールに包まれた掲示がある。近々行われるトレイルランニングの走者向けに張ったものであろうか。うっかり踏み込むとその下が大きな崖になっている。「ナナイタガレ」と呼ばれるカール状の大崩落が山頂まで続いている、その一部が少し見える。木立の途絶えたところから富士山が見える。ここなら新緑の季節にも葉に隠されずに見える。急斜面が終わる辺りからカラマツの林になり、カラマツの落ち葉がふかふかと心地よく踏路も広くなる。
2017年11月16日木曜日
不信心者が歩く信仰の七面山(1)
もう四年ほど前の12月26日、私のよく知る出版社の編集者・Jは車を運転して山梨県の南部、早川町に向かい商談をまとめ、日帰りしてきた。早川町の写真集を出版する仮契約をしてきたのだ。運転だけでも(たぶん)往復6時間はかかったであろう。それ自体は別に特筆するようなことではないが、じつは彼はそのとき、癌の検査治療のため入院中。癌のステージは「3」。その後の医師の説明で余命6カ月と告げられたが、Jは自分の経営する会社の立て直しをどうするかで、頭がいっぱいであった。その後もときどき病院から抜け出して、カメラマンとあったり、デザイナーと打ち合わせをしたりしていたという。その早川町の写真集が去年の6月、鹿野貴司『日本一小さな町の写真館』(日本出版ネットワーク編集、平凡社制作)として出版され、私の手元にも贈られてきた。だがそのときJは、すでに他界していたのであった。
2017年11月14日火曜日
「わたし」が現れるものがたりに揺蕩う
宮下奈都『スコーレNO.4』(光文社、2007年)は、この作家の外の作品同様に、「じぶん」の周りの人のありように映し出される「じぶん」を、不確かさとともにとらえようとして掬い切れず、手のひらから零れ落ちる様子を描き出している。自己確立とか自己実現・自己責任という言葉を使う人たちは、「自己」が実体的にかたちづくられると考えており、それを個性と称しているように見えるから、自分の意見を慥かに持って自己主張をしていくことを自己の確立とみているが、そこの根柢には能動的に振る舞うことが主体性の確立であるという「偏見」が横たわっている。「じぶん/ほかの人」というのが「かんけい」から生まれることを、そして出現する「じぶん/ほかの人」が、しっかりと違いをもって立ち現れていることも、じつは「ほかの人/じぶん」の胸中にあると、その頼りない根拠へと迫る運びになる。つまり宮下奈都は、積極性ばかりか消極性も、つまり能動性も受動性も、超えたところに「じぶん」が現れることに関心を寄せ、その動態を描き出そうとしていると、私は読んでいる。私は自己の輪郭を描くと言い、それはすなわち「せかい」を示し、そこへ「じぶん」を位置づける(マッピングする)ことと同義だと考えてきた。この作家を好ましく思うのは、文学のかたちを通して、つまり一般化せず、ていねいに具体性を通して、拾い出していることである。
2017年11月13日月曜日
さばさばした人生を送るには
縁戚の方が亡くなった。認知症を患い、介護ホームにいるとは聞いていた。体は壮健であったから、穏やかに暮らしていて、ホームのなかでは優等生ですよと言われたくらい。しずかに振る舞い、手がかからないし、明るい。ひところは子どもの顔もわからないほどと言われたりしたが、最近は子どもの顔はわかるようになっていたそうだ。ただ言葉が浮かばず、目でものを言っていたという。認知も、時と場合によってまだらなのかもしれない。84歳と約半年。仏教式に享年を言えば、85歳ということになる。直接の死因は誤嚥性肺炎というが、病院に入ることなく、介護ホームの医師が診たてて、亡くなる前に子どもたちは会って、目で言葉を交わしたということであった。
2017年11月11日土曜日
シンギュラリティ――人間てなんだ
マレー・シャナハン『シンギュラリティ――人工知能から超知能へ』(NTT出版、2016年)が面白い展開を記している。シンギュラリティというのは、AI (人工知能:artificial intelligence )が急加速的に進展することによって生じる社会的大転換のこと。電算の処理速度が速くなり、メモリーが大きくなるばかりか、ネットワークを通じてデータの外部保存が巨大化すれば個々人のメモリーはほぼ無限大になる。しかもその技術的進展が指数関数的に進んでいることを指して、2030年頃には人間の知能を越えるだろう、2045年には「シンギュラリティTechnological Singularity技術的特異点」が訪れ、社会的にも大転換が引き起こされるだろうというAI研究者の見立てである。何よりも、人工知能の知的集積が(ネットワークを通じて)自律的に、膨大かつ急速に行われることから、それが人間の実存に及ぼす大きな変異を今から想定して、期待ばかりでなく、制約なり警戒なりをしなくてはならないと、医学生理学、政治経済学や社会学的な側面からの発言が続く一方、逆に、そのシンギュラリティのときに問われる「人間とは何か」という問いを立てて、哲学的に考察することが行われている。
2017年11月10日金曜日
「わたしの発見」が人生の本質である
宮下奈都『田舎の紳士服店のモデルの妻』(文藝春秋、2010年)を読む。同じ作家の『太陽のパスタ、豆のスープ』『羊と鋼の森』についてはすでに記した(10/21、10/26)。『田舎の……』は、『太陽のパスタ……』の前段にあたる《「わたし」を発見する物語》といえる。『太陽のパスタ……』は、「わたし」発見後の、「わたしの自立の根拠」をとらえた、と読み取った。
2017年11月9日木曜日
里山の極楽
晴れ続きの合間に一日だけ「曇り」の予報が出た昨日(11/8)、檜原村の浅間嶺を歩いた。山の会の「日和見山歩」の月例会。チーフリーダーはmsさん。彼女も始めて歩くコースだとか。ただ下山地の近くに「日帰り温泉がありビールもたのしみ」とお誘い文句があった。
2017年11月7日火曜日
human natureを生きるということ
このところ毎朝、TV体操をしています。十分間、前半は体をほぐしたり、ストレッチをしたりするメニュ、後半はラジオ体操です。後半の体操はをしながら、そういえばいつごろからラジオ体操をしたろうかと思いめぐらすと、小学校1年(昭和24年)のとき、会場の学校に行こうとしたら通り道に牛がつながれていて、恐くて通れなかったことを覚えているからです。まだ朝暗いうちでしたから、冬かもしれません。でも、情景はほとんど覚えていません。体が覚えているのは確かで、音楽を聞くと、どういう動作をしたらいいかは、考えるまでもなくわかります。
2017年11月6日月曜日
沖縄本島とやんばる――人と遊ぶ慈愛
石垣島から飛行機に乗って1時間で那覇に着いた。10月31日、夕方のこと。私にとっては20年ぶりだったが、浦和より大きい街だと思った。高層ビルが林立し、道路の立体交差が際立つ。それともうひとつ、飛び交う軍用機やヘリコプターがやけに目に着く。レンタカー屋が繁盛している。聞けば、鉄道がないから(観光客は)車のレンタルによって足を確保しているそうだ(鉄道がないというが、モノレールが那覇中心街まで走っている。モノレールは鉄道と言わないのかな)。空港の到着階の外側にレンタカー屋の受付をするデスクが並び、つぎつぎとやってくるお客を「会社」まで運ぶバスが来ては消えていく。交通のターミナルが船の外は空港だけだから、こういうことになるのだろう。
2017年11月5日日曜日
石垣島(1) 自然に浸るありよう
石垣島に着いたとき、Mさんが出迎えてくれました。まだ若い。私より一回り半も若く、五十歳代の後半。8人乗りのバンにMさんを入れて6人。このあと三日間、早朝から陽が落ちるまで文字通り東奔西走の探鳥でした。石垣島に、じつは、何のイメージももっていなかったのですが、途中で石垣島の地図を手に入れてみて、その大きさに驚きました。
石垣島(2)自然と一体になる暮らし
石垣島の探鳥の案内役Mさんのありようを観ていると、鳥の専門家というよりも、石垣島の自然と一体化して存在しているという思いが強くする。彼の牧場を見せてもらったというほど見たわけではないが、彼の「本業」といわれる牛との向き合い方をみていると、「仕事」というよりも、それなくしては暮らしそのものが成り立たない「生業(なりわい)」と思われた。なるほど生産と流通の流れでみるだけなら、育牛が仕事なのであろう。だが、仔牛を生ませ9か月育て「和牛」として出荷するというだけなら、もっと効率的に、もっと生産能力をあげられるように工夫する余地があると思う。実際酪農の現場でも自動機械化がすすんで、人手を省き、牛舎の清掃や給餌を機械任せにすることが「最先端」とされるようになってきている。むろんその規模と資金がなくてはできないことではあるが、Mさんはそうすることよりも、野において育て、牛たちの間を何種類かの鳥たちが虫を啄ばんで右往左往しているのを見るのが、何より好き、仔牛の間は手間をかけ慈しんでやるのが大切と思っているように感じられた。彼自身が石垣に生まれて育ってきた在り様と重ねて感じているように思ったのは、単なる私の錯誤ではあるまい。
2017年11月3日金曜日
バーダーの神髄
昨日まで五日間、石垣島と沖縄本島に行っていました。鳥観の極上の専門家たちに同道させてもらうプライベート探鳥会。いうまでもなく私は門前の小僧、「くっ付きのを」です。カミサンのよく知るTさんのコーディネートで、埼玉の探鳥グループの責任者ご夫妻と私たち夫婦の五人という少人数。石垣島に三日間、沖縄本島に足掛け三日、ほんとうに朝から晩まで、鳥が好きというか、鳥に魅入られた人たちは、これほどに鳥にのめり込み、鳥を堪能しているのだと体感してきました。石垣島の案内をしてくださったMさんを入れて三人の、三様ぶりもみものでした。
2017年10月29日日曜日
悪貨が良貨を駆逐する
神鋼の検査不正ばかりか、日産に次いでスバルまで検査に不正があったと報道されています。ご近所の、実業世界に長く身を置いてきた知り合いも、「これで日本の製造業の評判も落ちるなあ」と慨嘆しています。「次はトヨタか」と底流する社会的共鳴を予感している方もいました。新聞は、「謎」などと書いて、不正がなぜ行われたのかわからないと思っているようですが、そうでしょうか。
2017年10月28日土曜日
「信仰心」という「辞書後の世界」
最近、『広辞苑』の改定作業が話題になった。言葉の意味・用語法やいわゆる「流行語」が(社会的に)定着したかどうかをチェックし掲載するか見送るかを一つひとつ検討して、新版は700ページも増えるそうだ。三浦しをんの『舟を編む』の行間に浮かぶ辞書編纂者の日々の振る舞いを想いうかべて、こういうご苦労なことをしている人がいることに、私たちはどういう面でどれだけ依存しているだろうかと思いを致したこともあった。そういえば、何百年に及ぶ「オックスフォード英語辞典」の何年版にどう書かれているかを検証して、社会論であったか教育論であったかを論じていた(日本人)学者がいて、「辞書」を社会的変遷の「史料」とするのは(学問的に)邪道のように非難する(やはり日本人学者との)やりとりがあったことも、記憶にある。辞書を史料とするのは安易すぎるという趣旨であったろうか。でも、広辞苑の改定作業を思うと、そう安易なこととも思えない。
2017年10月26日木曜日
無意識に刻まれた依存から自律すること
宮下奈都『太陽のパスタ、豆のスープ』(集英社、2010年)を読む。10月21日に、同じ作家の『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年)を読んで《究極の「美」を求め続けて歩く世界》と題してこのブログでも取り上げた。そのときは、「豊かな社会に生まれ暮らす人ならではの幸運」と、まず感じたと記した。と同時に、この「幸運」の成立由来を覗きたくなり、この作家の古い作品を読むことにして、図書館に注文した。
間違いなく「幸運の由来」のひとつが、この作品、『太陽のパスタ、豆のスープ』のテーマであった。
2017年10月25日水曜日
おいっ、何かを失ったんじゃないか、お前。
今朝方寝ていて、ふと、思い浮かんだことば。「おいっ、何かを失ったんじゃないか、お前。」。
なんだろう、このぼんやりとした思いは。ぽっかりと胸中に穴が開いたような、いや、その穴に竹で編んだ覆いをし、落ち葉をかぶせて見えなくしているような、自己欺瞞的な何か。若いころであれば、空疎な不安を懐いたかもしれない。だがいまは、そうとは言えない。どこかで、それでいいのだ、とバカボンのパパのように腕を組んで頷いている。
2017年10月24日火曜日
登山道の修復にまで手が回らない
今朝早くから、いそいそと七ガ岳(ななつがたけ)に行ってきた。福島県会津市と栃木県日光市が境を接するところから、会津側にちょっと入り込んだところにある。尾瀬の入口、桧枝岐の北である。日光、那須、尾瀬というよく知られた山に接していて、あまり知られていない。だが、1500mを越える標高をもち、荒海山は太平洋側と日本海側の分水嶺になったりもしている。文字通り奥ゆかしい山々である。
2017年10月23日月曜日
台風一過の山日和になるか
朝方台風が通過したようだった。自転車置き場の屋根に落ちる雨音が高くなり、大粒だなあと思った。いつもなら雨でも、布団をあげるときに窓を開けるのだが、今日そうしなかったのはどうしてだろう。風が強くて吹き込むことを心配したのだろうか。
2017年10月22日日曜日
里神楽と現代の神楽
おもしろもなふて身にしむ神楽哉 北枝
と、立花北枝に詠まれた里神楽。その「神楽の魅力と課題」と題された「公開講座」に誘われた。文教大学の80周年記念事業で、二週にわたって行われたが、昨日のだけに参加。同大学の斉藤修平教授の講義と神奈川県に本拠を置く垣澤社中の公演。第一回のテーマは「伝統芸能・神楽の歴史と現代における異議と課題」、今回のテーマが「神楽の魅力と課題、そして展望」。それぞれに垣澤社中の公演がついている。第一回には、「舞」を中心とする神楽の実演、第二回には「楽しい神楽の実演」と題して「寿式三番叟」「八雲神詠」「山神」に「江戸流ひとつばやし」が披露された。
2017年10月21日土曜日
究極の「美」を求め続けて歩く世界
この世に恵まれた人たちがいることは知っている。金銭や人間関係の醜い争いごとに悩まされることなく育つという環境もあろうが、出遭うことひとつひとつが己に問いかけ、それを胸中に育みながら、究極のところ、ことごとく己の裡側において完結する人たち。皮肉ではない。豊かな社会に生まれ暮らす人ならではの幸運と、今の私には思える。宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年)を読んでの第一印象である。
2017年10月20日金曜日
疲れが全体化している?
山からの帰りの電車で「疲れないんですか?」とmrさんから訊ねられた。たぶん、皆さんにしっかりついて歩き、下山してはビールをうれしそうに飲んで、それなりに正気を保っているのを気に留めたのであろう。
「いや、そんなことはないですよ。疲れが出ないだけです」
「ええっ、疲れが出ないって、すごいじゃないですか」
と誤解されて、やりとりは終わった。
2017年10月19日木曜日
めでたし、めでたしの雲取山
★ 第一日目(10/17)
秋雨前線とは言え、十月にこんなに雨が降ったろうか。そうは思っていても、「月例登山」の日程をどこへもっていっても雨続き。ま、様子を観ましょうと構えていたら、ちょうど予定の両日が「雨あがる」気配。喜び勇んで出かけた。10月17日(火)のことだ。
2017年10月16日月曜日
いつまで朝三暮四をくり返すのか
選挙戦のさなか株価が高値に上がり、与党を支えようとしている。雇用にアベノミクスの効果が出ていると、与党は強気だ。また、どの党も教育費の無償化など財政支出を伴うことの公約が(似たり寄ったりに)目白押しに並び、果たして財政は大丈夫なのかと不安になる。新聞に掲載される各党の公約比較も、同じようなものが並び、果たしてなぜ子どもへの財政支援をするのか、なぜ教育費の無償化を図るのか、その狙いが奈辺にあるかについて、言及しない。つまり、「得になること」だから説明は要るまいとばかりのスタンスである。だが、そうか。腸に沁みるような理念的な根拠が表明されない。
2017年10月14日土曜日
2017年10月12日木曜日
何を笑うか
映画『笑う故郷』(アルゼンチン、2016年)を観た。久々の傑作に触れた。ノーベル文学賞を受賞した作家が、文学賞の受賞会場や四十年ぶりに帰った故郷・アルゼンチンの田舎町での出来事に触発されて、なぜ書くのか、作家という自己の立ち位置を自ら描き出していく物語り。ノーベル文学賞を受賞することが、世に認められるという「作家としての死」を意味すると受けとめているこの映画の出発点の自己批評性が、おおっ、面白そうと期待を持たせる。
2017年10月11日水曜日
せめぎ合う複数の倫理を使いこなす試練
なんだかよくわからない「国難」に立ち向かうと称して衆議院を解散し、総選挙がはじまった。「三極構造」とメディアは煽り立てているが、対立軸が定まらない。そう思っていたら、鹿島茂が『「悪知恵」の逆襲――毒か薬かラ・フォンテーヌの寓話』(清流出版、2016年)で「超大国の属国か弱小国の集団自衛体制か」と「対立軸」をつくりあげて論評している。
2017年10月10日火曜日
暑くてドライな秋の真夏日
体感気温は30度になろうか。百葉箱でも29度ほどというから、真夏日になってもおかしくない。でも湿度が低いせいか、日陰に入るとひんやりと涼しささえ感じる。秋の真夏日だ。明後日の「ささらほうさら」で配布する「ささらほうさら無冠」第18号の編集をする。全部で11項目、A4版24ページを仕上げる。主として先月15日から昨日までに書いた文章を選別して、ひとつのテーマで読み取れるように拾う。今回は、先月末のSeminarで私がお話しした「お題」に関することがらをテーマにした。この「お題」は5月末に決め、それ以降、ぼちぼちと本を読み、その都度書きつけたエッセイを絞ってまとめたもの。でも、人類史と「私」の生育史とを重ねて、進化生物学と脳科学と哲学や言語学、心理学や政治学などの人文科学の知見を、「私」という「庶民の立ち位置から」勝手読みして、「私たち」が建っている地平を眺めてみようという、壮大なというよりは、大ぶろしきを広げた主題。聞いている方は、どう思ったか。これがなかなか耳に入ってこない。もちろん「よく勉強しているね」とか、「むつかしいこと考えてんだね」と「褒め」はする。だが、ご自分と照らしてどう受け止めたかを、率直に聞かせてくれる人は、そういない。ま、他人というのはそういうものだと思うから、顔色を見て推し量りはするが、それ以上期待もしない。
2017年10月9日月曜日
人類史と個の人生を繋ぐもの――第28回 aAg Seminarの報告(2)
★ 脳に刻まれた「かんけい」保持の文化
ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』のなかで次のように述べて、人の集団の持つ道徳の「自然淘汰」の「仮説」をたてている。
《道徳性が高くても、各個人やその子どもたちは、同じ部族の他のメンバーよりもほとんどあるいは何も有利にならないが、道徳水準が向上し、そうした性質に恵まれたものの数が増えると、その部族が別の部族より大いに有利になることは忘れてはならない。愛国心、忠誠、従順、勇気、同情といった精神を高いレベルで持っているために、いつでも共通の利益のために助け合ったり自分を犠牲にしたりする覚悟のできたメンバーの多い部族が、他の部族に勝利することは疑いようがない。そして、これは自然選択である。》
人類史と個の人生を繋ぐもの――第28回 aAg Seminarの報告(1)
9月30日に「36会 第28回 aAg Seminar」が行われたことは、10/1に記した。しかしその中身については触れていなかったので、今日は少しそこへ踏み込んでみたい。講師は私、お題は「文化はどう受け継がれているか」でした。
★ このお題の「モチーフ」
「人に迷惑をかけないで身罷りたい」とすでに高齢者の私たちは願う。ところが、欧米では「人に迷惑はかけない」は子どもに教える徳目に入らない、と進化生物学者で文化人類学者のジャレド・ダイヤモンドは福岡伸一との対談で答えて、生き残りのために培われた「智恵」には「嘘をつく」「騙す」「契約を守らない」は、交渉術として一般的ですらあると述べている。
2017年10月8日日曜日
2017年10月3日火曜日
静かな山、山上の賑わい
今日の天気予報は、決して良くbなかった。線風のこと。場合によっては明日、水曜日に延期したいとCLのSさんは伝えてきた。日曜日の「予報」を見て決めたい、と。皆さんにもお知らせする。そして日曜日、「予報」は、午前6時から「曇り、降水確率20%、降水量0mm」と好転、実施を決めた。ところが昨日の夜「予報」をみると、「午前9時まで、雨、のち曇り、降水確率40%、降水量0mm」、悪くなっている。でも仕方がないと、雨着と傘を持ち、出かけた。
2017年10月2日月曜日
ちょっと上等な江戸の庶民か
今日は歌舞伎座に行ってきた。「新作歌舞伎・極付印度伝」と銘打った「マハーバーラタ戦記」と名づけられている。インドのマハーバーラタに材をとった物語り。新劇の舞台のように、客席から登場したりする工夫も入れて、歌舞伎が庶民の娯しみとしての「舞台づくり」をしていると感じさせる。そこに、ちょっと踏み込んで「生きる意味」とかを盛り込み、しかも主人公たちが変わっていくさまを組み込んでいるから、単なる定番の「様式化」というわけはない。なかなか気合が入っている。そうだ、初日であった。もちろん名の知れた歌舞伎俳優の見どころのある演技もあるが、それ以上に、群舞というような踊りが昔懐かしい「歌舞伎」の様式を残しながら、庶民感覚を醸し出そうとしているように思えて、面白いと思った。
2017年10月1日日曜日
ちょっとした虚脱感に浸る
もう十月。昨日は第28回のSeminar。私が講師を引き受け、お題は「文化はどう受け継がれてきたか」と大上段に構えた。一人の人が「ヒトとして生まれ人間になっていく」過程と35億年(ごく最近、39.5億年前の生命の形跡が発見されたと報道があったが)の生命体の歩みにはじまり、ホモサピエンスが優勢となって6万年くらいか。後氷河期を迎え歴史時代を経て現在にいたるまでの「人」の文化史とを双方、縦軸、横軸としてとらえながら、「身」に刻んできた文化の形跡を、DNAばかりでなく、振舞いのかたちや環境や教育として受け継がれてきたと大風呂敷を広げる。
2017年9月30日土曜日
なぜ「愛」を語るのか
コルム・トビーン『ブラックウォーター灯台船』(伊藤範子訳、松籟社、2017年)を読む。幼いころに亡くなった父、その父を看病するために力を注いだ母、その間、預けられた祖父母の家で過ごした弟との記憶。そして一つひとつの「記憶」がわだかまりを持ち、自分の生き方に見極めをつけさせる小迫力を持ち、母と同じ生き方はすまいと、首都の暮らしを築いてきた主人公が、弟の病気をきっかけに祖母の家へ行くことになり、母とも再会し、「わだかまり」をぶつけ合う。弟の友人二人を間に挟んで、寂びれた祖母の家で明らかになっていくコトゴトは、人生を振り返る「思い」のすれ違いと哀切さに満ちている。ここには「家族」しか描きこまれていないけれども、私たち人間が、こうした「かんけい」に生きていることを、あらためて想い起させる。
2017年9月28日木曜日
政局という余所事
国会が解散したそうな。「国民の生活と子どもの未来を守るために・・・」と安倍首相が演説している。だったら解散なんかしないで執務に邁進しなよと、正直思う。「安倍政権の安定と未来を守るために・・・」と言い換えた方がよいかもしれないと思うが、それにしても、いま解散はヘンだ。
2017年9月27日水曜日
今日は働き過ぎ
昨日から越後駒ケ岳に登っていた山の会のメンバーから「無事下山、越後湯沢駅で祝杯をあげています」とメールが入った。よかった。はじめての避難小屋どまりということで、寝袋とガスやコンロを持ち込み、水を汲みに行って食事も全部自分たちで賄うという、(参加者にとっては)なにもかも初体験の山であった。直前に私が「化石人間」になっていけなくなってしまったが、すでに準備をしていた他の人たちが、自分たちで行ってくる、となった。kwmさんという60代半ばの女性をリーダーにして、参加者たちで(相談して)準備を整え、レンタカーも予約して実施した。
2017年9月25日月曜日
「迷子散歩」
昨日(9/24)は久々の晴天。しかし気温も26度ほど、湿度も低く、日陰に入れば涼しいくらい。やはり2時間くらい散歩に出た。首から下げた双眼鏡は使うことはなかったが、わが家から北へ向かって高木の林になっているところをたどり歩いた。ときどき広い道路に出て、自分がどっちへ行っているのか、どちらへ行こうかと迷うことがある。去年までなら日差しのつくる影と時計をみて方角を察知し、この近辺の大きな図柄を思い描いて、進む方向を決めた。今年はスマホを出してGPSでチェックする。去年までの方が「散歩」というイメージに近くスリリングだなあと思う。そうか、ふらりふらりと「森」をたどって1時間余歩き、(はて、いま、どこにいるのかな)というときにスマホを出して居場所を調べ、帰りの道を探るとすればいいのか。「迷子散歩」だね。まだ認知症にはなっていないが、それの予行演習みたい。そう考えると、それはそれで面白そうだ。次回からそれでやってみようと、つまらないことを考えていた。
2017年9月23日土曜日
いかにもいかにもの秋分の日
たしかにまだ肩にはむゅぎゅむぎゅとした「痛み」のようなこだわりがあり、腕も大きくは動かせないのだが、昨日までと違って能くなっている感触が広がる。気温もぐんと下がり過ごしやすい。
2017年9月22日金曜日
魂という容れ物のなかを〈私〉が出入りする
昨日一昨日と二日間、やっと寝床で夜を過ごすことができた。夜中に一度か二度、「痛み」に目を覚ましたが、肩口に薄くジワリと広がる痛みの感触を感じながらもすっかり寝入ってしまった。良くなっているのだ。朝起きると「痛み」も目覚めるが、前夜よりは軽くなっているかなと思える。医者のいう二週間になろうとしている。今日は検診の日。手を上げ下げ動かして、どこまで痛みが和らいでいるかチェックしていた医師が「あれえ、関節炎でも起こしているのかなあ」と、まだ残る痛みに不審を懐く独り言をつぶやく。「痛まない範囲でね……こうして」と腕を前後に振る動作を教わる。リハビリらしい。こうして、「痛むかなと思ったら呑みなさい」という「痛み止め」を十日分、「まだ先が長いからね」と湿布薬を4週分もらって、「一ヶ月後に診せてください」と言われ帰ってきた。
2017年9月20日水曜日
まるごとの存在を直感する生物的核
今日(9/20)の朝日新聞「折々のことば」に戸井田道三のことばが取り上げられている。
《わたしには「生きがいを求める」というのがどうもうさんくさい気がします。いのちを軽んずる心が隠されているからです。》
2017年9月19日火曜日
使わなければ錆びる
昨夜やっと半分、横になって寝ることができた。体を起こしているときはそれほどでもない痛みが、横たえると熱を持ち広がるように思える。半醒半睡の状態で朝を迎える毎日であった。昨夜も同じ予感を抱えて、しかしリクライニングチェアではなく、寝床についた。痛みを強く感じて起き上がったりまた横になったり何度か繰り返して、5時間ほどを過ごした。そのあと夜中に、リビングのソファに横になってタオルケットをかぶってから楽になり、5時間ほど眠った。久々に「寝た」と思った。
2017年9月17日日曜日
痛みのかたち
9/15に「化石人間」と軽口を叩いていたのは、医者の注射によって痛みがやわらげられていたせいでした。その日は割とよく寝られたのですが、昨日は一日、痛みに苦しめられていました。痛みばかりか左腕が動かせなくなり、物をつかむこともできなくなりました。衣服の着脱もできません。吊り下げている左腕の筋力が落ちてしまったのかもしれません。夜になると、とても寝床に身を横たえることができず、起きているもならず、書斎のリクライニングチェアに身を預けて一晩を過ごしました。医者はステロイド剤を使っているので注射は一週間おかねばできないと、坦々と話します。
2017年9月15日金曜日
化石人間になるか
9/11に医者の診察を受け、痛み止めの薬を呑んできたが、痛みが治まらない。14日にまた診てもらった。今少し強い痛み止めを処方してもらう。午後「ささらほうさら」の月例会。腕の吊具は外していたが、終わって会食に行くときに、手を貸してあげるといい場面で、私は手を出せない。周りの人たちは不思議そうな顔をして私をみている。仕方がない、吊具を出して装備する。こうしてやっと、「どうしたんだ、それ」と訊かれることになった。
2017年9月13日水曜日
感情の発露
昨日雨の中、自動車の75歳・高齢者講習を受けに近くの自動車学校へ行った。70歳の時と違い、一組6人しか講習を施せないらしい。ただ事前に行った「認知症検査」を受け、ある点数以上の人しか同席しないから、状態がおぼつかない人はいないはとまるってこと。運転を見ていても、さかさかと教習所内の道路をすすむ。前を走る免許取得中の教習性に車に較べたら、かくしゃくとしている。教官は何かを言わなければならないからか、一時停止の仕方が甘いとか指摘する。乗っている私からすると、えっ、ちゃんと止まったじゃないかと思うが、「一時停止というのは3秒」と重箱の隅をつつくようなことをいう。そしてこう続けた。道路交通法が厳しくなって、「75歳以上の人が違反をすると、認知症検査を受けなくてはならなくなる。その上講習を3時間も」と、いやなことをくり返す。(俺の方がお前さんより偉いんだ)と誇示したいのだろうか。力関係を意識しないではいられない世界を生きてきた人は、往々にしてこういう権威をひけらかす。ああこの人も、かつて警察官であったか(と思った)。
2017年9月12日火曜日
流言飛語の真実性(2)具体的な実存こそ原点
「事実は実存に介在されて現実世界をつくる」というのは、子どもが自らの裡に何らかの法則性をつくりだして言葉をつかうことに関係している。このブログ(2017/6/17)で広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密』(岩波書店、2017年)にふれたが、この本で小さな言語学者がどういう冒険をしているかを考えてみると、彼らの実存在の(体験)一つひとつを集約して何がしかの文法を構成している。向き合う相手から発せられる「ことば」の「事実」だけが吸収されているわけではない。実存在の関係を通して「現実世界」をかたちづくっているのである。どうしてそういう作業を行うのか。同語反復のように思われるかもしれないが、文法をかたちづくることが自己の実感的認知であり、自己の実存在を確かなものと感知させる作用をしているのではないか。つまりそれこそ、human natureの然らしむるところであって、まさに自然(じねん)だということができる。
2017年9月11日月曜日
五十肩? と思ったのに・・・女々しい、と。
とうとう医者に行った。一週間ほど前から、左肩に痛みがある。夜寝るときに左を下にして寝たせいで、筋肉痛を起こしていると思っていた。割と空いていた山小屋だったから、窮屈にしてそうなったのではない。たぶん長い時間横になっていて、ごそごそとあっちへ向いたりこっちへ寝返ったりと体を動かしていたからそうなったと、思い込んでいた。家に帰ってからもまだ、痛みがつづく。二度目の五十肩だろうか。医者に行こうと思ったのは一昨日。だがすでに土曜日。今日の月曜日を待つほかなかった。
流言飛語の真実性(1)事実は実存に介在されて現実世界をつくる
ウイリアム・バウンドストーン『クラウド時代の思考術』(青土社、2017年)に、いくつかの面白い(アメリカでの行動経済学者と経営学者の)調査結果が報告されていた。
(1-1)(アメリカ)国民を五分の一ずつに分け、それぞれの五分位階級が所有していると思う資産のパーセントを記してもらう。
(1-2)上記と現実のパーセントの差を示す。
(1-3)理想的な配分はどの程度かを訊ね、それぞれの五分位階級に割り振ってもらう。
2017年9月8日金曜日
希望は自然に任せる白馬岳とは? (3)枠に収まらない子どもたち
「他人事ですが……」と書いて済ませては、「希望は……」というメインのタイトルとどうつながるかわからない。もう少し踏み込んで考えてみよう。
日野皓正のイベントにおける中学生の逸脱は、スウィングした結果であった。それ自体は、「場」の醸し出した雰囲気に過剰に適応したものともいえるから、「逸脱」とはいえ、「場」の運びや手順を狂わすかもしれないが、ぶち壊すものではない。だからその中学生は、後に謝罪し、その親は叱りつけてくれたことに感謝の言葉を述べたのであろう。そういう意味で私は、日野自身もスウィングし、「既定」の運びを壊すスウィングを一緒に愉しんでやればよかったのにと、外野からヤジを飛ばしたわけだ。だがこれが、このイベントそのものを壊す悪意を持ったものであったら、どうだったであろうか。
2017年9月7日木曜日
予報の当たらない奥多摩むかしみち
今日(9/6)の奥多摩の天気予報は「一日中雨。降水は1mm~2mm」であった。昨日チーフ・リーダーのAさんに問い合わせると、「落石のところもあるが、この程度の雨なら大丈夫と観光協会。実施します」と元気のいい返事が戻ってきた。どんなところか知らないが、「むかしみち」か。ならば雨も風情があろうと、雨着に傘までもって家を出た。出るときは雨。
2017年9月5日火曜日
希望は自然に任せる白馬岳とは? (2)他人事ですが……
昨日お昼を食べるときにTVをつけたら、日野皓正がジャズイベントで中学生の髪をつかみビンタをくれた「もんだい」を取り上げていた。たぶん観客の撮ったであろう映像を見せる。全体を収めているから一人一人の人物は小さく、表情や細かい動きはわからない。舞台いっぱいに、7,80人の中学生がそれぞれの楽器を持って座って広がるステージの左上隅の方でドラムスを叩いている一人の中学生がいる。舞台前方からそこへ足を運んだ日野が後からスティックを取り上げて、放り捨てて元の位置に戻ろうとするが、当の中学生は手でドラムスを叩きつづけて、やめようとしない。日野は、今度は他の中学生のあいだを縫って前から当の中学生に近づき、はじめ髪をもって揺さぶり、ついで手でビンタをくれた。ほかの舞台上の中学生は日野の動きを注視しているようであった。このイベントがどういう趣旨で、どう準備されて行われたか(たぶん事前に説明はあったのであろうが)、そこは聴き落としている。コメンテーターのやりとりを聞いて、少しずつ補った。
2017年9月4日月曜日
希望は自然に任せる白馬岳とは? (1)
白馬岳から帰って山行記録を書く段になって、頭に浮かんだタイトルが「希望は自然に任せる白馬岳」でした。どうしてこんなお題にしたのか。「記録」を読んでみても、まったくそれに触れた個所はありません。なんとなく、山を歩きながら私の胸中に漂っていたもやもやを言葉にするとこうなるなと、直感したからでした。どういうことだったんだろうと、後づけながら考えているところです。
2017年9月2日土曜日
第28回 36会 aAg Seminar ご案内
皆々さま
意外と涼しい日々が続いています。お変わりなく、元気にお過ごしのことと思います。
さて、Seminarの月がやってまいりました。今月の講師は、藤田-k-敏明。お題は「文化はどう受け継がれているか」。
昨年7月のSeminar「私たちの戦後71年」で、戦後がどう受け継がれてきたかを概観した講師が、今度は人類史に視線を移して概観してみようと意欲を燃やしています。
文化人類学や各国の地誌的な社会調査も、いまやずいぶん奥地や辺境にまで及んでいます。人間社会に関する調査ばかりか、動物学や植物学、生物進化学、分子生物学にいたるまで、この地球上の生物がどのように誕生し進化を遂げ、あるいは滅んできたのかを、良くも悪くも子細に明らかにできるようになりました。
さらにまた、近年の工学的なテクノロジーの発展によって、生きている人間の脳の活動を微細に観察することも可能になり、脳科学が、心理学や哲学分野の論題にまで踏み込んで、実験や観察を飛躍的なするようになっています。これまでの人文科学や社会科学と自然科学分野をまたがる研究や考察が飛躍的に成果を上げています。
それにともない、これまでまったくの専門家の専門分野と思われていた領野で、あらためて「論題」を考え直す機会が生まれ、それぞれの専門領域で明らかと思われたところを再評価・再吟味する研究も、進展しています。
それらの先端部分を掻い摘んで、好奇心の任せるままに渉猟し、まもなく人生を終わる私たちの「文化」がどう生まれ来たり、どう受け継がれていくのかを概観してみたいと思います。むろんいうまでもなくご承知のように、わが身から出発する起点だけは外すことなくすすめますので、下世話な話に堕してしまう可能性もあります。皆さんのご発言、ご介入でお助け下さいますよう、お願いします。
◇ 2017年9月30日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
◇ 講師:藤田-k-敏明…………お題:「文化はどう受け継がれているか」
※ なお、Seminar終了後に会食を予定しています。予約の関係もあり、Seminar・会食の参加のご連絡を下記事務局にくださるようお願いします。
*************** 予告 ***************
★ 2017年11月26日~27日 第29回seminar、講師:大賀吉弘くん、
お題:現地体験:「お伊勢参り」
★ 2018年1月27日(土) 第30回seminar、講師:三宅健作くん、
お題:「海外企業異文化の経験」
★ 2018年3月31日(土) 第31回seminar
講師:文野藤八郎くん、藤川田津子さん、浜田守くん
お題:「わが古稀の五年を重ねてSeminar満五年を振り返る」
以上
意外と涼しい日々が続いています。お変わりなく、元気にお過ごしのことと思います。
さて、Seminarの月がやってまいりました。今月の講師は、藤田-k-敏明。お題は「文化はどう受け継がれているか」。
昨年7月のSeminar「私たちの戦後71年」で、戦後がどう受け継がれてきたかを概観した講師が、今度は人類史に視線を移して概観してみようと意欲を燃やしています。
文化人類学や各国の地誌的な社会調査も、いまやずいぶん奥地や辺境にまで及んでいます。人間社会に関する調査ばかりか、動物学や植物学、生物進化学、分子生物学にいたるまで、この地球上の生物がどのように誕生し進化を遂げ、あるいは滅んできたのかを、良くも悪くも子細に明らかにできるようになりました。
さらにまた、近年の工学的なテクノロジーの発展によって、生きている人間の脳の活動を微細に観察することも可能になり、脳科学が、心理学や哲学分野の論題にまで踏み込んで、実験や観察を飛躍的なするようになっています。これまでの人文科学や社会科学と自然科学分野をまたがる研究や考察が飛躍的に成果を上げています。
それにともない、これまでまったくの専門家の専門分野と思われていた領野で、あらためて「論題」を考え直す機会が生まれ、それぞれの専門領域で明らかと思われたところを再評価・再吟味する研究も、進展しています。
それらの先端部分を掻い摘んで、好奇心の任せるままに渉猟し、まもなく人生を終わる私たちの「文化」がどう生まれ来たり、どう受け継がれていくのかを概観してみたいと思います。むろんいうまでもなくご承知のように、わが身から出発する起点だけは外すことなくすすめますので、下世話な話に堕してしまう可能性もあります。皆さんのご発言、ご介入でお助け下さいますよう、お願いします。
◇ 2017年9月30日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
◇ 講師:藤田-k-敏明…………お題:「文化はどう受け継がれているか」
※ なお、Seminar終了後に会食を予定しています。予約の関係もあり、Seminar・会食の参加のご連絡を下記事務局にくださるようお願いします。
*************** 予告 ***************
★ 2017年11月26日~27日 第29回seminar、講師:大賀吉弘くん、
お題:現地体験:「お伊勢参り」
★ 2018年1月27日(土) 第30回seminar、講師:三宅健作くん、
お題:「海外企業異文化の経験」
★ 2018年3月31日(土) 第31回seminar
講師:文野藤八郎くん、藤川田津子さん、浜田守くん
お題:「わが古稀の五年を重ねてSeminar満五年を振り返る」
以上
希望は自然に任せる白馬岳(2)ご褒美のライチョウに出逢う
白馬山荘は驚くほど大きく、ゆったりと作られている。白馬尻小屋と経営者は同じだ。ゆったりという印象は、混雑シーズンではない天気のよくない平日だったからともいえる。広くとった廊下、この山荘が明治時代につくられた経緯を記した「資料室」、自炊室もトイレも広々としている。受付棟も、大きなレストランの独立棟もある。なにしろ18人しか泊まっていなかった。もっとも収容800人という額面通りに人がやってくると、とてもゆったりとは言えないかもしれない。「国有林借地8000平米余」を記載した表示も掲出してあったから、創業以来白馬村などに貢献してきたことや支援を受けてきたことが考えられる。医療機関や気象観測の拠点にもなっているから、遭難救助などにも出動しているのかもしれない。大雪渓を上っているときに、ここのバイトが終わった人と休暇をもらって下山しているスタッフに出逢ったが、ルートの様子などを教えてくれた。また食事の世話をしていたスタッフはコマクサの自生地がどのあたりか、今咲いているのはどのあたりなどを五竜岳周辺にまで及んで話してくれた。暇を見つけては歩いているようであった。食事も、白馬尻小屋と比べてちょっと手間暇をかけているように思えた。
2017年9月1日金曜日
希望は自然に任せる白馬岳(1) 大雪渓と岩場とお花畑を踏破する
月が替わった。空気が冷(ひや)い。一昨日からそうであったと、話しを聞いて知った。じつは昨日までの三日間、山へ行っていた。
白馬岳。名前のやさしさと美しさに評判の、ほぼ3000メートル峰のひとつ。一度は上ってみたいと、山の会の方々にも言われていた。一昨年の北岳同様に、二泊三日ならば高齢者にも何とか行けるだろうと踏んだ。私は(何度か登った覚えはあるが)大雪渓は歩いたことがなかったので、それを入れて組んだ。ところが、猿倉に泊まるよりは一日目に白馬尻小屋まで上って、そこで一泊した方が楽なんじゃないかとkwrさんに言われ、さらに中央線の特急でいくより長野までの新幹線を使ってバスでアプローチする方が時間的にいいんじゃないかと修正提案もあって、変更した。それが良かった。
2017年8月26日土曜日
どこに実感の起点と焦点を合わせるか
朝鮮半島情勢が緊張を増している。元自衛隊将校OBは、今年末までにアメリカが北朝鮮への軍事行動に出ないならアメリカの威信は地に落ち、日本は(安全保障のために)防衛予算を倍増して装備を十分に整え、中国との連携を模索することが必要になると具体的な提言もするほどだ。
また今日(8/25)の東洋経済onlineでは、津上俊哉という中国研究者が、朝鮮半島から米軍が撤退する可能性と半島が中立化したのちの東アジアと日本の安全を保持するために、日本が採ることのできるシナリオを検討している。最悪の場合に日本は、核武装をするという意思の表明をして米中と渡り合う必要があるかもしれないと提言している。つまり、北朝鮮崩壊後の朝鮮半島をめぐる国際的な力関係の変化と日本の立ち位置を論題にしているわけだ。
2017年8月25日金曜日
孫との五日間(下)よく歩く、よく回復する
さて五日間預かった孫を連れて、どこを歩くかは私の領分。奥日光をフィールドに選んだ。この孫たち、毎年正月には奥日光で何日かを過ごすのだが、雪のないときに来たことがない。となると、どこでも歩ける。天気を観ながらコースを決めればいいだろうと考えていた。
ところが、連日の雨。家を出る20日も雨の中であった。8時40分。だが子どもたちは車が走り出すやすぐに眠りについた。日曜日とは言え、天気がよくないせいか高速路の車は少なくズムーズに走る。いろは坂を登りきってトンネルを抜けると雨はやみ、路面も濡れていない。やはり奥日光は梅雨知らずといわれるだけあって、太平洋岸の平地が雨でも、天空の中禅寺湖や戦場ヶ原は晴れている。
2017年8月24日木曜日
孫との五日間(上) 子どもの好み、子どもの思案
いやはや、全力投入であった。息子夫婦が仕事で三日間出張になるので、前後をあわせて五日間、小学生の孫二人を預かった。19日、新幹線でやってくる東京駅へ迎えに出たのはカミサン。兄妹二人が真っ先に飛び出してきたそうだ。たぶん、「次は東京、終点です」とアナウンスがあってすぐに、荷物をもって出口に並んだのであろう。妹がキャリーバッグを曳いていたという。この孫兄妹は食事が面倒だ。食べなかったり、好みが会うたびに変わっていたりする。ご飯にふりかけばかりを食べたり、唐揚げばかりに執着したり、兄妹の好みが違ったりするから、カミサンはピリピリしている。夕食にと、とりあえず蕎麦を打つ。これは二人とも好んで食べる。大人以上に食べたこともあるので、大人二人前分を余計に打つ。カミサンは天麩羅を揚げる。ところが、思ったほど食べない。大人半人前が余る。珍しいことだ。
2017年8月19日土曜日
消えた中動態の痕跡
国分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院、2017年)を読む。図書館で借りて、他の本を読んでいるうちに返却日が近づいてから、手に取った。面白い。私の胸中にぼんやりと棚上げされていたコトゴトの、向こうの方に薄明かりがともるような、そんな気がして読みすすめた。
中動態というのは、能動態、受動態という言語学の「する」「される」関係の中に、そのどこにも位置しない、ときにはどちらにも位置する動詞の名称である。インド=ヨーロッパ語族に属するギリシャ語の文法解読を通じて、その中動態の意味するところをとらえ、副題の「意志と責任」の現在的ありように迫る力作と直感する。
2017年8月18日金曜日
やっとアメリカもアプレ・エイジング
今日(8/18)の朝日新聞に《米女性誌「アンチエイジング もう使いません」》と、記事が出ている。おお、やっとここに到達したか。五年遅いぞ、と私は思った。2013年2月29日の「36会 aAg-Seminar 開設のご案内」で「主宰 浜田守」さんは、次のように釈明しています。
《「aAgってなんだ?」とお思いの方に、まず弁明。
正面から「アンチ・エイジング」と呼称するのは面はゆく、でも世間体もありまして、このような名称を付けました(世間体は、「会場」をご覧いただければお分かりになります)。漢語を交えて表記するなら「臨床抗齢学会」、和語にすると「寄る年波調べ所」とでも訳しましょうか。聞かれたら、そうお答えしようと、まあ、この程度に考えています。》
2017年8月17日木曜日
成長も衰退も目に見える
三日間の霧ヶ峰を過ごして帰ってきた。帰って来てみると、さいたまも涼しいではないか。「16日間連続の雨」と、記録二番目を喧伝している。なんだ、こちらも雨だったのかと、連日雨模様の霧ヶ峰の天気を赦す気になった。
14日の霧ヶ峰は雲がかかる。それでも八島湿原から車山のレーダードームが見える。エゾノカワラナデシコ、ヨツバヒヨドリ、コオニユリなど湿原の花々はお湿りに生き生きとしている。塩尻駅で出逢ったいとこ同士の孫たちは、もうすっかりご機嫌のおしゃべりに興じて、湿原へ繰り出す。9歳から13歳までの孫4人の脚は速い。爺婆は、置いて行かれる。孫たちの父母が付き添うから心配はしないが、去年の秋にはこうではなかったと、成長の速さと衰退の着実さを、対比的に思い浮かべる。ま、それでいいのだ、が……。
2017年8月13日日曜日
2017年8月12日土曜日
対立軸を前提にすると、それをすり抜けてきたのか、私たちは。
亀田達也『モラルの起源』(岩波新書、2017年)に「進化ゲームでみる倫理の衝突」という節で紹介している「実験」があります。
《進化ゲームとは、さまざまな行動を「戦略」として定式化したうえで対戦させ、ほかと比べて利益の上がる戦略が次第に集団で増えていくという、生物進化とのアナロジーから集団のダイナミクスを調べようとするアプローチです》
2017年8月11日金曜日
「山の日」という非日常に思う
今日は「山の日」。去年から祝日になった。だから私は、お休み。若い人たちの邪魔をしたくない。国の施策に踊らされたくもない。加えてこれ以上、非日常を増やしたくない。海の日もあるから山の日もというのなら、空の日も水の日も設けなくてはならない。つまり、天然自然に思いをはせその恵みに感謝するのなら、というほどの意味で私はそう考える。もちろん山の日を設けた方は、お盆とつなげて皆さんが遊びに出ることを奨励し、少しでも景気浮揚に貢献したいという「ねらい」であろうから、自然への感謝も何もあったものじゃない。幸いにも今日は朝から低い雲がかかり、涼しい。昨日までの暑さがちょっと治まって、家でゴロゴロしているのにちょうど良い。静かな日常が戻って来たみたいだ。
2017年8月10日木曜日
スウィングする苦悩
ドロシー・ベイカー『Young Man with a Horn――あるジャズエイジの伝説』(諸岡敏行訳、青土社、2001年)を手に取った。図書館の「新着図書」の棚にあった小説。後で発行年を知って、どうしてこんなに年数を経て? と思ったもの。しかも、初版本だ。原作は1938年に発行されている。
2017年8月9日水曜日
山歩きのQ&A
Q:薬師岳の山行、「75歳以降の私の山歩きの目安になる」と言ってたけど、どうだった?
A:行ってよかった。2013年の飯豊山のときに較べたら、間違いなく力が落ちている。飯豊山のときは3泊4日、約20kgの荷物で、アプローチを除くと、一日目10時間半、二日目8時間半、三日目7時間半を歩いた。下山したときは、オールアウトの状態。ほぼ力を使い尽くしたって感じ。麓の元旅館の風呂場を借りて汗を流させてもらい、冷たい水をごちそうになってやっと息を吹き返したって……。思い出しましたよ。だけど今回は、一日目4時間の散策、二日目5時間、三日目5時間、四日目6時間、五日目2時間半と日にちは多かったけど、一日の行程は飯豊の時の半分くらい。力を使って歩いているって感じはまったくなかった。行程の配分がうまくいったのかな。荷物も多いときで13kgと軽かった。上るときも下るときも、足を出せばうまい具合にそこに置き場があるっていうか、ほとんど意識することなく歩一歩とすすみましたね。そうだ、これからは、こういうペースで歩けばいいんだって思いましたよ。たしかに「目安」になりましたね。
2017年8月8日火曜日
わたしが世界からの手紙なのだから
テレンス・デイヴィス監督『静かなる情熱――エミリ・ディキンスン』(イギリス・ベルギー、2016年)を観る。欧米各地の映画祭のオフィシャル・セレクションを受け、グランプリ賞ももらっているという。だが正直なところ、これらの映画祭の選考者がどのような現代的感覚をもって、この作品を選んだのか、わからない。お前がバカだからだと言われるなら、それを受け容れたいが、ぜひともどなたか、なぜバカなのかを教えてもらいたい。
2017年8月7日月曜日
変化に富む薬師岳の縦走ルート(3)マイペースで歩く心地よさ
薬師岳の山頂で30分近くも過ごし、下山にかかる。少し進むと岩室がある。最初、これが山頂かと思っていた。「ニセ薬師」と若い二人連れは言う。彼女たちは太郎平の方からも来たことがあるらしい。そのときに山頂だと思ってがっかりしたんだよねと笑っている。彼女たちに先行してもらう。下りは砂地の斜面。富士山の砂走りより少し大きい瓦礫がつづく。バランスの良い若い人は、さかさかと降ってゆく。雲は3000m辺りを覆い、その下の山々はくっきりと見える。薬師岳山荘2071mで先行した二人は休んでいた。32分できている。私は構わず先行する。やがて瓦礫の道はハイマツ帯になる。と、5mほど道の先にライチョウがいる。これで3日間連続でライチョウに出逢った。カメラを出して撮影する。ライチョウは砂浴びでもしていたのだろうか。足元の土が少し掘られて色が変わっている。どうしたものか思案しているように立ち止まったまま。私も動きを止める。と、うしろから件の若い女たちがやってくる。ライチョウがいると声を出さずに言うと、伝わったらしく、先頭の彼女は後ろのカメラウーマンに何かを言う。二人がそうっと近づいてくる。
2017年8月6日日曜日
変化に富む薬師岳の縦走ルート(2)稜線の眺望と面白いアップダウン
2日目に宿泊した五色ヶ原山荘の部屋は6畳間に4人。シーズン中の山小屋としては割とゆったりした方であった。一人は還暦前の大阪の方。ロッジくろよんから7時間半ほどかけて登ってきた。この地域のいろんなルートを歩き回っているようで、立山の方へ抜け、剣山や大日岳を経めぐって4日に下山する予定という。話す口調は軽々としているが、なかなか深い奥行きを感じさせる。雨に降られて全身ぐっしょり。幸い山荘には乾燥室もあって着替えた衣服は早い段階で乾かすことができた。あとの二人連れは、川崎のアラカンと大阪のアラフィフ。アラカンの方が山慣れた先輩で、アラフィフの方は、装備服装は今風のヤマボーイという感じに若作り。私と同じ室堂からのルートをとって、同じ行程を歩く予定。そのため、最後まで山小屋が同じだが、歩き方にも違いが出て、それなりに面白いことに気づかされた。また部屋は別だったが、登り口の室堂で私に話しかけてきた60代半ばの二人連れに「早かったですね。黄色いザックカバーが後ろからよく見えましたよ」と声をかけられ、最終日まで同じコースを歩くのだとわかった。
2017年8月5日土曜日
変化に富む薬師岳の縦走ルート(1)北アルプス深奥部に入る
五日間の山旅を終えて無事に帰ってきた。薬師岳を訪ねる今回のルートは、岩と雪渓とお花畑に彩られた変化に富む、北アルプスの奥深さを満喫させるルートであった。経路を紹介しておこう。
1日目……立山の弥陀ヶ原や室堂を周遊し、天狗平山荘に宿泊する。
2日目……室堂から浄土山を経て龍王岳、鬼岳、獅子岳、ザラ峠を通り五色ヶ原山荘まで。
3日目……五色ヶ原から鳶山、越中沢岳、スゴの頭を経てスゴ乗越小屋に泊まる。
4日目……スゴ小屋から間山、北薬師岳、薬師岳を越えて、薬師岳山荘、薬師峠を経て太郎平小屋。
5日目……太郎平小屋から折立へ下る。
2017年7月30日日曜日
最悪を想定する分配感覚の共通性――規範はどうかたちづくられるか(9)
6/28の「規範はどうかたちづくられるか(8)」以来、すっかり無沙汰をしてしまいました。じつは金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)のように脳科学と連結させてモラルや理性を論じる本が、今年に入ってから続々と出版されています。それだけ、脳科学のMRIなど、生体チェックが容易にできるようになって、その分野の進展が目覚ましいのだろうと推測しています。とりあえず、亀田達也『モラルの起源――実験社会科学からの問い』(岩波新書、2017年)を読んで、金井たちのところで紹介していなかったことがらに触れておきます。
方法的な視線の違い
山折哲雄『これを語りて日本人を戦慄せしめよ――柳田国男が言いたかったこと』(新潮選書、2014年)に、柳田と折口信夫と南方熊楠を対照させて、その三者の方法的な視線の違いを指摘しているところがあった。柳田は「普遍化」を目指し、折口は「始原化」を志向しているのに対して熊楠は「明確な方法的意識があったのだろうか」と疑問を呈し、「彼のどの論文にもみられる狂気のごとき羅列主義」から浮かび上がるのは「カオス還元のイメージ」と掬い上げている。
2017年7月29日土曜日
また、私の夏休み
激しく雨が降る。すぐに止む。暑さがぶり返す。山から帰ってくると、途端に町の暑さが気持ちを大きく占める。でもやっと、私の夏休みがはじめる。私の、単独行の山プランをたてる。今年は薬師岳に行こうと考えている。というのも、ぼちぼち五日間もの山歩きをつづけることがむつかしくなっているのではないかと心配しているからだ。71歳になる年であったか、飯豊山に行った三泊四日は、その後の大きな自信になった。一日10時間近く、20kgの荷を背負って歩いた。だがこのところ、6,7時間の行程を歩くと、翌日はぐったりしていることが多くなった。やはり後期高齢者になるというのは、如実に力の衰えとして現れるってことか。そう思うようになった。
2017年7月28日金曜日
岩稜とお花畑の薬師岳と早池峰山(2)絶好の山日和
さて26日。朝食は7時。湯豆腐などもあって、けっこう盛りだくさん。昨夜のキャンプ食のせいもあって、ゆっくり、たっぷりといただいた。それでも7時45分発。昨日のコンビニによってお昼を調達。このコンビニ、駐車場は、トラックも含めていっぱいであった。
昨日の登山口へ向かう。このとき、早池峰神社に近づくにつれて東へ向かっているのだとわかる。陽ざしが前から差して来て、狭い林道の先がまばゆくて見通せない。カーブに差し掛かると、速度を落とし手をかざして見極めなければならなかった。8時半前に登山口に着く。昨日と違って、車がいっぱい止まっている。岩手ナンバー、盛岡ナンバーが多いが、横浜ナンバーもあった。8時35分、歩きはじめる。
正しさの修正ができないポピュリスト
ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』(岩波書店、2017年)を読む。ポピュリズムと民主主義の差異について力を入れて検討しているところが面白かった。ポピュリズムは代表制民主主義の場面においてのみ成立する概念と前提しているから、民主主義と紛らわしくなる。あるいは、どこかで民主主義的な制度の下に成立した政権が、いつのまにかポピュリズムと称されるように変質していることも考えられる。だからミュラーは次のように、不可能性の上に可能性を追求するような提示をする。
2017年7月27日木曜日
岩稜とお花畑の薬師岳と早池峰山
花の百名山「薬師岳と早池峰山」に行ってきた。宮城や福島地方に大雨洪水警報が出ていたのに、週間予報では「降水確率80%」であった25日の岩手・早池峰方面は「曇り晴、降水確率10%」とよくなった。前線が下に下がってそれまで大雨であった岩手秋田地方が好天に変わった。
新花巻駅に下車しレンタカー2台に分乗して、一路「早池峰神社」へ。そこから5kmほど先の登山口に向かう。naviに頼りっぱなしだから、どちらへ向かって走っているのかもわからない。青々とした水田が広がる。やがて山間の道になり、早池峰ダムの脇を通って民家もまばらに点在する集落をへて、細い一本道に入り込む。ところどころに待避所を設えた登山口への道は、土日には一般者の通行が禁じられ、集落手前でシャトルバス乗り換える。だが平日とあって河原の坊駐車場まで乗り入れる。10時半前に着く。ビジターセンターがあり、トイレがある。ほんの数台の車しか止まっていない。標高は1050m。
2017年7月24日月曜日
混沌に持ち込めってこと? 第27回seminar報告(1)
アロマテラピーが今回Seminarのお題。何でもテラピーと言えば「癒す効果」と考えるが、それが疲れをとり、ストレスを解消し、安眠に効果をもたらし、認知症の進行を防ぐとなると、ただ単に「癒す」というだけでなく、「健康にいい」と受け止めた。だからお題を「健康と香り」と大きく打ったのだが、どうも「アロマテラピー」というのは、ちょっそそこからずれるようにみえる。
2017年7月22日土曜日
藪の中に持ち込めるか庶民の「常識」
加計学園の獣医師学部の設置をめぐって、決定の2カ月も前に山本担当大臣が「加計の負担分も交えて獣医師会に知らせていた」ことがわかった。山本担当大臣は「獣医師会が自分の思惑で作成したもの、私は知らない」とほっかぶりをしている。
だが私ら庶民の常識で言うと、どうなるか。政治家というのは自分の立場を守るために平気でウソをつく人種とみなしている。だが、獣医師というのが平気でうそをつく人種とみなす根拠は、あまり持っていない。ということは、山本大臣がどう言葉を並べようと、藪の中に持ち込もうとしていると読むのが、庶民感覚というもの。
2017年7月21日金曜日
地理院地図のルートが廃道になる
冬のコースにどうだろうと、古峯神社から地蔵岳を歩いた。この地蔵岳には、すでに二度登っている。いずれも日光の細尾峠から。そのときは、稜線の末端という感じ、高くなっているほどでもない。そもそも山頂という風格がない、と思っていた。ところが古峯神社に近づいて地蔵岳の銘々由来に気づいた。神社の後ろに三角錐の山体を屹立させている。見事に守護神としての姿を見せる。な~るほど。
2017年7月19日水曜日
供養という自己認識のかたち
「ささらほうさら」7月の話を締めくくりたい。自身の身を置く文化的なギャップに鬱屈を感じていたmsokさんは、『ハチロー伝』を書くことで、わが身の祖型である父親の鬱乎たる思いを晴らしたというのではない。じつはハチロー伝の後半の半分は、歳をとったハチローさんが事業でもそれなりの位置を占め、商工会や町内会でも名士の立場に置かれるようになる。受動的で引っ込み思案のハチローさん自身が変わっていくさまが描かれている。「比翼連理ではないが……」と考えられていた父母の関係も、信仰を介在させた社会的活動が功を奏して、ハチローさんの身の置き所が定まっていく様子が浮かび上がっている。msokさんは、そうして系譜をたどり、養子として十二代目となったハチローさんを中興の祖ではないかと評価する。大団円ではないか。
2017年7月18日火曜日
身の刻んだ文化と飛翔するじぶんの大いなるギャップ
「ささらほうさら」の7月例会の話し「書き言葉というカニの藻屑」(7/14)につづける。講師を務めたmsokさんの「お題」は、終わってみれば、彼の自画像という三題噺であった。(1)時代小説の進展具合、(2)「まあ、なりゆきです」ということばの借用、(3)亡き父に捧げた『ハチロー伝』のこと。三題噺という構成が、クラシックに造詣の深い彼の「世界構成」にふさわしいのかどうか、私にはちょっとわからない。彼ならば、起承転結の四部構成がしっくりくるというのではないかと思うのだが、人は変わる。彼だって、三題噺の方がしっくりくる語り方を、この際はしたかったのかもしれないと、考えるともなく思っている。
2017年7月17日月曜日
青天の霹靂
昨日夜7時ころ、TVのテロップに「埼玉 竜巻注意報」と出て、おっ、珍しい、と思った。そのすぐ後、みていた衛星放送の画面が消えた。うん? と思うのとほぼ同時に、ごろごろごろと雷が鳴り響く。TVを地上波に切り替える。今度はテロップに「埼玉 大雨洪水注意報」と出ている。いよいよ埼玉まで巻き込みはじめたかこの異常気象は、と胸中に浮かぶ。半世紀以上も前になるが、この地に棲みついたとき「いいとこだよ、埼玉は。何より大きな災害がない」と地元の人が歓迎してくれたのを、思い出した。今年の大雨も、太平洋寄りとか関東地方の山沿いを通り過ぎて、埼玉はいつも忘れられてきた。雨も落ちないバカ暑い日が続いていた。
2017年7月16日日曜日
すっかり埒外のヒト
塚越健司「情報社会とハクティビズム」を読むと、もう私などは、すっかり埒外の人になっていると、わかる。ITを含め、世の中はものすごい変わり方をしているんだと、感嘆しながら読みすすめた。東浩紀が「動物化するポストモダン」で環境管理型権力に移行していると語り、アーキテクチャーを論題にしたころまではおおよそイメージがつかめていた、と思っていた。それからまだ7年くらいしか経たないのに、現実社会の進展には目を瞠る以上のものがある。もっとも、レイ・カーツワイルの「シンギュラリティ論」を聞けば、(世界は指数関数的に変化するから)7年は十分すぎる時間ではある。
2017年7月15日土曜日
死してなお、「残像」を残して国家を脅かす
今年前半の政治の話題はほとんどモリとカケ。そして「忖度」という流行語大賞候補も飛び出してきた。私たちが「公平」とか「公正」というとき、「身びいき」を否定する響きがある。身びいきというのは、言うまでもなく、自分の身内や友だちなど、自分と関係のある人を優遇することを言う。むろん日本ばかりではない。ネポティズムという政治学用語にもなっている。一般にネポティズムは前近代的な、遅れた社会に残された旧時代の遺制という響きがある。それが「忖度」というかたちで残されていることに、初めて気づいたかのようにマス・メディアで話題になるのだから、政治家たちもメディアの仕切り人たちもお惚けもいいところだ。
2017年7月14日金曜日
書き言葉というカニの藻屑
「ささらほうさら」の今月の講師はmskさん。これといった「お題」を打たない。まず、《自分で自分にインタビュー》という「資料」を配る。読めばいいというのでは味気ないからでしょうか。若いwさんをインタビュアーに仕立て、mskさんが応えるというふうに、「資料」を読む。なぜそんなまどろっこしいやり方をとるのか。(たぶん)我がことを口にするのが、恥ずかしいんでしょう。でも、わがことに触れずに何かを語るというほど、私たちは若くない。何をインタビューしているか。
2017年7月12日水曜日
自然起因
ここ三週間ほどの間に二度、パソコンのインターネット通信が途絶えた。その都度、経験則的にだが、モデムとルーターの電源をOFF西、時間が経ってからもう一度電源を入れるというふうにして、修復を試みた。一度目は、他にも用があって私がパソコンに触らなかったので一晩明けて繋いだら、うまくアクセスできた。経験則がいていると思った。二度目は、それでもうまくいかなかった。何気なく電話器をとると、ツーという開始音がしない。NTTのカスタマーセンターに電話をして、♯と指示する番号を押し、やっと人につながると「本人確認」とかを聞かれ、「機器の故障のようだ」と判断されて別の電話番号を教えられ、そちらにまた、電話をする。同じように、シャープと番号を押し、やはり人とつながると「本人確認」を繰り返し聞かれ、やっと本題に入った。
2017年7月11日火曜日
「時の密度」が薄くなるということ
歳をとると時が早く過ぎると思う。私は一年の長さが年齢分の一で過ぎ去ると考えてきた。ふとある時、それを逆の方、つまり暮らしにおける「時の密度」として考えると、私たち年寄りは年の分だけ「時の密度」が薄くなっていることでもある。では、歳をとるにつれて「時の密度」が薄くなるとはどういうことだろうか。
2017年7月10日月曜日
持続可能な岩盤と価値観の転換
古守宿一作が暮らしの岩盤であると、AIによるシンギュラリティとの対比で記した(7/9)。もう一歩踏み込んで岩盤の持続可能性について考えてみる。そこには、大きな価値観の転換が前提になっている。この宿の料金が一泊15000円だと紹介した。通常なら、大人の旅の宿泊料金としてはまあまあの価格帯と言ってよかろう。むろんホテルや旅館の食膳には、お腹いっぱいになる凝った料理が並ぶ。バイキング式であっても、なかなか手の込んだ調理が施されていると感じられる品々が並んでいて、ついつい食べ過ぎてしまうほどだ。
2017年7月9日日曜日
人の暮らしの岩盤とシンギュラリティ
2045年までにシンギュラリティに達すると、AIの専門家たちが話題を振りまいている。シンギュラリティというのはブラックホールに突入したのちの世界という意味で、何が待っているかわからない歴史的大転換を意味するという。むろん地球がブラックホールに突入するというのではなく、AIのもたらす時代が人類史の大転換をもたらすというのである。そのなかの一人、レイ・カーツワイルは、エネルギーが無尽蔵になる、人の身体に予防接種をするように超小型化した安価なAIを注入して病気の予防や治療を行う、のちには脳の活動の補助装置AIを輸血するように挿入して、個々人の知的な蓄積情報を人体外部のクラウドに保存するなど、おおよそ人間そのものがAIと一体化する時代がやってくる、と予測している。
2017年7月6日木曜日
「楽勝」のニッコウキスゲが身に堪える
台風一過、6時半とゆっくり家を出て、日光・霧降高原の山に登った。ここには2011年の7月12日に、一組案内して、赤薙山と丸山に登っている。そのときの登山口(今はキスゲ平と名づけられている)は、工事中でブルドーザーが入っていた。それでもニッコウキスゲは咲き乱れ、壮観だと書き記している。
行ってみて驚いた。すっかり整備が終わり、広い駐車場も整備され、登山口にはインフォメーションセンターも建っている。第一駐車場には、すでに、二十台余の車が止まっている。斜面全体が広く鹿柵に囲われ、一面にニッコウキスゲが花開いている。まっすぐ小丸山の方へ上る階段。ところどころに横にせり出す見晴らし台があり、あるいは、お花畑を回遊する散歩道がつくられ、人の姿もみえる。階段は「100段/1445段」と里程標が記され、標高差270mほどを上る。すっかり園地として整備され、たくさんの観光客を呼んでいるようだ。
2017年7月4日火曜日
台風がやってくる
「明日(7/5)の山は中止」と連絡がきた。台風がやってきて、歩く時の天候が読めないからという。先月は「延期」した。今月は「中止」。案内を先導するCL(チーフリーダー)の判断に任せているからそれでいいのだが、ちょっとリスキーになるかもしれないが、たぶん私なら実施すると思った。というのも、台風は明日の未明に関東地方を通過する。朝6時くらいまで雨が降るだろうと昨日夜の「予報」はいう。少し通過が遅くなっても、登りはじめる9時過ぎには雨は上がる。台風一過の好天になるのではないかと私は読んでいる。でもまあ、CLが判断したことだから仕方がない。
2017年7月2日日曜日
フォルモサ――先住民の制圧戦
昨日(7/1)の東洋経済オンラインを見ていて、「フォルモサです」ということばに戸惑った。えっ、なんだっけ、聞き覚えはあるが……。手元の百科事典を引いた。こう書いてあった。
《アルゼンチン北部、フォルモサ州の州都。ブエノスアイレス北方950km、パラグアイ川沿岸に位置する。人口20万人余(2001年)。周辺地域のたばこ、サトウキビ、綿花、ゲブクチェ、タンニンなど農牧林業品の集散地で、先住民人口が多い。19世紀後半まで先住民制圧戦が展開され、その後積極的な入植政策が実施されたが、開発は遅れている。》
2017年7月1日土曜日
詫びの仕方
稲田防衛相が選挙の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてよろしくお願いします」とやって、軍事組織の政治的中立性をないがしろにしてしまった。指摘を受けて彼女は前言を撤回したが、それで済むことなのだろうか。現職の防衛大臣である。昨日の記者会見で彼女は「誤解を招きかねない発言であった」と繰り返し弁明をした。だが、「誤解を招きかねない発言」ではない。「誤解の余地のない発言」であった。彼女は弁護士の資格も持つというから、法律の専門家である。それが単に「発言撤回」と「謝罪」で「暴力装置の政治的中立性」は保てると考えられるか。これは、「軽率」とか「うっかり」とか「失言」というレベルのことではない。国家の暴力装置を担う担当大臣として踏み越えてはならない根幹を外している。これを官房長官も「当人が説明することではあるが、辞任や罷免に相当することではない」と表明している。ということは、彼女の「発言」を根幹においては容認したということになろう。国家体制の根幹にかかわる明らかに一線を超えた言説を政府首脳が擁護していることであり、単なる政局の問題ではない。
2017年6月28日水曜日
変わった日本に変わった規範を――規範はどうかたちづくられるか(8)
東洋経済オンラインを読んでいたら、《外国人が日本に来て感じる「美徳と違和感」》という記事が目に留まった。
《先日、知り合いのギリシャ人6人を連れて、東京観光をしました。日本が初めての彼らは、電車の中がとても静かだったことに驚いていました。ギリシャでは、電車に乗っているときでも電話で話すのが当たり前です。》
と、ギリシャの人びとの振る舞い方と日本のそれとを比較して綴っている。その他にも、電車の停車駅や時刻の車内案内が丁寧に繰り返される日本の交通といつ来るのかわからないギリシャの鉄道、時間を守ろうと緊張する日本人、家族よりも公的仕事を優先する日本人、母親の料理の方がおいしいと新妻に告げるギリシャの亭主、踏切で電車にぶつかった人にお前が注意していないからだと非難する(踏切遮断機を降ろし忘れた)ギリシャの踏切手と事例をあげ、表題のような記事になった。
2017年6月27日火曜日
「いじめ」は進化に不可欠――規範はどうかたちづくられるか(7)
昨日、大槻久『協力と罰の生物学』が「いじめの快感」に触れた「実験」について、このブログに記した。それに対して「大槻がどういう実験をしたのか。本書を読めばわかるとは思うが、そこを記さないでは、あなたが何に信を置いて『いじめの快感』と思ったのかがわからない。」とメールをいただいた。たしかに、そこまでの、金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』を読むのと比べたら、ずいぶん大雑把な紹介になっている。大槻はこの著書に「ヒトはけっこう罰が好き?」という1章を設け、「罰」にかかわるこれまでの考察を紹介している。
2017年6月26日月曜日
いじめは快感である――規範はどうかたちづくられるか(6)
大槻久『協力と罰の生物学』(岩波書店、2014年)は、金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)がとりあげてきた共感と利他性を、もう一歩生物学的なレベルに移して観察し、進化の現段階を解き明かそうとしている。
2017年6月24日土曜日
やはり耄碌
昨日、後期高齢者になる人向けの「自動車運転免許証・更新時講習」に義務付けられた「認知症検査」を受けてきた。自動車学校の教習がはじまる前の早朝の1時間半。15人ほどが来ている。この人たちが上の階にある「検査室」へ移動するのを見て、これが同じ年代の人たちかとわが目を疑った。階段を上がるのが、なんともおぼつかない。いや、おぼつかないから車に乗っているのか。そう思うと、頑張ってくださいねと声をかけたくなる。逆に言うと、私は、全然これに引っかかるとは思ってもいなかった。
2017年6月22日木曜日
窓を通して世界をみる――規矩準縄を打ち破る衝動
今月の「ささらほうさら」の講師はnkjさん。お題は「My photo」。この方が写真やカメラや被写体とどう向き合って来たか、40枚ほどの写真をみせながら来歴を語った。それは彼自身の身の輪郭を描き出す振舞いであるとともに、彼が「世界」をどうみてとってきたかを浮かび上がらせる話しであった。なかなか興味深い響きを湛えていた。
仕事をしているときにも、札所巡りをしたり五百羅漢などの石仏を観に行ったりして、ときどきカメラにおさめてはいたそうだ。だが、「写真を撮ることに夢中になり羅漢はろくに観察しなかった(ことに)気づいた……写真を目的にしないときはカメラを持参してはいけない」と自らに禁じ、以後、目的的にものごとを観ることに心を傾けたという。まだ、デジカメが流行りはじめる前の話である。
2017年6月21日水曜日
ダイヤモンド晴れの鳴虫山
いま(6/21)弱い雨が落ちている。TVの「予報」は「大雨、40mm/h」と警戒を呼び掛ける。じつは今日、山の会の「日和見山歩・鳴虫山」の予定であった。「当てにならない週間予報」は先週、「曇り、降水確率40%、降水量0mm」であった。CLのonさんと「実施はする。しばらく様子をみよう」と話していた。ところがその後「曇り一時雨、降水確率は変わらないが、降水量15時1mm」と悪くなる。onさんは「下山ルートが雨に濡れると滑りやすく危険」とみて、20日(火)実施でどうかと相談があった。皆さんに問い合わせて、了解をとったのは前々日の日曜日。月曜日のTVでは、「火曜日はダイヤモンドの晴。あとは梅雨空がつづく。洗濯などはお見逃しなく」と今日以降の大雨に注意を呼び掛け始めていた。
2017年6月19日月曜日
皮膚感覚を通して声の感情を理解している――規範はどう築かれるか(5)
金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。前回までにMRI画像の解析を通じて《「政治的と相関する脳構造」の特徴》を見極め、脳科学の「観察」から「政治的傾向」をとらえることができると、いくつかの留保をつけて英米の「実験」を紹介した。「留保」というのは、(1)遺伝的に受け継がれていると分かるのは「政治的傾向にかかわる気質」の三、四割。(2)それも情勢によって変わる。(3)年を追って変化する。つまり、脳科学で決めつけられるわけではないと、いわばその後の「学習」と「状況」によって変容することを忘れるなと指摘しているわけである。
そうして今回のテーマに踏み込む。規範の「原基」ともいえる「モラル・ファウンデーション」の心裡の「信頼」とか「共感」のベースにどのような生理学的なメカニズムが働いているのか、そこを解き明かそうとする脳科学の現在を紹介している。率直に言って、この領域に来ると、「実験」や「研究」がどのような限定を設けて行われているのか、とうてい私には見極めることができない。当然その結果についても、評価することなどできない。そうか、そこまで考究していっているのかと受けとめるしかない。でも、概略を紹介しておこう。
2017年6月18日日曜日
「留保」を乗り越え私たちの内面に迫る脳科学――規範はどう築かれるか(4)
(6/15の承前)さらに、金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。
まず米国バージニア大の社会心理学者・ジョナサン・ハイトが提唱した、「モラルファンデーション」(根源的な倫理観の要素=倫理観を記述する概念の根幹にある五つの道徳感情)とは、次の項目である。この五項目がMRI画像などの解析を通して「観測」できるという。
①傷つけないこと、harm reduction(H)
②公平性、fairness(F)
③内集団への忠誠、in-group(I)
④権威への敬意、authority(A)
⑤神聖さ・純粋さ、purity(P)
2017年6月17日土曜日
「洗脳」は自律的に行われる
広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密』(岩波書店、2017年)を読んでいて、三つのことを思い出した。もう40年ちかく前になるか。私の子どものことばづかいのこと。
(1)「エレベスト」という。「エベレストだよ」と訂正するが、なかなか治らなかった。
(2)「あ」に濁点をつけた文字「あ”」と書いている。「これ、なんてよむの?」と聞くと、「あ」の発声のかたちで喉の奥から「あ”~っ」と濁った声を出した。
(3)「かべさんがね……」と話す。「かべさんて、だれ?」と尋ねて、私の友人のことだと分かる。「どうして? おかべさんだよ」というと子どもは、「だって、お箸とかお茶碗っていうでしょ」と応えて、面白いことをいうと思った。
広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密』(岩波書店、2017年)を読んでいて、三つのことを思い出した。もう40年ちかく前になるか。私の子どものことばづかいのこと。
(1)「エレベスト」という。「エベレストだよ」と訂正するが、なかなか治らなかった。
(2)「あ」に濁点をつけた文字「あ”」と書いている。「これ、なんてよむの?」と聞くと、「あ」の発声のかたちで喉の奥から「あ”~っ」と濁った声を出した。
(3)「かべさんがね……」と話す。「かべさんて、だれ?」と尋ねて、私の友人のことだと分かる。「どうして? おかべさんだよ」というと子どもは、「だって、お箸とかお茶碗っていうでしょ」と応えて、面白いことをいうと思った。
2017年6月16日金曜日
まず隗より始めよう
文科省の再調査結果の発表を聞いて、笑ってしまった。まるで漫画である。何ヶ月もかけて国会でやりとりしてきたことが、全部白紙に戻る。嘘と誤魔化しとお惚けばかりで、国会審議という場を空費してきたことを考えると、内閣総辞職でもまだ足りないくらい。それくらい馬鹿にした話だ。誰を馬鹿にしたかって? う~ん、主権者・国民、民主政治のシステム、立法府や行政府などの統治機関全体をコケにしている。コケというのは虚仮だ。安倍政府は自らをコケにした。
2017年6月15日木曜日
英米モデルに日本は当てはまるか――規範はどう築かれるか(3)
金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。金井は(1)道徳と倫理の違いを規定し、道徳を個人の内面に発する規範意識と位置づける。そして、(2)道徳の発露にはベースになる感情があり、それを「徳倫理学」では五つの「倫理基準」(モラル・ファウンデーション)とすると限定する。それらを前提に五つのモラル・ファウンデーションがMRI画像などにどう表れるかを「VBD解析を用いて探索」して、「脳に刻まれたモラルの起源」に迫ろうというのである。このシリーズの(1)と(2)は、上記の二点を俎上に上げ、この二点がもつ問題点を指摘した。今回は、いよいよ「モラル・ファウンデーション」がどのように「政治的傾向」に発露してくるか。本題に突入する。
2017年6月14日水曜日
快適ツツジの小楢山
昨日(6/13)の山歩きは二つの教訓を残した。
(1)一週前の天気予報はあてにならないこと、
(2)山梨は関東ではないこと。
この山行は当初、6/7に予定されていた。ところがモンゴルから帰ってきた翌日(6/1)の「週間予報」をみると雨になっている。結局6/4に「延期」を決め、皆さんに知らせた。6/6金曜日の天気が良かったが、当初参加予定の方々の2人が都合が悪いというので、12日(月)か13日(火)を予定し、今少し様子をみることにした。そのときの「10日間予報」は、12日は「曇り、降水確率80%、降水量0mm」、13日は「晴れ」。ところが6/6の「週間予報」の12日は「曇り、12時雨、降水確率40%、降水量5mm」、13日「晴れ」とはっきりした。迷わず13日に決め、皆さんにお知らせした。
2017年6月12日月曜日
世界はまだしばらく戦いに明け暮れる――規範はどう築かれるか(2)
金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。
金井は「徳倫理学」と名づけている。《人間の内面にある「徳」を重要視する。理性のような知性を徳の至高のものと考え、節制などいくつもの道徳的な徳について議論している》と。
2017年6月11日日曜日
内面の道徳・社会的倫理?
金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読む。
《最近の脳科学や進化心理学の研究によれば、モラルは、人類が進化的に獲得したものであり、むしろ生得的な認知能力に由来するという。脳自身が望ましいと思う社会は何かを明らかにした》
とキャッチコピーは説いている。モラルは生まれたのちに教育を受けて身につけるものではなく、生まれ落ちたときに(身に備わっている)認知能力によって(たぶんある程度)規定されているというのであろう。
20年前だと、何だか胡散臭そうな臭いをかんじたものだが、脳のスキャン技術が格段に高度化し、感情や知的作用が脳部位の何処でどう働いているかを知ることができるようになった。人の振る舞いや情動と脳地図の関係も綿密になってきた。いわばその最高点を解説しているとみてよさそうだ。モラル(道徳やはては倫理)のベースとなる感情・感覚を脳や遺伝子という生物学的な観点から見直したと言えるのかな。
2017年6月10日土曜日
神と語り合うウィトゲンシュタイン
ご近所にある図書館が6月1日から来年の3月末まで閉館になっている。何でも耐震工事をするからとのこと。そのため、図書の返還や予約図書の受け取りを別のところへ移さねばならなくなった。次に近いところといえば、浦和駅そばの中央図書館。そういうわけで、このところ二日に一回くらい、浦和駅まで足を運んでいる
2017年6月8日木曜日
ひと仕事終えて
「モンゴルの旅」をやっと終わりにした。6日に終わったのではなかったか? とお思いでしょうが、じつは、旅を一緒にしたグループの申し合わせで、私が「旅行記」を取りまとめることに決まっていました。私は「私的感懐」しか書けません。公式の旅の記録にはなりませんよと断っておりましたから、だらだらと行程順を追い、ときどきに思い浮かんだことごとを、書き留めてきました。
2017年6月6日火曜日
忘却の彼方へ溶けだす――モンゴル鳥観の旅(7)
昨日、チョイバルサン空港の待ち時間に「鳥合わせ」をする段になって、私は「チェックリスト」を宿に置き忘れてきていることがわかった。「夢まぼろしの至福のとき」に酔って、身の始末がどうでもよくなっているのかもしれない。あぶないあぶない。
★ 第7日目(5/30)
朝の探鳥を皆さんは6時からとしたが、skmさんとわが師匠は5時半からにしようと打ち合わせている。むろん門前の小僧は付き従う。シウリザクラの花が散りはじめて、少しみすぼらしい。ヤツガシラの鳴き声は相変わらず。姿を見ても、ムクドリほども注目しない。川に沿って南へ広がる林地の端の方まで行ってみる。昇る朝日に木々の陰が長く伸び、木の葉の緑を明るく照らして、夜明けの美しいコントラストを演出している。何種かのカラスが飛び交う。カササギが草地に降りては木へと舞い上がる。アジサシが川の流れに沿って行き来する。ルリガラをみる。私には尾の短いエナガのように見える。
夢まぼろしの勘違い――モンゴル鳥観の旅(6)
nkhさんは1300mm望遠のデジスコと400mm望遠を装着した一眼レフカメラをぶら下げて探鳥に足を運ぶ。これは傍目にも七つ道具をもった弁慶が歩いているような印象を受ける。鳥を観ると言っても、スコープや双眼鏡で鳥を観るのと、カメラで写真を撮るのとはまったく動き方が違ってくる。公園などで鳥の撮影をしているひとたちは、同じところに腰を据えると動かない。鳥が来てくれるのを待っていることが多い。ところが今回のモンゴルの旅は探鳥が主、したがってnkhさんはしんどいのではないかと思っていた。しかし実に彼は、行動的であった。彼自身最初の挨拶したときに、「どちらかというと皆さんと違った動きをすることになる。変わった人とみえるかもしれないが、そういうのがいてもいいのではないかと思っている」と話して、おや、面白い人だと思ったのだ。チョイバルサンに行って、同じランドクルーザーに乗って4日を過ごした。一眼レフを首から下げ、デジスコをもって車高の高いあの車から乗り降りするのは、たいへんな体力を必要とする。まして、鳥を観るために園地を歩き回ったり池に近づいたりする皆さんの動きに合わせるのは、並大抵のことではない。かれはその撮影を「記録」だという。写真にとって、後にそれを同定する。鳥の名前は知らないが、カメラに収め、SDカードに姿を収めておくことに主眼を置く、と。なにしろ今回の撮影枚数も4000枚を越えているのではなかったろうか。連写しているからとは言うが、あとでどのように整理するのか、教えてもらいたいものだ。風の強かった日、デジスコの対象画像は風でぶれる。400mm望遠をつけた一眼レフでさえ、ピントを合わせることが難しい。だが、彼撮ったカラフトワシは見事に翼を広げ、先端が反り返って、今まさに羽ばたいて浮揚しようとする瞬間をとどめていた。芸術写真だと私は思う。朝探はいつのまにか誰よりも早く動き始める。探鳥地でも、先頭の現地ガイドとngsさんに遅れることなく付き添う。さすが、新しい世界に開眼したような取り組み方だと舌を巻く。かたわらにいるだけで、いろいろ学ぶところがあった。旅の幸運というのは、こういう出逢いにもあるのだと、思った。
2017年6月5日月曜日
まるで夢まぼろしの至福のとき――モンゴル鳥観の旅(5)
夜中の、鬱屈を吐き出すような叫び声を耳にした後、ガイドのマヤラさんから驚くような話を聞いた。「近頃、住まう家のない貧しい人が出るようになった」と低声で話しだし、こう続けた。「その人たちは寒い冬、マンホールの中にはいるの。そこに発電所の排水が流されるから、中は温かいんですね。それがときどき大量に熱くて、やけどをして死ぬ人も出ているんです」。モンゴルがソビエトの軛を解かれて「解放」されてからほぼ平成と同じほどの年数が経つ。それでも国土はいまだすべて国有、一人700平米の土地を保有することが認められている。にもかかわらず、自由主義的市場経済が流れ込み、ウランバートルの街並みが瀟洒になり、旅人の私たちが快適なホテルとおいしい料理に舌鼓を打っている半面で、マンホールに住まなければならないような人たちが増えているという。そこに私たちの始原の暮らしをみるような思いがして、帰ってきた今も、消えようとしない。
2017年6月4日日曜日
四方に地平線が見える――モンゴル鳥観の旅(4)
(昨日のに追記)
3台のランドクルーザーが空港に出迎えてくれた。ドライバーの名前も、事前にngsさんのメールで知らされている。ガイドのマヤラさんの話では、モンゴル人の名前は長いのだそうだ。私の乗る車のドライバーはエンフボルドさん。これは省略形かもしれない。ngsさんは「ボルド」と呼ぼうとメールにあったが、果たしてそれで通じるかどうかは、わからない。3台の車は空港を出てホテルに向かう。舗装された道は傷んでガタガタ。車は右へ左へ凸凹を避けながら走る。対向車がないからいいようなもの、でも私たちは外の水平線の方に目が行って気にならない。煙を吐き出す煙突がある。これがのちに、街のランドマークになった。発電所だ。その建物の横には大きな池であろうか、もうもうと蒸気を噴き上げている。発電の排水だよか。道路の端には直径60センチばかりのステンレス波トタンの金属パイプが剥き出しで通っている。交差点に来るとそれは地下に潜り、また現れる。発電所の使用済みのお湯が各家へ配給されているのかとガイドに訊くと、これは上水道だという。でも、冬の寒さでは凍るのではないか。ガイドは冬は発電所のお湯もあるから凍る心配はないと説明してくれたが、果たしてどのようなメカニズムになっているのか、気になった。
2017年6月3日土曜日
無知だから平気なのか。無知なのに平気なのか――モンゴル鳥観の旅(3)
テレルジのUB2ホテルはTVの電源が入らなかったりして、壊れかけた外見と中身が見合ってはいたが、モンゴル語の番組をみたいわけではないから、困りはしない。バスの湯もほどほどに出る。10時には床に就き、すぐに寝入った。
★ 第三日目(5/26)
朝5時15分から探鳥がはじまる。嬉しかったのはクマゲラが凸凹の谷地坊主の陰にいて、ほんの3メートルほどのところで見かけたこと。私の前を歩いていた現地鳥ガイドのガナーさんが立ち止まり、指さしてくれたのでわかった。黒い顔がまずみえ、すぐに飛び立って20メートルほど先の木にとりついたので、皆さん見ることができた。カップリング中らしいオシドリもたびたび姿を見せる。シロハラゴジュウカラが木の幹に取り付いて上り下りしている。声ばかりを立てていたカッコウが姿を見せる。ムジセッカという小鳥もまったく人を怖がらず、しばらく小枝に姿を見せていた。どの鳥も子育て中なのか同じところに来ては去り、またやってくる。巣穴に出入りしているシロビタイジョウビタキは警戒音をたてて、観ている私たちを牽制する。オジロビタキがニシオジロビタキと違うと説明されても、どこがどう違うか、やはり私にはわからなかった。ngsさんはオジロビタキに、これは(東)だと冠称をつけて区別している。意外にも、ホテルすぐ脇の林の中に、驚くほどたくさんの小鳥が巣をつくり、群れていた。
風とともに生き、天とともにある――モンゴル鳥観の旅(2)
前夜の夕食を済ませ、シャワーを浴びて床に就いたのは11時過ぎになっていた。ふだん9時に床に就く私としては異例の遅さだが、これが旅というものと思っているから、文句はない。しかもすぐに寝付いた。
★ 第二日目(5/25)
朝5時に起きて、5時半からの朝探に出る。ホテルが林の中にある。目を覚ましたのも目覚ましというよりは、ポポポ、ポポポと鳴く鳥の声によった。カーテンを開けるとすでに明るい。日本と同じか。着替えて用意をしているとポポポの声が大きくなる。ふと外を見ると窓際にヤツガシラがいる。すぐに飛び去ったが、もうそれだけで、いざいかんという気持ちになる。
2017年6月2日金曜日
「江戸しぐさ」は現代の都市伝説――なぜ人は物語りを信じるか
モンゴルへの行き来に読んだ本のことに触れる。原田実『江戸しぐさの正体――教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社、2014年)。なんでこんな本をもってきたろうと思いながら、機内で開いた。たぶん、私の関わるSeminarで「江戸・東京」を取り上げたときに、タイトルが気になって図書館に予約したものが、時期を外して届いたからであろう。
2017年6月1日木曜日
わが身の始原と向き合う――モンゴル鳥観の旅(1)
モンゴルの旅から帰ってきた。今度は8日間。昨年の6日間よりも2日多い鳥観の旅。去年は南ゴビへ行ったが、今年はモンゴルの東の端、チョイバルサンに3泊して北の方へも足を延ばした。いずれの地も景観の大きな違いがあって、モンゴルの大地の雄大さに圧倒され、そこに佇む人間の卑小さを感じさせられた。その卑小さが、大自然の中に生きるものとして、他の生き物たちと同じであることを思わせ、ああ、自然と一体になるってこういうことだったのかと、わが身の始原と向き合うような新たな発見を重ねてきた。
2017年5月23日火曜日
クラウドベース資本主義
ケイタイぐらい使わないと困るなあと思い始めたのは、公衆電話が街角から消えはじめたころ。もう15年ほど前になる。それがいつしか、今のうちにスマホにも慣れていないと、これから先何かと不便なことが多くなるよと言われるようになった。そうしてやっとスマホを手に入れ、せいぜいGPSと地図を使って、山歩きの迷子防止に利用している。ところが私がそうしている間にも、世界はもうすっかりスマホ全盛になり、社会的な交換経済の末端が変わりはじめているという。
2017年5月22日月曜日
戦後の後の女一代記(下) お金の呪縛から解放される
さて、Seminarのご報告を二回にわたって記してきました。ちょうど私たちが社会人になって現在に至るまでの、経済社会の中心に焦点を当ててsnmさんの55年ほどをたどったわけです。口を挟む方にも、それぞれの人の持つ、家族や、男や女に対するイメージや、お金に関する観念が混在して、踏み込むとなかなか多岐にわたって、己の戦後過程をたどるように思え、感慨深いものがありました。そのいくつかを拾い出して、書き留めておきましょう。
戦後の後の女一代記(中) お金の使い方
(承前)
病気を克服したsnmさんはすっかり会社から手を引いていました。あるとき、証券会社に勤めていた下の子が親もとに戻ってきていいかと相談があった。もちろん悪くないと思ったのだが、ご亭主に話すと、会社はもうすぐ潰れるぞ、うちの会社で働くことはできないよ、という。
2017年5月21日日曜日
戦後の後の女一代記(上)お金儲けが面白い
5/20、第26回Seminarが開催されました。今回の講師は岡山から駆けつけてくれたsnmさん。お題は「お金の話」。事前に、親しい人から聞いた話をもとにして事務局の方で掲げました。彼女の商才が発揮され、ご亭主の億単位の借金を返済してしまったという武勇譚に刺激を受けたからです。はたしてどんな話になるかと思っておりましたが、意外や意外、戦中生まれ戦後育ちである私たち世代の、「女一代記」のようでした。といってもまだ彼女の人生が終わったわけではありませんから、一代記というよりも半生記というのが妥当かもしれませんが、「一代記」と呼んでもいいような一区切りのついたインパクトを持っています。
2017年5月20日土曜日
民意と民度と代議員
共謀罪の法案が衆院を通過した。「採決強行」と新聞の見出しだが、与党の方は「粛々と審議を終え採決した」と何食わぬ顔をしている。それほど注目してメディアの報ずる審議過程をみていたわけではないが、トピック的に報じられる法務大臣の応答ををみていると、ひどいなあと思わざるを得ない。それを「粛々と審議をして……」というのは、要するに国会審議で何時間費やしたかだけが目安で、その中身などはどうでもいいと(言わないだけで)思っているからにほかならない。
2017年5月19日金曜日
法曹世界はいずれAIに預けて
きのうの「ささらほうさら」の勉強会は、「争族にならぬための一考察のその後」。講師はnkmさん。昨年9月に遺産相続をめぐる家庭裁判所の「調停」を素材にして、話しをしてくれた。今回は、その後の「始末記」。これを聞いて、昨年のレポートがよく分かった。
あらましを振り返っておこう。亡くなったのは高齢の女性Aさん。幼稚園を経営し歌手もしていたという闊達な方。入院して癌治療を受けていた。そのときに「自筆の遺書」を作成し、実家の弁護士に預けていた。家庭裁判所で「検認」を受け開封したら、夫のBさんへの遺贈分がなく、幼稚園への寄付とAさんの兄弟姉妹への遺贈だけ。それを知ったBさんは、遺産相続の訴えを起こすと同時に、「遺書」の無効を訴える裁判も起こすことになった。「争族」の誕生である。
2017年5月18日木曜日
自然観―世界観―人間観
(承前……「何が悪者か?」2017/5/17)
フレッド・ピアス『外来種は本当に悪者か?――新しい野生The new wild』を読んだ感懐をつづける。ピアスは動植物のことを問題にしている。それを私は、わが身に引き付けて、人と世界の論題として読み取ってきた。いわゆる「専門家の研究」に疑問を持ったというのは、ひとつは研究活動がものすごい速度で進んでいて、数年前の「定説」が覆される事象が次々と発見されていることによる。もうひとつは、その「発見」のベースに、決定的な「自然観・世界観」の転換があると、ピアスの論述を読んで思った。それは「人間観」の転換すら必要としていると読める。
2017年5月17日水曜日
何が悪者か?
フレッド・ピアス『外来種は本当に悪者か?――新しい野生The new wild』(草思社、2016年)は、ほんとうに面白い。いうまでもなく、動植物の外来種が生態系にどのように影響し、在来種を滅ぼし、自然を変えてしまっているかに視線を据えているのだが、これが、従来の外来種撲滅の自然保護とまったくセンスが違うのだ。目から鱗というが、これほど「専門家の研究」を疑いの目をもって見ることになるとは、思いもしなかった。
2017年5月15日月曜日
バカプリンタ――時代と社会に組み込まれて協賛する私
このブログ(5/1)の「デジタルのあしらい方」でTVの画面が突然黒くなり音だけ出るというのに驚いたことを書いた。そのとき電源を切り、しばらくたったら修復したので、
「あははは、あのバカプリンタと同じだ」と私が言ったら、
「聞こえるわよ、そんな大きな声だと」とカミサン。
とも記した。どうもその声がプリンタに聞こえたらしい。連休明けに行く山の地図をプリントした翌日、電源を入れると「修理に出してください」と表示が出る。おや、またかよと、「デジタルのあしらい方」に書いたように、コンセントを抜き一日たって電源を入れる。しかしまた 「修理に出してください」と表示が出て、一向に動かない。これを三度、三日間かけて繰り返した。だが今度は、頑として修復しない。「あしらい方」などと無礼なことを言いやがって、もう許さないとむきになっているのかもしれない。だがこちらの都合がある。今週の木曜日には印刷物を出さなければならない。動かないプリンタをもって家電量販店に行った。
2017年5月14日日曜日
かりそめの自由
5/12の朝日新聞「折々のことば」にちょっと引っかかった。何にひっかるのかよくわからない。考えるともなく心裡に預けている。
《わたしを区切らないで/・(コンマ)や・(ピリオド)いくつかの段落/そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには 新川和江》
を引用した後で鷲田清一は次のようにコメントを加えている。
《川のように果てしなく流れゆく私に「こまめにけりをつけないで」と詩人は言う。さらに、白い葱のように「わたしを束ねないで」、標本箱の昆虫のように「わたしを止めないで」、ぬるい酒のように「わたしを注がないで」、娘、妻、母などと「わたしを名付けないで」と。存在の固定を拒む〈自由〉への希(ねが)い。詩「わたしを束ねないで」から。》
人は多面的である。人は変わる。「わたし」とか「じぶん」を意識しはじめたとき、すでに、その実体がないことに気づかされる。言葉も、感じ方も、立ち居振る舞いも、あれもこれも、ことごとくが見よう見まねでいつ知らず身につけてきたもの。つまり、「わたし」は混沌の中に生まれつつある(のかもしれない)、というのが最初の「じぶん」との出会いだ。だから、「わたし」とは世界から切り離された「じぶん」、それは「じぶん」から分け離された「せかい」でもある。影と形、陰と陽、絵と地、表と裏のように、どこからどちらを指してみているかによって、表現は違うけれども、じつは同じことを言い当てようとしている。そう、若いころの自分を振り返る。
2017年5月13日土曜日
あからさま
昨日(5/11)のBSフジTVを観たら、「発射されたミサイルやその基地を攻撃するより、平壌を攻撃する方がいいんじゃないですか」と司会が問い、出演者がやりとりしている。えっ、と思ってしばらく、見とれたね。画面には、北朝鮮から飛んでくるミサイルの絵と、それを迎え撃つ地対地ミサイルや艦対地ミサイル、偵察衛星、戦闘機の絵が描かれている。まるですぐにでも戦闘状態に入るような雰囲気の言葉。タイトルは「敵基地反撃」とあり、その脇に、申し訳程度に「研究」と記している。
2017年5月11日木曜日
結構なアカヤシオの前日光三山
朝3時ころ、自転車置き場の屋根を叩く雨音に目が覚めた。まいったなあ今日に限って……。6時前、傘をさして家を出た。東武日光駅に着くころ、雨はほぼ止んでいた。予定の全員がrent-a-carに乗車して細尾峠を目指す。細尾峠は、奥日光と前日光の山並みを結ぶ稜線を越える峠。旧日光市と旧足尾町を結ぶ街道の峠にある。いまは、日足トンネルが峠道の下を抜けているから、旧道にはほとんど人が入っていないようだ。落石が転がり、パンクしないかとはらはらしながらの運転。「いつになく慎重ですね」とmrさんがからかう。
2017年5月9日火曜日
チベットはすでに郷愁の里か
チベット人監督・ソン・タルジャの『草原の河』(2015年)を観た。中国製のチベット映画である。なぜこんなややこしい言い回しをするか。映画の最後に表記される制作者、出演者、協賛企業などのいわゆるクレジットタイトルが、まずチベット文字で、次いで中国語で、さらに英語で付け加えられている。登場人物は、ほとんどがチベット人。だから、チベット語がとり交わされる。広い草原、雪をかぶった山並み、凍りつく河、積もる雪、羊の群れ、狼の登場、いずれもチベットの大地固有の景観を醸す。しかも物語は、老いた父親と息子の確執、若い夫婦の齟齬、生まれてくるまだ見ぬ弟妹と幼い娘との心理的葛藤、父、母と幼い娘の交歓を拾って、そうだよなあ、こうやって私たちはおとなになって来たんだよなと、時と処と時代こそ違え、心底からの共感を呼び起こす。だが、違和感が消えない。それが、ややこしい言い方になる。
2017年5月8日月曜日
破獄できるか
録画しておいたテレビ東京開局50周年記念ドラマ「破獄」を観る。同じ吉村昭の作品を原作とした緒方拳主演の映画は逃げる男に焦点を当てていた(と思う)が、このTVドラマは逃げられる刑務官と逃げる男の関係を描きとる。逃げ出した先に、太平洋戦争を戦っている国家という檻があると、両者のやりとりのセリフが交わされる。はたしてそれからお前さんは「破獄」できるかと問うているようであった。北野武の演技がうまくなった。これまでの出演作品にはどことなくわざとらしい、ぎくしゃくとした振る舞いが持ち味のように加えられていて、それが私には「うまへた」を狙っているように思えていた。だが今回は、違う。ドラマ台本の設定した刑務官の仕事の背景に設定されている物語りが、ドラマの進行に伴って緩やかに浮かび上がるように、抑制された北野武の演技にほんのりと現れる。観終わって後に、戦後72年になる今日、私たちの閉じ込められている檻はみえているか、と問うているように、心裡の問いが変わってきているのに、気づく。終盤に登場する占領軍との確執にみえた日米関係が、今や日常から隠されて、わが日本の自らの選択として(政府ばかりかメディアでも)表現されてしまっていることに、囚われ人である私は、どう「破獄」できるだろうか。
2017年5月6日土曜日
公共施設の中規模修繕
昨日予約図書が届いているというので、図書館へ足を運んだ。借り出すときに係りの方が、背中の壁に掲示してある「臨時休館のお知らせ」を指さす。「6月1日~」というのが目にとまる。月末の図書整理はときどきだったが、月初めは珍しいなと思った。が、仔細をみてみると、なんと「3月31日まで」とある。なんと10か月もの休館だ。「何か模様替えでもするのか」と尋ねると「耐震工事が入ります」という。たぶん、やっと予算がついたので施工することになったのであろう。でもなあ、工事休館はずいぶん前にわかっていただろうに、なんで一月前になって知らせるんだと、「突然」の予告に驚く。
2017年5月5日金曜日
「歴史の水脈」(4)みずからを対象化して自己の輪郭を描き出す
4/28の「歴史の水脈」(3)につづけます。相馬という土地のもつ気風に育まれ、平田良衛の薫陶を受けて、いつしか日本共産党のシンパか党員かという立ち位置をもって大学生になったosmさんが、その後どのようにみずからの思想的遍歴をたどったのか。そこがじつは、先月の「ささらほうさら」のテーマだったのではないかと思うのだが、そこに入る前に時間が来てしまった。
何故それがテーマだったと思うのか。osmさんの用意したプリントの末尾の欄外に、磯田光一の『左翼がサヨクになるとき』の文章が2節、何の注釈もなく引用されて置かれていたからである。それをまず、転載する(番号は私が振った)。
2017年5月4日木曜日
医師と教師の地位が逆転する? AI的にしか医療や教育を見ていない
近い将来「医師と教師の地位が逆転する」とダイヤモンド・オンライン(5/2)が報じている。AIの開発が進化すると、ルーティン・ワークはその多くが機械に任されるようになる。ところが教育というのは人の興味関心を引き出し、自ら学ぶ意欲を開発することであるから、ルーティン・ワークとは異なる。医療現場と教育現場とのルーティン・ワークの占める割合を考えてみると、医療は圧倒的にルーティン・ワークでしめられている。いやむしろ、ルーティン・ワークでない医療はリスクが多いとして採用されていない。そういう意味では、医師の仕事はいずれAIにとってかわられるという。この記事は、したがって将来、教育に有能な人材を配置するためには教師の待遇を大幅に上げて、有能な人材を集める政策を採用すべきだと提言している。
にぎわう山
連休の真ん中三日間、列島は高気圧に覆われて天気が良い。足ならしに山へ出かけた。バスで奥多摩湖から御前山に登り鋸山を経て大岳山をめぐって鳩ノ巣駅へ下るルートを考えていた。コースタイムは8時間ほど。ちょっとしんどいかな。それなら御前山を省略して、奥多摩駅から鋸山、大岳山と歩くと、7時間程度。
2017年5月2日火曜日
見事な死に方
法隆寺長老の死亡記事が4/30の新聞に載った。76歳。見事だと思ったのは、「老衰で死去」とあったことだ。私はこの方のことは、まったく知らない。どういう生き方をしたか、どういうふうに亡くなったか知らないにもかかわらず、見事と言うのは、「老衰」にある。「栄養が足りなかったんじゃない?」とカミサンは一言したが、いまのご時世、いくら精進料理のお寺さんだと言っても、その補い方はあったろうし、栄養が足りないという診断も差し込まれる余地は、いくらでもあったろうと推察できる。つまり「老衰」は、この老師の意思を感じさせる。
2017年5月1日月曜日
デジタルのあしらい方
昨日の夕方のこと、TVのスイッチを入れたら音は出るが、画面が暗いまんまで、しばらく経っても映像が出てこない。どこか間違ったボタンを押したろうかとチャンネルを変えたり、「画像」とか「画面」と書いてあるリモコンのボタンを押すが、一向に変わらない。台所にいたカミサンがやってきてビデオのリモコンをいじってみるが、それでも変化がない。
2017年4月30日日曜日
アマテラスがヤマトの神になったわけ――天皇制と私(7)
(承前)
新谷の著書が面白かったもう一つの理由は、天照大神がなぜ祀られることになったのか、という疑問を解くヒントが行間に見え隠れしていたことである。4/16のこの欄で林順治『アマテラスの正体』が「アマテル → 辛亥のクーデタ → 乙巳のクーデタ → アマテラス」と変遷をたどったと解説していることを紹介した。加羅系渡来集団の神(タカミムスヒ)であったアマテルが、それを乗っ取って支配することになった百済系の渡来集団の神として姿を変え、アマテラスになったという説である。しかしこれは、渡来系の天皇部族には説得性があるかもしれないが、先住系の集団や天皇部族に関係しない人々には、単なる「お話し」にしか過ぎないだろう。
「記紀神話」の成立と「日本」――天皇制と私(6)
「記紀神話」の成立を考えていて、王権神授的な物語りが「正統性」をもつところに呪術的な飛躍があるように思えて、どうにもわからなかった。その疑問を解いたのが、新谷尚紀である。彼の著書『伊勢神宮と出雲大社』(講談社選書メチエ、2009年)は、古事記、日本書紀と中国史書とを丹念に照合して、「記紀神話」の成立に迫っている。
2017年4月29日土曜日
「歴史の水脈」(3)列島の落差と地方の独立不羈
島尾敏雄と吉田満の対談でちょっとした「発見」がありました。
「島尾さんは出身が福島ですよね。」と吉田が言い、
「ぼくは福島県の相馬です。」と島尾が応えている。
4月の「ささらほうさら」でosmさんが引用した資料では「島尾は横浜の生まれであるが、両親の出身地である小高に夏休みを利用しては頻繁の訪れ「いなか」と呼んで親しんでいました」とあったから、いわば「こころのふるさと」かと思っていましたが、彼自身は福島県の相馬を「出身地」として意識していることがわかりました。単なる「夏休みのふるさと」ではなかったと思われます。
2017年4月27日木曜日
たいへんな大山詣でを実感した
10日前には「午後雨、降水確率80%」で心配されていた「丹沢大山登山」。一週間前には「曇りのち午後3時小雨、降水確率40%」となり、三日前には「曇り、降水確率10%、降水量0mm」となって、当然、行くことにした。山の会の月例登山。江戸のころから「大山詣で」と講までつくって行われていた。いまは日帰り登山ができる。秦野から登山口の蓑毛へバスで行き、浅間山を経て阿夫利神社下社からの表参道を通って大山に登る。下山路は日向薬師を目指すルート。
浅い浅い、表層をなぞるだけ
「東北でよかった」と発言した復興大臣が更迭された。それに対して「政治家が何か話したら、マスコミが一行悪いところがあったらすぐ『首をとれ』という、なんちゅうことか。」と「恨み節までぶつけた」と報道している。私の思ったこと。
2017年4月26日水曜日
伊勢神宮と天皇制と戦争責任――天皇制と私(5)
伊勢神宮の湛える「holy place」が、人類史的文化の始原を感じさせるからといって、それを直ちに「じぶん」に重ね合わせてしまっては、いけないと思っている。なぜか。伊勢神宮は天照大神を祀る「記紀神話」によってつくられた物語りである。神道学者の三橋健が指摘する通り、「いうまでもなく、これまで述べてきた神話は、いずれも歴史的事実ではない」。「しかしながら、伊勢神宮で最も重要な神嘗祭には、神話と歴史が一つとなって息づいている」と、ポンと飛躍しているのが神道学者の限界なのかもしれない。いやいや、ふたたび話しを元に戻そう。
2017年4月25日火曜日
自然と向き合う(己の)裸の存在――天皇制と私(4)
伊勢神宮を参拝したアーノルド・トインビーが、「Here, in this holy place, I feel the underlying unify of all religions. 」(この聖なる地で、私は、あらゆる宗教の基底をなしている統一なるものを感じる)と墨書したそうです(三橋健『伊勢神宮』)。西行も「なにごとのおはしますをばしらねども かたじけなさに涙こぼるる」と謳ったというのは、有名な話です。私は、「場」に深い感懐を刻むのは日本人のエートス(気風)かと思っていますが、トインビーの「墨書」などを知ると、なるほど論理的と感心してしまいます。「あらゆる宗教の基底をなしている統一」というのは、始原のことでしょう。つまり、伊勢神宮に身を置いて、自然と向き合う(己の)裸の存在を感じているのでしょうね。それを西行は「かたじけなさ」と表現した、と。
2017年4月24日月曜日
大山詣で
長袖のアンダーウェアに半袖のポロシャツを重ねただけで快適に家を出る。晴天。先週早朝に、山へ行こうとしていたのに寝床でこむら返りが起きて、行く気が失せてしまっていた。今週水曜日に案内する予定の丹沢大山を歩いてこよう。本当に久々の、日曜日の登山。7時5分、小田急線の秦野駅に降り立つ。驚いたことに、ヤビツ峠や蓑毛行のバス停には何十人という人が列を作っている。若い人が多い。バスはすでに出発態勢にある。尋ねるとすぐに出るというのに、列を作る人たちは乗ろうとしていない。次の臨時便を待って座ろうというようだ。構わず私は、バスに乗り込む。20分足らずで蓑毛で降りたのは、私一人。他の方々はヤビツ峠から大山か丹沢の方へ向かうのであろう。
2017年4月23日日曜日
「歴史の水脈」(2)地下水脈があらわれるとき
この小作争議にかかわった平田良衛はosmさんに大きな刺激を与えている。福島県教育庁のweb「うつくしま電子辞典」では「金房村……で出生。金房小学校、相馬中学校、第二高校を経て、東京大学卒業。プロレタリア科学農業問題研究会ドイツ語教師、「日本資本主義発達史講座」の企画・編集を担当。1945年小高に戻り、金房村の荒れていた土地を開拓した人物。高村光太郎の詩「開拓十周年」を日にして金房村開拓組合入植十周年の記念に建立した人物でもある。日本共産党福島県地方委員会責任者(書記長)もつとめた」と紹介している。福島県の名士なのである。この平田を通じて全農の弁護士が井田川浦の小作たちの弁論に立った。
2017年4月22日土曜日
「歴史の水脈」(1)故郷は遠くにありて思うもの
「ささらほうさら」の月例会。講師は60歳代後半にさしかかったosmさん。いまはある大学院大学で教えている。その彼が、小作争議を手掛かりに故郷・南相馬の土地の気風に思いを致す、面白い話であった。
「福島県相馬郡井田川浦干拓小作争議の分析――昭和農業恐慌期を中心として――」と題されたテーマの研究は、じつはosmさんの卒業論文であったという。70年代の前半であろう。1929年に生起した小作争議から40年ほどが経つ。それを識る人も少なくなっていたときに、史料を集め町史を読みこみ、知る人から聞き書きをした。それら史料やメモなどは、2011年の3・11の津波によってそっくり持っていかれてしまった。彼の手元に残っていた「昭和49年度岩手史学会における発表要旨」が史学雑誌に掲載されていたために、「報告」が可能になったという。東日本大震災と福島原発の事故が奪ったものは、土地と人とそこに刻まれていた「気風や人的水脈という形跡」まで含んでいたことを、ついつい私たちは忘れがちである。
2017年4月21日金曜日
第26回 36会 aAg Seminar ご案内
36会の皆々さま
暑い日々が続いています。まるで夏のようですね。元気でお過ごしのことと拝察します。またSeminarが近づいてまいりました。
さて、5月の「第26回 36会 aAg Seminar」の講師・S.ヤチヨさんが「いま入院している。検査中」と電話をくださったのが3月中旬、そのときは、「5月Seminarの講師が務められるかどうか、わからんのよ」と心細げでした。「Seminarのことは気にしないで、十分療養してください」と返答はしながらも「鬼の霍乱じゃな」というH.マモルくんの感想に、まったくの同感でした。しかし、むかしから親しくしているキミコさんは「娘さんが一時帰ってきとってな、その世話でくたびれたんじゃろ。あん人、よう気をつかうからなあ」とさらりと受け止め、「どっこも悪いとこなんか、ありゃせんが」と万事承知の様子。キミコさんの受け止めたとおり、後に「疲れが出た」という程度で退院し「5月Seminarの講師は予定通り引き受けます」と元気な声が戻ってきました。いや、よかった。
さて、「お題」は「お金の話」。角南さんには2013年の玉野での同窓会でお世話になりました。Hご夫妻から聞いた話しばかりですが、たいへん意欲的な事業家、商売が上手。それでいて社会活動も活発にしていて、本当によく人の世話をする。「いまの仕事をリタイヤしたら、玉野に帰って弥千代さんに面倒見てもらいたいとおもうとるんよ」とご夫婦ともに口をそろえています。そのS.ヤチヨさん、ご亭主のつくった(億単位の)「借金」をご自分の事業で全額返済してしまったと、これもH夫妻の話。ぜひともそこを切り口にして、高校卒業後に彼女の送ってきた55年ほどをお話しいただこうと考えました。
「お金の話」は、しかし、誰もが何がしかのかかわりをもって過ごしてきました。私などは大学で「経済学」を勉強しましたが、「価値論」や「貨幣論」はやっても「お金儲け」には縁がなかった人生です。でも「無くては暮らしていけない」もの。そういう意味では、だれもが口を挟むことのできる「お題」です。どこへどう着地するかわかりませんが、それこそseminarの神髄。愉しみにしてお集まりください。
◇ 2017年5月20日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
◇ 講師:S.ヤチヨさん…………お題:「お金の話」
※ なお、Seminar終了後に会食を予定しています。予約の関係もあり、Seminar・会食の参加のご連絡を下記事務局にくださるようお願いします。
*************** 予告 ***************
☆ 2017年7月22日(土)第27回Seminar、講師:S.カズエさん、お題:「健康と香り」
★ 2017年9月30日(土)第28回Seminar、講師:T.フジタくん、お題:「未定」
★ 2017年11月26日(日)~27日(月)第29回Seminar、講師:Y.オオガくん、
お題:「お伊勢参り」
36会 aAg Seminar 事務局:kフジタ、e-mail mukan@opal.plala.or.jp
2017年4月20日木曜日
天皇制と私(3)私たちの自然感覚の根源の米作
卑弥呼らの「くに」を現住系と呼ぶわけにはいかないが、渡来集団からみると先住民の国であったことは間違いない。渡来集団が先住集団を平定したからといって、どうしてそれを隠さねばならないのか。あるいは、渡来集団である加羅系集団に婿入りした百済系集団が乗っ取ったからといって、どうしてそれが正統性を欠くとみなされるのであろうか。あるいはまた、辛亥のクーデタや乙巳のクーデタで政権を掌握したことを、なぜ別の物語をつくって隠さねばならなかったのか。誰がいつ誰に対して何故と、疑問は湧き起る。その疑問を林順治は、フロイトの「心的外傷の二重性理論」を媒介にすることによってクリアしたのであろう。
伊勢神宮が造営されたのは天武・持統朝と、新谷尚紀の『伊勢神宮と出雲大社――「日本」と「天皇」の誕生』(講談社選書メチエ、2009年)は記している。「記紀神話」と謂われる『古事記』『日本書紀』が編纂されたのは、そのほんのちょっとあとである。林順治が編集者であったのに似て、新谷尚紀もまた歴史学者ではなく、柳田國男や折口信夫の民俗学からのアプローチをしている、いわば(ちょっと)岡目八目の研究者である。私がそういうちょっとステップアウトした(在野の)研究者に魅かれるのか、そういう立場の人の「解説」が私のような門外漢に「わかりやすい」のかわからないが、「得心が行く」とか「腑に落ちる」ということには、何か(文脈や論調に)底流している作風と、それを読み取る私の身体に刻まれた「自然性」が関係しているように思えてならない。しかし、私たちが今「読み取っていること」には、現在の価値観や視点が(無意識のうちに)入り込んでいる。その当時の人たちの「支配の正統性」がなんであったか(それ自体を)を探ることは、ほぼ不可能だと思う。そう思いながら何冊かの「記紀」にまつわる本を繙いていて気づいたのは、まず、「記紀神話」の裡側からどうみているかを読み取ることではないか。内側というのは、神道に対して共感性をもって「記紀」を読み取る人たちが、どのような「自然観」をもっているかである。
三橋健『伊勢神宮』(朝日新書、2013年)の著者は1939年生まれ、神道学者。神道学博士の称号を持つ国学院大の教授である。この方を内側からの視線と見立て、この本を通じて、古事記、日本書紀の物語りの構造を読み取ってみた。すると、記紀神話においてオオクニヌシが不可欠の部分を占めている。高天原の神の国から葦原中国(あしはらのなかつくに)に天孫降臨するより以前に、「大国主神(おおくにぬしのかみ)によって国造りが行われていた」。また、「そのことは大国主、すなわち、「偉大なる大地の主」との神名にも現れている」と三橋は記す。これは先住民がいたところへ「渡来集団による統治」が行われのが「天孫降臨」であると意味している。つまり、高天原という神の国とは、加羅系や百済系の渡来集団の故地を指しており、故地におけるスサノオの暴虐(朝鮮半島における争い)を厭うてアマテラスが天岩戸に身を隠したとは陽の当たる新天地を探る過程を意味し、渡来することによって葦原中国を見出し、そこを治めよと「天孫降臨」したとする物語がかたちづくられる。故地を神の国とすることによって出自が権威をもち、新しく切り拓かれる葦原中国を治める正統性が神によって授けられたと、つまり王権神授説を採っていると読むと、いずこの国にも見ることのできる、「物語り」になる。もちろんこのさらに裏に、模倣や暴力への「世の初めから隠されたこと」が底流していることも、いうまでもない。
天照大神の命を受けた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)につきしたがった建御雷神(たけみかずちのかみ)が大国主に「国譲りを迫る」が応えない。大国主の息子・建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神が「力競べ」をして勝ち、「(大国主が)引退するための住居を天照大神の御子の宮殿と同じように造る」ことをして、「国譲りを受諾する」運びになった、という。「力競べ」はしたが「譲り受けた」。しかも、大国主を祀る出雲大社を造る。あくまでも葦原中国という大地の神の助力を得て「瑞穂の国」という新天地を築こうとする物語りに仕上がっている。フロイトの「心的外傷の二重性理論」がどう作用しているかにここでは触れない。ひょっとするとそれは、これ以降の、加羅系と百済系という渡来集団の権力争いに適用される「物語り」かもしれないという気はする。
こうも言えようか。大国主との物語りは、渡来し統治したことを「隠す」というよりも、神の意思(神勅)をもって恩恵を施しにきたと(先住民や渡来系の同行庶民に)伝え遺す物語りが、なによりも統治する人々にとって(支配の精神的支柱として)必要だったとみることができる。その上で、さらに後に渡来系同士の間の血で血を洗うような凄惨な権力闘争が生み出すトラウマを昇華させる物語りを組み込んだ、と。
三橋の記していることで目を惹いたことがある。天照大神が瓊瓊杵尊に授けた「三つの願い」があったという。「宝鏡奉斎の神勅」「天壌無窮の神勅」「斎庭(ゆにわ)の瑞穂の神勅」が三大神勅として日本書紀に記されている、そうだ。「宝鏡奉斎」は、「この鏡(謂わゆる八咫鏡か)と床を同じくし、また御殿を共にして」わが魂と共に居よと謂う意味らしい。また、「天壌無窮」とは天皇の皇統が永遠に続くという祈り。最後の「斎庭の瑞穂」というのが、いつまでも瑞穂の国であるようにという願いを意味していようが、(歴史的事実として)すでに米づくりをすすめていた大国主の治める大地に(ひょっとしたら)さらなる米作技術を携えて渡来集団がやってきて、統治するようになったと解することができる。
つまり「天照大神の願い」の「斎庭の瑞穂」は、渡来系であろうと先住系であろうと、この地に米作に拠って暮らす人々にとって「得心の行く」願いである。もちろん米づくりに入る前の縄文の人たちは熊襲や蝦夷として蹴散らされて思慮の外であったと思われる。三橋は上記のことを記述したのちに次のようにまとめている。
《いうまでもなく、これまで述べてきた神話は、いずれも歴史的事実ではない。しかしながら、伊勢神宮で最も重要な神嘗祭には、神話と歴史が一つとなって息づいている。神話と歴史が時空を超越して今も生きているのである。/このように神代の時間と空間が今も生き生きと脈打っており、すべての根源を包蔵している一大聖地が、他ならぬ伊勢神宮なのである。》
神話と歴史的事実とを切り分けておきながら、「神話と歴史が時空を超越して今も生きている」とはどういうことか。「すべての根源を包蔵している一大聖地」と呼ぶ伊勢神宮に何がどう受け継がれ、今に至っているのか。この(引用した文章の)前段と後段のギャップが、おそらく今の時代と伊勢神宮に受け継がれている「神代」からの物語りとのズレがあり、ズレがあるにもかかわらず(「お伊勢参り」が今の時代に)受け容れられている共感性の「根源」がみてとれるのではないか。そんな予感をもちながら、さらに「共感性の根源」を探っていきたいと思う。
2017年4月19日水曜日
季節よ、も少し緩やかに
今日は夏日のような晴天とあって、山へ行くつもりで早朝に目覚ましをかけた。ところが、目覚ましが鳴る前に悲鳴を上げて目を覚ました。こむら返りが起こったのだ。左足のふくらはぎ、この腱がツ~ンと張って、先へ先へ伸びようとする。身体が硬くて足の親指先をつかめないから、こちらへ引っ張って張りをほぐすことができない。ついには起ちあがって脚を床に就けて、かろうじて引き攣りを直した。時計を見ると、目覚ましが鳴る9分前だ。このまま起きようと歩くと治まった引き攣り部分のじんわりとやわらかい痛みが、腱からふくらはぎ全体へと拡散していくように広がって薄らいでいく。着替えようとしたが、左足の緊迫感は先ほどの印象を残したまんまだ。山歩きの意欲が一気に消し飛んでしまった。
2017年4月18日火曜日
年寄りの夏がきた
ここ何日かのように暑い日がつづくと、体の水分が不足がちになり、それが翌日の便秘気味に表れて、慌てる。朝、家を出るときの外気温は22℃。まさに頃合いやよしなのだが、秋ヶ瀬のさくら草公園を歩くうちに少し汗ばむようになった。
2017年4月16日日曜日
われわれの出自と自然観――天皇制と私(2)
4/11の朝日新聞の「折々のことば」で、《基本的に、自分の器を大きくすることは出来ません。》と、出口治郎の言葉が引用されています。それに鷲田清一は次のようにコメントを加えていて、フロイトが最晩年の著作『モーセと一神教』で明らかにした「心的外傷の二重性理論」へ連想が飛びました。
2017年4月15日土曜日
ロングライフ・ロングツアー
昨日夜、北海道の旅から帰ってきた。6日間だったが、すべてお任せの気ままな旅。13名の鳥見の達人たちと行を共にした。むろん私は、門前の小僧。まだ門内には入っていない。ただ、カミサンの「くっつきのを」として、それなりに「仲間扱い」を受けている。
2017年4月8日土曜日
まさかスランプ?
5日から、このブログに書き込みをしていない。忙しいわけではない。5日にはお花見をした。風もなく、日和もいい。山の会の人たちと浦和田島ヶ原のさくら草公園に集まった。サクラソウはちょうど見ごろ。背を伸ばしかけたノウルシの黄と緑に負けじと、鮮やかな赤紫の花を開いて威勢を放つ。その、サクラソウとノウルシ自生地のずうっと向こうに、桜が満開になって、周囲を取り囲んでいる。さらにその向こうの鉄橋を渡る武蔵野線の電車の音が季節を言祝いでいるように聞こえる。その桜の木の下にブルーシートを布き、それぞれが持ち寄ったおつまみとお弁当とお酒を開いて、3時間余を過ごした。もちろん2016年度の活動報告、会計報告をするという大義名分はあったが、山歩きのエピソードや感想、寄る年波の身体状況を話しているうちに時間が過ぎてしまった。むろん私は、飲み過ぎるほど飲んだのだが、翌朝は気分よく、予約の歯医者に足を運んだ。今日は抜歯と仮歯の装填。消毒と抗生物質を飲むように指示を受けて釈放される。さほど痛みもない。その後の食事にも不都合はないから、身体への負担はほとんどなかったといってよいであろう。
2017年4月4日火曜日
人事の節季と人生の節季
三年前に亡くなった母の納骨を済ませてきた。墓所ではない。浄土真宗の大谷本廟への「分骨」である。墓守りを引き受けてくれた大阪に住む弟夫婦がいろいろと手配をしてくれて、私は兄弟として顔を出すだけであったから、何かお勤めがあったわけでもなく、気軽な2日間であった。前日の夕方に大阪に入り、岡山からやって来た兄夫婦、大阪の弟夫婦と宿やレストランの手配をさかさかとしてくれた姪っ子と夕食を共にして、亡き母のこととあわせて31年前にやはり大谷廟に納骨を済ませた父親のことなどを語り合ったが、やはり気持ちがほぐれて近況を交わすことに話しの重心は移っていった。
2017年4月2日日曜日
山の会の一年間の活動
2016年度の山の会のまとめをつくっている。5年目が終わった。そうして、私が計画して皆さんをご案内する「月例山行」に加えて、会員の皆さんが交代でプランニングをし、チーフ・リーダーを務める「日和見山歩」を実施するようになったから、何と月二回になった。実際には泊りの山行もある。合計してみると、「山の会」として一年で28日、山に入ることになった。平均年齢が古希という山の会としては、見事と言わねばらない。
2017年4月1日土曜日
しずかな晩冬の奥日光
那須の雪崩事故で高校生が死傷したことを受けて、栃木県教委は「高校生の冬山登山は禁止」とする方針を出している。だが、そうか。「あやうきに近寄らず」は、たしかに安全確保のひとつではあるが、それでは「山岳部」の技量は上がらない。高校時代から(冬山)訓練する必要はないと考えているとしたら、人の成長と運動技能の向上の関係を見損なっているとしか思えない。つまり今回の栃木県教委の方針は、学校教育の「保身」としか思えない。そんなことを考えながら、昨日は、奥日光の高山を歩いてきた。
2017年3月31日金曜日
「バカ、左を歩け、左を!」
昨日、そういわれた。駅へ向かう道、暖かい陽ざしを受けてのんびりと歩いていたら、向こうから来た男がすれ違いざま、「バカ、左を歩け、左を!」と声をあげた。えっ? と思ったので「人は右、でしょ」と振り向きながら言い返すと、「車と同じだよ、左! バカ」と二度もバカという。この男、私同様に高齢。背は低いががっちりした体格をもち歩き方もしっかりしている。ボケているわけではなさそうであった。へえ、そうなんだ。「人は左(を歩け)」と(他人を罵るほど強く)思い込んでる人もいるんだ、とはじめての「発見」にうれしくなった。
2017年3月30日木曜日
「お伊勢さんの不思議」Seminar報告 (3)天皇制と私
なんだか江藤淳の本のようなタイトルになったが、伊勢神宮が天皇家の祖神の宿る処であることと私が「お伊勢参り」をすることとの「かんけい」を考えておきたいと思う。
2017年3月29日水曜日
美しくも危うい私たちの立ち位置
パキスタン映画『娘よ』(アフィア・ナサニエル監督、2014年)を観た。監督は女性。部族の争いの犠牲に供されて嫁ぐことになった娘を護ろうとする母親の視線が、母親自らの人生をあらためて生き直そうとする女の意思と重ね合わされて描き出される。高い山の中腹を削るように走るカラコルムハイウェイを疾駆する大型のトラック、その危うさが部族の習俗に逆らって逃亡する母子と逃亡を助ける羽目になった男の危うさとダブってみえる。それは、美しくも危うい。
2017年3月28日火曜日
「お伊勢さんの不思議」Seminar報告 (2)「日本人」と「美意識」
さて、講師・Oさんのお話しは神社などに対する「称号」の説明から入りました。そういえば私たちは、神社、大社、神宮、宮、社といろいろな呼称を使っていますが、それのどれがどういう配置にあるかという序列を知りません。序列があるかどうかもわからないのです。Oさんの話しも序列にまでは及びませんでしたが、おおよその輪郭は浮かび上がりました。
2017年3月27日月曜日
第25回 36会 aAg Seminar ご報告(1)われらが身の拠って来る所以に思いをはせる
先日(3/2)、第25回 36会 aAg Seminarが行われた。その「ご案内」は、以下のように呼び掛けている。
2017年3月24日金曜日
あと12年も
去年の8月に、私にほっとしたことが一つあった。8月17日で、親父の没年を越えたことである。親父は73歳10か月と7日を生きた。次は長兄の77歳を超えることと、次兄と話しをしていた。
ところが先日、日本の男性の平均寿命が80歳を超えたと新聞報道があった。(あと6年か)と私は思った。それを見たカミサンが「あなたの兄弟の平均で、元を取らなくちゃいけないんじゃない?」と妙なことを言う。私は男ばかり五人兄弟。そのうち、末弟は64歳、長兄は77歳で、三年前に身罷っている。残る兄弟は、いま、次兄76歳、私74歳、次弟69歳。
その残り三人ですでに亡くなった兄弟の分も生きて、せめて平均寿命を兄弟間で生きるようにしなくちゃ、というのがカミサンの計算のようであった。はははは。笑ってはみたものの、はて、何歳まで生きれば「元が取れるか」。計算してみた。
なんと残り三人が86歳と4ヶ月生きて、やっと平均寿命分生きたことになる。あと12年。あと6年が倍になった。「元を取る」というのは、親世代から受け継ぐ「健康寿命」を、日本全国ではなく、わが家系に限定して推奨しようという「たくらみ」である。それにはぜひとも、五人男兄弟の平均値で全国平均をしのいでおかねばならないというわけだ。
いやはやたいへんな荷物を背負わされてしまった。残る三人の一人でも目標値を超えないと、再び、寿命を延ばさなければならなくなる。これはたいへん。どうか、残る兄弟の皆さん、お元気でお過ごしくださいってわけだ。
2017年3月23日木曜日
さほひめに逢う奥武蔵稜線歩き
《春の初めの歌枕、霞たなびく吉野山、鴬さほひめ翁草、花を見すてて帰る雁》と梁塵秘抄にしるされた「春」をみつけに、奥武蔵の稜線を歩いた。前日は、一日中の雨。それも久々に、道路に水たまりができるほどの降りであったから、晴れ渡る青空はまさに天の恵み。いそいそと小川町駅からバスに乗った。空気は冷えている。
2017年3月21日火曜日
面妖なデジタル
つい先日(3/16)、「馴染めないデジタル社会」と題して、突然動かなくなり「メーカーに修理に出してください」という表示が出たプリンタのことを書いた。「(部品保存期間を過ぎたので)修理受付もできません」とメーカーのつれない返事に、ブラックボックスが多くなった製品(とその時代)には馴染めないと愚痴をこぼしたわけだ。
「権威」のライト・ノベル
なんでこんな本を図書館に予約したのだろう。届いたのでさかさかと読んだ。今野敏『マル暴総監』(実業之日本社、2016年)。遠山金四郎ものというか、暴れん坊将軍ものというか。でも、主役でも舞台回し役でもない。主役は気弱なしがない暴力団担当の警察官。その立ち位置が、読む者の気分を代表し、視線を読者の側に引き寄せる。この作家が得意とする警察のヒエラルヒーも、ほんのお飾り程度。事件の捜査も、警察官同士の情報探査や提供の「貸し/借り」、情報屋や暴力団との駆け引きに姿を変えてポンポンと進展し、ミステリーですらない。ただひとつ、警視総監と平巡査というヒエラルヒーの立ち位置がもたらす「権威への平伏」が滑稽に感じられるのは、人生の終幕に身を置いている私の立ち位置によるのだろうか、それとも、時代が「権威」を笑い飛ばすほどにフラットになってきているせいなのだろうか。そんなことを思った。ライトノベルだ。
2017年3月20日月曜日
知識は何を足場にして存立するのか
今月の「ささらほうさら」の講師は長く理科教師を務めてきたWさん、テーマは《天変地異とホモサピエンス》。A4版9枚のペーパーを用意していた。大きく分けるとテーマは三つ想定されていたと考えられる。
2017年3月19日日曜日
街の何を観ているのか
福島への旅の行き来に、鹿島茂『パリでひとりぼっち』(講談社、2006年)を読む。「骨休めの旅」だったせいもあって、読み終わった。面白かった。じつをいうと、鹿島茂という人が小説を書いているとは思いもしなかった。何年か前に吉本隆明を論じているのを知って、フランスの現代思想に詳しい哲学者かと思っていた。その彼の名を冠した本が図書館の書棚にあり、手に取った。意外にも小説であった。巻末の著者略歴を見て「19世紀のフランス社会生活と文学」を専門としていると知った。ま、肩書はどうでもいい。彼の吉本論が(もうすっかり忘れているが)私の肌になじむ感触だったことを覚えている。そういう傾きがあったから手に取ったわけだが、読み終わって、この方の視線が好きになった。
2017年3月18日土曜日
雪深い温泉で骨休め
福島県の新野地温泉に行ってきた。新幹線で1時間10分、降り立った福島駅の空は曇り、ポツリポツリと雨が落ちる。迎えに来てくれたワゴン車で30分も走ると周りはすっかり雪に囲まれ、トンネルを抜けると路面にも雪が積もって路側は除雪の雪が背の高さよりも高く積まれている。青空がのぞき、風が強い。
2017年3月16日木曜日
馴染めないデジタル社会
つい先ほどのこと。地図をプリントアウトしようとしたら、「プリンタの電源を切り、修理に出してください」と表示が出る。昨日もプリンタをつかい、別に不具合もなくA4版12ページ分をプリントアウトできた。はてこのプリンタはいつから使っていたんだっけ。保証期間はとっくに過ぎているにちがいない。「覚え」を繙いてチェックしてみると、2012年の12月に手に入れている。4年と3ヶ月になるか。そのときも、動かなくなったプリンタの購入店に相談に行ったら、チェックするのに1万円、修理代金はチェック後に見積もりが出ると言われ、「それよりこちらはどうですか」と言われて買ってのが、今のヤツだ。チェック料金よりも安かった。
2017年3月15日水曜日
原初に浸る感覚
ふしぎな感覚で読みすすめた小説だ。川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社、2016年)。じぶんが解体され、原初の混沌の海に戻っていくような感触とでもいおうか。いますでに分節化されたのちに一体感を保っている「じぶん」が、もう一度分節化されて混沌の海へ投げ込まれているような、なつかしい感触なのだ。
2017年3月14日火曜日
2017年3月11日土曜日
災後の「感動」ということ
先月の「ささらほうさら」の集まりで、講師のKtさんが「小説とイデオロギー」をテーマにして加藤典洋にかみついた。そのことは先月の2/18、2/20のこの欄で書き記した。百田尚樹の『永遠の0』の評価を(百田の)イデオロギーで処断するのはおかしいのではないか、というものであった。加藤典洋がそのような物言いをするとは思えなかったので、Ktさんがとりあげた(加藤典洋の)『世界をわからないものに育てること―文学・思想論集』(岩波書店、2016年)を取り寄せて読んだ。Ktさんの読み違いであった。だが、その読み違いには、視点の据え方の大きな違いがある。それを考えてみよう。
2017年3月10日金曜日
ミステリーの面白さとは
マレーシア空港での北朝鮮の後継嫡男殺害事件に関して私の眼を惹いたのは、手早く空港の監視カメラをチェックして、北朝鮮籍の男たちを特定し、彼らの名前や政府機関での所属まで割り出した「情報把握」の素早さであった。むろんマレーシア警察だけがかかわったわけではなかろう。韓国情報部やアメリカの関係機関が情報提供をしたのかもしれない。つまり日常的に、どこに所属するだれがいつどこで何をしているかに目を光らせているシステムの存在に、いまさらながら目を瞠ったというわけである。
2017年3月9日木曜日
顔を合わせることで人類史を感じる
※ 3/7に書いてアップするのを忘れていました。遅ればせながら。
法事を終わらせて返ってきました。祖父の50回忌、「本家」を継いだ叔父の7回忌、その奥さんの13回忌と忌年日が重なっていましたから、「本家」の従弟妹たちやその子、孫も集まり、賑やかな法事になりました。私の父の姉妹である叔母たちと私の兄弟の他は、60代の従弟妹夫婦、その子どもたちは40歳前後、さらにその子どもである孫世代は3歳児から中学生までが頭を並べ、お膳を並べたりお茶を給仕したりと、勤しく動いていました。その身のこなしを見て、その家族の安寧を感じとっていました。
天の恵み、見て見て!
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大月駅で富士急行線に乗り継いだとき、頭上には青空が広がっていた。電車が出発してまもなく車窓の右の方の高川山から覗き込むように富士山が顔を見せた。八合目から上あたりか、雪をかぶって端然、清楚にみえる。電車が都留市に入ってからに「進行方向左側をご覧ください。富士山が姿をみせます」と車内放送がある。乗客は一斉にそちらに目をやる。電線や電柱や住居などの向こうに富士山が三合目辺りから上をみせている。「あっ、あれが三ツ峠よ」という声に振り向くと、車窓の右側に通信の受送信塔を何本も立てた三つ峠山の頂が雪の気配を見せないで佇んでいる。
大月駅で富士急行線に乗り継いだとき、頭上には青空が広がっていた。電車が出発してまもなく車窓の右の方の高川山から覗き込むように富士山が顔を見せた。八合目から上あたりか、雪をかぶって端然、清楚にみえる。電車が都留市に入ってからに「進行方向左側をご覧ください。富士山が姿をみせます」と車内放送がある。乗客は一斉にそちらに目をやる。電線や電柱や住居などの向こうに富士山が三合目辺りから上をみせている。「あっ、あれが三ツ峠よ」という声に振り向くと、車窓の右側に通信の受送信塔を何本も立てた三つ峠山の頂が雪の気配を見せないで佇んでいる。
2017年3月4日土曜日
春、啓蟄の風
昨日は暖かったが、午後に北風が吹いて、夕方には随分と冷えた。今日の午前中は少し強い南の風が吹いて、暖かい。明日は啓蟄。春が間近にやってきている。梅はもう十分すぎるほど咲き誇っている。それより色の濃いカワヅザクラは、花開いてからもう二週間以上になるというのに、まだ花をつけ、公園全体が桜色に染まって、週末の人出がにぎにぎしい。
2017年3月3日金曜日
心の体幹を鍛える
子どものスポーツを世話しているトレーナーが近ごろの選手育成の方法が変わったと話していた。陸上競技でも球技でも格闘技でもいいのだが、子どもの好みや「才能」を優先して選んでも、伸びるかどうかはわからない。だからむしろ、(どの競技種目と決めず)資質の優れた子どもを選んで体幹を鍛え、鍛えている間にどの競技に向いているかを見極め、種目決定をして選手として養成する、と。つまり子どもが出場する「試合」に勝つだけなら、ちょっとした誤魔化し技を取得すれば勝てるから、それで調子づいて取り組んでも、早晩、頭打ちになってしまう。それよりは、体幹という基本をしっかりとつくっているものの方が、伸び始めると飛躍的であるし、「試合/競技」に勝つこと以上に「試合/競技」に取り組むことそのものが(じぶんに対して)意味を持つと「内化」することができて、トレーナーの思惑を超えて力を伸ばすことができるというのだ。
第25回 36会 aAg Seminar ご案内
さあ、いよいよわがSeminarも5年目に入ります。これがSeminar最終年になるかどうかは、皆さんの健康状態に拠ります。ぜひとも元気で、延長戦を迎えたいものと願っております。
5年目、第25回Seminarのトップバッターは、「中部36会」の大賀吉弘さん。「36会」の命名者の一人でもあります。昨年の第18回Seminarで「趣味の香魚の話」と題してアユのお話をたっぷりと聴かせていただきました。その興に乗って、9月には長良川の鵜飼い見学をコーディネイトしていただき、篝火をたいた舟の鵜匠が鵜を操ってアユを獲る幻想的な風景に身を置くことができました。そのときの勢いで、ぜひまた中部36会を催してくれと声が上がり、再び大賀さんに登壇いただくことになったわけです。
お題は「お伊勢さんの神秘入門」。「お伊勢参り」は、江戸のころからの庶民の特権的遊興でありました。いや信心ですよと、貴美子さんあたりから言われそうですが、男も女も、丁稚も女房も、「お伊勢参り」と称するだけでお店も旦那もお休みをくれ、行く先々でもてなされたといいますから、旅行業も観光案内も、もちろん宿泊所もお食事処も万端、整っていたのでしょう。
そう考えてみると、前回Seminarの続きになりますが、江戸のころのヒト、モノ、カネの流通もなかなかのものであったと思えます。今の旅行と異なり、なにしろ全行程を自らの脚で歩くわけですから、「お伊勢参り一筆書き」の気配。はたして安全に歩けたのかしらと、雲助とかゴマのハエとかにまで思いを致して、ドキドキしてしまいますね。
それほどにして、一生に一度は行きたいという「お伊勢さん」とは、どんなものなのか。それを繙いてくれるのが、今回の大賀吉弘さんの「お伊勢さんの神秘」です。不思議大好きな人たちにとっては、見逃せない「お題」。ご参集ください。
※ 前回までにご案内していた日付が間違っておりました。また、「予告」の5月の日付を、事務局の都合により変更しています。ご了承ください。
◇ 2017年3月25日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
*************** 予告 ***************
★ 2017年5月20日(土)第26回Seminar、講師:Yスナミさん、
お題:「お金の話」
☆ 2017年7月22日(土)第27回Seminar、講師:折衝中、お題:「未定」
36会 aAg Seminar 事務局:kフジタ
2017年3月2日木曜日
感触の違う雪山歩き
友人のKさんは、昨年11月の山で頸椎を損傷した。滑って首を後ろにひねるようになったことは事実だが、それは単なるきっかけ。それまでの彼自身のアスリートとしての活動の中で、頸椎をずいぶん傷めていたのだと自身を振り返っている。診断した医師からは、「もし、もう1㎜ずれていたら、一生動けない身体になっていたよ」と言われたと笑っていた。
2017年3月1日水曜日
人間をどう認識するか
先日NHK-BSのクール・ジャパンという番組を見ていたら、世界のシェア80%を占める日本のIT企業が「朝30分間、全社員で掃除をする」ことから仕事を始めている、というのが取り上げられていた。NHKは「掃除をすることによって(製造工程機械の)バグが取り除かれ、世界シェア80%の商品開発に成功した」と紹介していたが、感想を聞かれた外国人コメンテーターは「才能の無駄遣い」とか、「もし他に転職先があれば、その企業は選ばない」とそっけない返事が多かった。日本人側のどこかの大学教授は、「柔道とか茶道とか武士道といって、技芸の上達を通じてひとの生きる道を究めるという趣旨が盛り込まれてきたのが日本文化だ」という趣旨のまとめ的なコメントを加えていたが、外国人コメンテーターたちは「ふ~ん」と分かったようなわからないような顔をしていたのが、印象的であった。ほとんどだれも「クール」とは認めなかった。
2017年2月27日月曜日
認知症の内と外
久坂部羊『老乱』(朝日新聞出版、2016年)。医者の書いた認知症の物語りとみて、読んだ。妻に死なれて独り暮らしの78歳、己の危うさに当人がうすうす気づきつつある。ご近所に住む息子一家の嫁がそれなりによく面倒を見ている。目配りができるから、義父の暮らしの些細な異変にも気がつく。それが事故や事件に結びついたときに降りかかる負担が(自分たちを含めた)暮らしを一変させる「報道・情報」にも気が回る。つまり、世の子供家族の平均的な姿を取り出して、主題は「認知症」である。
2017年2月26日日曜日
「普遍」は陽炎
むかしハンナ・アーレントがギリシャ民主主義は普遍的なものではなく(ヨーロッパにだけ通用する)特殊なかたちだとみているという「解説」を読んで、とてもアーレントに親近感を持ったことがある。アーレントは、ヨーロッパ標準を世界標準とみなしている知的世界の常識を覆そうとしていたのだと思う。そのようにして、アジアその他の地域にギリシャをモデルとする民主主義が「適用」されるような発想を批判していた。親近感の根っこには、ヨーロッパ学を学び取ることが知的な第一歩と教え込まれてきたことへの苦痛があった。そのときには気づかなかったが、そもそも「普遍」という考え方自体がどうして「特殊」よりも優れていると考えるのか、私は納得できないできたのだ。
2017年2月23日木曜日
道なき道の山歩き(2) 三つ岳の肩を越える
昨年の奥日光の山歩講では「おいしいものを食べたい」という希望があり、「誰ですか、そんなぜいたくなことを言っているのは! 賛成です。」という声に押されて、湯葉しゃぶしゃぶを特注したのだが、到着後のお酒がたたって、食べきれなかったと、ほぼ誰もが反省していた。今年は、食事の特注をしなかった。さらに私には、大いに反省すべきことがあった。2日間の雪山歩きを終えて帰宅した後、痛風を発症してしまった。その三日後に予定されていた奥日光案内ができなくなり、khさんやswさんに全部お任せしたという恥ずかしいことがあった。それ以来、夕食時の「晩酌」を止め、お付き合いとお祝いのときだけ飲むことにして、約一年という記憶があった。先週16日に街で集まりがあって友人たちと飲んで以来4日間、まったくお酒を口にしない日がつづいている。そう、今日のための用心でもあった。「威張ることじゃないよ」と嗤われたが、私にとっては画期的な出来事であった。
道なき道の山歩き(1) 中禅寺湖北岸・高山の峠越え
春が近づいて関東地方に低気圧が到来するようになり、4日おきに雨が落ちる。山沿いでは当然、雪になる。20日から21日にかけての大雪で30センチの積雪があったと奥日光湯元で聞いた。その21日から昨日まで、奥日光のスノーシューハイキング。山の会・山歩講の月例山行である。
2017年2月20日月曜日
批評と感想、文学と読み物(続) 断裂する「世界」
昨日の話しをにつづけたい。今月の問題提起者のKtさんの語り口がどこかしっくりこない。
《何に興味・関心を持つか、書き手のイデオロギーだけで判断すべきでない。》
《人それぞれに関心、感動の要因がある。大きいのは、その作品の出来である。》
《質の高い作品であれば、右、左関係なく評価するし、感動するはずである。》
「判断すべきでない」――なぜ? なぜそう一般的に言えるのか? えっ? おまえならどう言うの? 私ならきっと、「判断すべきとは思わない」というだろうなあ。Ktさんは、どこかに「普遍的な基準」を想定している。ここでいう「普遍的な基準」とは、この言葉を聞く人たちも「同じように思うに違いないという確信」ではないか。その「確信」をかぶることによって、じぶんの内面に踏み込むことを避けているのではないか。養老孟の「バカの壁」ではないが、「確信の壁」はじぶんを守る。他の人たちと同化することによってわが身に及ぶ危険を回避している。じぶん固有の価値に踏み込めば、それを解析して(問題提起者としては)説明しなければならない。それは、なぜじぶんがそのように考えているのか、なぜじぶんがそう感じているのかにいったん降りたって、ふたたび他人に伝わる言葉にしなくてはすまない。
2017年2月19日日曜日
批評と感想、文学と読み物
今月の「ささらほうさら」の問題提起者はKtさん、テーマは「小説とイデオロギー」。加藤典洋が『永遠の0』を批判しているのに噛みついた。出典は加藤典洋『世界をわからないものに育てること』(岩波書店、2016年)。私はこれを読んでいません。Ktさんは、加藤の文章を引用した後で、こういっています。
① 《加藤は、『永遠の0』は、「なかなかに心を動かす、意外に強力な作品と、そう受け止める方がよいのではないかと感じた」と、多くの読者、観客の存在を認めざるを得ないような物言いをしているが、上記のように認めていないのが本心である。》
2017年2月17日金曜日
「機械」というアルゴリズム
今週月曜日に奥日光の雪山へ下見に行って「途中敗退」したと記しました。もっていた「私の(山歩きの)コーラン」であるスマホの画面が真っ白になり、地図が表示されなくなったのでした。
家へ帰ってみると「現在地」を表示すると地図が出てきました。では、と、「日光湯元」を検索すると、「データがありません」と表示が出て、それ以上動きません。他はどうかと思って「えきから時刻表」を動かしてみると、「機内モードを解除してください」とでてきました。おや、いつそんなモードになったのだろうと「機内モード」をチェックすると、ちゃんと「機内モードOFF」になっています。もう一度やってみると「WIFI接続していません」との表示。でも「WIFI・ON」です。どうしていいかわからず、スマホ購入のお店にもっていきました。
2017年2月15日水曜日
第24回aAg Seminar ご報告 (4)我が人生を振り返るSeminar
1657年に130万人程度であった江戸の人口は、江戸の終わりごろまでほぼ横ばいであったと言われている。それが、1920年の初の国勢調査が行われた時点(東京)では約370万人、三倍になっている。1930年には540万人、1940年には740万人になっている。10年ごとの国勢調査結果では1.5倍のペースで膨れ上がっている。これは日本の産業の近代化が急速度で進み、東京へ人口が集中していっていることを示している。この人口集中は戦後もつづき、2010年には1300万人、江戸のころの十倍。これを世界的な大都市になったと喜ぶのか、どうしてこんなことになったのかと嘆くのかは、何処からみているかによって違うであろう。
2017年2月13日月曜日
中禅寺湖北岸を独り占めした雪山
朝の中禅寺湖
岩を避け、斜面を歩く
明日から天気が崩れるというので、今日、山へ行ってきた。来週、奥日光の雪山案内があるので、その下見を兼ねてひと歩きして来ようと思ったわけ。6時半に家を出て、奥日光竜頭の滝に着いたのが8時40分。5分ほどで雪山用のウェアを来てスノーシューをもって歩きはじめた。
岩を避け、斜面を歩く
明日から天気が崩れるというので、今日、山へ行ってきた。来週、奥日光の雪山案内があるので、その下見を兼ねてひと歩きして来ようと思ったわけ。6時半に家を出て、奥日光竜頭の滝に着いたのが8時40分。5分ほどで雪山用のウェアを来てスノーシューをもって歩きはじめた。
2017年2月12日日曜日
欲望は抑えられないか(2) 我が「かんけい」の然らしむる処
ずいぶん間が空いたが、1/10の「欲望は抑えられないか(1)「制御可能」の体幹を鍛える」の(つづく)を受けて書き記す。
「欲望は抑えられるのか」と論題を立てるとき、「その欲望」を保つ者の内側から立てられているのか、「その欲望」を保つ者の周辺にいて、かかわりをもつ外部から問いが立てられているのかで、応えるスタンスが百八十度違ってくる。まず、どちら側でもない「欲望」そのものからみると、次のようなことが言える。
2017年2月11日土曜日
意外にガラパゴス、で長生きするのか
姪っ子に娘が生まれた。といっても第二子。上も女の子だから、仲のよい女同士になるといいと思う。それは上の子にとっては何よりの贈りものになろう。妹の誕生は、同時に姉の誕生でもある。兄弟姉妹というのは、カインとアベルの物語にもある通りに競争的関係にもなるが、模倣し模倣され、保護し保護されて育つという人として成長していく過程に欠かせない要素を間近に持つことになる。上の子が必ずしも優越的にだけ位置しているわけでもない。上の子を模倣して下の子が磊落に振る舞い、上の子はそれを見て己自身にかけていた制約の殻を破るということもある。人は鏡に映して己をかたちづくるから、ひとりの「こころ」も周囲によってかたちづくられていく、いわば集団的無意識の造形物だと言える。
2017年2月10日金曜日
プロってどういうこと?
真保裕一『レオナルドの扉』(角川書店、2015年)が図書館の書架にあるのが目に留まり、手に取った。読みながらスタジオジブリの映画『天空の城ラピュタ』であったか『ハウルの動く城』であったか、空に浮かぶ脚漕ぎの舟が頭に浮かび、へえ、この作家はこんな作品も書くのだと思いながら読みすすめた。小説には珍しく「あとがき」がある。それをみるとなあんだ、この作家はアニメ出自だったんだとわかった。私が最初に目にしたこの作家の作品は『ホワイトアウト』だったから、まったく彼のアニメがらみは知らなかった。そうした今ふりかえってみると、この『レオナルドの扉』が『天空の城ラピュタ』などをイメージさせたのも、たぶん文体からくる。彼自身が、絵になるようなイメージを思い描きながら、それでいて物語りが勝手に展開してしまうような運びを愉しんでいるように思えたのだ。荒唐無稽ってのもいいねえ、こういうのって、作家冥利に尽きるんじゃないか。
2017年2月9日木曜日
けっこう変化に富んだ山、高尾山
今みぞれが降っている。今日は荒れると、ずいぶん前から予報が出ていた通り。昨日まではすこぶる付きの晴天。山の会の「日和見山歩・城山―高尾山」。高尾駅で8時過ぎの小仏行きのバスに乗って「日影」バス停で下車。登山者がけっこうたくさん乗っているのに驚く。高尾山の北側に並行して走る尾根を登り、かつての小仏城址の城山で、高尾山からの尾根と合流、そこから南へ下り大弛峠から再び高尾山の稜線へ登り返すというコース。つまり、高尾山の、年間三百万人が訪れるという混雑するルートを外れて、静かな高尾山をぐるりと経めぐるという、なかなかおしゃれなコース。今日のチーフリーダーMsさんが選んでくれた。
2017年2月7日火曜日
劇団ぴゅあ公演が受け継ぐ文化
トランプの「七か国からの入国禁止」大統領命令に執行停止の仮処分が連邦地裁から出され、それに対してトランプ大統領が「前例にない判事非難をしている」と報道がなされています。「もしテロが起こったら、おまえ(判事)のせいだ」とトランプ大統領がいっているのですが、(行政府としての下品な言葉つきですが)「判事のせいだ」というのは、これはこれで、それなりに的を射ているのではないでしょうか。むろん判事の「仮処分判決」は行政執行においての直接命令ではありませんが、トランプ以前の行政府のやり方に戻れというのですから、それなりに「事態」に対しての(判断)責任を持たなくてはなりません。「三権」のひとつが、判断を下したのです。「責任」が阻却されるわけにはいかないのですね。でも、トランプ政権になってから、急にアメリカ世論が騒がしくなりました。「虚―実」を争うということも、大統領自身がマス・メディアなど自身に反対する勢力を敵に回す口つきもあるでしょうが、いつも反対派のデモが行われ、反対意見と衝突を繰り返している印象がまとわりついています。ま、アメリカという国はそれだけ民主主義的に健康な体力を持っているのかもしれません。
2017年2月5日日曜日
私たちは「ショパン」をもっているか
須賀しのぶ『また、桜の国で』(祥伝社、2016年)を読む。第二次大戦頃にポーランドに赴任した大使館員の姿を描く。ロシア革命によって成立したソ連、ナチズムのドイツ、南満州鉄道の経営権を手に入れた日本、日中戦争に深入りする日本、対立が深刻化する米英と日本、ドイツとの接近と大きく揺れる国際情勢を背景にして、翻弄されるポーランドと在ワルシャワ日本大使館員。これまで平板に国際的な力関係として受け止めていたヨーロッパ情勢に、そこに暮らしているドイツ系やスラブ系やユダヤ系ポーランド人と、ドイツ、ロシア、日本といった国と人との「かかわり」がもっている微妙な「友好的/敵対的/優越的/差別的」関係を織り交ぜて、丁寧に、しかし簡明に描き出すことに成功している。
2017年2月3日金曜日
天気晴朗なれども風強し
埼玉県には海がないから「波浪高し」とはならないが、今日の見沼田んぼは風が強かった。昨日は川口の道満堀公園近くの荒川土手を通りかかったとき、前方に富士山が姿を見せた。今日は、見沼の遊水地からくっきりと富士山が見える。このところの晴続きで空気が乾燥しているせいで、遠くの山の輪郭がすこぶるきれいに見える。とりわけ富士山はお宝を見たように思える。このときになってカメラを忘れてきたことに気づく。
2017年2月2日木曜日
第24回aAg Seminar ご報告 (3)江戸から現在へと「解体」されてきたこと
江戸時代の市場経済が繁栄したのは、参勤交代の費えが大きく影響していたと、時代物小説の愛読者である講師のM.ハマダさんはいう。おおよそ各藩の収入の半分ほどをつかったらしい。その費えは街道筋の宿場などに落とされであろう。それに加えて、江戸屋敷の経費がある。これは江戸の町そのもので消費される。江戸の町がエコという感覚は、たぶん、消費物資がおおむね地産地消であったことと下肥などが江戸周辺の農家に買い取られていたということ、つまり、循環が現地主義的に完結していたことによるのではないか。江戸のエコということを下肥を近隣農家が買い取っていったという循環に絞って考えては的を射ていない。循環の社会的規模が適当な大きさであったことを忘れてはいけない。参勤交代が落とした経費もそうだが、まず前提として各藩の独立採算というか、自治的なまかないが前提であった。各藩の規模、つまり広さと抱える人口と差配する範囲が適切な大きさであった。いずれそのために、江戸に物資が集中するにせよ、必要経費を賄うために特産物を市場に出して換(金)銀しなければならない。米だけでは融通が利かない。
脇道と見えることこそが本筋なのです
貫井徳郎『空白の叫び』(小学館、2006年)上下二巻を読む。人を殺した三人の中学生の人生を描く。とりわけ優れた人物の造形があるわけでもなく、ミステリーとしての物語りも際立っているわけでもないが、ひょっとすると今風の(といっても十年も前の作品だが)若い人のシニシズムを描き出しているだろうかと思った。生きているのが苦であるという気配が、人を殺す出来事の前に、すでに裡側に堆積している。その在り様は哀切ですらないというのが、私の読後感。
2017年2月1日水曜日
一点豪華の思親山
昨日は我が団地の水槽清掃日。むろん業者が入る。9時から午後4時ころまで水道が使えない。そこへもってきて日本列島の大半が晴天とあれば、山へ行かない手はない。ちょっと遠出をして、身延町の南、富士市の北、山梨県南巨摩郡南部町の山、思親山1031mへ行ってきた。身延町といえば日蓮宗の大石寺がある。「思親」という儒教的なセンスとどう見合うのかはわからないが、関係がないのかもしれない。
2017年1月30日月曜日
第24回Seminar報告 (2)住めば都
「武蔵野台地の突端」と江戸が開かれた地勢を昨日引用したが、思えば、講師のM.ハマダさんが営んでいる小売店は新橋。江戸のころの、まさに武蔵野台地の突端、その先は江戸湾であった。今はその先が東京湾に13km延びて、「暁ふ頭公園」になっている。目下埋め立てている「ごみ処理場」までは、さらに5km延びる。2020年のオリンピックのボート会場建設で話題になった「海の森公園」のあるのがここの鳥羽口になる。この埋め立てが「日本の近代」なのだが、私の印象では、江戸初期からの埋め立てと明治以降の埋め立てとは全く異なる。「江戸はエコ、明治以降はエゴ」という近頃流行りの図柄に私も俗されているのであろうかと思うが、最近の中国のPM2.5の惨状をみるにつけ中国の30~40年先を歩いて来た日本の姿が思い出されて胸が痛む。
2017年1月29日日曜日
第24回Seminar ご報告(1)江戸の「列島改造」町づくり
昨日は第24回Seminar。これで満4年が終わる。75歳までは続けようやと話していたが、75歳になる年か、75歳がおわる年かは詰めてなかった。その入口に、いよいよ差し掛かる。会場の大学にまだ務めているSさんが「あと一年くらいは頑張るから、終わるところまでやろう」という。そういうわけであと一年、つづけることになった。
2017年1月27日金曜日
ガラパゴス
相場英雄『ガラパゴス』(小学館、2016年)上下二巻を読む。ミステリー。身元不明の自殺体として処理されていた「事案」に殺人の臭いを嗅ぎ、「903」という記号で処理されていた遺体が「解き明かされていく」。その背景に、日本産業のガラパゴス化が底流して、「事案」の悲劇性が読み取る読者の日常に突き刺さる。
2017年1月26日木曜日
Mt. ever young
山の会の月例山行。今日は静岡県の東の端、神奈川県との境にある「不老山」。5時間ほどの山歩きの下山後に、駅まで車道を1時間歩くという行程。標高差は約700m。当初、逆のルートを考えていて、登山口まで朝一本のバスに乗ろうと企画していたのだが、下りの急斜面よりは上りの急斜面の方がいいかと考え直して、駿河小山駅から入山することにした。小田急線の新松田駅で乗り換えた電車は御殿場線の沼津行き。国府津から沼津までのこの経路は、箱根の北側を走る。調べたわけじゃないが、(たぶん)東海道線の丹那トンネルが抜けるまでは、こちらが東海道の本線だったのではないか。そう思うほど、ウィークデイの通勤時間帯を過ぎているというのに、乗車している人が多い。同行する何人かも、国府津から乗ってきた。
2017年1月24日火曜日
大寒を超えた
陽ざしの入り方が違ってきた。我が家のリビング。向かいに五階建ての建物があるから、冬場、一階に住んでいる我が家に陽ざしが入るのは、南西側が最初、やがて南側と移ってリビングが明るく、暖かくなっていた。それが、南東側からの陽ざしが最初に入るようになった。太陽が早く高度をもつようになったのだ。大寒というのは太陽が黄経300度に来たときを謂うと、何かの本にあった。「黄経」というのがどういうことなのかよくわからないけど、冬至のころと比べると、たぶん、太陽の我が家に差し込む角度がある高さに恢復したときを謂っていると解釈している。なにより陽ざしが、うれしい。
2017年1月23日月曜日
第24回 36会 aAg Seminar ご案内 および 新年会 「直前案内」
皆々さま
いよいよ1月28日(土)、「第24回 36会 aAg Seminar」が開催されます。これで、満四年が完結です。どんな話が飛び出すでしょうか。ご期待ください。終了後に、新年会も行われます。
○ 第24回 36会 aAg Seminar
◇ 2017年1月28日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階B会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
◇ 講師:Mハマダくん
◇ お題:『江戸・東京のまちづくり』プラス『近未来(10年後?)の東京を探る』
○ 新年会 Seminar終了後、17:00~ 昭和大学病院入院棟 17F レストラン
庶民の「うそとほんと」
アメリカの新大統領が就任したことで、連日の新聞テレビはにぎわっている。昨日の朝日新聞の「日曜に想う」は編集委員の福島申二が《「考える人」から「思う人」へ》と題して、こういう。
《「ポスト真実(トゥルース)」という聞きなれない言葉が、昨年来、瞬く間に世界に流布した。好ましい言葉ではない。平たく言えば、事実や真実よりも感情的な言辞や虚言、あるいはウソの情報に民意が誘導されいく状況を指している。》
ここには三つの思い込みが優先されている。その思い込みが対象化されなかったために「トランプの勝利」ということを予測できなかったことが、まだわかっていない。
2017年1月21日土曜日
ひとり、見事
「Tさん、亡くなってた」と短いメールが入った。今月中旬のこと。Tさんというのは、四半世紀つづけてきたカミサンのヨーガの師匠。今年最初の教室へ行って、亡くなったと知らされた。去年12月の24日、一人暮らしの師匠の家を、鍵を持っている息子が訪れた。ドアを開けたらドアチェーンがかかっている。呼んでも返事がない。チェーンを切ってもらって中へ入ると息絶えていたというのだ。享年九十一歳。
2017年1月20日金曜日
2017年1月18日水曜日
2017年1月17日火曜日
2017年1月16日月曜日
どうしたんだろう、この体
厳寒になったといわれた今日、山へ行ってきた。青梅線から拝島で分かれて西の山間へと入っていく五日市線の終点。武蔵五日市駅あたりまで拓けていた平野部を「秋留野」と呼んでいたらしいが、それを呼称にとって、五日市町など周辺が合併して「あきるの市」になった。中央部を秋川が流れる。その両側に立ちあがる山並みが西の三頭山や御前山などの、奥武蔵の山に突き当たり、奥秩父の山へと連なっていく。まあ、その入口、東京都の最西端、檜原村の元郷から歩きはじめる。午前9時1分。バスを降りると、そのまま登山口に入り込む。「おや、山に登る人がいるよ」と背中の方で声がする。振り向くと、でっぷりと太った地元のオバサンが2人、私が歩きはじめた細い路地の幅に立って、こちらを見ている。思わず手を振る。向こうさんも手をあげる。ヘンなの。
2017年1月15日日曜日
言葉が人を裏切る
机の上を片付けていたとき、折り込み広告の切れはしの裏側に書き付けた、古いメモが落ちていた。
《言葉っていうのはね、どうも不自由にしか遣いこなせない時よりも、巧みに易々と遣いこなせている時の方が、本当に痛烈に人を裏切るものなんじゃないかっていう気がする。176ページ》
と、ある。誰の、何にあった言葉であろうか。図書館で読んでいて気になるとメモをする。語り口からすると座談かインタビューのようだ。本だろうか、雑誌だろうか。ま、それはいい。でも、このことば、次期アメリカ大統領のトランプさんはどう受け取るだろう。
2017年1月13日金曜日
欲望は抑えられないか(1)「制御可能」の体幹を鍛える
ささらほうさらの合宿でやりとりしたことの中に、鷲田清一の「社会に力がついたと言えるとき」に関連してでてきたことが、ひとつある。鷲田が、中高生向けに伝えたいこととして書かれた文章である。
2017年1月12日木曜日
陽だまりの初山歩き
「寒波が来ます」という予報を耳にはさみながら、高水三山を歩いてきました。山歩講の「日和見山歩」、kwmさんがチーフリーダーです。麓の予報最低気温は3℃でした。日曜日から火曜日の朝にかけて雨が降りましたから、ひょっとすると山頂近くでは雪が残ったり、凍りついているかもしれないと考え、「念のため軽アイゼン持参」と直前にメールを出していました。
2017年1月9日月曜日
物事を切って捨てる爽快さの厄介さ
ささらほうさらの合宿に行ってきた。その帰り、もつかなと思った天気が崩れ、駅から家までの間に雨が落ちてきた。外へ出かけていたカミサンは、駅からバスに乗ったという。年末から久々の雨。今朝もまだ落ちている。明後日山に行くというのに、それをさておいて雨を喜んでいる自分が可笑しい。明後日の山の天気をチェックする。雨は今日だけ。明日も明後日も、関東地方は晴れがつづく。最低気温も3,4℃と、足元が凍りつく気遣いがないかもしれない。
2017年1月7日土曜日
第24回 36会 aAg Seminar ご案内 および 新年会も
皆々さま
平成になって29年目を迎えました。早いもので、とっくに昭和は大昔になりそうですね。
さてまた、Seminarの月がやってまいりました。今月の講師は、Mハマダくん。お題は「江戸・東京の街づくり」に「近未来の江戸・東京を探る」です。いま賑やかな東京が、太田道灌が城を築いた頃はどうであったか、家康が幕府を開い人工的な手を加えて街づくりをしてきたか、地勢的な移り変わりも興味をそそります。事前に「ご注文」があれば受けていただけそうですので、ふるってハマダくん宛てにメール送信してください。なお、メールを送ったときは、「メールを送ったよ」と電話もお忘れなく。
Seminar終了後、17時から、Seminar会場と同じフロアのレストランで「36会新年会」を行います。これは1/3のブログでもお知らせしていますが、Seminar:出席/欠席と一緒に、新年会:出席/欠席をお知らせください。1月21日までによろしくお願いします。
◇ 2017年1月28日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
◇ 講師:講師:Mハマダくん
◇ お題:『江戸・東京のまちづくり』プラス『近未来(10年後?)の東京を探る』
◇ Seminar終了後に「新年会」を予定しています。参加なさる方は、事務局までお知らせください。
******* 今後の予定
★ 2017年3月26日(土)第25回Seminar、講師:Yオオガくん、
お題:「お伊勢さんの神秘入門」
★ 2017年5月27日(土)第26回Seminar、講師:Yスナミさん、
お題:「お金の話」
36会aAg Seminar事務局:kフジタまで
平成になって29年目を迎えました。早いもので、とっくに昭和は大昔になりそうですね。
さてまた、Seminarの月がやってまいりました。今月の講師は、Mハマダくん。お題は「江戸・東京の街づくり」に「近未来の江戸・東京を探る」です。いま賑やかな東京が、太田道灌が城を築いた頃はどうであったか、家康が幕府を開い人工的な手を加えて街づくりをしてきたか、地勢的な移り変わりも興味をそそります。事前に「ご注文」があれば受けていただけそうですので、ふるってハマダくん宛てにメール送信してください。なお、メールを送ったときは、「メールを送ったよ」と電話もお忘れなく。
Seminar終了後、17時から、Seminar会場と同じフロアのレストランで「36会新年会」を行います。これは1/3のブログでもお知らせしていますが、Seminar:出席/欠席と一緒に、新年会:出席/欠席をお知らせください。1月21日までによろしくお願いします。
◇ 2017年1月28日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
◇ 講師:講師:Mハマダくん
◇ お題:『江戸・東京のまちづくり』プラス『近未来(10年後?)の東京を探る』
◇ Seminar終了後に「新年会」を予定しています。参加なさる方は、事務局までお知らせください。
******* 今後の予定
★ 2017年3月26日(土)第25回Seminar、講師:Yオオガくん、
お題:「お伊勢さんの神秘入門」
★ 2017年5月27日(土)第26回Seminar、講師:Yスナミさん、
お題:「お金の話」
36会aAg Seminar事務局:kフジタまで
昭和が終わって29年、息子が私の心配をする
1月5日、さらに雪が降り積もり、奥日光らしくなってきた。夜中に妹孫が耳が痛いと言ってなかなか寝付けなかったらしい。「中耳炎かな?」と親は心配している。しかし今日は木曜日。たいていの病院はお休みだ。痛むようなら休日急患診療所にでも駆け込もうかと親と話をする。朝ご飯を済ませて妹孫が涙目になっている。婆が「どうしたの? 痛いの?」と訊くと「もう帰るんでしょ、雪遊びができない」と泣いている。チェックアウトまで遊ばせてやってと、爺は本を読んで、上下二巻を読み終わる。
2017年1月6日金曜日
知らないことがいっぱいある
朝から雪が舞う1月4日。昨日のダイヤモンドダストのような小雪と違い、サラサラで粒は小さいが本降りの観。気温は低い。夜のうちから降っていたらしく、ホテルの庭にはもう15センチくらいつもっていようか。孫たちは雪遊びがしたいというので、爺婆は別行動をとることにする。
2017年1月2日月曜日
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